学位論文要旨



No 116376
著者(漢字) 井上,有希子
著者(英字)
著者(カナ) イノウエ,ユキコ
標題(和) 肝細胞増殖調節機構におけるP53の意義
標題(洋)
報告番号 116376
報告番号 甲16376
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1771号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 名川,弘一
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 幕内,雅敏
 東京大学 助教授 北村,聖
 東京大学 講師 高市,憲明
内容要旨 要旨を表示する

要約

 肝再生は肝障害、肝部分切除後の回復課程における必須の事象である。今日まで、肝再生調節機構を解明するため多くの研究がなされてきた。近年、培養肝細胞を用いた検討から、多くの増殖促進因子が報告されている。これらの中で、transforming growth factorα(TGF-α)およびhepatocyte growthfactor(HGF)は、in vitroだけでなくin vivoにおいても肝細胞の増殖を促進する。また複数のラット肝再生モデルにおいて、HGFに引き続きTGF-αの肝における発現が亢進し肝細胞増殖が認められることから、両因子が協調して肝再生調節機構に関与している可能性が推定されている。我々は、動物実験培養肝細胞を用いた検討から、HGFが肝細胞のTGFα産生を促進すること、たとえHGF存在下であっても肝細胞増殖にはこのTGF-αが必要である事を報告した。しかし、肝細胞増殖におけるTGF-αのHGFによる誘導の機序は不明である。

 p53は一般に癌抑制遺伝子として知られているが、その本質はtranscription factorであり、様々なeffector geneを活性化することによって多彩な機能を発現する。悪性細胞および障害細胞においてはP21WAF1/CIPI等を介しての細胞周期の停止、PIG3等を介してのアポトーシスの誘導等細胞増殖に抑制的な働きが知られている。Effector geneの発現はそのプロモーター領域へのsequence-specificなp53の結合による転写活性化で調節され、DNA損傷の性質、広がり、部位に応じてp53を介した転写調節および機能発現が選択される。一方、非腫瘍性細胞においてもp53は様々な調節に関与していると推定されるが、その意義は充分には解明されていない。近年培養細胞株において、p53によりTGF-αのプロモーターが活性化されるとの報告がなされた。相前後して、p53が増殖促進因子およびその受容体等関連物質の発現制御により細胞増殖促進的に働きうることを示唆する報告が相次ぎ、この観点からのp53の意義が注目されている。肝再生においては、部分肝切除後のラット再生肝において従来、細胞周期のG1期の中期から後期にかけてp53mRNAが増加することが知られていた。p53が増殖抑制的に働いているとするとこの発現増加は説明が困難であり、この場合、p53が増殖促進的に働いている可能性がある。

 以上の知見をふまえて、我々は肝細胞増殖におけるp53の意義を解析するため、肝細胞増殖時のHGFとTGF-αの連繋におけるp53の役割に焦点をしぼって検討を行った。まず最初にラット部分切除肝においてp53蛋白量を経時的に定量し、HGF、TGF-αおよび肝細胞増殖の動態と対比し検討した。更に、ラット初代培養肝細胞を用いてp53産生の抑制実験を行い、HGF存在下でのTGF-αおよびDNA合成への影響を検討した。動物実験:

 5〜6週齢のSprague-Dawley系雄性ラットに2/3部分肝切除術および対照として開腹術のみを施行し、肝のp53蛋白量の経時的変化を検討した。p53蛋白量は術前値に比し術後8時間目には明らかに増加し、12〜16時間目に術前値の8〜10倍となり、以降は徐々に低下し96時間目にはほぼ前値に復した。開腹術のみ施行したラット肝では軽度の増加がみられたのみであった。従来、p53mRNAはラット部分肝切除後8〜16時間目に肝で約5倍に増加すると報告されている。今回のp53蛋白の増加はほぼ同時期に認められ、その程度はp53mRNAの増加に比し高度であった。これはp53の発現は転写後にも調節を受けると報告されているのと合致する結果と推定される。そこで以降の検討におけるp53の発現はp53蛋白を同様に直接定量することとした。また以前我々は、肝部分切除ラットにおけるHGFは部分肝切除施行6時間後より肝にて上昇を開始し、12〜18時間後にピークを迎え、これに遅れてTGFαは12時間後から上昇し、24時間後にピークとなる事、肝細胞のMitotic IndexはこのTGFαの動きに更に遅れて上昇する事を報告している。部分切除ラット肝におけるp53の上昇はこのHGFの上昇にほぼ-致し、また、TGF-αおよび肝細胞増殖の上昇に先行していると考えられた。

培養肝細胞を用いた検討:

1)2.5x104個/cm2で培養したラット初代培養肝細胞を用いて、HGFの肝細胞におけるp53量およびDNA合成に対する影響を検討した。0〜20 ng/mlの濃度のHGFを培地に添加、18時間培養し細胞中p53蛋白量を測定した。p53量は濃度依存的に増加し10ng/mlで最大となった。5-bromo-2'-deoxy-uridine (BrdU)の取り込みにより測定したDNA合成も同様なHGF添加に対する濃度依存的な増加がみられた。

2)HGF存在下の肝細胞におけるp53蛋白量およびDNA合成の経時的変化を検討した。10ng/mlの濃度のHGF添加により肝細胞中p53量は培養開始6時間目から増加し、18時間後にピークとなり以後徐々に低下した。この増加はHGF非添加群に比し有意に高度であった。DNA合成は、HGF添加24時間目から有意に上昇し、30時間目にピークとなった。肝細胞においてp53はHGFにより誘導され、その増加はDNA合成の上昇より先行していると推定された。また、p53量の増加は肝細胞数の増加によりもたらされたものとは考えられず、個々の細胞において増加していると考えられた。

