学位論文要旨



No 116385
著者(漢字) 藤城,緑
著者(英字)
著者(カナ) フジシロ,ミドリ
標題(和) MKK6/3-P38経路の活性化による糖輸送蛋白発現の調節
標題(洋) Regulation of glucose transporter expression by MKK-6/3 and p38pathway activation
報告番号 116385
報告番号 甲16385
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1780号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大内,尉義
 東京大学 助教授 五十嵐,徹也
 東京大学 客員助教授 山崎,力
 東京大学 講師 高市,憲明
 東京大学 講師 谷口,茂夫
内容要旨 要旨を表示する

 多くの哺乳動物はブドウ糖を主なエネルギー源として利用し、そのための糖輸送蛋白を有している。このうちGLUT4は筋肉と脂肪細胞にのみ発現しており、非刺激下では細胞内に存在しているが、インスリンなどの刺激に反応して細胞表面上に移動する。一方GLUT1は普遍的に発現しており、刺激とは無関係に主に細胞表面上に存在する。従ってGLUT1はbasalでの糖取り込みの維持に重要な役割を果たしていると考えられている。

 これまでに、GLUT4の細胞膜上への移動を介したインスリンによる糖取り込み上昇に、PI3キナーゼの活性化が重要であることが明らかとなっているが、その下流のメカニズムはいまだ解明されていない。一方、古典的MAPキナーゼ、すなわちERKは細胞の形質転換において重要な役割を担っており、GLUT1を増加して糖取り込み能を上昇させることが報告されている。

 近年同定されたp38 MAPキナーゼは、インスリンなどのストレスを誘発する種々の刺激によって活性化される。興味深いことに最近、p38 MAPキナーゼの特異的阻害薬であるSB203580を用いた実験結果から、p38 MAPキナーゼの活性化はGLUT4の細胞膜上への移動へは影響を与えないが、細胞膜上のGLUT4の内在性活性を増強する可能性が示唆された。一方、p38 MAPキナーゼを活性化するTNFα、IL-1や高浸透圧などの様々なストレス刺激はインスリン抵抗性を惹起することが報告されている。そこで本研究では、p38 MAPキナーゼ経路が糖取り込み能の制御にどのような役割を果たしているかを、インスリンの主要な標的臓器である脂肪細胞と骨格筋細胞を用いて検討した。

<方法>

 不活性型p38 MAPキナーゼ(p38-AF)、不活性型(AA-)および活性型(EE-)MKK6、活性型MKK3(EE-MKK3)、さらにこれらとの比較のために活性型のMEK1(DE-MEK1)およびMKK7(DED-MKK7)cDNAを作製し、これらをアデノウイルスに導入して、3T3-L1脂肪細胞とL6筋肉細胞に過剰発現させた。また、コントロールとしてLacZ遺伝子を発現するアデノウイルスをこれらの細胞に感染させた。さらにTNFα、IL-1βおよび200mMソルビトールなどのストレス刺激を3T3-L1脂肪細胞に負荷した実験も行った。

 これらの細胞を用いて糖取り込み実験や、p38MAPキナーゼアッセイ、p38MAPキナーゼリン酸化の程度、GLUT1やGLUT4の蛋白およびmRNA発現量などを比較した。

<結果>

1.p38 MAPキナーゼ活性

 LacZ、p38-AF、AA-およびEE-MKK6を過剰発現させた3T3-L1脂肪細胞に100nMインスリンを5分間負荷した後、抗リン酸化p38MAPキナーゼ抗体で免疫沈降し、続いて抗リン酸化ATF2抗体を用いてウエスタンブロットを行った。ATF2はp38MAPキナーゼの標的蛋白の一つである。コントロールの細胞においてインスリンが確かにp38MAPキナーゼを活性化することを確認した。p38-AFおよびAA-MKK6の過剰発現によりこのインスリンによるp38MAPキナーゼの活性化は強く抑制された。一方、EE-MKK6の過剰発現によりp38MAPキナーゼは顕著に活性化された。

2.糖輸送活性

 上述のアデノウイルスを感染させた3T3-L1脂肪細胞に100nM wortmanninを15分負荷した後、前述の方法でインスリン刺激し[H3】ラべルした2-デオキシ-D-グルコースの取り込み能を比較した。これまでに報告されているように、コントロール細胞でインスリン刺激により糖取り込み能は増強した。p38-AFおよびAA-MKK6はこのインスリンによる糖取り込み能上昇を抑制せず、むしろこれをさらに増強した。一方EE-MKK6の過剰発現により糖輸送活性は約30倍増加した。Wortmanninはインスリン刺激により増加した糖取り込み活性は抑制したが、EE-MKK6の過剰発現による増加は抑制しなかった。

 次に、活性型のMKK3、MKK6、MEK1、MKK7およびAktを3T3-L1脂肪細胞とL6筋肉細胞にそれぞれ過剰発現させ、糖輸送活性を比較した。活性型MKK3MKK6、MEK1およびAktの過剰発現によりいずれの細胞においても糖輸送活性は増加したが、活性型MKK7の過剰発現は糖取り込み能に影響を与えなかった。

3.糖輸送蛋白

 活性型Aktによる糖輸送活性の増加はこれまでに報告されているように、GLUT4の細胞膜表面への移動が関与していると考えられる。MKK6およびMEK1による糖輸送活性の増加の機序を調べるため、これらを過剰発現させた3T3-L1脂肪細胞を用いてsubcellular fractionationとRNase protection assayを行い、GLUT1およびGLUT4の蛋白およびmRNA発現量を検討した。活性型MKK6およびMEK1の過剰発現により、細胞膜(PM)および細胞内(LDM)いずれにおいてもGLUT1蛋白量は著増し、GLUT4蛋白量は激減した。mRNAレベルでも同様の変化が見られた。

4.SB203580の影響

 活性型MKK3およびMKK6による糖輸送活性やGLUT1およびGLUT4への影響がp38 MAPキナーゼを介しているかを検討するために、SB203580を用いた実験をおこなった。10μM:のSB203580を短時間負荷しただけではMKK6による糖取り込み能の増加は抑制されなかったが長時間負荷すると抑制され、その効果は時間経過に比例して増大した。しかし、活性型Aktによる糖輸送活性の増加はSB長時間負荷によっても抑制されなかった。MAPキナーゼファミリー間で比較すると、SB長時間負荷はMKK3およびMKK6の効果を抑制したが、MEK1およびMKK7には影響を与えなかった。

5.TNFα、IL-1β、200mMソルビトールの影響

 最後に、種々のストレス刺激の影響を検討するため、3T3-L1脂肪細胞に10ng/mlのTNFαおよびIL-1β、200mMのソルビトールを負荷した。これらを30分負荷することにより、希釈したEE-MKK6と同程度にp38 MAPキナーゼリン酸化の増強が見られたが、糖取り込み活性には変化が見られなかった。しかし、24時間負荷することにより糖輸送活性の上昇、GLUT1蛋白の増加およびGLUT4蛋白の減少が見られ、これらは希釈したEE-MKK6と同様の結果であった。

<考察>

 本研究では、3T3-L1脂肪細胞において不活性型のp38MAPキナーゼおよびMKK6の過剰発現は、インスリンによる糖取り込み能の上昇を抑制せず、むしろ増強した。さらに、SB203580 10μMの負荷によりp38 MAPキナーゼ活性は抑制されたが、インスリンによる糖取り込みの上昇は約30%しか抑制されなかった。

100μMのSB203580ではこれが抑制されたが、この濃度ではAktの活性も抑制された。以上から、p38 MAPキナーゼの活性化はインスリンによるGLUT4を介した糖取り込み上昇には重要でないと考えられる。

 p38MAPキナーゼの上流蛋白であるMKK6/3の活性型変異体を3T3-L1脂肪細胞やL6筋肉細胞に過剰発現することにより、GLUT1の増加およびGLUT4の減少が見られた。これらに伴いbasalでの糖輸送活性は上昇する一方で、インスリン刺激に伴う糖取り込み能の上昇の程度は減少した。SB203580負荷によりこれらの変化は復元され、これらの現象においてp38 MAPキナーゼが重要であることが示唆された。また、活性型MEK1の過剰発現によりMKK6/3と同様の結果が得られた.。MEK1-ERK経路の活性化によるGLUT1増加やそれに伴うbasalの糖取り込み上昇は、細胞の形質転換や増殖に重要である可能性がある。一方、GLUT4の発現は脂肪や骨格筋の分化に関与することが知られている。しかし本研究では、様々なMAPキナーゼファミリー変異体を過剰発現させても、脂肪細胞の分化の程度には変化が見られなかった。従って、MKK6/3やMEK1の活性化に伴うGLUT4減少は細胞の分化とは無関係であることが示唆される。GLUTlとGLUT4は多くの場面で逆の制御を受けている。これまでの報告から考察すると、これらの制御は独立した現象と考えられるが、今後さらなる研究が必要である。

