学位論文要旨



No 116364
著者(漢字) 福井,栄一
著者(英字)
著者(カナ) フクイ,エイイチ
標題(和) ラット肥大心筋における内向き整流カリウムチャネル発現の変化
標題(洋)
報告番号 116364
報告番号 甲16364
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1759号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 講師 竹中,克
 東京大学 講師 谷口,茂夫
内容要旨 要旨を表示する

目的

 心肥大は圧負荷および容量負荷に対する適応現象と考えられる。心肥大・心不全患者には心室性不整脈の合併が多いこと知られており、不整脈発生の一因として、心筋細胞における活動電位持続時間(Actionpotential duration:APD)の延長が知られている。この機序の解明のため、活動電位の再分極相における外向き電流を担うK+電流と内向き電流を担うCa2+電流の変化について主に生理学的な検討が様々なされてきたが、用いた動物種、肥大の作成法などの違いにより異なる結果が報告され未だ統一した見解は得られていない。

 一方心筋が虚血にさらされるとAPDが短縮し、このときATP感受性K+電流(IKATP)が重要な役割をはたす。心肥大時のIKATPの変化としてはチャネルの電流密度は増大または不変であるが、いずれの報告においてもATPに対する感受性は低下していたが、その機序はまだ明らかではない。

 近年、心肥大によるイオンチャネルの発現の変化を遺伝子発現の量的変化としてとらえる試みが、主にK+チャネルについて検討されているが、主としてKvチャネルに属するチャネルであり、内向き整流K+チャネル(Kirチャネル)の心肥大による遺伝子発現の変化についての報告は現在のところ認められない。今回、心室に発現する内向き整流K+チャネル(Kir)であるIK1チャネル、KATPチャネルについて、生化学的手法を用いて、これらチャネルの発現の変化を検討した。

方法

右室肥大モデルラットの作成

 Sprague Dawley rat(雄4週齢)、36匹に50mg/kg(体重)の2%モノクロタリン溶液を皮下注射し、右室肥大モデルを作成。モノクロタリン投与後7日目、14日目、21日目の各時点で12匹づつのラットの総重量を計測後、心臓を摘出し、右室自由壁と中隔を含む左室に分離し各々重量を計測。コントロールとして、モノクロタリン非投与群の36匹のラット(雄4週齢)を用意した。

RNA抽出

 摘出心の右室自由壁と、中隔を含む左室を直ちに液体窒素で凍結させ、total RNAを抽出した。

プローブの作成

 プローブ作成のため、Gen Bankをもとにして、Kir2.1、Kir2.2、Kir6.2、SUR2、および内部コントロールとして用いるglyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenase(GAPDH)に対し、DNAプライマーを用意し、ラット心室筋のtotal RNAを鋳型としてRT-PCRを行い、各々のcDNAを作成した。cDNAをテンプレートとしてdigoxigeninラベルのantisense RNAプローブを作成した。

ノーザンブロット法

 1%アガロースゲルにtotal RNA20μgを電気泳動、Nylonmembraneに転写し、Kir2.2は63℃、その他のプローブに関しては65℃で一晩hybridizationを行った。洗浄、ブロッキング後、アルカリフォスファターゼ付加抗ジゴキシゲニン抗体と反応させ、CSPDで発光シグナルとして検出した。

競合的RT-PCR法

 SUR2にはSUR2AとSUR2Bのスプライシングバリアントがあり、選択的スプライシングが起こる部分を検出するようプライマーを用意し、競合的RT-PCRをおこなった。

In situ hybridization

 Kir6.2の発現分布の変化を調べるためにin situ hybridizationをおこなった。パラフォルム固定した正常心筋と肥大心筋の包埋切片を脱パラフィンし、除蛋白処理後、プローブを47℃で一晩反応させた。試料を発色させた後、アセトン、キシレンで脱水、封入した。

結果

モデルラットの体重量および心重量

 体重量は、7日目モノクロタリン投与群にて有意に減少し、14日目には有意差がなくなり、21日目においてはモノクロタリン投与群にて著明な減少を認めた。右室自由壁/中隔を含む左室の重量比は、モノクロタリン投与群では7日目より有意な増加を認め、その後経過にともないその差は増大した。

ノーザンブロット法でみた各サブユニットmRNA発現レベルの変化

 中隔を含む左室では、全てのサブユニットでmRNA発現レベルに有意な変化は認められなかった。(n=4)

 右室自由壁では、Kir2.1ではコントロール群に比しモノクロタリン投与群では、投与後7日目、14日目に発現レベルは有意に増加したが、21日目には有意差は認めなかった。(n=6)

Kir2.2はコントロール群に比しモノクロタリン投与群では発現レベルに有意な変化を認めなかった。(n=6)

Kir6.2は、コントロール群に比しモノクロタリン投与群では、投与後7日目にて有意ではないが増加傾向を示し、14日目に有意に増加し、21日目にはほぼコントロール群のレベルに復した。(n=6)

SUR2は、Kir6.2と同様の変化を認めた。しかし14日目に見せた増加の程度はKir6.2に比し軽度であった。(n=6)

競合的RT-PCR法によるSUR2A、SUR2Bの発現

 検出されたSUR2A、SUR2Bに相当するバンドの発光シグナルの比(SUR2A/SUR2B)は、いずれの群でも有意差は認めなかった。(n=4)

In situ hybridizationでみたKir6.2の発現分布

 Kir6.2mRNAの発現分布は、左室側ではコントロール群・モノクロタリン投与群ともに、経過をとおして心外膜側に強く特異的染色を認めた。一方右室自由壁においては、コントロール群においては左室と同様の発現分布を示し、モノクロタリン投与群は、7日目はコントロール群と差はなかったものの、14日目には全層にわたり染色を認めるようになり、21日目には内膜側・外膜側に比し中層における染色は弱くなった。

考察

 心室ではKir2.1、Kir2.2とも発現しているが、成熟心筋細胞でのIK1チャネルは、Kir2.2からなると推定されている。一方胎児型心筋細胞のIK1チャネルはKir2.1で構成されると推定されている。

 モノクロタリンを用いたラットモデルでは、IK1電流に経過を通して変化をみとめなかったとする報告があり、その一因として以下が考えられる。

(1)心肥大の形成時に心筋蛋白の多くが胎生期に出現しているアイソフォームへ変換する。今回認めたKir2.1mRNAの発現の増加も、同様の胎児型蛋白への移行をみている可能性がある。IK1電流に変化を認めないのは、Kir2.1で構成されるIK1チャネルはKir2.2で構成されるIK1チャネルよりチャネルコンダクタンスが小さいため、チャネルが増加しても電流密度としては変化を示さない。

(2)Kir2.1は心筋細胞のみならず、心臓における血管平滑筋細胞や神経細胞にも発現しており、心肥大の形成にともないこれら細胞に存在するKir2.1 mRNAが増加している可能性が考えられる。よって心筋細胞のKir2.2mRNAが変化しなかったため、IK1電流はその電流密度に変化を認めなかった可能性がある。

 今回認めたKir6.2mRNA、SUR2mRNAの変化は、肥大形成期、代償性肥大期にかけて発現が増加し、非代償期心不全期にはコントロール群のレベルまで減少した。これは肥大にともなう一種の適応現象および非代償期における適応破綻と考えられる。競合的RT-PCR法による検討により、SUR2A mRNAの発現の変化はSUR2 mRNAと同様と考えられる。

肥大心におけるmRNAの発現の増加は、KATPチャネルの電流密度の増加との報告に一致する。ATPに対する感受性の低下の原因としては、SUR2 mRNAの発現の増加はKir6.2mRNAの発現の増加に比し軽度であったため、この発現量の増加の程度の違いがチャネルのATPに対する感受性に影響を与えている可能性がある。もう一つの可能性としては、SUR2 mRNAの発現の増加は、SUR2A mRNAのみならずSUR2B mRNAの発現量の増加も含んでいる。肥大心において、Kir6.2とSUR2Aで構成されるKATPチャネルとともにKir6.2とSUR2Bで構成されるKATPチャネルが発現しており、そのためATPに対する感受性が変化しているのかもしれない。

 Kir6.2 mRNAの発現分布は、左室側および右室自由壁のコントロール群では心外膜側に多く発現を認めた。これはKATP電流(IKATP)は心外膜側に多いという所見に一致した所見といえる。一方モノクロタリン投与群では、肥大期には全層にわたるKir6.2mRNAの発現を認めた。この発現分布の変化は、虚血時に障害心筋に対して保護的に作用すると考えられているKATPチャネルの働きに適った変化と考えられる。非代償性心不全期での中層における発現の低下は、虚血時に中層において活動電位持続時間の短縮の程度が小さくなり、心室における貫壁性再分極時間のばらつきを増大させる可能性があると考えられる。

 本研究では肥大に伴い内向き整流K+チャネルを構成するサブユニットごとに、そのmRNAの発現に量的かつ質的変化があり、加えてその発現分布も変化しており、心肥大に伴う内向き整流K+チャネルの電流密度の変化および分布を考える際に十分に考慮すべき可能性を提示する結果と考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、心室筋に発現する内向き整流カリウムチャネル(Kir)である古典的内向き整流カリウムチャネル(IK1チャネル:Kir2.1・Kir2.2)、ATP感受性カリウムチャネル(KATPチャネル:Kir6.2・SUR2)について、肥大心(モノクロタリン投与によるラット右室肥大モデル)におけるこれらチャネルの発現の変化を遺伝子発現の変化という観点から検討したものであり、下記の結果を得ている。心肥大の形成により

(1) ノーザンブロット法により検討したIK1チャネルのサブユニットのmRNA発現レベルは、KIR2.1は肥大にともない発現量が増加しその後も増加傾向を認めたのに対し、Kir2.2は経過を通して有意な変化を認めなかった。

