学位論文要旨



No 116370
著者(漢字) 高井,大哉
著者(英字)
著者(カナ) タカイ,ダイヤ
標題(和) ヒト肺癌で過剰なメチル化を受ける遺伝子のゲノムワイドスキャンによる同定
標題(洋)
報告番号 116370
報告番号 甲16370
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1765号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 助教授 小池,和彦
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 講師 瀧澤,始
 東京大学 講師 中島,淳
内容要旨 要旨を表示する

 脊椎動物おいて、CpG配列のシトシンは可逆的にメチル化,脱メチル化が行われ、転写調節領域のCpG配列に富んだ部分(CpGアイランド)のメチル化が行われる事により、多くの遺伝子が発現の制御を受けていると考えられている.ヒトの約10万の遺伝子のうち、その約半数はCpGアイランドを伴っており、それらの発現はCpGアイランドのメチル化によって調節されている。

 以前よりヒトの癌において、ゲノム全体ではメチル化シトシンの量が減る一方、いくつかの遺伝子では正常組織では認められない異常なメチル化を示し、その発現が抑制されていることが知られていた.最近になりp16,RBといった癌抑制遺伝子のメチル化による不活化が多くの腫瘍で観察され、これらのエピジェネティックな変化は癌化の一部分を担っていることが明らかにされた。

 今日までに20を超える遺伝子でそのメチル化による不活化がヒトの様々な臓器の癌で報告されている。これらの研究は既知の遺伝子に対して行われているが、未だ癌における遺伝子変化がすべて解明されたとは言い難い。申請者の所属した研究室では、癌化に関連する遺伝子で、メチル化による不活化を受けている遺伝子がまださらに存在すると考え、以前メチル感受性制限酵素を用いてゲノムのサブトラクションを行う、methylation-sensitive-representational difference analysis (MS-RDA)法を開発し、報告した。今回申請者は、より多くのCpGアイランドを同定できるように改良したMS-RD-A法を、ヒト正常気管上皮初代培養細胞(NHBE)およびヒト扁平上皮肺癌細胞株に対して用いることで、ヒト肺癌で過剰にメチル化されるCpGアイランド由来の領域を同定し、2つの遺伝子がヒト肺癌で過剰にメチル化を受け、その発現が低下していることを報告する。

 方法は、NHBEおよびヒト扁平上皮肺癌細胞株EBC-1およびLK-2よりゲノムを抽出し、メチル感受性制限酵素HpaIIで消化後、reverse electrophoresisでNHBEは100-500bpを分画、肺癌細胞株は50-600bpを分画、universal adaptorをライゲーションした後、PCRにより増幅し、これらのPCR産物の間で2回のサブトラクションを行った。サブトラクション後のPCR産物をプラスミドにサブクローニングし、コンピテントセルにトランスフォーメーションし、プラスミドのマルチプルクローニングサイトをはさむPCRによりインサートを確認、これらのクローンの独立性を検討し、肺癌細胞株で過剰にメチル化される59個のDNA断片を同定した。ヒト扁平上皮肺癌5例について癌と周辺の非癌部でこれらのDNA断片のメチル化の状態を検討した結果、5例中2例以上で癌で過剰なメチル化を受ける断片が34個同定された。これらのDNA断片について塩基配列を決定し、CpGアイランドの条件であるGC含有量、CpGスコアを求めた。17のDNA断片が、CpGアイランドの条件を満たす、あるいは近傍にCpGアイランドが存在することがGenBankのデータベースサーチにより明らかになった(表1)。またこれらのDNA断片には、4つの既知の遺伝子すなわち、MEIS1(the human homolog of a murine lukemogenic homeobox gene)、endothelin-1、collagem12-alおよびprotocadherinγ-a12、3つのcDNAが含まれることが明らかになった(図1)。

 原発性肺癌25例(扁平上皮癌13例,腺癌12例)についてこれらの4つの遺伝子について、その領域のゲノムのメチル化および発現について検討したところ、endothelin-1では25例中13例で,MEIS1は25例中21例で,周辺非癌部と比較して,癌において過剰なメチル化および発現の低下が認められた(図2・図3・表2)。Collagen12-α1およびprotocadherinγ-a12については,腫瘍および周辺非癌部との間でメチル化および発現の明らかな遅いは認めなかった。

 扁平上皮肺癌細胞株LK-2では,Endothelin-1はメチル化により、完全に発現は抑制されていたので、5μMの脱メチル化剤5-aza-2'-dCで細胞を処理、メチル化の状態、および発現について検討を行ったところ、endothelin-1のメチル化の低下に件って発現が認められた(図4)。

