学位論文要旨



No 116417
著者(漢字) 梁,一強
著者(英字)
著者(カナ) リョウ,イッキョウ
標題(和) エストロゲンの肥満抑制作用とその中枢機序について
標題(洋)
報告番号 116417
報告番号 甲16417
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1812号
研究科 医学系研究科
専攻 生殖・発達・加齢医学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堤,治
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 講師 門脇,孝
 東京大学 講師 平田,恭信
 東京大学 講師 関根,孝司
内容要旨 要旨を表示する

【目的】

 エストロゲン(E2)は動脈硬化症、骨粗鬆症などの疾患の病因に深く関与していることが知られている。一方、肥満は複数の生活習慣病の危険因子を併せ持つ病態として注目されている。肥満のコントロールに関与するものとして食欲の調節機構が重要である。

 閉経後の女性は肥満する傾向があり、ホルモン補充療法により体重と体脂肪の増加が抑制されることが報告されている。E2の肥満抑制作用の機序の一つとして、中枢神経系では視床下部にある摂食中枢と満腹中枢の関与が注目されている。また、エストロゲンレセプター(ER)としてこれまで知られていたER-αとは別の、βタイプ(ER-β)が発見され、脳では広い範囲での存在が確認されている。

 今回、これらの報告を背景として、E2による肥満抑制効果とその機序を明らかにするため、その肥満モデル動物の摂食量に対する影響について検討した。特に中枢におけるE2の肥満抑制作用の機序の解明を目的とした。

【方法】

(1) 自由摂食でのE2の皮下補充

 雌性Wistarラット8週齢24匹をSham operation群(Sham)、両側卵巣の摘除群(OVX)、OVX後にE2を補充する群(OVX+E2)の3群に分けた。E2補充はOVXの1週間後、corn oilで希釈したestradiol dipropionateを皮下注射により投与した。他の2群にはcorn oilのみを投与した。

(2) 制限摂食でのpair-feedingのE2の皮下補充

 雌性Wistarラット8週齢24匹を自由摂食群と同様の3群に分けた。E2補充はOVXの1週間後、corn oilで希釈したestradiol dipropionateを皮下注射により投与し、他の2群にはcorn oilのみを投与した。

(3) E2脳室内投与

 雌性Wistarラット8週齢20匹にOVXを行い、水溶性β-estradiol(E2)群と2-Hydroxypropyl-β-cyclodextrin(vehicle)群の2群に分け脳室内投与した。頭蓋内に、Alzet Brain infusionキットを挿入、カニューラを皮下に通してOsmotic minipumpを接続し、側腹部皮下に埋め込んだ。術後回復後、Osmotic minipumpを交換し、E2群には0.25ug/0.5ul/hrのE2を投与、vehicle群には同量の2-Hydroxypropyl-β-cyclodextrinを2週間持続投与した。

(4) E2+ERアンチセンスODN脳室内投与

 雌性Wistarラット8週齢53匹にOVXを行い、E2+ER-αアンチセンスODN、E2+ER-αスクランブルODN、E2+ER-βアンチセンスODN、E2+ER-βスクランブルODNの4群に分けた。E2の脳室内投与と同様の手法で、E2とアンチセンスODN(1μg/0.5ul/hr)もしくはスクランブルODN(1μg/0.5ul/hr)を投与した。

(6) ノーザンブロット解析

 ラットの皮下脂肪組織及び脳を摘出後、acid guanidium thiocyanate-phenl-chloroform法によりtotal RNAを抽出した。次に、total RNA 20μgあるいは40μgを1%アガロースゲルにて電気泳動後、ナイロンメンブレンにトランスファーした。ラットcDNAプローブをPCRプライマーを用い、RT-PCRにより作成しシークエンスを確認後、[α-32P]-dCTPでラベルリングし、ハイブリダイズした。プローブのラベリングは、ランダムプライム法により行った。メンブレンは2×SSC-0.1% SDS、0.2×SSC-0.1% SDSで処理し、Kodak X線フィルムに-80℃下で2日間から10日間感光し、現像した。

(7) ウエスタンブロット解析

 摘出後のラットの脳を、4℃の生理食塩水で洗浄後、濾紙で水分を取り除き、Complete protease inhibitor cocktail錠を添加したPBSを加え、4℃でホモジナイズし、さらに3,000rpm30分遠心分離後、その上清を蛋白サンプルとして分注し、使用するまで-80℃で保存した。次に、組織蛋白上清サンプルを使用直前に4℃で溶かし、15,000rpmで5分間遠心分離し、上清を組織抽出液のサンプルとして用い、蛋白濃度はBio-Rad protein assay(Bio-Rad)を用いて測定した。サンプルバッファーを加え、5分間95℃で熱処理後10% SDS-polyacrylamideゲルで電気泳動後、蛋白をニトロセルメンブレンに転写した。その後、TBSに5% fat free milkと1% BSAを添加し、4℃で1時間ブロッキングを行った。一次抗体にはER-α抗ラット抗体またはER-β抗ラット抗体を用い、4℃で16時間反応させた。TBS Tween-20で20分間3回洗浄を繰り返してから、TBSに二次抗体horseradish-peroxidase標識抗rabbit IgG抗体を添加し、4℃で2時間反応させた。なおメンブレンをTBS-Tにて20分間3回洗浄後、蛋白の発現はECL法により検出した。