 TNFα、IL-1βや高浸透圧などのストレス刺激についての検討では、これらの刺激を長時間作用させると、糖取り込み能の上昇、GLUT1の増加、GLUT4の減少がみられた。これらの変化はSB203580の作用で復元され、p38を介した効果であることが示唆された。

 本研究の結果から、MKK6/3-P38 MAPキナーゼ経路はTNFα、IL-1βや高浸透圧などのストレス刺激により活性化されることが確認された。さらに脂肪細胞や筋肉において、MKK6/3-P38 MAPキナーゼ経路が活性化されると、GLUT1が増加してbasa1の糖取り込み能が上昇し、一方でGLUT4は減少して、インスリン刺激への反応性も低下した。これらの現象が、ストレスによるインスリン抵抗性発生機序の一因である可能性が示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、糖尿病の原因として重要と考えられている、ストレスを介したインスリン抵抗性の発生機序を明らかにするため、インスリンの主要な標的臓器である脂肪細胞と骨格筋細胞を用いて、MKK6/3-p38 MAPキナーゼ経路や、TNFα、IL-1β、高浸透圧などのストレス刺激の、インスリン作用に与える影響の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. 不活性型のp38MAPKおよびMKK6と、活性型のMKK6cDNAをそれぞれ導入したアデノウイルスを過剰発現させた3T3-L1脂肪細胞に、インスリンを作用させ、p38 MAPキナーゼ活性を解析した結果、不活性型のp38 MAPKおよびMKK6の過剰発現により、インスリンによるp38 MAPキナーゼの活性化が強く抑制されることが確認された。一方、活性型のMKK6の過剰発現により、インスリン非刺激下でも、p38 MAPキナーゼは顕著に活性化された。

2. 上述のアデノウイルスを感染させた3T3-L1脂肪細胞およびL6筋肉細胞に、インスリンを作用させ、糖取り込み活性の解析を行ったところ、不活性型のp38およびMKK6は、インスリンによる糖取り込み能上昇を抑制せず、むしろこれをさらに増強した。活」性型のMKK6を過剰発現させると、基礎状態での糖輸送活性は著明に増加する一方で、インスリン刺激による増加の程度は減少していた。

 以上から、P38 MAPキナーゼの活」性化は、インスリンによる糖取り込み上昇には重要でないことが示された。

3. MKK6による、基礎状態での糖輸送活」性上昇の機序を調べるため、これらを過剰発現させた3T3-L1脂肪細胞を用いて、subcellular fractionationとRNaseprotection assayを行い、糖輸送担体蛋白として重要な、GLUT1およびGLUT4の蛋白およびmRNA発現量を検討した。活性型 MKK6の過剰発現により、細胞膜(PM)および細胞内(LDM)いずれにおいてもGLUTl蛋白量は著増し、GLUT4蛋白量は激減した。mRNAレベルでも同様の変化が見られた。

4. 活性型MKK6/3による糖輸送活性や、GLUT1およびGLUT4への影響が、p38 MAPキナーゼを介しているかを検討するために、p38 MAPK 阻害薬であるSB203580を用いた実験をおこなった。10μMのSB203580を短時間負荷しただけでは、MKK6による糖取り込み能の増加は抑制されなかったが、長時間負荷すると抑制され、その効果は時間経過に比例して増大した。SB203580の長時間負荷により、GLUT1およびGLUT4発現量の変化も復元され、これらの現象においてp38 MAPキナーゼが重要であることが示された。

5. 種々のストレス刺激の影響を検討するため、3T3-L1脂肪細胞にTNFαおよびIL-1β、高濃度ソルビトールを負荷した。これらを30分負荷することにより、p38 MAP キナーゼリン酸化の増強が見られたが、糖取り込み活性には変化が見られなかった。しかし、24時間負荷することにより、糖輸送活性の上昇、GLUT1蛋白の増加およびGLUT4蛋白の減少が見られた。これらの変化はSB203580の作用で復元され、p38を介した効果であることが示唆された。すなわち、脂肪細胞や筋肉において、TNFα、11-1βや高浸透圧などのストレス刺激により、MKK6/3-P38 MAPキナーゼ経路が活性化されると、GLUT1が増加してbasa1の糖取り込み能が上昇し、一方でGLUT4は減少して、インスリン刺激への反応性が低下することが示された。

 以上、本論文はインスリンの主要な標的臓器である、脂肪細胞と骨格筋細胞において、TNFα、IL-1βや高浸透圧などのストレス刺激により、MKK6-P38MAPK経路が活性化され、糖輸送担体蛋白の発現が調節されることを明らかにした。本研究は、糖尿病の原因として重要な、インスリン抵抗性の発生機序の解明に需要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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