学位論文要旨



No 116434
著者(漢字) 三浦,俊樹
著者(英字)
著者(カナ) ミウラ,トシキ
標題(和) アデノウィルスベクターによる脊髄損傷治療に関する基礎的研究
標題(洋)
報告番号 116434
報告番号 甲16434
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1829号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 加我,君孝
 東京大学 助教授 朝戸,裕貴
 東京大学 助教授 中田,隆夫
 東京大学 助教授 中福,雅人
 東京大学 講師 森田,明夫
内容要旨 要旨を表示する

[目的]成熟哺乳動物の中枢神経では、一旦損傷された神経軸索の再生はほとんどおこらないとされているが、再生がおこらないメカニズムはまだ十分には解明されていない。近年、培養神経細胞を用いて神経栄養因子による細胞内シグナル伝達経路の解明が進み、神経栄養因子による神経突起伸長に古典的MAPキナーゼ系であるRas-Raf-MEK-ERK系の活性化が重要な役割を果たしていることが明らかになってきた。本研究の目的は、アデノウィルスベクターを用いた恒常活性型のMEK1遺伝子の導入によって神経細胞におけるextracellular-signal-regulated kinase(ERK)の活性化を誘導し、これによって神経細胞の軸索再生を促し、脊髄損傷の治療を図ることである。

[方法]β-ガラクトシダーゼ遺伝子、あるいはMEK1の218番目と222番目のセリンをグルタミン酸に置き換えた恒常活性型MEK1変異体遺伝子を組み込んだ非増殖型アデノウィルスベクター(各々LacZウィルス、CA-MEKウィルス)はCOS-TPC法で作製した。CA-MEKウィルスの生物学的活性のin vitroでの検討はラット褐色細胞腫由来の細胞株であるPC12細胞を用いて行った。MEKの過剰発現およびMEKの下流にあるERK1およびERK2の発現とリン酸化を、各々抗MEK抗体、抗ERK抗体、抗リン酸化ERK抗体を用いたウェスタンブロッティング法で確認後、遺伝子導入によるPC12細胞の神経突起伸長への効果を検討した。次に、5から6週令の雄SDラットの第10胸髄完全切断モデルを用いてアデノウィルスベクターによる遺伝子導入のin vivoでの検討を行った。脊髄切断部断端にLacZウィルスあるいはCA-MEKウィルスを注入した後、経時的に潅流固定し、脳と脊髄の凍結切片を作製した。LacZウィルス感染後のβ-ガラクトシダーゼ活性、CA-MEKウィルス感染後のERKのリン酸化は各々X-gal組織染色、抗リン酸化ERK抗体による免疫染色により検討した。脊髄損傷ラットを切断直後にCA-MEKウィルスを注入した群(CA-MEKラット、n=11)、LacZウィルスを注入した群(LacZラット、n=8)、何も加えなかった群(Txラット、n=8)に分け、下肢運動機能を週1回、切断後6週までBBB open field locomotor rating scaleを用いて評価した。観察終了後、再切断実験、WGA-HRPによる軸索の順行性標識実験、あるいは電気生理学的解析を行った。

[結果]PC12細胞にCA-MEKウィルスを感染させると神経栄養因子の刺激なしにERKの活性化が誘導され、神経突起伸長がおこった。また、若年ラットの脊髄完全切断モデルではCA-MEKウィルスを切断端に注入すると、注入部近傍のみならず脳内の赤核などの神経核の神経細胞でもERKの活性化が誘導された。CA-MEKウィルスの投与により完全切断後の下肢機能は2週後からLacZラットやTxラットに比べて有意に回復した。この回復は再切断により失われた。WGA-HRPを用いた順行性標識では切断部を越えて軸索が標識されることを確認した。更に、下肢機能が回復したCA-MEKラットでは切断部を越えて脊髄誘発電位が記録された。

[考察]アデノウィルスベクターを用いることで神経細胞にin vitroのみならずin vivoでも遺伝子導入が可能であることが明らかとなった。CA-MEKウィルスの注入による脊髄完全切断ラットの下肢機能回復は、赤核などの運動神経細胞でCA-MEK遺伝子導入により軸索の再生が促進され、下行路が機能的にも再結合したためと考えられた。これらの結果は、軸索再生能力を賦活化させることによって自発的な回復の見込めない成体哺乳動物の脊髄損傷を回復させることが可能であることを示している。今後神経細胞の細胞内シグナル伝達経路の詳細な検討によって、さらに有効な治療法の開発が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本研究は、脊髄損傷を治療する目的で、神経栄養因子による神経突起伸長の際に細胞内で活性化される細胞内シグナルに着目して、培養細胞とラット脊髄に組み換えアデノウィルスベクターを用いた遺伝子導入を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. 交感神経細胞様の褐色細胞腫由来の細胞株であるPC12細胞に恒常活性型MEK1遺伝子をアデノウィルスベクターを用いて遺伝子導入するとMAPキナーゼであるERKが活性化され、神経突起伸長が誘導されることが示された。

2. 若年ラットの胸髄を切断し、β-ガラクトシダーゼ遺伝子を組み込んだアデノウィルスベクターを注入すると、注入部局所の脊髄内のみでなく赤核や青斑核等の脳内神経核の神経細胞においても導入遺伝子が発現することがX-gal染色によって示された。恒常活性型MEK1遺伝子を組み込んだアデノウィルスベクター注入後は同様の部位に抗リン酸化ERK抗体による免疫染色での陽性像が確認された。

3. 胸髄を完全切断したラットにアデノウィルスベクターを感染させた後、6週後まで下肢機能評価を行ったところ、切断のみのラットやβ-ガラクトシダーゼ遺伝子を組み込んだアデノウィルスベクターを感染させたラットではほとんど機能回復が起こらないのに対して、恒常活性型MEK1遺伝子を組み込んだアデノウィルスベクターを感染させると2週後から下肢機能の部分的な回復が起こることが示された。

4. 下肢機能回復のメカニズムを調べるために、再切断実験、赤核脊髄路の順行性標織実験、脊髄誘発電位測定が行われた。回復した下肢機能は再切断により失われること、回復のあったラットでは切断部よりも尾側で標織された軸索が観察され、また切断部の吻側で脊髄を電気刺激すると尾側で誘発電位が記録されることが示された。以上のことから、恒常活性型MEK1遺伝子を組み込んだアデノウィルスベクター感染後の下肢機能回復は導入遺伝子により赤核などの運動神経軸索の再生が促進されたためと考えられた。

 以上、本論文は培養細胞とラット脊髄において、アデノウィルスベクターによる遺伝子導入が可能であることのみならず、恒常活性型MEK1を導入しMAPキナーゼを活性化すると神経突起伸長が誘導され、若年ラットでは胸髄完全切断後の下肢機能回復の誘導も可能であることを明らかにした。本研究の基礎的な実験結果はこれまで不可能と考えられていた脊髄損傷の治療に重要な貢献をすると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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