学位論文要旨



No 116402
著者(漢字) 土田,里香
著者(英字)
著者(カナ) ツチダ,リカ
標題(和) 遺伝子変異部位スクリーニングのための酵母アッセイ法の開発
標題(洋) Detection of truncating mutations in separated alleles of ATM gene by using a rapid screening assay in yeast : ATM(Ataxia Telangiectasia Mutated
報告番号 116402
報告番号 甲16402
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1797号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 深山,正久
 東京大学 教授 牛島,廣治
 東京大学 教授 橋都,浩平
 東京大学 助教授 岩田,力
 東京大学 助教授 辻,浩一郎
内容要旨 要旨を表示する

 細胞内で放射線などの外的ストレスにより損傷を受けたDNAを感知し、細胞周期を停止させ、DNA修復に導く監視機構の役割を果たしているのがATM(Ataxia telangiectasia mutated)である。ATMは癌抑制遺伝子であるp53の上流でその活性化に関わり、その他の細胞周期停止に関わるp53非依存性経路においてもATMがその上流で機能を制御している。DNA修復にかかわる最初の分子であるATMはそれ故、癌になりやすい体質を決定する分子機構として注目されている。しかし、ATM遺伝子はヒトの遺伝子としては最大級の66個のエクソン数を持つ巨大な遺伝子であるため、遺伝子変異の発見には多大な労力を伴い、ことにATMに変異を持つ保因者のスクリーニングはほとんど行われていなかった。本研究では、この問題を解決し、安価で迅速にATM遺伝子変異のスクリーニングが行える手法を出芽酵母において確立した。

 ATMは毛細血管拡張性運動失調症(Ataxia telangiectasia ; AT)の原因遺伝子であり、1995年Shilohらにより遺伝子クローニングされた。ATM遺伝子は染色体の11q22-23に位置し、全長146kbで、エクソン66個、mRNAとしては全長10,140bp、ORF(open reading frame)の9,168塩基がアミノ酸に翻訳され、3,056アミノ酸となる。ATMタンパク質は約350kDaで主に核に局在する。

 ATの発症頻度は約30万人に1人とされる。小脳変性による乳幼児期からの進行性の小脳失調症、構音障害を伴う種々の神経症状や皮膚・眼球結膜の毛細血管拡張、細胞性/液性免疫不全、胸腺低形成、性腺機能障害などの表現型の異常を伴う常染色体性劣性遺伝疾患である。さらに電離放射線に高感受性を示し、悪性リンパ腫、白血病を高頻度に合併することが知られている。リンパ系腫瘍では100〜250倍も高い。リンパ系悪性腫瘍の他には、乳癌が最も多く、続いて大腸癌、肺癌、前立腺癌、膀胱癌、膵臓癌、子宮体癌、悪性黒色腫、卵巣癌、胃癌、口咽頭癌、甲状腺癌の頻度が高い。

 ATにおけるATM遺伝子の変異はホットスポットが存在せず、全領域から変異が検出されている。ATMホモ変異体の場合、血族結婚の家系を除きほとんどの場合がATM遺伝子の両方の対立遺伝子に異なった変異を持つヘテロ変異体同士の接合体(コンパウンドヘテロ変異体)である。ATMホモ変異体の患者からはATMタンパクはほとんど検出されない。これは、遺伝子変異の80%以上がフレームシフトやナンセンス変異によるtruncating mutationであるために、mRNA、変異タンパクが不安定であるためと考えられる。

 ATが発癌のハイリスク群に属することの統計学的な証明が進んでいる一方で、AT保因者(ATキャリアー)であるヘテロ患者の発癌リスクについては以前より大きな問題であった。保因者であるATMヘテロ変異体は人口の約1%と推定されている。AT保因者では乳癌発症の相対危険率が非保因者の6.8〜9.0倍といわれているが、報告者によってはAT保因者であっても乳癌発症のリスクは変わらないとするものもある。しかし、AT保因者由来の細胞を用いた細胞生物学的な解析から、放射線照射後の倍数体の変化が検出され、DNAダメージに伴うM/S期における細胞周期調節機構の障害や、アポトーシス誘導能の異常が認められることが証明され、ATM遺伝子の一方のみの変異でも十分に発癌の危険性があることが示唆されている。これらのことを考慮すると、乳癌だけでなく、他の癌についても、明らかに遺伝的に発癌の危険性の高い集団が存在していることが考えられる。

 AT保因者をスクリーニングする目的も含めてATM変異の検出を行うことが、研究面と発癌予防という臨床医学的見地から必要であるが、ATM遺伝子はサイズが大きく、変異のホットスポット領域もないため、その遺伝子変異を見つけるには多大な労力を要する。しかし、AT患者の解析からATM遺伝子の変異の80%以上はフレームシフトやナンセンス変異によるtruncatingmutationでありタンパク質の欠失を伴う変異であることが示されていることから、出芽酵母にATM遺伝子を導入し形質転換することでこれらのtruncating mutationの有無を判定する新しいATM遺伝子変異検出法を開発した。

 本方法ではATM cDNAを6分割し、得られた6種類のPCR産物をギャップべクターに相同組換えして環状プラスミドとし、ロイシン不含有培地上で選択後、ウラシル・ロイシン不含有培地に移して、ウラシルの要求性の違いにより表現形を決定する。ナンセンス変異またはフレームシフト変異によりtruncating mutationとなるAT患者由来とAT保因者由来の細胞株に、この酵母アッセイ法を施行し有用性を検討した。その結果、ウラシル陽性コロニー数は野生型で60.0-100.0%、ホモ変異体で0.0%、ヘテロ変異体で43.3-56.7%となり、野生型、ホモおよびヘテロ変異体を明白に判別することができた。

 ダイレクトシークエンスによる解析をATM遺伝子に試みる場合、cDNAを4領域に分けてRT-PCRを行い、350〜400bpおきに、解析のためのプライマーを総計30個設定した。得られた結果を解析ソフトを用いコンピューター上で全長を繋ぎあわせ、野生型ATM cDNAと比較検討した。ダイレクトシークエンス解析は労力もさることながら、経済的な負担が大きく、AT保因者をスクリーニングする手段としては到底受け入れられない。また、細かくプライマーを設定するため、プライマー上に変異があった場合は変異のないアレルが相補して、最終的に全解析結果を繋ぎあわせる際、本来の変異がマスクされて、見逃される危険がある。

 実際に、臨床的に間違いなくATであると診断されていた患者のATM遺伝子ダイレクトシークエンスの結果が野生型と一致し、1年以上も遺伝子診断ができない症例があった。しかし、酵母アッセイ法で検討した結果、1週間で両アレルの異なった場所にtruncationg mutationをもつコンパウンドヘテロ変異体であることが判明した。そしてこの変異の1つは、これまでに報告のない2639del200(エクソン19欠失)の変異であることが判明した。これにより、本方法はAT保因者のスクリーニングに有用であるばかりではなく、AT患者の変異部位を迅速に決定できることを立証した。

 高発癌性遺伝病に関わる分子のヘテロ変異体をスクリーニングすることは極めて重要であり、簡便な遺伝子変異体の検出方法の開発が必要とされていた。今後同じような方法を用いて原因遺伝子の変異を検出することが可能になり、患者や保因者の検出に役立つことが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、放射線などの外的ストレスにより細胞内で損傷を受けたDNA修復にかかわる最初の分子であるATM(Atacxia telangiectasia mutated)の遺伝子の変異を迅速かつ安価にスクリーニングする方法を、出芽酵母において確立したものである。

 ATMは癌抑制遺伝子であるp53をその上流で制御し、現在、癌になりやすい体質を決定する分子として注目されている。

 ATM遺伝子の両対立遺伝子にtruncating mutationを持った場合は毛細血管拡張性運動失調症(AT;Ataxia telangiectasia)という高発癌性遺伝性疾患となるが、片方の対立遺伝子に変異を有するAT保因者(ATMヘテロ変異)においても発癌のリスクが高いことが報告されており、AT保因者は人口の約1%といわれている。しかし、ATM遺伝子はヒトの遺伝子としては最大級の66個のエクソン数を持つ巨大な遺伝子であるため、遺伝子変異の発見には多大な労力を伴い、これまでAT保因者のスクリーニングはほとんど行われていない。本研究により確立したATM遺伝子変異スクリーニングとしての酷母アッセイ法は下記の点で優れている。

1. ATM cDNAを6分割し、得られた6種類のPCR産物をギャップベクターに相同組換えして環状プラスミドとし、ロイシン不含有培地上で選択後、ウラシル・ロイシン不含有培地に移して、ウラシルの要求性の違いにより表現形を正確に決定することが証明された。各々6領域のPCR産物は互いに重なりを有して増幅されるようにプライマーの設定がなされており、ATM cDNA変異検出に漏れはない。これにより1週間以内に被検遺伝子が野生型か否か、変異を持っているとすればどの領域に存在するかまでをスクリーニングすることが可能となった。

2. 本方法では対立遺伝子の変異を分けて検索できる。これまでは、異常が対立遺伝子の片方に重複しているのか、双方に分散しているのかはそれぞれの対立遺伝子をサブクローニングして遺伝子配列を決定することによって確認しなければならなかった。しかし本方法によれば対立遺伝子が別個に解析できることが証明された。

3. 酵母アッセイ法を用いた遺伝子変異の検索はこれまでに家族性大腸ポリポーシスの原因遺伝子であるAPC(adenomatous polyposis coil)、家族性乳癌・卵巣癌の原因遺伝子であるBRCA1(responsible for familial breast cancer)に応用されスクリーニングの報告がなされているが、ATM遺伝子について6領域に分けて正確なスクリーニングができることを証明したのは本研究が初めてである。

4. ATM遺伝子を含む染色体11q23.1の領域は、乳児白血病や二次性白血病において染色体転座を生じるMLL(mixed-lineage leukemia)遺伝子の座位でもあり、本方法を用いたAT保因者における高発癌性の問題の解決は、これら白血病発症機構の解明に繋がると考えられる。

5. 本方法は他の高発癌性遺伝病に関わる分子のヘテロ変異体(保因者)のスクリーニングにも応用することが可能である。

 以上、本研究により、遺伝子サイズの大きさのためこれまでほとんど解明がされていなかった遺伝的発癌要因であるATM遺伝子変異の発見を容易にした。また、本方法は他の高発癌性遺伝病の原因遺伝子の変異の検出にも応用が可能であり、迅速、安価、実際的でかつ汎用性に優れている。本方法を用い広くスクリーニングを行うことにより患者や保因者の検出に役立つことが期待され、ヒトの発癌機構解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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