学位論文要旨



No 116431
著者(漢字) 新井,眞
著者(英字)
著者(カナ) アライ,マコト
標題(和) ネコにおける脊髄電気刺激末梢神経誘発電位による軽度脊髄圧迫のモニタリング : 電気生理学的な脊髄運動機能モニタリング法の開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 116431
報告番号 甲16431
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1826号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 助教授 本間,之夫
 東京大学 助教授 高取,吉雄
 東京大学 講師 宇川,義一
 東京大学 講師 森田,明夫
内容要旨 要旨を表示する

【目的】

 現在行われている脊髄誘発電位による術中モニタリングシステムにおいて充分に捕捉しえないものの1つに髄節レベルでの灰白質障害がある。白質よりも灰白質の方が易損性であり、術後の運動麻癖を予防するには、より鋭敏なモニターとして灰白質のモニターを行うことが臨床上有用である。最も汎用されている脊髄刺激脊髄誘発電位では、術野となる脊髄背側に電極を置くことが多く、これは主として脊髄後側索、後索の白質伝導路を経由する知覚路の電位であるため、脊髄の腹側にある灰白質やその前角を通る運動路の機能障害を早期に発見することができない。われわれは脊髄を電気刺激した際に末梢神経から記録される電位に注目し、これが灰白質を経由する電位を含むことを明らかにし、運動ニューロンプールへの直接的な圧迫や、その近傍圧迫に対するこの電位の応答を観察した。本研究の目的はより鋭敏な脊髄機能のモニターになりうる脊髄誘発電位の記録の可能性について検討することである。

【対象と方法】

 成ネコ25匹(体重2.3〜4.8kg)を用いた。塩酸ケタミン50mg/kgの筋注にて麻酔導入し、気管切開後、酸素、笑気とハロセンの混合吸入麻酔とした。補液と薬剤の投与のため、左鼠径部より大腿静脈をカニュレーションした。大腿動脈にもカニュレーションを行い、血圧と心拍数をモニターした。実験中は常に収縮期血圧が100mmHg以上になるように、麻酔濃度の調節と、昇圧剤の投与を適宜行った。直腸温を測定し、赤外線ランプと保温マットを使用して体温を36〜37℃に維持した。左前肢の腕神経叢を展開し、筋皮神経の上腕二頭筋への筋枝、正中神経、尺骨神経を同定、切離し、断端を遊離して記録用銀線電極を設置した。L5椎体をクランプして脳定位固定装置に固定後、頚椎(C2〜T1)および腰椎(L2)の椎弓を切除し、顕微鏡下に硬膜を縦切開した。また左前肢背側より深橈骨神経を同定し、同様に記録電極を設置した。電位を測定する1時間以上前に笑気とハロセンの投与を中止し、酸素のみの投与とし、α-クロラロースの静脈投与(50mg/kg)により麻酔を維持した。臭化パンクロニウムの静注にて非動化し、人工呼吸器を用いて1回換気量40ml×20回/分の設定で人工換気した。脊髄の呼吸性変動を抑制するため、両側に気胸を作成した。

 刺激電極には単極タングステン電極を用い、C2椎弓レベルの脊髄背側正中表面より1mmの深さに刺入した。不関電極は同レベルの傍脊柱筋内に置いた。刺激は0.3msecの矩形波で強度は0.1〜2mA、3Hzで行った。まず前肢末梢神経に誘発される電位の起源を調べるため、高頻度刺激の後、頚髄神経根を順に一本ずつ切離し、電位の変化を観察した。次に圧迫実験を行った。L2椎弓レベルの脊髄背側正中表面より1mmの深さに記録用単極タングステン電極を刺入、脊髄誘発電位を同時記録した。圧迫は顕微鏡下にC6髄節背側に、表面が5×5mmの滑らかなアクリル製圧迫子を置き、3分毎に0.5mmずつ3mmまで漸増圧迫した。進める度に上腕二頭筋枝、深橈骨神経での末梢神経誘発電位とL2での脊髄誘発電位を記録した。末梢神経誘発電位の第2波と脊髄誘発電位の第1電位の振幅と潜時を比較検討した。(図1)

【結果】

 正中神経、尺骨神経から記録された末梢神経誘発電位は、多峰性で後根切断によりほとんど消失した。一方、上腕二頭筋枝より記録された末梢神経誘発電位は二峰性の波であり(図2)、第1波は高頻度刺激に追随し、C6後根の切断によって消失した。第2波は高頻度刺激により振幅が減高し、C6前根を切断すると消失した。深橈骨神経より記録された末梢神経誘発電位も二峰性であり、第1波はC7およびC8後根の切断によって消失した。第2波はC7前根を切断すると著明に振幅が減高した。

 次にC6髄節の圧迫を進めていくと、脊髄誘発電位の第1電位は1mm圧迫時に軽度の振幅増大を示した後に漸減し、3mm圧迫では圧迫前の76.2%となった。上腕二頭筋枝より記録された末梢神経誘発電位の第2波は圧迫とともに早期から振幅が減少し、3mm圧迫時では圧迫前の55.3%となった。両群間の振幅減少の差は経時的に有意に拡大し、また1.5mm以外の各圧迫時点における振幅減少にも有意差を認めた(図3)。また深橈骨神経より記録された末梢神経誘発電位の第2波では圧迫の影響は比較的少なく、3mm圧迫時の振幅は圧迫前の73.8%であった。上腕二頭筋枝の第2波との間で2mmおよび2.5mmの圧迫時に有意差を認めた。いずれも潜時の遅延には有意差はなかった。

【考察】

 頚髄を電気刺激した際に前肢末梢神経から誘発される電位は、正中神経、尺骨神経といった複数の筋枝や広範囲の知覚領域に由来する知覚枝の複合からなる神経では多峰性で、後根切断によりほとんど消失した。上腕二頭筋枝、深橈骨神経といった知覚枝を含まない運動神経からは二峰性の波形が得られた。この二峰性波の第1波は後根切断により著明に減弱し、高頻度刺激に追随したことから、主に後根を経由し、後索を上行するIa群の神経線維による電位であると考えられる。第2波は高頻度刺激により減弱したが、後根切断には影響を受けず、前根切断により消失したことから、第2頚髄から後側索の皮質脊髄路あるいは赤核脊髄路を下行し、介在ニューロンを介して運動ニューロンにつながる運動路で、灰白質前角でシナプスを変え前根を経由する運動ニューロンの活動電位である可能性が高い(図4)。従って第2波は介在ニューロンの存在する中間層を含めた前角を中心とする脊髄灰白質の機能を反映する。神経根切断実験の結果から、上腕二頭筋枝の運動ニューロンはC6髄節に、深橈骨神経の運動ニューロンは主にC7髄節に存在することが明らかとなった。

 運動ニューロンの存在する髄節を急性に漸増圧迫した場合、脊髄誘発電位と比較して、圧迫を受けた髄節に由来する末梢神経誘発電位の第2波は、圧迫早期より振幅の減少をきたした。その理由として灰白質が血行に富み圧迫に対して出血などの病理変化を来たしやすいこと、シナプスを介する経路であるため伝達効率が悪いことなどが考えられる。また頭側の隣接髄節を圧迫した場合には、末梢神経誘発電位の第2波の振幅減少は小さかった。よって灰白質は直接の圧迫には鋭敏であるが、隣接髄節の圧迫にはそれ程影響を受けず、灰白質のモニタリングには目標とする髄節に由来する運動性の末梢神経から電位を記録することが重要となる。

 従来のモニタリング方法では知覚路と運動路を分離し、かつ髄節ごとに監視することは不可能であった。本法により今まで困難であった上肢の運動機能、特に頚髄の灰白質における前角細胞の機能障害を電気生理的にとらえることが可能である。髄節支配のはっきりしている運動性の末梢神経誘発電位を記録できれば、手術操作によって最も早期に影響を受けやすい髄節のモニタリングができるので、脊髄運動機能のモニタリングの精度が向上し得る。

図1: 実験模式図

SPE-PNEPはC2椎弓レベルの脊髄後索を刺激し、筋皮神経の上腕二頭筋枝、深橈骨神経のほか正中神経・尺骨神経から記録した。SPE-SCEPはL2椎弓レベルの脊髄後索から記録した。圧迫実験では上腕二頭筋枝の運動ニューロンプールの存在するC6髄節を背側より、500μm/3minのステップで3mmまで漸増圧迫した。Bi:biceps brachii muscle branch, DR: deep radial nerve

図2: 上腕二頭筋枝から記録されたSPE-PNEPは二峰性波であり、振幅は基線から陽性波の高さ、潜時は刺激から陽性波の頂点までの時間を測定した。

図3: C6髄節急性圧迫実験における上腕二頭筋枝からのSPE-PNEPの第2波とSPE-SCEP第1電位との比較。両者間で0.5mmと1.5mmの圧迫時点を除いて振幅の減少に有意差(p<0.05)を認める。

図4: SPE-PNEPの経路

第1波は主に後根を経由し、一部は後索を上行するIa群の神経線維の活動電位である。

第2波は、後側索を通る皮質脊髄路あるいは赤核脊髄路を下行し、介在ニューロンを介して運動ニューロンにつながる運動路の可能性が高い。

審査要旨 要旨を表示する

 現在行われている脊髄誘発電位による術中モニタリングシステムにおいて充分に捕捉しえないものの1つに髄節レベルでの灰白質障害がある。本研究は、安定した電位測定が可能で、より鋭敏な脊髄運動機能のモニターになりうる脊髄誘発電位の記録の可能性について検討することを目的として、頚髄を電気刺激した際に上肢末梢神経から記録される誘発電位、即ちPeripheral nerve evoked potentials after electric stimulation to the spinal cord(SPE-PNEP)を、電気生理的に機能解剖の比較的よくわかっている成ネコを用いて記録し、運動ニューロンプールヘの直接的な圧迫や、その近傍圧迫に対するこの電位の応答を観察したものである。その結果下記のことがわかった。

1. C2を電気刺激した際に前肢末梢神経より記録されるSPE-PNEPは、上腕二頭筋枝、深橈骨神経といった運動神経では二峰性波であった。一方、正中神経、尺骨神経といった運動枝と知覚枝の混合神経では、多峰性となった。

2. 起源を調べるべく神経根切断実験を行ったところ、上腕二頭筋枝ではC6神経根後根切断により第1波が、前根切断で第2波が消失した。深橈骨神経では同様にC7神経根切断により大きく波形が減弱したことから、上腕二頭筋枝の運動ニューロンプールはC6髄節に、深橈骨神経ではC7髄節に主要な運動ニューロンが存在することが明らかとなった。正中神経から記録された多峰性波は、C7、C8後根切断により消失、尺骨神経の多峰性波は、C8、T1後根切断により消失し、前根由来の波形は小さく描出できなかった。

3. 二峰性波における第1波は高頻度刺激に追随し、後根切断により著明に減高したことから、主に後根を経由し、一部は後索を上行するIa群の神経線維を逆行する活動電位であると考えられた。第2波は高頻度刺激によって振幅が減少し、前根切断により著明に減高したことから、主に灰白質前角の運動ニューロンの活動電位であり、運動ニューロンにシナプス結合する介在ニューロンも含めた中間層と前角を中心とする脊髄灰白質の機能を反映すると考えられた。

4. C6髄節に軽度の圧迫を加えたところ、上腕二頭筋枝より記録されるSPE-PNEPの第2波は、腰髄から記録した脊髄刺激脊髄誘発電位よりも有意な振幅低下をきたした。すなわち灰白質の圧迫に対して、その灰白質でシナプスを経由する電位が、軸索を経由する電位より鋭敏であった。

5. また同じ圧迫に対して、上腕二頭筋枝より記録されるSPE-PNEPの第2波は、運動ニューロンの存在する髄節が異なる深橈骨神経より記録されるSPE-PNEPの第2波よりも有意な振幅低下をきたした。C6髄節は、深橈骨神経の運動ニューロンプールの存在する髄節の頭側近傍となり、介在ニューロンに入力する前の上位ニューロンの軸索が圧迫を受けることになる。この場合も運動ニューロンの存在する髄節の灰白質を圧迫された上腕二頭筋枝から記録される電位の方が鋭敏であった。

 以上のことから、髄節支配のはっきりしている運動性の末梢神経誘発電位を記録できれば、手術操作によって最も早期に影響を受けやすい髄節のモニタリングができ、脊髄運動機能のモニタリングの精度が向上し得る可能性が示された。今までの脊髄誘発電位の研究では、髄節由来の電位に注目し、髄節レベルでの圧迫に対する末梢神経誘発電位の鋭敏性について細かく言及したものはない。本論文の内容は今後の術中モニタリング法についても重要な示唆を与えるものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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