学位論文要旨



No 116389
著者(漢字) 五十川,陽洋
著者(英字)
著者(カナ) イソガワ,アキヒロ
標題(和) 糖代謝異常と生活習慣の関わりに関する研究
標題(洋)
報告番号 116389
報告番号 甲16389
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1784号
研究科 医学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 大橋,靖雄
 東京大学 教授 藤田,敏郎
 東京大学 助教授 川久保,清委員
 東京大学 講師 色鳥,康史
 東京大学 講師 竹内,二士夫
内容要旨 要旨を表示する

 2型糖尿病は近年厚生労働省が新たに導入した概念である「生活習慣病」のなかでも代表的な疾患である。2型糖尿病には濃厚な家族歴が認められ、一卵性双生児の研究結果からも、その発症に遺伝要因が大きな位置を占めると考えられてきた。実際近年の分子生物学的手法の進歩により、糖尿病発症遺伝子が数多く同定されている。しかしながら、単一遺伝子異常によって発症する糖尿病は全体の数%に過ぎないと考えられ、ほとんどはいわゆる多因子遺伝形式をとるものと考えられている。その一方で、アメリカ西海岸やハワイなどの日系人と日本本士在住の日本人との比較研究により、同じ遺伝的背景を有していても、動物性脂肪摂取の多いアメリカ在住日系人の方が糖尿病の発症率が高いことが明らかとなり、また生活の西欧化にともなって糖尿病の有病率が日本国内でも急激に増加していることから、単に、遺伝素因だけでなく環境要因がその発症に大きく貢献するものと考えられるようになった。この環境要因を明らかにすることが糖尿病発症に対する一次予防に大きく貢献しうる。

 しかしながら日本人における糖尿病の疫学データは欧米に比べて乏しい。そこで、厚生労働省多目的コホート班が従来行っている地域住民ベースの前向きコホート研究のうち、調査が終了しており、受診者の多くが空腹時に検査を行い解析時に空腹時血糖の使用可能な東京都葛飾および長野県佐久のベースラインデータを利用することにより、糖代謝異常と生活習慣との関係について横断研究を行った。

【研究方法】

 使用したデータは東京都葛飾保健所管内(葛飾区)と長野県佐久保健所管内(南佐久郡の8町村)での住民健診に生活習慣に関する質問票を組み合わせたものからなる。東京都葛飾では1990年〜1994年の各年に40歳、50歳に達する人を対象とする健診を受診した人を研究対象とした。長野県佐久では1929〜1950年生まれの人を対象とする健診を1990年に受診した人を研究対象とした。糖代謝異常の定義については、ブドウ糖負荷試験を行っていないことから空腹時血糖のみにより糖代謝異常を定義した。さらに、空腹時血糖110mg/dl以上のものを空腹時高血糖と定義した。また、生活習慣と糖代謝異常との関連に関する解析に際しては、糖代謝に大きく影響を及ぼす可能性のある疾患(癌・心筋梗塞・脳卒中・アレルギー性疾患・腎疾患・肝疾患・降圧剤内服中の高血圧)を有するものを除外した。研究の対象人数は、東京都葛飾は男性1911人、女性2691人、合計4602人、長野県佐久は男性947人、女性1096人、合計2043人となった。最終的な多変量解析はロジスティック回帰分析および分散分析を用いて行った。空腹時高血糖の存在または空腹時血糖の絶対値を結果変数とし、性・年齢・BMI・糖尿病の家族歴・エネルギー摂取量・喫煙・エタノール摂取・コーヒー摂取を説明変数として多変量調整のもとで有意な関連因子を同定した。解析には日本語版SASソフトウエアを用いた。

【結果】

 東京都葛飾の空腹時高血糖の頻度は、男性9.9%、女性4.1%であった。長野県佐久では,男性16.6%、女性9.5%であった。年齢で層別化しても、佐久の方が葛飾に比べて空腹時高血糖の頻度が有意に多かった。

 喫煙と空腹時高血糖との間には、両地域に共通して認められる相関はなかった。喫煙量と空腹時高血糖との間にも、量反応関係は認められなかった。

 男性では、エタノール摂取量の増加と共に空腹時高血糖が増加する傾向が認められた。長野県佐久の50才台男性では、少量の飲酒者(エタノール一日摂取量20g以下)では空腹時高血糖の頻度が低下し、Jカーブ減少が見られた。女性では、飲酒者ではむしろ空腹時高血糖の頻度が低い傾向があったが、女性飲酒者はエタノール摂取量が男性に比べて比較的少量であった。ロジスティックモデルを用いて、結果変数を空腹時高血糖とした多変量調整後も、エタノール摂取者の空腹時高血糖の相対危険度は非摂取者に比べて有意に高く、東京都葛飾で1.202(p=0.0003)、長野県佐久で1.220(p=0.0180)であった。分散分析にても、東京都葛飾ではエタノール摂取は有意に空腹時血糖値を上昇させた。長野県佐久では有意ではないものの、同様の傾向を認めた。

 本研究においては嗜好品に注目し、カフェインを含有する飲料として代表的なコーヒーと空腹時高血糖との関連を調べたところ、コーヒー摂取が多いほど空腹時高血糖の頻度が低くなる傾向が認められた。ロジスティックモデルを用いて、結果変数を空腹時高血糖とした多変量調整後も、コーヒー摂取者の空腹時高血糖の相対危険度は非摂取者に比べて東京都葛飾では有意に低く(0.660,p=0.0028)、長野県佐久でも有意ではなかったものの同様の傾向を認めた。分散分析にても、東京都葛飾ではコーヒー摂取は有意に空腹時血糖値を低下させた。長野県佐久では有意ではないものの、同様の傾向を認めた。

【考察】

 アルコール摂取と糖代謝異常に関してはいくつかの研究で検討されているが一致した見解を見ていない。アルコール摂取は通常糖尿病を増加させるとされるが、中等度のアルコール摂取は2型糖尿病と負の相関があるとするコホート研究もある。本研究では、ロジスティック回帰による多変量調整の結果相対危険度が、東京都葛飾区では1.202(p=0.0003)、長野県南佐久群では1.220(p=0.0180)とエタノール摂取と空腹時高血糖との間に統計的に有意な正の相関を認めた。空腹時血糖値を結果変数とした分散分析では、東京都葛飾では統計的に有意な正の相関を認め、長野県佐久では同様の傾向は認めたものの、有意ではなかった。女性および長野県佐久の50才台男性では、少量の飲酒(エタノール摂取量が1日20g以下、日本酒換算で1日約1合(1合はエタノール23.4gに相当)以下)ではむしろ空腹時高血糖の割合が低下するJカーブ現象の存在が示唆された。中等量までの飲酒が糖尿病を減少させるとする報告は存在することもあり、今後の検討が必要と考える。

 カフェインを含有する飲料として代表的なコーヒーと空腹時高血糖との関連を検討したところ、東京都葛飾区ではコーヒー摂取者では(コーヒーに砂糖を入れているかどうかは問わず)空腹時高血糖の多変量調整相対危険度が0.660(p=0.0028)と有意に低かった。空腹時血糖値を結果変数とした分散分析でも有意であった。長野県南佐久郡でも同様の傾向を認めたが、統計的に有意ではなかった。長野県佐久は東京都葛飾に比べてサンプルサイズが小さいので、有意な相関の検出力が低いと考えられた。砂糖を入れるか入れないかで層別化するとむしろ相関の強さが下がるのは、サンプルサイズの減少によるものと思われる。カフェインには脂肪酸化を促進しエネルギー代謝を上昇させる薬理作用があり、BMIが同程度であっても内臓脂肪が少ないなど脂肪分布に好ましい影響を及ぼす可能性がある。またメチルキサンチンであるカフェインはホスホジエステラーゼ阻害によりcAMPを増加させ、cAMPをセカンドメッセンジャーとするホルモン受容体やβアドレナリン受容体の機能が亢進する結果、中枢興奮作用、骨格筋興奮作用、心機能亢進、抹消血管拡張、気管支筋弛緩作用などを有し、基礎代謝率を亢進させることが薬理作用として知られている。薬理的にcAMPの上昇はグリコーゲン分解の促進、グリコーゲン合成の阻害により糖利用促進に働く。本研究でもコーヒー摂取者では空腹時高血糖の頻度が減少した。コーヒー摂取と心臓疾患との関係については、コーヒー摂取が一日5杯を越えると心筋梗塞を増やすといった報告が認められるものの、日本人での検討はなく、種々のエンドポイントに対してカフェインの及ぼす効果を今後さらに検討する価値があるといえる。

