学位論文要旨



No 116436
著者(漢字) 臼井,智彦
著者(英字)
著者(カナ) ウスイ,トモヒコ
標題(和) 角膜内皮細胞における細胞外基質産生と水輸送に関する新しい知見
標題(洋)
報告番号 116436
報告番号 甲16436
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1831号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 田原,秀晃
 東京大学 教授 五十嵐,隆
 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 助教授 川島,秀俊
 東京大学 講師 木村,健二郎
内容要旨 要旨を表示する

角膜は眼球の最も表層に位置する無血管透明組織であり、眼球を光学系で考えた場合、光路の入り口である。よって光刺激を中枢神経系へ伝達する場合、まず角膜が透明でなければならない。角膜内皮細胞は5層から構成される角膜において最も内側に位置する一層の細胞群であり、前房水に接している。内皮はバリアー機能とポンプ機能により、角膜実質の含水率をコントロールし、角膜厚を一定に保つという角膜透明性維持に大変重要な役割を果たしている。しかし角膜内皮は生体内で分裂を行わないため、内皮細胞数減少や種々の侵襲による角膜内皮細胞のジャンクション破壊は、バリアー機能とポンプ機能のバランスを妨げ、臨床的にしばしば問題になる。すなわち角膜内皮細胞の機能低下、破綻は角膜浮腫、水疱性角膜症を誘発し、角膜の透明性に大きな障害を及ぼすことになる。しかし内皮細胞機能不全に対する効果的な治療法がない現状から、内皮細胞の機能を分子レベルから解析することにより、角膜内皮をターゲットとした新しい治療法の開発が望まれている。

 角膜の含水率を一定に保ち、透明性を維持する為、具体的に角膜内皮機能上重要なことは、(1)ジャンクション(バリアー)機能の保持、(2)ポンプ機能の維持、この二点である。生体内で角膜内皮細胞が増殖しない為、角膜内皮が何らかの障害を受け、細胞が脱落した場合、角膜の透明性維持にはその欠損を塞ぐ必要がある。この為に細胞外基質(ECM)産生調節による細胞の伸展、拡大、遊走の調節が重要になる。これらの細胞運動を調節するには角膜内皮のECM産生制御のメカニズム解明が必要である。そこでECMの産生制御を担う代表的なサイトカインであるtransforming growth factor-β(TGF-β)による角膜内皮細胞におけるECM産生制御について検討した。

 角膜内皮の基底膜を構成する代表的なECMであるラミニン(LN)はTGF-β刺激を培養角膜内皮細胞に加えることによりその産生が促進された。変異型TGF-βI型受容体を遺伝子導入することによりTGF-βのLN産生作用がI型受容体を介した直接作用であることが確認された。さらにLNはI型受容体下流のシグナル伝達物質であるSmad2,Smad3,Smad4,Smad7による産生調節を認めた。

 またヒアルロン酸を合成する酵素であるヒアルロン酸合成酵素(Hyaluronan synthase,HAS)について検討した。角膜内皮には分子レベルでHAS1,HAS2,HAS3全てのisoformが発現し、HAS1,HAS2は蛋白レベルで角膜組織に発現していた。HASの発現調節を検討するため、TGF-βやPDGF-BB刺激を培養角膜内皮細胞に加えたところ、HAS1,HAS3の産生に関与しなかったが、HAS2の発現を促進した。またLNの実験同様Smad2,Smad3,Smad4,Smad7を介したHASの発現調節が観察され、TGF-βはSmadを細胞内シグナル伝達物質としてHASの発現を調節することによりヒアルロン産の産生を調節していると考えられた。

 次に角膜内皮における水輸送メカニズムの解明の為、水輸送や細胞内pH調節の機能を持つNa+/HCO3- cotransporter(sodium bicarbonate cotransporter,NBC-1)の角膜内皮における発現を検討した。RT-PCR、免疫染色により角膜内皮にNBC-1が発現していることを確認した。細胞内pHを測定することにより、ナトリウム依存性、クロール非依存性で、DIDSに感受性のある、起電性を持つイオントランスポーターの機能的発現を角膜内皮に認め、それはNBC-1であると考えられた。NBC-1は角膜内皮で実質から前房に向かう水輸送を担う重要なコンポーネントと考えられ、その機能低下により角膜障害が生じる可能性が示唆された。

 このような角膜内皮細胞に重要な機能分子を分子レベルから解析することは、将来角膜内皮の機能制御を生体内へ応用する基礎になると思われる。すなわちTGF-βの作用を制御することにより創傷治癒促進や細胞保護に臨床応用される可能性がある。また内皮の水輸送、イオン輸送機構を解明し、分子レベルからそれらを制御することは角膜浮腫に対する治療法開発に大きく貢献するであろう。臨床応用を踏まえ、生体内で検討することが今後の課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 角膜内皮細胞は角膜の透明性維持に重要な役割を果たしており、内皮細胞の機能破綻は重篤な角膜浮腫を招くため、この細胞の機能を解析することは視機能維持のため大変重要である。このような背景から本研究では角膜内皮細胞の細胞外基質産生と水輸送に関するメカニズムを明らかにするため、角膜内皮におけるTGF-βの細胞内シグナル伝達機構、イオン輸送体の発現を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1.TGF-βによるラミニン産生調節の分子メカニズム

 培養角膜内皮細胞にTGF-β刺激を加えたところ基底膜を構成する代表的な細胞外基質であるラミニン(LN)の産生が促進した。Constitutively active TGF-β type 1 receptor(TβR-I)cDNAを培養細胞に強制発現したところ、LNの産生が促進され、またDominant negative TβR-I cDNAを遺伝子導入すると、TGF-β刺激を加えてもLNの産生が抑制された。このことからTGF-βによるLN産生はTβR-Iを介した直接作用であることが確認された。またTβR-I下流の細胞内シグナル伝達分子であるSmadのLN産生に対する影響を、Smad cDNAを培養細胞に強制発現することにより観察したところ、Smad2,Smad3,Smad4の遺伝子導入によりTGF-βによるLNの産生はさらに促進され、これらSmadの相加効果も見られた。またSmad7の強制発現により、TGFβによるLNの産生は抑制され、Smad7はTβR-I下流のシグナル伝達におけるnegative feedbackを担っていると考えられた。

2.ヒアルロン酸合成酵素の発現調節

 ヒアルロン酸(HA)は細胞運動や細胞のcoatingに関する働きを持つ重要な細胞外基質であり、HAを産生する酵素であるヒアルロン酸合成酵素(Hyaluronan synthase;HAS)の角膜内皮における発現とその調節機構について検討した。培養角膜内皮細胞には分子レベルでHAS1,HAS2,HAS3全てのisoformが発現し、HAS1,HAS2は蛋白レベルで角膜組織に発現していた。HASの発現調節を検討するため、TGF-βやPDGF-BB刺激を培養内皮細胞に加えたところ、HAS2のみ産生が促進された。またLNの実験同様Smad2,Smad3,Smad4,Smad7を介したHAS2の発現調節が観察され、TGF-βはSmadを細胞内シグナル伝達物質としてHASの発現を調節することにより、HAの産生を調節していると考えられた。

3.角膜内皮細胞におけるNBCの発現

 角膜内皮細胞における水輸送メカニズムの解明のため、水輸送や細胞内pH(pHi)調節機能を持つ、Na+/HCO3- cotransporter(NBC-1)の角膜内皮における発現を検討した。培養ヒト角膜内皮細胞にはRT-PCRの結果NBC-1の発現を認め、またヒト角膜組織において蛋白レベルでNBC-1が角膜内皮細胞に発現していた。次に培養内皮細胞に対しpHiの測定をフルオロフォトメトリーで観察したところ、ナトリウム依存性、クロール非依存性で、DIDSに感受性のある、起電性を持つイオントランスポーターの機能的発現を認め、それはNBC-1であると考えられた。

 以上、本論文は角膜内皮に重要なTGF-βによる細胞外基質産生の分子メカニズムやイオン輸送体の発現を検討、解析したものである。TGF-βの作用を調節、制御することにより角膜内皮の創傷治癒や細胞保護に臨床応用される可能性がある。また内皮の水輸送、イオン輸送機構の解明により、角膜浮腫の治療法開発の一助になると考えられる。本研究は、将来角膜内皮をターゲットとした機能調節、制御を生体内へ応用する基礎となると考えられ、学位の授与に値するものと考える。

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