 心室ではKir2.1、Kir2.2とも発現しているが、成熟心筋細胞でのIK1チャネルは、Kir2.2からなると推定され、胎児型心筋細胞のIK1チャネルはKir2.1で構成されると推定されている。心肥大の形成時に心筋蛋白の多くが胎生期に出現しているアイソフォームへの変換する(胎児型蛋白への移行)ことが知られており、今回認めたKir2.1mRNAの発現の増加も、同様の胎児型蛋白への移行をみている可能性が示された。本モデルにおいてはIK1電流に変化を認めないことが知られているが、Kir2.1で構成されるIK1チャネルはKir2.2で構成されるIK1チャネルよりチャネルコンダクタンスが小さいため、チャネルが増加しても電流密度としては変化を示さないと考えられた。また一方で、Kir2.1は心筋細胞のみならず、心臓における血管平滑筋細胞や神経細胞にも発現しており、心肥大の形成にともないこれら細胞に存在するKir2.1mRNAが増加している可能性も考えられ、心筋細胞のKir2.2mRNAが変化しなかったため、IK1電流はその電流密度に変化を認めなかった可能性も考えられた。

(2) ノーザンブロット法における検討では、KATPチャネルを構成しているKir6.2とSUR2のサブユニットのmRNA発現レベルは肥大にともない増加し、非代償期心不全期には減少した。またSUR2 mRNAの発現の増加はKir6.2 mRNAの発現の増加に比し軽度であった。

(3) SUR2のスプライシングバリアントであるSUR2A、SUR2BのmRNA発現量の比は、競合的RT-PCR法による検討により、コントロール群、モノクロタリン投与群とも、有意な変化は認めなかった。

 今回認めたKir6.2 mRNA、SUR2 mRNAの変化は、肥大形成期、代償性肥大期にかけて発現が増加し、非代償性心不全期にはコントロール群のレベルまで減少した。これは肥大にともなう一種の適応現象および非代償期における適応破綻と考えられた。競合的RT-PCR法による検討により、SUR2A mRNAの発現の変化はSUR2 mRNAと同様と考えられた。この肥大期におけるmRNAの発現の増加は、肥大心において認めるKATPチャネルの電流密度の増加との報告に一致した所見といえる。肥大心におけるKATPチャネルのATPに対する感受性の低下については、今回の結果から次の様に考察している。SUR2 mRNAの発現の増加はKir6.2mRNAの発現の増加に比し軽度であったため、この発現量の増加の程度の違いがチャネルのATPに対する感受性に影響を与えている可能性があるとしている。またもう一つの考察として、今回のSUR2 mRNAの発現の増加はSUR2A mRNAのみならずSUR2B mRNAの発現量の増加も含んでおり、肥大心においては、Kir6.2とSUR2Aで構成されるKATPチャネルとともにKir6.2とSUR2Bで構成されるKATPチャネルが発現しており、そのためATPに対する感受性が変化している可能性を挙げている。

(4) In situ hybrididizationにより検討したKir6.2 mRNAの発現分布は、左室側ではコントロール群・モノクロタリン投与群ともに経過を通して心外膜側に多く発現していた。右室自由壁では、コントロール群においては経過を通して心外膜側に多く発現していたのに対し、モノクロタリン投与群では、肥大形成初期にはコントロール群と差はなかったが、肥大期には全層性に発現を認めるようになり、非代償性心不全期には内膜側・外側側に比し中層における発現が低下した。

 Kir6.2mRNAの発現分布は、左室側および右室自由壁のコントロール群では心外膜側に多く発現を認めた。これはKATP電流(IKATP)は心外膜側に多いという所見に一致した所見といえる。一方モノクロタリン投与群では、肥大期には全層にわたるKir6.2mRNAの発現を認めた。肥大に伴い心筋は相対的虚血にさらされるが、この発現分布の変化は、虚血時に障害心筋に対して保護的に作用すると考えられているKATPチャネルの働きに適った変化と考えられた。また非代償性心不全期には中層における発現が低下していた。この中層におけるKir6.2mRNAの発現低下は、機能的に働くKATPチャネルが同様な分布を示すとすると、虚血等の低酸素、代謝障害時にKATPチャネルが開口した際、中層において活動電位持続時間の短縮の程度が小さくなると考えられ、心室における貫壁性再分極時間のばらつきを増大する可能性があると考えられた。

 以上、本論文はモノクロタリン投与ラット右室肥大モデルにおいて、生化学的手法により、肥大に伴い内向き整流カリウムチャネルを構成するサブユニットごとに、そのmRNAの発現に量的かつ質的変化があり、加えてその発現分布も変化していることを明らかにした。これまで肥大心における内向き整流カリウム電流の変化について、主にパッチクランプ法を用いた様々な生理学的検討がなされているが、いずれの電流密度においても、用いた動物種、肥大の作成法などの違いにより観察される結果は一様ではなく、未だ統一した見解は得られていない。本研究は、内向き整流カリウムチャネルの肥大心における変化を、これまで未知に等しかった遺伝子発現レベルで検討しており、心肥大に伴う内向き整流カリウムチャネルの電流密度および分布の変化の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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