【結論】

 本論文は、都市・地方生活者と糖代謝異常の関係について詳細な検討を行い、特に食生活習慣を中心に検討した。このような検討に関する報告は実際には少なく、特に日本人においては乏しいと言わざるをえない。本研究ではこれまでエビデンスのなかったコーヒー摂取と糖代謝異常に関し、コーヒー摂取が空腹時高血糖の頻度を抑制するという新たな知見を得た。また、ある程度以上のアルコール摂取(エタノール50.1ml/日以上)が糖尿病の相対危険度を増加し(BMI22.Okg/m2以下の群)、中等度のアルコール摂取(エタノール29.1〜50.Oml/日)が糖尿病の相対危険度を減少させる(BMI22.1以上の群)という一昨年のOsaka Health Surveyと本研究との間に、全体の傾向としては共通する結果を認めた点が特記すべき点である。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は糖尿病発症において重要な役割を演じていると考えられる生活習慣を明らかにするため、東京都葛飾および長野県佐久の40〜50歳台人口を対象とした地域住民コホートのデータを用いて横断研究を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. 東京都葛飾の解析対象者における空腹時高血糖の有病率は男性9.1%、女性4.1%、長野県佐久では男性16.6%、女性9.5%であった。一般的には生活習慣の都市化は糖尿病発症に大きく寄与するものと考えられるが、農林漁業従事者の割合が多い長野県佐久の方が東京都葛飾よりむしろ空腹時高血糖の頻度が高く、日本における生活習慣の都市化普及が示唆された。

2. エタノール摂取は両地域で空腹時高血糖の頻度を増加させた。結果変数を空腹時高血糖(空腹時血糖値110mg/dl以上)、説明変数を性、年齢、BMI、糖尿病の家族歴、エネルギー摂取量、喫煙、エタノール摂取、コーヒー摂取とし、ロジスティックモデルを用いて多変量調整後も、エタノール摂取者の非摂取者に対する空腹時高血糖の相対危険度は東京都葛飾で1.202(p=0.0003)、長野県佐久で1.220(p=0.0180)であった。分散分析にても、東京都葛飾ではエタノール摂取は有意に空腹時血糖値を上昇させた。エタノール摂取が糖代謝異常の危険因子であることが示された.

3. コーヒー摂取は東京都葛飾では有意に空腹時高血糖の頻度を低下させ、長野県佐久では有意ではないものの同様の傾向を認めた。結果変数を空腹時高血糖(空腹時血糖値110mg/dl以上)、説明変数を性、年齢、BMI、糖尿病の家族歴、エネルギー摂取量、喫煙、エタノール摂取、コーヒー摂取とし、ロジスティックモデルを用いて多変量調整後、コーヒー摂取者の非摂取者に対する空腹時高血糖の相対危険度は東京都葛飾で0.660(p=0.0028)であった。分散分析にても、東京都葛飾ではコーヒー摂取は有意に空腹時血糖値を低下させた。長野県佐久では有意ではないものの、同様の傾向を認めた。コーヒー摂取が糖代謝異常を抑制することが示された。

 以上、本論文は東京都葛飾および長野県佐久の40〜50歳台人口において、地域住民コホートのデータの横断解析から、エタノール摂取が空腹時高血糖を増加させ、コーヒー摂取が空腹時高血糖を抑制することを明らかにした。本研究はこれまでエビデンスのなかったコーヒー摂取と糖代謝異常との関わりを明らかにし、エビデンスの乏しかったエタノール摂取と糖代謝異常との関係をも示し、糖尿病発症に寄与する生活習慣の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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