 Endothelin-1については市販の抗体が利用可能であったため、endothelin-1の過剰なメチル化およびRT-PCRで発現の低下がみられ、比較的間質の量が少なかった3例でendothelin-1の発現を免疫染色でも検討した。3例いずれも気管支上皮、肺胞上皮、マクロファージ、そして血管内皮にendothelin-1の発現を認めたが、腫瘍では発現が認められないか、著明に低下していた(図5)。

 Endothelin-1は血管収縮物質として発見されたが、近年までに様々な生理作用を有することが報告されている。ヒトメラノーマ細胞株A375ではendothelin-1によりアポトーシスが誘導されることが報告されている。また、ヒト前立腺癌ではendothelin受容体Bの発現が低下していることが報告されていたが、それはプロモーター領域の過剰なメチル化によるものであることが新たに報告された。このようにendothelin-1は受容体Bを介して、細胞増殖の抑制やアポトーシスを一部の細胞には誘導することが報告されており、endothelin-1のメチル化による発現低下は癌にとっては細胞増殖の調節・アポトーシスからの逸脱という意味では合目的であるとも考えられる。

 この一方でMEIS1はTALE(three amino asid loop extension)ファミリーに属するホメオボックス遺伝子として発見された遺伝子で、PBX2あるいはHOXA9というほかのホメオボックス遺伝子産物と骨髄系の細胞においてヘテロダイマーを形成することが知られている。これまでのところ、ヒトを含めて肺においてその機能は不明である。興味深いことに、ほかのメチル感受性のゲノムワイドスキャンでも同様にホメオボックスのメチル化についても報告している。ホメオボックス蛋白が細胞の分化に果たす働きと考えあわせると、メチル化によりホメオボックス遺伝子が不活化されることにより、細胞の分化の状態が変わることが、様々な臓器における癌化について何らかの関与をしている可能性がある。

 以上のように申請者は改良MS-RDA法により、ヒト正常気管上皮初代培養細胞および扁平上皮肺癌細胞株から、ヒト肺癌において過剰にメチル化を受ける17のDNA断片を単離した。これらの断片がオーバーラップした遺伝子のうち、endothelin-1およびMEIS1は、ヒト原発性肺癌25例の検討でそれぞれ13例,21例で過剰なメチル化および発現の低下を認めた。

表1 ヒト肺癌で過剰なメチル化を受けるCpGクローン

34のDNA断片中,200bpについて、G:Cコンテント、CpGスコアについて計算し、17のクローンがCpGアイランドの条件を満たした、あるいは近傍にCpGアイランドが存在した、データベースサーチの結果、7つのクローンの一部は4つの既知の遺伝子およびcDNAに一致し(†)、6つのクローンはヒトゲノムのクローンに一致した(§).

図1 MS-RDAで同定された肺癌細胞で過剰にメチル化されるDNA断片(白い長方形)と。遺伝子(exonを黒い長方形で示した)の物理地図。CpG、HpaIIの短い縦線はそれぞれCpG配列、HpaII認識配列を示す。

図2 Endothelin-1およびMEIS1のメチル化の状態。

NHBEおよび肺癌細胞株(A,B)、肺癌(Ca)および周辺非癌部(N)について、ゲノムDNAをHpaII(H)およびMspI(M)で消化した後、Endthelin-1に対しては、B3(414bp)をMEIS1についてはF12(457bp)をプローブとしてハイブリタイズした。Sq:squamous cell carcinoma

図3 NHBEと肺癌細胞株(A)と、肺癌臨床例25例(B)での周辺非癌部(N)および癌(Ca)におけるendothelin-1およびMEIS1の発現、β-actinをコントロールにRT-PCR法にて発現をみた。Endothelin-1は過剰なメチル化を認めた16例中13例で、MEIS1は過剰なメチル化を認めた23例中21例で発現の低下を認めた。Sq: Squamous cell carcinoma, Ad:adenocarcinoma.

表2 ヒト肺癌におけるendothelin-1およびMEIS1のメチル化の状態および発現レベル.

図4 5-aza-dCによるendothelin-1遺伝子の脱メチル化と再発現。(A)ゲノムDNAのサザンブロットによる解析。5-aza-dC処理により414bpのバンドの出現が認められる。(B)RT-PDRによる発現の確認。5-aza-dC処理によりendothlin-1の最発現を認める。コントロールとしてβ-actinを用いた。

図5 免疫組織染色法によるendothelin-1の腫瘍組織による発現低下。パラフィン切片をanti-endothlin-1モノクロナール抗体を用いて、ABC法にて染色。正常気管支上皮(A, 200x, B, 400x)の刷子縁に強い染色性を認める。肺胞上皮(C, 400x),マクロファージ(C,矢頭)および肺動脈の血管内皮細胞(D,400x)にいずれも染色性を認める。これに対して扁平上皮癌(連続切片、E:HE染色、F:免疫組織染色いずれも 200x)では正常気管支上皮に対して非常に弱い染色性しか認めない。

