学位論文要旨



No 116367
著者(漢字) 桑田,志宏
著者(英字)
著者(カナ) クワダ,ユキヒロ
標題(和) 左室壁心内膜下層と心外膜下層の収縮を分離評価する非観血的方法め臨床応用
標題(洋)
報告番号 116367
報告番号 甲16367
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1762号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高本,眞一
 東京大学 助教授 川久保,清
 東京大学 助教授 後藤,淳郎
 東京大学 講師 竹中,克
 東京大学 講師 木村,健二郎
内容要旨 要旨を表示する

要旨

【背景】従来は、心室壁は均一と考えられ、ひとまとめにしてその厚みの変化を計測して心機能の指標としていたが近年の報告により、心内膜側心筋は心外膜側心筋に比較してより強い(約2倍)収縮運動をするため、心内膜側心筋の方が心筋酸素消費も高く(約20%)、またその反面傷害を受けやすいことが知られている。病理学的検討では、虚血による心筋壊死は心内膜からwavefront状に心外膜に向かって広がっていく。またアントラサイクリン心筋傷害は左室心内膜側から始まる。しかし、実際心エコーによる心内膜下梗塞の診断率は低く、またアントラサイクリン心筋傷害も病初期にはその診断は困難である。その理由のひとつとして心内膜側の収縮の低下を心外膜側が補うことによりマスクしていることが推測される。

 近年進歩してきた組織ドップラーエコートラッキング法(TDT)およびストレインレート法(SR)を適用し、心室壁を心内膜側と心外膜側とにわけて解析することの臨床的有用性につき検討した。組織ドップラーエコートラッキング法(TDT)とは、Mモード心エコー図上で任意の点を組織ドップラーの速度情報を利用し自動追跡する方法である。Mモード心エコー図上で決して一本のラインとして認識されることのない境界線(例えば、心室壁を心内膜側半分と心外膜側半分にわける境界線)を識別、描出することが可能となる。ストレインレート法(SR)とは、2次元断層心エコー図上に組織ドップラー法から得られる心筋各部位の運動情報を重ねあわせ、指定した2点間の組織ドップラー上の速度差をその間隔で除し算出したものである。心臓全体の動きによる影響を相殺した局所心筋壁運動の解析を可能とするものである。いずれも組織ドップラー情報を基盤に非侵襲的に心筋局所の壁運動評価を可能とする方法である。

【目的】TDTおよびSRにより左室壁を心内膜下層と心外膜下層に二分し評価する方法の臨床的有用性の検討を、重症冠動脈疾患、アントラサイクリン心筋傷害を対象としておこなった。

【方法】

1)重症冠動脈疾患へのTDTの応用:正常群44例、右冠動脈および左回旋枝の2枝にそれぞれ75%以上の狭窄病変を有し、なおかつ断層心エコー図上、左室後壁に明らかな壁運動異常を認めない重症冠動脈疾患群31例を対象。超音波診断装置アロカSSD2200、探触子2.5MHzを使用。安静時に傍胸骨左室短軸断面を描出しながら、Mモード組織カラードップラー法で左室後壁を記録しフリーズ。拡張末期で心内膜点、心外膜点、その中点の3点を定義した後、TDTにて収縮末期まで各点を自動トラッキングさせた。心室壁全層の収縮期壁厚増加率(ΔTotal)、心内膜から中点までの心内膜下層と中点から心外膜までの心外膜下層の収縮期壁厚増加率(ΔEndo、ΔEpi)、および両者の比を算出。2)アントラサイクリン心筋傷害へのTDTの応用:正常群41例、アントラサイクリン低用量投与群(ドキソルビシン換算積算投与量<300mg/m2)34例、中用量投与群(300mg/m2<同積算投与量<600mg/m2)19例、高用量投与群(600mg/m2<同積算投与量)12例を対象。TDTの方法および各計測パラメーターは1)と同様。さらに2次元断層心エコー図上からmodified Simpson法による左室駆出分画(EF)の計測をおこなった。3)重症冠動脈疾患へのSRの応用:正常群33例、それぞれに75%以上の高度3枝病変を有し、なおかつ2次元断層心エコー図上あきらかな壁運動異常を認めない重症冠動脈疾患群15例を対象。超音波診断装置Vingmed System V、探触子2.5MHzを使用。心尖部左室長軸断面で組織カラードップラー画像を描出。左室後側壁で心内膜側と心外膜側でSRを計測した。peak systolic SR (peakSR)の心外膜側に対する心内膜側の比(peakSR Endo/Epi)、および左室駆出期のSR時間積分値(integSR)の心外膜側に対する心内膜側の比(integSR Endo/Epi)を算出。さらに2次元断層心エコー図上からmodified Simpson法による左室駆出分画(EF)の計測。4)アントラサイクリン心筋傷害へのSRの応用:正常群33例、アントラサイクリン低用量投与群(ドキソルビシン換算積算投与量<300mg/m2)12例、高用量投与群(300mg/m2<同積算投与量<600mg/m2)12例を対象。方法および各計測パラメーターは3)と同様。

【結果】結果を表に示す。

 重症冠動脈疾患群では全層の壁厚増加率ΔTotalは、正常群に比較して、有意差はなかった。これに対して、重症冠動脈疾患群におけるΔEndo、ΔEndo/ΔEpiの低下は、有意かつ顕著であった。

 アントラサイクリン投与群ではintegSR Endoが低下しintegSR Epiが増加、その結果、integSR Endo/Epiは正常群に比し極めて有意な差を認め、データのオーバーラップも極めて少なかった。これは心内膜側の傷害を心外膜側が代償していることを示す。

 アントラサイクリン投与群では、正常群に比し有意差はあるがEFの低下は軽度でオーバーラップも目立った。またΔTotalは、正常群と有意差はなかった。これに対してΔEndo、ΔEndo/ΔEpiはアントラサイクリン投与群で有意かつ顕著であった。

 重症冠動脈疾患群ではintegSR Endoが低下しintegSR Epiが増加、その結果、integSR Endo/Epiは正常群に比し極めて有意な差を認め、データのオーバーラップも減少した。

【考察】Mモード組織ドップラートラッキング法では短軸方向の収縮率を見ており、Bモード組織ドップラーストレインレート法では長軸方向の収縮率を算出するという違い、および根本的な方法の違いはあるが、どちらの方法でも正常例では心内膜側の収縮率は心外膜側のそれの約2倍であるという揃った結果が得られた。またMモード組織ドップラートラッキング法の有用性は認めたが、超音波ビームの入射角度による制限のため、関心領域を限定せざるをえなかった。それに対し、Bモード組織ドップラーストレインレート法ではBモード法という長所をいかしてより関心領域を拡大させる展望が開けたと考える。Mモード組織ドップラートラッキング法およびBモード組織ドップラーストレインレート法は、重症冠動脈疾患、アントラサイクリン心毒性の鋭敏な指標となりうることが示された。またこれらの結果は虚血では心筋壊死が心内膜側から始まるとする報告、またアントラサイクリン心筋傷害では心内膜に線維性肥厚を認めるとする報告に合致するものである。さらに心内膜側傷害時には、心外膜側により代償機序が働くことが示唆された。

表1 (TDTによる重症冠動脈疾患への応用)

表2 (TDTによるアントラサイクリン心筋傷害への応用)

表3 (SRによる重症冠動脈疾患への応用)

表4 (SRによるアントラサイクリン心筋傷害への応用)

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、病変の主坐を心内膜側心筋におく疾患では、心エコー図組織ドップラー法を用いて心筋の局所運動を、心内膜側と心外膜側とに分けて解析することが、従来の心エコー図法よりも鋭敏な指標となりうるか否かを検討するものである。それにはMモード法による組織ドップラートラッキング法とBモード法による組織ドップラーストレインレート法の二つの方法があり下記の結果を得ている。

1.Mモード組織ドップラートラッキング法の臨床応用に際しその精度検定を行っている。水中で振幅3.0cm、60cycles/minで上下運動するファントム装置を作成。ファントムの運動をMモード組織ドップラー法で記録。1周期自動トラッキングさせ、指定した3点間の幅を初期幅、1周期後の幅を自動トラッキング後の計測幅の相関は極めて良好であった。Mモード法の長所である時間分解能を最大限に生かしつつ、距離分解能も保ち得る。つまり、最大振幅2.0cm以下、最大運動速度7.0cm/secで運動する人間の心筋壁の収縮運動の収縮運動解析におけるトラッキングのための精度は十分満たしているとこの実験結果より判断した。

2.正常群と、心臓血管造影検査にて左冠動脈回旋枝および右冠動脈に75%以上の有意狭窄を示し、なおかつ断層心エコー図上左室後壁に明らかな壁運動低下を示さない重症冠動脈疾患群を対象とし、Mモード組織ドップラートラッキング法を施行。左室後壁心内膜側半分の収縮期壁厚増加率(ΔEndo)、心外膜側半分の収縮期壁厚増加率(ΔEpi)を計測。ΔEndoとΔEpiの比ΔEndo/ΔEpiのcut off値を1.4と定め、それ以下を陽性と定義するとsensitivity 94%、specificity 80%と高い診断率を得た。

3.正常群と、アントラサイクリン低用量投与群(Doxorubicin換算300mg/m2以下)、中用量投与群(Doxorubicin換算300mg/m2以上600mg/m2以下)、高用量投与群(Doxorubicin換算600mg/m2以上)を対象とし、Mモード組織ドップラートラッキング法を施行。左室後壁全層の収縮期壁厚増加率は、4群間で有意差は認めなかったが、ΔEndo/ΔEpiは、アントラサイクリン中用量投与群と高用量投与群で、正常群より有意に低い結果を得た。

4.正常群、冠動脈三枝に75%以上の高度3枝病変を有し、なおかつ断層心エコー図上あきらかな壁運動異常を認めない重症冠動脈疾患群を対象としBモード組織ドップラーストレインレート法を施行。ストレインレート収縮期のピーク値peak systolic SR(peakSR)、およびストレインレート時間変化曲線の収縮期時間積分値integrated SR(integSR)を計測。peakSRの心外膜側に対する心内膜側の比(peakSR Endo/Epi)、およびintegSRの心外膜側に対する心内膜側の比(interSR Endo/Epi)を算出した。peakSR Endo/Epiは、cut off値を1.25と定め、それ以下を陽性ととると、sensitivity 93%、specificity 97%の診断率となった。integSR Endo/Epiは、cut off値を1.4と定め、それ以下を陽性ととるとsensitivity 100%、specificity 97%の診断率となった。

5.正常群と、アントラサイクリン低用量投与群(Doxorubicin換算300mg/m2以下)、高用量投与群(Doxorubicin換算300mg/m2以上600mg/m2以下)、を対象とし、Bモード組織ドップラーストレインレート法を施行。peakSR Endo/Epiはアントラサイクリン高用量投与群において正常群に対して有意に低値を示し、さらにintegSR Endo/Epiは、低用量群、高用量群とも正常群に対して有意に低値を示した。左室駆出分画は3群間で有意差を認めなかった。

 組織ドップラー法を用いた心筋局所運動の解析、その臨床応用:心内膜下梗塞およびアントラサイクリン心筋傷害診断における有用性の検討は、動物実験で証明された生理学的、生化学的、病理学的左室壁筋層内不均等分布という事実を背景として、その文献学的考察、組織ドップラー法の開発の経緯を十分に検討し、超音波組織ドップラー法が非侵襲的に人心筋に対して検証し臨床的有用性を評価し得ることの考察が十分になされている。Mモード組織ドップラートラッキング法の精度検定結果に対する検討、Bモード組織ドップラーストレインレート法の精度検定実験報告の文献学的検討を踏まえ、臨床応用へと展開させ、全体に細部にわたる研究を行いいつつ、前述した背景のなかでの位置付けをこころがけている。

 Mモード組織ドップラートラッキング法により心内膜側半分と心外膜側半分にわけてその収縮運動を解析することにより重症多枝冠動脈疾患の高い診断率を得たことは、重症多枝冠動脈病変を非侵襲的に診断し得る展望を見いだしたと言える。同様に通常の心エコー図法でその検出が困難であるアントラサイクリン心筋傷害の診断においてもMモード組織ドップラートラッキング法がアントラサイクリン心筋傷害検出の鋭敏な指標であることが示された。

 Bモード組織ドップラーストレインレート法では重症多枝冠動脈疾患、アントラサイクリン心筋傷害の診断においてMモード組織ドップラートラッキング法よりもさらに鋭敏な指標となることが示された。特にアントラサイクリン心筋傷害アントラサイクリン総投与量300mg/m2以下の低用量群においても正常群に比較して有意差を認めたことは、Bモード組織ドップラーストレインレート法がMモード組織ドップラートラッキング法よりもより高い診断率でアントラサイクリン心筋傷害を検出することが可能であることを示し、Bモード組織ドップラーストレインレート法がより鋭敏で、gold standardといわれる心筋生検にさらに一歩近づいたと考えられる。

 Mモード組織ドップラートラッキング法、Bモード組織ドップラーストレインレート法とも重症冠動脈疾患、アントラサイクリン心筋傷害に対して極めて鋭敏な診断法であることが示唆された。Mモード組織ドップラートラッキング法は関心領域の限定という限界を有するが、時間分解能において優れており、同一心筋組織を追跡できるという長所を有する。またBモード組織ドップラーストレインレート法はサンプリングポイントのずれという限界を有するが空間分解能において優れ、さらにBモード法という利点を活かして関心領域の拡大をはかることが可能となる。虚血性心疾患、アントラサイクリン心筋傷害の他にもHypereosinophilic syndrome、Endomyocardial fibrosis、Endocardialfibroelastosisなど心内膜に病変の主座をおく心筋疾患は多く存在する。心エコー図法は非侵襲的検査法である。組織ドップラー法の導入によりこれらの疾患に対し、より早期により高い診断率で非侵襲的診断が可能となる展望が開けたことを示し、その有用性は極めて意義深いものである。以上により本論文は学位の授与に値するものと考える。

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