【結果】

(1) 自由摂食下でのOVXおよびE2の皮下補充のラット体重・体脂肪及び摂食量に対する効果

 OVX後1週間では、Sham群より体重が有意に増加していた。E2補充群ラットでは、補充1週間後に体重の増加が有意に抑制され、さらに補充2週間後に体重がSham群と同水準まで減少した。OVX群ではOVX後3週間まで、Sham群と比較して有意な体重増加が認められた。腹部皮下脂肪重量はOVX群がSham群に比して、有意に増加しており、E2補充によりその影響は消失した。また、内臓脂肪(大網)でも、OVX群がSham群に比して有意に増加し、E2の補充によりその影響は消失した。

 摂食量は、術後2日目まで3群とも一時的な摂食量の低下が認められた。その後全群で摂食量の増加があったものの、5日目以後はOVX群ではSham群に比して有意な増加が認められた。さらにE2補充群においては、E2補充9日目からOVX群に比して摂食量が有意に抑制され、Sham群とほぼ同量となった。血圧は、3群間での血圧の差は認められず、血中エストラジオール濃度はOVXでは低値を示し、E2皮下投与群ではOVX群の2倍程度に上昇した。また、皮下脂肪中のPAI-1、TNF-αについて、ノーザンブロットでmRNAレベルでの発現を確認したところ、いずれも3群間での差は認められなかった。

(2) 制限摂食でのpair-feedingのOVXおよびE2皮下補充のラット体重・体脂肪及び摂食量に対する効果制限摂食では自由摂食のOVX群で認められた体重増加が消失し、皮下脂肪重量および内臓脂肪(大網)重量も増加が認められなかった。

(3) E2の脳室内持続投与によるラット体重・体脂肪及び摂食量に対する影響

 摂食量はvehicle群と比較して有意に抑制され、形態的な変化としても、E2投与ラットでは非投与ラットと比べ明らかに肥満が解消された。体重の増加は、摂食量と同様にE2投与群ではvehicle群に比較して有意に抑制された。血圧は両群の差は投与中の全過程で認めらなかった。皮下投与群と脳室内投与群の比較でも差は認められなかった。血中エストラジオール濃度は、3群で差は認められなかった。

 また、皮下脂肪重量および内臓脂肪(大網)重量に対する影響は、皮下脂肪重量はE2投与群では有意な増加抑制が見られたが、内臓脂肪重量での増加抑制作用は有意ではなかった。

(4) ERアンチセンスODNの脳室内持続投与によるラット体重・体脂肪及び摂食量に対する効果

 ER-αアンチセンスODNの投与では、E2の体重抑制作用の減弱作用は見られなかった。ER-βアンチセンスODNの投与により、E2の体重抑制作用は有意に減弱された。ノーザンブロットでは、ER-βの遺伝子発現はER-αアンチセンスODN、ER-αスクランブルODN、ER-βアンチセンスODN、ER-βスクランブルODN群の4群とも差が認められなかった。また、ER-αの遺伝子発現も4群間の差は認められなかった。ウエスタンブロット法では、ER-βの発現は、ER-βアンチセンスODN脳室内の投与によりER-βスクランブルODN群と比較し有意な減弱は認められず、ER-αアンチセンスODN、ER-αスクランブルODNおよびER-βスクランブルODNの脳室投与では差が認められなかった。さらに、ER-αの発現はER-αアンチセンスODNの脳室内投与によりER-αスクランブルODN群と比して有意な減弱は認められず、ER-βアンチセンスODN、ER-βスクランブルODNおよびER-αスクランブルODNの脳室内投与では差が認められなかった。

【考察】

 近年、肥満は複数の動脈硬化危険因子を併せ持つ病態として注目されており、また、性ホルモンと肥満や動脈硬化についても様々な報告がなされている。

 閉経後女性では動脈硬化のリスクが増加し、心血管疾患の発病率が高くなるということが知られている。

一方ホルモン補充療法によって動脈硬化性疾患の発症は、約50%に抑制されたという報告がある。閉経後女性における動脈硬化の進展に、E2欠乏そのもののリスクだけではなく、E2欠乏による肥満の促進が関与している可能性も示唆されている。

 閉経後女性の肥満では内臓脂肪が著しく増加するとの報告から、E2が内臓脂肪の蓄積を抑制する可能性が考えられた。そこで、OVXラットを用いて、その体重、脂肪量の変化を計量した。さらに、OVX後に肥満をきたしたラットで、内臓脂肪と皮下脂肪の蓄積の相違についても検討した。3週間後、OVXラットでは体重がShamの1.2倍(OVX:208.75±3.87g vs.Sham:240.63±2.58g)に増加していたが、E2の補充により、その増加は抑制された(OVX+E2:214.22±2.26g)。OVXラットでは体重が増え、E2補充で体重の減少が見られたとの報告とも一致しており、これは従来の報告にあった閉経後女性が肥満をきたすことを説明できる現象と考えられる。

 さらにその時点での脂肪重量の変化について検討した。前腹部から採取した皮下脂肪と内臓脂肪(大網脂肪)を採取し、それぞれの重量を計量した。その結果、皮下脂肪、内臓脂肪ともOVX3週間後に有意に増加し、2週間のE2補充でその増加が抑制された。E2の脂肪重量に対する影響は、内臓脂肪と皮下脂肪との間では有意な差は認められなかった。その他の臨床研究でも、5年間以上の長期的な検討では、閉経後女性に対するE2補充により体重減少するとともに脂肪の蓄積も減少し、特に体幹部の脂肪は減少し、肥満型に比して非肥満型の方がE2の補充による脂肪組織の減少は著明であったという報告がある。一方、短期間のE2補充では、placebo群の方が補充群に比べ、体重は有意に増加していたが、体脂肪のパーセンテージ(% body fat)やBMIやW/Hは変化が見られなかったとの報告がある。E2は、短期間ではまず体重に影響し、脂肪には遅れて作用する可能性が考えられる。

 次に、E2の低下とともに肥満をきたす要因について検討を加えたところ、OVX後3週間で3群間での体重の差は認められず、OVX群の体重増加が抑制された。また皮下脂肪と内臓脂肪重量の変化の検討では、群間差が認められなかった。これらの結果から、OVXラットの体重および脂肪重量の増加は摂食量の増加が原因と考えられた。

 Pair-feedingでの検討から、E2が食欲中枢に作用して摂食量を抑制し、肥満が抑制された可能性があると考えられたので、水溶性のE2を直接中枢核内に投与する実験を行ったが、対照群との差は見られなかった。そこで次に脳室全体にE2を投与する検討を行った。OVXラットにVehicle群とE2群に分けて脳室内持続投与を行ったところ、E2投与群の摂食量は有意に抑制された。E2が中枢に作用していることが確認できたので、次にER-α、ER-βいずれのレセプターを介しているのかを検討した。E2と同時にERアンチセンスODNを脳室内投与した結果、ER-βアンチセンスODNの投与によりE2の摂食及び体重抑制作用が減弱されたにもかかわらず、ER-αアンチセンスODNでは減弱作用は認められなかった。本実験によりE2の肥満抑制作用は中枢のER-βを介していると考えられた。

 以上、エストロゲンは中枢を介した摂食抑制作用があると考えられ、その摂食抑制の機序として中枢神経に存在するER-βの関与が示唆された。VMHはER-αは存在するがER-βは存在しないようである。また今回の基礎検討ではVMHに対するE2の投与では摂食は低下しなかった。これらの結果も、E2の摂食抑制作用がER-βを介している可能性を支持する。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は女性ホルモンであるエストロゲンの抗肥満作用およびその機序、特に食欲中枢に対する作用を明らかにする目的で、卵巣摘出(OVX)ラットを用いた動物実験にて検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

 1. 自由摂食下でのOVXラットとエストロゲン皮下補充ラットとの比較検討では、エストロゲン補充群で体重の増加が有意に抑制され、OVX群では有意な体重増加が認められ、また腹部皮下脂肪重量・内臓脂肪(大網)とも、OVX群が比して有意に増加し、エストロゲンの補充によりその影響は消失した。摂食量は、OVX群で有意な増加が認められ、エストロゲン補充群においては、OVX群に比して摂食量が有意に抑制された。

また、制限摂食下でのOVXラットとエストロゲン皮下補充ラットとの比較検討では、自由摂食のOVX群で認められた体重増加が消失し、皮下脂肪重量および内臓脂肪(大網)重量も増加が認められなかった。これらの結果から、OVXラットの体重および脂肪重量の増加はエストロゲンの欠落による摂食量の増加が原因と考えられた。

 2. エストロゲンをラットの脳内に持続投与して検討したところ、摂食量は有意に抑制され、E2投与ラットでは非投与ラットと比べ明らかに肥満が解消され、体重の増加も有意に抑制された。また、皮下脂肪重量はE2投与群では有意な増加抑制が見られたが、内臓脂肪重量での増加抑制作用は有意ではなかった。この結果からエストロゲンが中枢に作用していることが確認された。

 3. 中枢への作用がER-α、ER-βいずれのレセプターを介しているのかを検討するため、エストロゲンと同時にERアンチセンスODNを脳室内投与した結果、ER-βアンチセンスODNの投与によりエストロゲンの摂食及び体重抑制作用が減弱されたにもかかわらず、ER-αアンチセンスODNでは減弱作用は認められなかった。これらによりエストロゲンの肥満抑制作用は中枢のER-βを介していると考えられた。

 以上、本論文はエストロゲンが中枢を介した摂食抑制作用を有し、その摂食抑制の機序として中枢神経に存在するER-βの関与が示唆されると考えられることを明らかにした。また、その作用が室傍核(paraventricular nucleus:PVN)を介している可能性があることを明らかにした。本研究は、閉経後女性にとって重要な問題である肥満の抑制に対するエストロゲンの作用について新たな知見を加えるものであり、学位の授与に値するものと考えられる。

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