審査要旨 要旨を表示する

 高等動物ではDNAのメチル化により遺伝子の約半数が発現の制御を受けていると考えられ、細胞の分化や雌個体におけるX染色体の不活化,遺伝子のすり込みに伴って様々な遺伝子のパターンが変わることが知られている。細胞の癌化においてもメチル化の変化が起こることが知られており、本研究ではヒトの癌で認められるメチル化の異常について主に検討した。以下に研究結果の要点を示す。

1. 以前、われわれはMS-RDA法を用いて発癌物質であるMeIQで誘発したマウス肝臓癌でLINElがhypomethylationになることを見出した。今回ヒト肝臓癌(hepatocellular carcinoma)ついて肝臓癌、周辺非癌部についてLINE1のメチル化の状態について検討を行った。解析を行った9例中8例という高い頻度でLINE1のhypomethylationを認めた。このように非常に高い頻度で癌に特異的に認められた所見であることから、診断的な応用の可能性も考えられた。

2. 今回、すでにメチル化による発現の制御が報告されている遺伝子の構造の解析に基づき、CpGアイランド由来のDNA断片を効果的に同定できるように本法を改良した。サブトラクションの対象を500bp以下の短いDNA断端にすることおよびPCR bufferにbetaineを加えることによるものである。後述のヒト正常気管上皮初代培養細胞および扁平上皮肺癌細胞株を用いたサブトラクションで得られた17のDNA断端をサザンハイブリダイズ法で濃縮の比率を比較したところ、従来法との比較で約3倍の濃縮効果を認めた。

3. ヒト正常気管上皮初代培養細胞および扁平上皮肺癌細胞株に対して、改良MS-RDA法を応用することにより、ヒト肺癌において過剰にメチル化を受ける17のDNA断片を単離した。これらの断片がオーバーラップした遺伝子のうち、endothelin-1およびMEIS1は、ヒト原発性肺癌25例の検討でそれぞれ13例、21例で過剰なメチル化および発現の低下を認めた。とりわけendothelin-1は受容体Bを介して、細胞増殖の抑制やアポトーシスを一部の細胞には誘導することが報告されており、endothelin-1のメチル化による発現低下は癌にとっては細胞増殖の調節・アポトーシスからの逸脱という意味では合目的であるとも考えられた。

4. 既に改良MS-RDA法によりヒト肺癌で17のDNA断片が過剰なメチル化を受けることを報告したが、その後のゲノム情報の更新に伴い、このうち新たに1つがセロトニン受容体1B(HTR1B)遺伝子の近傍に存在することが明らかになった。このDNA断片のメチル化と、HTR1Bの発現抑制の間には相関が認められ、5-aza-dCの処理により、脱メチル化および再発現を認めた。HTR1B遺伝子のプロモーター領域のメチル化についても併せて検討を行った。過剰なメチル化および発現抑制を認める細胞株EBC-1、LK-2およびHTR1Bのプロモーター領域にメチル化を認めず、HTR1Bを発現している細胞株RERF-LCMSについて、セロトニンの作用を検討したところRERF-LCMSでは濃度依存的な増殖抑制が認められたが、LK-2、EBC-1では認めなかった。原発性肺癌(非小細胞癌)25例の検討では12例で過剰なメチル化および発現低下を認めた。セロトニンがHTR1Bを介して細胞増殖を抑制することから、HTR1Bのメチル化による発現の抑制は、細胞増殖の制御からの逸脱という点で気管気管支上皮の癌化に関連していることが示唆された。

 以上、ヒトの癌においてメチル化の異常について検討を行った。ゲノムはイントロン、偽遺伝子をはじめとして、なにもコードしていない部分が97%もある。このためゲノムワイドスキャンは“ゲノムのゴミ”と戯れることに終始する危惧が指摘されていたが、最近のゲノム情報の充実は目を見張り、データベースサーチによりマッピングや近傍の遺伝子およびESTの同定は一瞬にして終わるようになった。また、従来の制限酵素のみしかなかった、メチルシトシンのマッピングもbisulphte法の開発によりより正確に緻密に行われるようになった。

 今日までにわれわれの開発したMS-RDA法をはじめとして、メチル化の違いをみるためのゲノムワイドスキャンの方法が複数報告されている。われわれは,本研究でMS-RDA法をターゲットとなるCpGアイランドの構造に鑑み改良を行い、ヒト非小細胞肺癌で過剰なメチル化を受ける遺伝子を同定した。現在も癌におけるメチル化の異常は全世界的に、精力的に行われている。本研究は、癌で異常なメチル化を受ける遺伝子の究明のみならずゲノムワイドスキャン法を改良し、今後DNAのメチル化のさらなる解明に重要な貢献をなすと考えられ学位の授与に値するものと考えられる。

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