学位論文要旨



No 116381
著者(漢字) 出張,玲子
著者(英字)
著者(カナ) デハリ,レイコ
標題(和) 大腸鋸歯状腺腫の発生におけるAPC遺伝子の関与について
標題(洋)
報告番号 116381
報告番号 甲16381
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1776号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 助教授 渡邊,聡明
 東京大学 助教授 平井,久丸
 東京大学 講師 金子,義保
内容要旨 要旨を表示する

要旨本文

組織学的に過形成性ポリープに類似する構造を示すが、これとは異なる細胞形態を示す病変、すなわち上皮が鋸歯状腺管構造を形成しつつ増殖するがむしろ腺腫に近い細胞異型を示す病変があることはかなり以前より知られていた。1990年にLongacreとFenoglio-Preiserが、上記病変で同一病変内にモザイク状に過形成性ポリープと通常型腺腫とが混在するものとは区別されるものを鋸歯状腺腫(serrated adenoma)と名づけ大腸腺腫の一つの組織亜型としてから、鋸歯状腺腫はほぼ確立された概念となって今日に至っている。このように独立した疾患単位としての鋸歯状腺腫の存在が認められるようになるにつれ、鋸歯状腺腫に腺癌を伴っている例が報告されるようになり、鋸歯状腺腫の腺癌合併率は10-15%とされている。通常、大腸癌の発生はadenoma-carcinomasequenceによる発癌、すなわちsuppressor pathwayとDNA修復機構の異常を基盤としたmutator pathwayによる発癌に大別されるが、鋸歯状腺腫の場合にもadenoma-carcinoma sequenceが当てはまるであろうかという疑問が出てき、serrated adenoma-carcinoma sequenceの存在を強調する研究者も少なくない。鋸歯状腺腫の遺伝子学的異常についてはP53、K-ras等の面より幾つかの研究がなされているものの、いずれについても一定した見解は得られておらず、adenoma-carcinoma sequenceにおいて最初あるいはごく初期に標的となる極めて重要なgate keeper的遺伝子であるAPC遺伝子に関しても、その遺伝子変異を鋸歯状腺腫で調べたものがこれまでに2報告されているが、その成績は全く一致していない。また、鋸歯状腺腫におけるAPC遺伝子のメチル化についてまで調べた報告は見当たらない。そこで私は、消化管病理医の多くが鋸歯状腺腫の組織形態的特徴的所見として共通にあげている、管腔が鋸歯状を呈し、好酸性細胞質を有する円柱上皮と杯細胞から構成される腺管から成るものを典型的な鋸歯状腺腫として、鋸歯状腺腫単独例26症例28病変と腺癌合併鋸歯状腺腫例4症例4病変、また対照として管状腺腫単独例11症例12病変および腺癌合併管状腺腫10症例10病変を材料として抽出し、polymerase chain reaction-single strand conformation polymorphism(PCR-SSCP)解析およびシークエンスを用いてAPC遺伝子のmutationcluster region(MCR)を含むcodon1274-1523について調べたほか、APC遺伝子のプロモーター領域のメチル化の有無をmethylation-specific PCR(MSP)により調べた。その結果、鋸歯状腺腫単独例では、PCRで増幅されなかった2例を除いた26例中1例(3.8%)にPCR-SSCP解析で異常バンドが検出され、その部のDNAのシークエンスの結果、コドン1464-1465に欠失を認めた(表1)。鋸歯状腺腫に腺癌が合併していた4例では、腺腫部にも腺癌部にも異常バンドは検出されなかった。対照とした管状腺腫では、これまでの報告例とほぼ同様に腺腫単独例12例中8例(66.7%)に異常バンドが検出され、表1に示すようなシークエンスの結果が得られた。管状腺腫に腺癌を伴っていた10例では、腺腫部で6例(60,0%)、腺癌部でPCRにより増幅されなかった2例を除いた8例中4例(50.0%)に異常バンドが認められ、シークエンスの結果は表1のようになった。MSP解析で鋸歯状腺腫についてAPC遺伝子のプロモーター領域のメチル化の有無を調べた結果については、メチル化が鋸歯状腺腫単独例では28例中4例(14.3%)に認められた。腺癌合併例の4例では、鋸歯状腺腫部で1例にメチル化が認められたが、腺癌部では認められなかった。同様のプライマーを用いてEstellerらは管状腺腫48例中9例(18%)にメチル化を認めているので、鋸歯状腺腫と管状腺腫との間でAPC遺伝子のプロモーター領域のメチル化に関しては有意の差はなさそうである。このように鋸歯状腺腫のAPC遺伝子のMCRにおける変異率が通常型の管状腺腫のそれよりも有意(P<0.05)に低いことから、この領域においてAPC遺伝子の構造的異常は鋸歯状腺腫では管状腺腫に比べてはるかに起こりにくいことが推測される。また、遺伝子変異のあった病変とメチル化のあった病変に重複はなく、これら変異もしくはメチル化といったAPC遺伝子の異常を合わせても全体の19.2%にしかならず、管状腺腫のAPC遺伝子変異のみの頻度(66.7%)にもはるかに及ばない。腺癌合併鋸歯状腺腫でAPC遺伝子のメチル化の見られたものは1例しかなかったが、その癌部にはメチル化が認められなかったことは、APC遺伝子の不活性化が遅発性であるということも意味しない。以上のことより、先ず鋸歯状腺腫の多くは、その腫瘍発生過程に通常の管状腺腫に関わっているような様式でAPC遺伝子が関与している可能性は少ないと考えられる。それが鋸歯状腺腫の場合、APC遺伝子の変異が一般の大腸癌の変異が集中するMCR、つまりエクソン15の5'側以外の所に起こりやすいめか、あるいは通常の大腸癌におけるadenoma-carcinoma sequenceの遺伝子学的経路とは異なる経路で発生してくるのかは今後の課題である。また今回APC遺伝子変異を有する鋸歯状腺腫が1病変のみ認められたが、このようなAPC遺伝子変異を有する鋸歯状腺腫の生物学的性格が他の鋸歯状腺腫とは異なるのか、通常の管状腺腫と似ている点もあるのかについても、今後さらに症例を積み重ねて検討したい。

表1.鋸歯状腺腫及び管状腺腫におけるAPC遺伝子エクソン15の変異の詳細

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は通常型大腸管状腺腫の発生において重要であるAPC遺伝子が、大腸鋸歯状腺腫の発生および癌化に関与しているかどうかを明らかにするため、APC遺伝子のmutation cluster region(MCR)を含むcodon 1274-1523について polymerase chain reaction-single strand conformation polymorphism(PCR-SSCP)解析およびシークエンスを用いて調べたほか、APC遺伝子のプロモーター領域のメチル化の有無をmethylation-specific PCR(MSP)により調べ、下記の結果を得ている。

1. 鋸歯状腺腫単独例では、26例中1例(3.8%)にPCR-SSCP解析で異常バンドが検出され、その部のDNAのシークエンスの結果、コドン1464-1465に欠失を認めた。鋸歯状腺腫に腺癌が合併していた4例では腺腫部にも腺癌部にも異常バンドは検出されなかった。対照とした管状腺腫では、腺腫単独例12例中8例(66.7%)に、管状腺腫に腺癌を伴っていた10例では、腺腫部で6例(60.0%)、腺癌部でPCRにより増幅されなかった2例を除いた8例中4例(50.0%)に遺伝子変異が認められた。

2. MSP解析で鋸歯状腺腫についてAPC遺伝子のプロモーター領域のメチル化の有無を調べた結果、メチル化が鋸歯状腺腫単独例では28例中4例(14.3%)に認められた。腺癌合併例の4例では、鋸歯状腺腫部で1例にメチル化が認められたが、腺癌部では認められなかった。同様のプライマーを用いてEsteIIerらは管状腺腫48例中9例(18%)にメチル化を認めているので、鋸歯状腺腫と管状腺腫との間でAPC遺伝子のプロモーター領域のメチル化に関しては有意の差はないと考えられた。

3. 遺伝子変異のあった鋸歯状腺腫とメチル化のあった鋸歯状腺腫に重複はなく、これら変異もしくはメチル化といったAPC遺伝子の異常を合わせても全体の19.2%にしかならず、管状腺腫のAPC遺伝子変異のみの頻度(66.7%)にもはるかに及ばなかった。腺癌合併鋸歯状腺腫でAPC遺伝子のメチル化の見られたものは1例しかなかったが、その癌部にはメチル化が認められなかったことは、APC遺伝子の不活性化が遅発性であるということも意味しない。以上のことより、先ず鋸歯状腺腫の多くは、その腫瘍発生過程に通常の管状腺腫に関わっているような様式でAPC遺伝子が関与している可能性は少ないと考えられた。

 以上、鋸歯状腺腫の場合にAPC遺伝子の変異が、一般の大腸癌で変異が集中するMCR、つまりエクソン15の5'側以外の所に起こりやすいのか、あるいは通常の大腸癌におけるadenoma-carcinoma sequenceの遺伝子学的経路とは異なる経路で発生してくるのかが今後の課題となるが、鋸歯状腺腫の多くは、その腫瘍発生過程に通常の管状腺腫に関わっているような様式でAPC遺伝子が関与している可能性は少ないと考えられた。鋸歯状腺腫由来の癌が大腸癌の一部を占めるていることから、大腸癌の発生を考えるうえでも本研究は一石を投じうるものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク