学位論文要旨



No 116405
著者(漢字) 荷見,よう子
著者(英字)
著者(カナ) ハスミ,ヨウコ
標題(和) AAVベクターを用いたsFLT-1遺伝子導入による卵巣癌由来ヌードマウス腹水貯留の抑制
標題(洋) SUPPRESSION OF CARCINOMATOUS ASCITES BY AAV VECTOR-MEDIATED EXPRESSION OF sFLT-1 IN NUDE MICE BEARING OVARIAN CANCER
報告番号 116405
報告番号 甲16405
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1800号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 助教授 加藤,賢朗
 東京大学 助教授 福岡,秀興
 東京大学 助教授 馬場,一憲
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】卵巣癌の主な進展様式の一つは腹腔内播腫であり、その進行に伴い腹水貯留を来す。卵巣癌患者の半数以上は進行期で診断され、腹水貯留を伴うことが多い。腹水貯留は全身状態を悪化させるため、腫瘍の大きさ及び腹水の貯留はともに生存率と逆相関することが知られており、卵巣癌の治療において腹水貯留の抑制は原発巣の治療と同様に重要な課題である。そこで、本研究では、腹水貯留の抑制に遺伝子治療を応用することを目的として動物実験モデルを用いた基礎実験を行った。

 腫瘍血管新生は腫瘍の増大に必須であり、悪性腫瘍の腹水貯留に関与しているとされている。いくつかの腹水産生腫瘍において腹壁における著名な血管新生が観察されており、血管新生阻害物質の投与による血管増生の阻害により腹水量の減少が報告されている。腹膜の微小血管の透過性亢進もまた悪性腫瘍の腹水貯留に関与していることが観察されている。

 腫瘍に関連した血管透過性亢進は様々なサイトカインにより惹起されうる。そのひとつが血管内皮増殖因子(VEGF)である。VEGFは強力な血管透過性亢進作用と血管内皮細胞増殖作用を持ち、腹水産生腫瘍の血管新生と腹水貯留に深く関与していると考えられている。VEGFの作用は血管内皮細胞に特異的に発現されているチロシンキナーゼレセプターであるFlt-1受容体とKDR受容体を介している。最近、ヒトの上皮性卵巣癌組織におけるVEGFの過剰発現や血清VEGF濃度の上昇と生存率低下との間の相関が報告されており、VEGFが腫瘍血管新生、転移、腹水貯留において重要な役割を果たすことから魅力的な治療標的であると考えられる。

 VEGFによる腫瘍血管新生と血管透過性冗進作用を阻害する治療戦略のひとつとして血管床における可溶型Flt-1受容体の発現がある。可溶型Flt-1受容体(sFIt-1)は内因性のVEGF阻害因子であり、Flt-1受容体の細胞外ドメインのみの変異体である。細胞外ドメインのみのためHt-1受容体と同程度の親和性でVEGFと結合し競合的にVEGFの作用を阻害する。2量体を形成するVEGF受容体にも結合し下流のシグナル伝達の活性化を阻害する。

 腫瘍細胞への遺伝子導入によるsFlt-1発現は腫瘍血管新生と腹水貯留を抑制することが期待される。遺伝子導入には線維芽細胞や筋細胞と同様に上皮性細胞へ効率良く遺伝子導入を行いうるアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターが適していると考えられる。本研究ではRMG-1ヒト卵巣癌細胞にAAVベクターを用いてsFlt-1遺伝子を導入し、sFlt-1発現による効果をin vitroでの血管内皮細胞増殖能とマウス卵巣癌腹水貯留モデルにおいて検討した。

【方法】

・AAVベクターの作成

 AAVベクタープラスミドはマウスsFlt-1 cDNAもしくはneomycin耐性遺伝子とその両端の145bpのAAV inverted teminal repeats(ITRs)から成る。ヘルパープラスミドpIM45はAAVベクターの複製とキャンプシド形成に必要なrep、cap遺伝子を含む。pladeno-1はアデノウイルスのE2A、E4、VA遺伝子を含む。293ヒト胎児腎細胞にリン酸カルシウム法でベクタープラスミド、ヘルパープラスミドpIM45、pladeno-1のトランスフェクションを行い72時間培養後細胞を回収し、凍結・融解をくりかえした後細胞抽出液を得、遠心により上清のAAVベクターを回収した。

・sFlt-1遺伝子導入細胞作成

 1x105/cellのsFlt-1およびNeo AAVベクターあるいはNeo AAVベクターのみを用いてRMG-1細胞に遺伝子導入を行い100μg/ml G418による選択をおこないクローンを得た。細胞抽出液を用いウサギ抗sFlt-1ポリクローナル抗体でウヱスタンブロッティングを行いsFlt-1発現クローンを得た。

・VEGF定量

 3x106個のRMG-1細胞を7mlのRPMI1640/1%FBSで96時間培養し培養上清を回収した。ヒトVEGF測定用ELISAキットで培養上清中のVEGF濃度を定量した。

・InVitroにおけるsFlt-1発現細胞増殖能

 1x105個のNeo発現細胞あるいはsFlt-1発現細胞を撒き48-,72-,96-時間後に細胞数を計数した。

・血管内皮細胞増殖アッセイ

 7mlの無血清RPMI1640で3x106個のNeo発現細胞あるいはsFlt-1発現細胞を72時間培養し培養上清を回収した。ヒト臍帯静脈血管内皮細胞(HUVEC)2x104個を撒きEBM-2培養液/5%FBS/25%培養上清/20ng/mlVEGFで培養し、5日後細胞数を計数した。

・RMG-1細胞腹腔内移植

 4週齢雌性BALB/cヌードマウスに2x107個/匹のNeo発現細胞(5匹)あるいはsFlt-1発現RMG-1細胞(5匹)を腹腔内移植した。5週後に腹水貯留量、腹水中の腫瘍細胞数、赤血球数を定量した。また腹腔内の播腫巣数及び播腫巣径を計数した。新たにヌードマウスに2x107個/匹のNeo発現細胞(6匹)あるいはsFlt-1発現RMG-1細胞(6匹)を腹腔内移植し生存期間を観察した。

・統計

 血管内皮細胞増殖アッセイの結果に対してはStudent's t testによる検定、In vivo実験の結果に対してはWilcoxon順位和検定、生存期間の比較についてはWilcoxon検定を行った。P<0.05を有為な差とした。

【結果】1. RMG-1細胞のVEGF産生能につき検討した。RMG-1細胞の培養上清内のVEGF濃度をELISAにて定量したところ平均458pg/mlであった。sFlt-1 AAVベクターを用いたRMG-1細胞への遺伝子導入によるsFlt-1蛋白の発現を確認するためにRMG-1細胞へsFlt-1及びNeo AAVベクターあるいはNeo AAVベクターのみによる遺伝子導入を行い、sFlt-1あるいはNeo発現クローンを得た。これらのクローンの細胞抽出液及び培養上清を用いて蛋白発現につき検討した。抗sFlt-1抗体を用いたWestern blottingにおいてNeo発現クローンではsFlt-1蛋白の発現を認めず、sFlt-1発現クローンでは細胞抽出液、培養上清共にsFlt-1蛋白の発現を認めた。

2. In vitroにおいてNeo発現クローンとsFlt-1発現クローンに増殖能の差を認めなかった。これによりsFlt-1発現は腫瘍細胞の細胞分裂に影響のないことが示された。

3. VEGFの血管内皮細胞増殖作用に対するsFlt-1の阻害作用を検討した。25%のNeo発現細胞培養上清存在下の20ng/mIVEGFによる増殖刺激でHUVECは5日間で70%の細胞数増加を示した。この血管内皮細胞に対するVEGFの細胞増殖作用は25%のsFlt-1発現細胞培養上清存在下では完全に阻害された。

4. In vivioにおけるSFlt-1持続発現による腫瘍形成及び腹水貯留に対する効果を検討した。ヌードマウスに2x107個/匹のNeo発現細胞(5匹)あるいはsFlt-1発現RMG-1細胞(5匹)を腹腔内移植したところ、5週後にはsFlt-1発現RMG-1細胞移植群において腹水貯留量、腹水中の腫瘍細胞数、赤血球数は有為に低値を示した。腹腔内播腫巣数は両群間で有為な差を認めなかったが、直径2mm以上の腫瘍数はsFlt-1発現RMG-1細胞移植群において有為に少なかった。これによりsFlt-1持続発現は腹水貯留、血管透過性亢進による赤血球漏出および腫瘍増大を抑制することが示された。

5. ヌードマウスに2x107個/匹のNeo発現細胞(6匹)あるいはsFlt-1発現RMG-1細胞(6匹)を腹腔内移植し生存期間を検討した。sFlt-1発現RMG-1細胞移植群の平均生存期間は70日であり、Neo発現細胞移植群の55日に比し有為に長かった。

【考察】本研究ではマウス卵巣癌モデルを作成し、AAVベクターを用いた遺伝子導入により選択的VEGF阻害因子であるsFlt-1を持続発現する腫瘍細胞を移植した。このモデルにおいてsFlt-1発現RMG-1細胞を移植された群では生存期間の延長と腹水貯留量の低下が認められた。腹水中の漏出赤血球数が有為に減少したことからsFlt-1の発現によりVEGFの血管透過性亢進作用が抑制されたと考えられた。In vitroではVEGFに誘導された血管内皮細胞増殖の抑制が認められsFlt-1発現の血管新生阻害作用が示唆された。In vivoでは腹腔内の播腫巣数に有為な差は認めなかったものの直径2mm以上の腫瘍数はsFlt-1発現細胞移植群で有為に少なかった。このことからsFlt-1の発現により血管新生が阻害され、腫瘍が独自の血流供給を要する大きさ以上へ増大することを抑制しうることが示唆された。腫瘍細胞の腹腔内移植による腹水貯留モデルにおいてsFlt-1の持続発現により対照群に比して有為な生存期間の延長が認められた。これには腹水貯留の抑制と播腫巣の増大抑制が関与すると考えられた。VEGF活性の効果的な抑制にはその阻害因子の持続的な発現を要する。sFlt-1遺伝子導入による遺伝子治療は有力な候補と考えられる。この際、腹水産生悪性腫瘍に上皮由来のものも多く、上皮性癌細胞、線維芽細胞や筋細胞へも効率良く遺伝子導入のできることからAAVベクターが適している。導入遺伝子の長期発現を望める点も有利である。本研究においてもAAVベクターを用いたsFlt-1遺伝子導入により卵巣癌細胞で機能的なsFlt-1蛋白の発現が認められ、本法が腹水産生悪性腫瘍の有効な治療法となりうることが示唆された。

審査要旨 要旨を表示する

婦人科癌のなかで卵巣癌は患者の半数以上が進行期で診断され、腹水貯留を伴うことが多い。腹水貯留は腫瘍の大きさとともに余後不良因子であり、卵巣癌の治療において腹水貯留の抑制は原発巣の治療と同様に重要な課題である。本研究は、卵巣癌の主な進展様式の一つである腹腔内播腫に伴う腹水貯留の抑制に遺伝子治療を応用することを目的として、動物実験モデルを用いた基礎実験を行った。RMG-1ヒト卵巣癌細胞にアデノ随伴ウイルス(AAV)ベクターを用いて、強力な血管透過性亢進作用と血管内皮細胞増殖作用を持つ血管内皮増殖因子(VEGF)に対する内因性阻害因子であるsFlt-1遺伝子を導入し、sFlt-1発現による血管内皮細胞増殖阻害効果と腹水貯留抑制効果をin vitroでの血管内皮細胞増殖能とマウス卵巣癌腹水貯留モデルにおいて検討し、下記の結果を得ている。

 1. ヒト卵巣癌細胞株RMG-1細胞の培養上清を回収し、ヒトVEGF測定用ELISAキットで培養上清中のVEGF濃度を定量し、VEGF産生を確認した。In vitroにおいてsFlt-1およびNeo AAVベクターあるいはNeo AAVベクターのみを用いてRMG-1細胞に遺伝子導入をクローンを得た。抗sFlt-1抗体を用いたWestern blottingにおいてNeo発現クローンではsFlt-1蛋白の発現を認めず、sFlt-1発現クローンでは細胞抽出液、培養上清共にsFlt-1蛋白の発現を認めた。

 2.In vitroにおけるsFlt-1発現細胞増殖能を検討するため、1x105個のNeo発現細胞あるいはsFlt-1発現細胞を撒き48-,72-,96-時間後に細胞数を計数したところ、In vitroにおいてNeo発現クローンとsFlt-1発現クローンに増殖能の差を認めなかった。これによりsFlt-1発現は腫瘍細胞の細胞分裂に影響のないことが示された。

 3. VEGFの血管内皮細胞増殖作用に対するsFlt-1の阻害作用を検討した。25%のNeo発現細胞培養上清存在下の20ng/mIVEGFによる増殖刺激でHUVECは5日間で70%の細胞数増加を示した。この血管内皮細胞に対するVEGFの細胞増殖作用は25%のsFlt-1発現細胞培養上清存在下では完全に阻害された。In vitroではVEGFに誘導された血管内皮細胞増殖の効率的な抑制がみとめられた。

 4.In vivoにおけるsFlt-1持続発現による腫瘍形成及び腹水貯留に対する効果を検討した。ヌードマウスに2x107個/匹のNeo発現細胞(5匹)あるいはsFlt-1発現RMG-1細胞(5匹)を腹腔内移植したところ、5週後にはsFlt-1発現RMG-1細胞移植群において腹水貯留量、腹水中の腫瘍細胞数、赤血球数は有為に低値を示した。直径2mm以上の腹腔内播腫巣の腫瘍数はsFlt-1発現RMG-1細胞移植群において有為に少なかった。これによりsFlt-1持続発現は腹水貯留、VEGFの血管透過性亢進作用による赤血球漏出および腫瘍増大を抑制することが示された。ヌードマウスに2x107個/匹のNeo発現細胞(6匹)あるいはsFlt-1発現RMG-1細胞(6匹)を腹腔内移植し生存期間を検討したところ、sFlt-1発現RMG-1細胞移植群の平均生存期間は70日であり、Neo発現細胞移植群の55日に比しWilcoxon検定上有為に長かった。これには腹水貯留の抑制と播腫巣の増大抑制が関与すると考えられた。

 以上、本論文はRMG-1ヒト卵巣癌細胞にAAVベクターを用いて、VEGFに対する内因性阻害因子であるsFlt-1遺伝子を導入し、sFlt-1発現による血管内皮細胞増殖阻害効果と腹水貯留抑制効果をin vitroでの血管内皮細胞増殖能とマウス卵巣癌腹水貯留モデルにおいて示した。本研究は、最近、臨床応用の始まった卵巣癌に対する遺伝子治療を用いて、これまで報告されていた血管内皮細胞増殖阻害効果と腫瘍増大抑制効果のみでなく、sFlt-1発現による腹水貯留抑制効果をはじめて示したものであり、本法が腹水産生悪性腫瘍の有効な治療法となりうることを示唆し、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク