学位論文要旨



No 116397
著者(漢字) 荻原,清文
著者(英字)
著者(カナ) ハギワラ,キヨフミ
標題(和) クローン病罹患腸管における発現遺伝子のディファレンシャル・ディスプレイ法を用いた検討
標題(洋)
報告番号 116397
報告番号 甲16397
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1792号
研究科 医学系研究科
専攻 内科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 王置,邦彦
 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 助教授 森田,寛
 東京大学 講師 大西,真
 東京大学 講師 白鳥,康史
内容要旨 要旨を表示する

クローン病 (Crohn's disease、以下CD) は腸管全長にわたって非連続性かつ全層性の炎症性病変を来すことを特徴とする炎症性腸疾患であるが、その病因は遺伝因子についても環境因子についても依然として不明である。現在までに、CDの分子機構を解析することを目的として、特定の遺伝子に着目して CD罹患腸管病変部 (以下 CD病変部と非炎症性腸疾患患者から得られた対照腸管、あるいは CD罹患腸管非病変部 (以下 CD非病変部)における発現の差異を比較した報告は数多くある。しかし、これらの過去の観察は炎症の過程に関わる分子やサイトカインというごく限られた種類の遺伝子を検討するにとどまり、CDの病変部位あるいは非病変部位における遺伝子発現を包括的に観察したものではない。しかも、CDの多くは小腸にも病変を来すわけであるが、CD罹患腸管を用いた遺伝子発現の検討のほとんどは大腸生検組織による検討であるので、CDの分子機構に関しては未だにごく限られた情報しか得られていないといえる。そこで、私は CDの病態に関して先見的な仮説を立てることなく、CDの病変部と非病変部との間で遺伝子の発現量を比較することが CDの病態解明、ならびに治療の開発において有用な情報を提供するものと考え、生検組織ではなく腸管切除手術標本という十分量の組織を用いて病変部と非病変部との間で発現量の異なる遺伝子をディファレンシャル・ディスプレイ (Differential Display、以下 DD)法を用いて同定することを試みた。まずはじめに、1人の CD症例 (症例1) から得られた大腸の病変部位と非病変部位との間で発現量の異なる遺伝子を DD 法により検出することを試みた。病変部位、非病変部位の判定は肉眼的所見および組織学的所見により行った。病変部位、非病変部位から得られた cDNA を 9種類のアンカー用のオリゴ (dT)29 プライマーと10種類の非特異的 5'オリゴヌクレオチドプライマーを用いた 90通りのプライマーセットで非特異的に増幅した。両標本間で電気泳動パターンの異なる polymerase chain reaction(PCR) 産物を 110 個得た。これらの PCR 産物のうちで再増幅、PCR-single strand conformation polymorphism 法による精製、再々増幅、クローニング、そして塩基配列決定までできたのは 11 個であった。そのうちの 5個は EMBL/GenBank データベースに登録されている塩基配列とのホモロジーを認めなかったので、未知の遺伝子であると考えられた。他の6個は既知の配列に一致し、それらは glucocorticoid receptorα(GRα)、cytochrome oxidase subunit 1, cytochromeb,type6protein phosphatase regulated by interleukin-2(PP6 regulated by IL-2), Traf2 and Nck interacting kinase (TNIK),long form FLICE inhibitory protein (FLIPL) であった。これらの遺伝子の CDの病態形成における関与は過去に想定されていなかったものである。

 次に、症例1の病変部において優先的に発現した上記の遺伝子が、他の CD症例においても一貫性をもって病変部位で優先的に発現するか否か検討するために、他の CD5症例から得られた病変部、非病変部における遺伝子発現レベルを比較する事を試みた。合計にして3症例の大腸標本、3 症例の小腸標本、1 症例の回腸末端部標本それぞれから病変部、非病変部を得て半定量的 reverse transcriptase (RT)-PCR を施行したところ、症例1において DD 法によって検出した6個の遺伝子の全ては3症例の CD大腸標本1症例の CD回腸末端標本において病変部で発現が亢進していた。中でも FLIPL はこれらの標本において病変部で著明に過剰発現していた。これに対して3症例の CD小腸標本においては、病変部と非病変部との間で発現量の著明な差を認めなかった。特に、ある症例(症例 6)の病変大腸と非病変大腸との間で発現量に顕著な差を認めた遺伝子が、同一症例の病変小腸と非病変小腸の間では発現量に著明な差を認めなかったのは注目に値する。すなわち、以上の知見は CDの大腸病変と小腸病変との間に病態の差がある可能性を示唆するものである。このことを検証するためには、対照粘膜組織を含めた数多くの腸管組織における包括的な遺伝子発現動態を cDNA アレイ法などを用いて比較しなければならない。

 さて、CD病変部位におけるミトコンドリア遺伝子の過剰発現は、結果的に活性酸素を産生し、組織障害を引き起こす炎症状態を反映するものと解釈される。また、CD病変部位における GRα の mRNA としての発現亢進は、病変部位の酸化状態における GRα の機能低下の代償と思われる。PP6 regulated by IL-2 はごく最近リンパ球に同定されたタンパク質で、機能の詳細はいまだに明らかではないが、末梢血 T細胞においてIL-2 により発現力亢進することが示され、なおかつ IL-2 による刺激を受けた T細胞を増殖させることが示唆されている。CD病変部位におけるこの分子の発現亢進は、同部位における IL-2 の集積を反映するのみならず、同部位において T細胞が IL-2 の刺激をうけて増殖状態にあることを反映しているといえる。TNIK は1型 TNF 受容体 (TNFR1) からのシグナル伝達の下流に位置する TRAF2 と Nck と相互作用し、JNK を特異的に活性化することが示されている。一方 JNKはTNF-αの mRNA の安定性に関連するAU-richelements に作用して、タンパク質レベルでの TNF-α の発現を亢進させることが示されている。

 すなわち TNF-α が TNIK を介して JNK を活性化し、JNK が TNF-α の発現を亢進させるというポジティブフィードバックループが成立しうるわけであるが、CD大腸の病変部における TNIK の過剰発現はこのポジティブフィードバックループを加速させるものと考えられる。

 今回検出できた CD病変大腸と CD非病変大腸との間で発現量の異なる遺伝子の中でも、FLIPL は CDの病態に深くに関与していると考えた。なぜならば FLIPL の過剰発現はリンパ球の活性化誘導細胞死(activation-induced cell death、以下 AICD) を抑制し、結果的に自己免疫応答に関わることが示唆されているからである。そこで、FLIPL のタンパク質レベルでの発現と局在を確認すべく免疫組織染色を施行したところ、FLIPL を発現する細胞は粘膜固有層リンパ球 (lamina propria lymphocyte, 以下 LPL) であることが分かった。顕微鏡200倍1視野における総細胞あたりの FLIPL 陽性細胞の割合は、CD病変部において大腸癌症例から得られた正常大腸組織と比較して著明に高かった。また、CD病変部と同じ症例の非病変部とを比較しても、FLIPL 陽性細胞の割合は病変部においてやや高かった。リンパ球は活性化状態になると FLIPL の発現を低下させて AICDの感受性を増すことが示されているので、CD病変部位において活性化状態となっている LPL の FLIPL も発現が低下してしかるべきと考えられるが、実際には病変部位における FLIPL の LIPL の発現は低下していないことが本研究によって明らかとなった。すなわち、活性化 LPL の一部のサブセットにおいて、本来発現が低下するべき FLIPL が持続的に発現して AICDに抵抗性となっていることが CDの病態に直接関与しているものと推測された。

 FLIPL は caspase-8 と直接に相互作用して細胞のアポトーシスを阻害することが示されているので FLPL の発現の重要性を評価する目的で、同じ組織における caspase-8 の発現をも検討した。caspase-8 の免疫組織染色が陽性であった細胞も LPLであった。FLIPLとは対照的に、caspase-8 陽性 LPL の割合はCD非病変部と比較して CD病変部において低下していた。また、CD症例の非病変部における caspase-8陽性 LPL の割合は大腸癌症例から得られた正常対照組織のものと比較して極めて上昇していた。これは一見正常に見える CDの腸管組織においてリンパ球の caspase-8 の発現を亢進させるようなシグナルが存在すること、あるいは caspase-8 を過剰発現したリンパ球を集積させるシグナルが存在することを示唆する。確かに caspase-8 の発現を調節する因子は未だに明らかでなく、また caspase-8 の発現亢進が単に細胞のアポトーシス感受性の亢進を反映するかどうかについても異論があるところであるため、caspase-8 に関する今回の知見の早急な意義付けは困難である。従って今後は、他のアポトーシス関連分子の発現動態の解析を加えること、並びにアポトーシス関連分子の発現を調節する因子を突き止めることが必要であると考える。

 このように、CD罹患大腸の病変部位において過去には想定されていなかった遺伝子が非病変部位と比較して一貫性をもって優先的に発現することが本研究により明らかとなった。かかる遺伝子の検出同定に DD 法は極めて有効であることが再確認された。今後、FLIPや caspase-8 の発現調節機構を解析すること、アポトーシスの調節に関与する数多くの分子全体の発現動態を解析すること、ならびに TNF-α 刺激から TNIK を介した JNK 活性化経路の機能解析を加えることが CDの病態解明と治療の開発において有用な情報を与えるであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究はクローン病 (Crohn's disease、以下CD) の病態にアプローチするために、CD罹患腸管の病変部と非病変部との間で遺伝子の発現量を先見的な仮説を立てることなく比較することを試みたものあり、標本として腸管切除手術標本を、手法としてディファレンシャル・ディスプレイ (Differential Display, 以下DD) 法を用いて、下記の結果を得ている。

1.CD罹患大腸の病変部位において、過去には想定されていなかった遺伝子が非病変部位と比較して一貫性をもって優先的に発現することが明らかとなった。それらは glucocorticoid receptorα(GRα)、cytochrome oxidase subunit 1, cytochrome b, type6protein phosphatase regulated by interleukin-2 (PP6 regulated by IL-2), Traf2 and Nck interacting kinase (TNIK)、long form FLICE inhibitory protein (FLIPL) であった。

2.これらの遺伝子の全ては3症例より得られた大腸標本と1症例より得られた回腸末端標本において病変部で一貫性をもって発現が亢進していたのに対して、3症例より得られた小腸標本においては病変部と非病変部との間に発現の有意な差を認めなかった。

3. 著者はこれらの遺伝子の中で FLIPL に着目して免疫組織化学による検討を行い、CD罹患大腸病変部の粘膜固有層リンパ球 (lamina propria lymphocyte、以下 LPL) における FLIP の過剰発現、ならび CD罹患、大腸非病変部 LPL における caspase-8 の過剰発現を明らかにした。

 以上、本論文は CD罹患腸管の病変部位におけるこれまで想定されていなかった興味深い遺伝子の過剰発現を明らかにした。なかでも FLIPL のタンパク質レベルでの CD罹患腸管病変部位 LPL における過剰発現を明らかにしたことにより、リンパ球の活性化誘導細胞死 (activation-inducedcell death、以下 AICD)の遷延化が CDの病態と深く関与していることが示唆され、今後 LPL の AICDの機能解析を加えることの重要性を示した。従って本論文は CDの病態の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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