3)HGF存在下の肝細胞においてp53アンチセンス添加のp53蛋白量に対する影響を検討した。HGFおよびp53アンチセンス オリゴヌクレオチドまたは対照として同量のA、T、G、Cを含みrandomに並べたナンセンス オリゴヌクレオチドを培地に加え24時間培養後、肝細胞中p53量を測定した。アンチセンス添加により肝細胞中p53蛋白量は濃度依存的に抑制されたのに対してナンセンス添加群では有意な変化は見られなかった。またアンチセンス添加群では肝細胞の総蛋白量は変化せず、肝細胞のviabilityは影響を受けていないと考えられた。

4)p53アンチセンス添加によるHGF存在下の肝細胞におけるTGF-α量およびDNA合成に対する影響を検討した。肝細胞中TGFα量はp53アンチセンスの濃度依存的に低下し、対照のナンセンス添加群に比し有意であった。同様にDNA合成も、HGF存在下であるにもかかわらずp53アンチセンスの添加によりナンセンス添加群に比し著明に抑制された。我々はHGFは培養肝細胞のTGFα量を濃度依存的に増加させる事、このTGF-αの作用を抑制するとDNA合成も抑制される事を報告している。p53アンチセンスによってp53産生を抑制すると、HGF存在下であっても肝細胞中TGF-α量が減少しDNA合成も抑制されたことから、p53産生抑制によるDNA合成の抑制は、肝細胞のTGF-α産生抑制を介したものである可能性があると思われた。

結論:p53は肝細胞増殖におけるHGFとTGFαの連繋に関与することにより肝細胞増殖促進的に働いている可能性が推定された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究ではその本質はtranscription factorであるp53の肝再生における意義を解析するため、肝細胞増殖時の重要な増殖因子であるHGFとTGF-αの連繋におけるp53の役割に焦点をしぼって検討を行い、下記の結果を得ている。

1. 5〜6週齢のSprague-Dawley系雄性ラットに2/3部分肝切除術および対照として開腹術のみを施行し、肝のp53蛋白量の経時的変化を検討した。p53蛋白量は術前値に比し術後8時間目には明らかに増加し、12〜16時間目に術前値の8〜10倍となり、以降は徐々に低下し96時間目にはほぼ前値に復した。開腹術のみ施行したラット肝では軽度の増加がみられたのみであった。このp53の経時的変化を以前我々が報告した増殖因子および肝細胞増殖の動態と対比すると、p53の上昇はHGFの上昇にほぼ-致し、また、TGF-αおよび肝細胞増殖の上昇に先行していると考えられた。

2. ラット初代培養肝細胞を用いて、HGFの肝細胞におけるp53量およびDNA合成に対する影響を検討した。0〜20ng/mlの濃度のHGFを培地に添加、18時間培養し細胞中p53蛋白量を測定した。p53量は濃度依存的に増加し10ng/mlで最大となった。

3. HGF存在下の肝細胞におけるp53蛋白量およびDNA合成の経時的変化を検討した。10ng/mlの濃度のHGF添加により肝細胞中p53量は培養開始6時間目から増加し、18時間後にピークとなり以後徐々に低下した。この増加はHGF非添加群に比し有意に高度であった。DNA合成は、HGF添加24時間目から有意に上昇し、30時間目にピークとなった。肝細胞においてp53はHGFにより誘導され、その増加はDNA合成の上昇より先行していると推定された。また、p53量の増加は肝細胞数の増加によりもたらされたものとは考えられず、個々の細胞において増加していると考えられた。

4. HGF存在下の肝細胞においてp53アンチセンス オリゴヌクレオチドを用いたp53産生の抑制実験を行った。対照として同量のA、T、G、Cを含みrandomに並べたナンセンス オリゴヌクレオチドを用いた。まずp53アンチセンス添加肝細胞中のp53量を測定しp53アンチセンスの実際の効果を確認したところ、p53アンチセンス添加群の肝細胞中p53蛋白量は濃度依存的に抑制されたのに対してナンセンス添加群では有意な変化は見られなかった。またp53アンチセンス添加群では肝細胞の総蛋白量は変化せず、肝細胞のviabilityは影響を受けていないと考えられた。

5. p53アンチセンス添加によるHGF存在下の肝細胞におけるTGF-α量およびDNA合成に対する影響を検討した。肝細胞中TGF-α量はp53アンチセンスの濃度依存的に低下し、対照のナンセンス添加群に比し有意であった。

 同様にDNA合成も、HGF存在下であるにもかかわらずp53アンチセンスの添加によりナンセンス添加群に比し著明に抑制された。p53アンチセンスによってp53産生を抑制すると、HGF存在下であっても肝細胞中TGF-α量が減少しDNA合成も抑制されたことから、p53産生抑制によるDNA合成の抑制は、肝細胞のTGFα産生抑制を介したものである可能性があると思われた。

 以上、本論文は肝細胞増殖時にはHGFにより産生が促進されたP53は、TGF-α産生を刺激し、肝細胞増殖に促進的に働き得るという知見をもたらした。本研究はそれまで明らかではなかった、p53の肝細胞増殖調節機構における意義の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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