学位論文要旨



No 116438
著者(漢字) 蕪城,俊克
著者(英字)
著者(カナ) カブラギ,トシカツ
標題(和) ヘルペス網膜炎におけるケモカインの役割
標題(洋)
報告番号 116438
報告番号 甲16438
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1833号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩倉,洋一郎
 東京大学 教授 木村,哲
 東京大学 教授 山本,一彦
 東京大学 教授 北村,唯一
 東京大学 教授 田原,秀晃
内容要旨 要旨を表示する

【序論及び研究目的】

 急性網膜壊死(別名:ヘルペス網膜炎、桐沢型ぶどう膜炎)は、単純ヘルペスウイルス、又は帯状庖疹ウイルスによる網膜炎で、高度の網膜血管炎による血流障害から網膜壊死を起こし、また高頻度に網膜剥離を合併し、しばしば高度の視力障害を来す。近年、アシクロビルなどの抗ウイルス薬や、網膜剥離に対する硝子体手術の普及によって予後は改善しつつあるが、それでも視力予後は矯正視力0.1未満の症例が17-52%、0.4以上の症例が39-48%程度とされ、眼炎症疾患の中でも最も重篤な疾患の一つである。

 ヘルペス網膜炎の動物モデルとして、マウスを用いたヘルペス網膜炎モデルが報告されている。これは、マウスの片眼(右眼)にヘルペスウイルスを前房内あるいは硝子体内に眼内注射し、約1週間後にウイルスが動眼神経、及び視神経を伝って他眼(左眼)に伝播して発症する網膜炎を観察する動物実験モデルで、通常眼内注射の際の外傷が影響する可能性のない他眼(左眼)を観察する。実際の急性網膜壊死においても、約3分の1の症例は他眼にも網膜炎が発症する事から、人においても同様のウイルス伝播が起きているものと推測されている。

 マウスヘルペス網膜炎では、ウイルス感染による網膜細胞の直接的障害に加えて、感染細胞に対する免疫学的炎症反応、つまり白血球浸潤が網膜障害の拡大に重要な意味を持つと考えられている。しかし、その浸潤白血球の詳細なサブタイプの検討はこれまでに報告されていない。また、眼内に浸潤する炎症細胞の役割については、抗体の静脈投与によりT細胞、NK細胞を除去したマウスでの報告はなされているが、好中球については検討されていない。

 一方、ケモカインは白血球遊走及び活性化能を持つサイトカインの一群で、様々な炎症性疾患で発現が認められ、炎症の成立に重要な働きを持つ事が近年明らかとなってきている。ケモカイン受容体の発現は、白血球のサブタイプに特異性があることから、各々のケモカインにより遊走される白血球のサブタイプが異なる事が知られている。白血球の活性化、炎症局所への血管外遊走は炎症反応の成立に重要な役割を担っているため、白血球浸潤の制御を目的としてケモカイン、ケモカイン受容体を標的とした新しい炎症疾患に対する治療の可能性が近年示唆されている。

 しかし、ヘルペス網膜炎におけるケモカインの発現及びその役割については、未だ明らかになっていない。これらの背景から、本研究はヘルペス網膜炎におけるケモカインの関与及びその役割を明らかにする事、さらにはケモカインを標的とした網膜炎の新しい治療法の確立を目標として実施した。

【結果】

1. ヘルペス網膜炎の浸潤白血球の解析

 マウスヘルペス網膜炎を発症した左眼の眼球サンプルに対し、白血球表面マーカー抗体に対する免疫染色を行い、浸潤白血球のサブタイプを同定した。時間経過を追って白血球サブセットの割合には変化が見られ、網膜炎早期には好中球、NK細胞が多く、後期にはT細胞、B細胞、マクロファージが増加した。この結果は、ヘルペスウイルス感染後、まずinnate immunityを司る好中球、NK細胞が眼内に浸潤し、数日遅れてacquired immunityを担当するT細胞、B細胞の浸潤が増加する事を意味すると考えられた。

2. ケモカインmRNAの眼内発現の検討

 マウスヘルペス網膜炎におけるケモカインmRNAの眼内での発現をRT-PCRで検討した。ケモカインmRNAは、網膜炎の発症前には認められず、網膜炎の発症後に認められた事から、ケモカインの発現と網膜炎の発症には時間的な相関があると考えられた。今回調べた7種類のケモカインの内、眼内で発現していたケモカインは5種類で、MIP-2,MCP-1,Mig,IP-10は高度の発現がみられ、MIP-1αは低レベルの発現が見られた。一方LARCとTARCは発現がほとんどみられなかった。MIP-2は好中球を、Mig,IP-10,MIP-1αは丁細胞(特にTh1細胞)を、MCP-1は単球、マクロファージを主に遊走するケモカインであり、これらの細胞はいずれもヘルペス網膜炎で眼内に浸潤している白血球であった。これらの結果より、網膜炎の発症にケモカインが関与している可能性が考えられた。

3. ヘルペスウイルス網膜炎におけるケモカインの眼内での発現部位の検討 ヘルペスウイルス網膜炎を発症した眼球の凍結切片に対し、抗MIP-2抗体、抗IP-10抗体を用いて、免疫染色を行った。MIP-2、IP-10とも発現部位は、主に網膜内顆粒層で、一部網膜色素上皮層、視神経節細胞層にも発現が認められた。内顆粒層は、双極細胞、Muller細胞、アマクリン細胞などから構成されており、これらの細胞のいずれかがケモカインを分泌していると考えられた。

4. 抗MIP-2抗体のマウスヘルペス網膜炎における治療効果の解析

 MIP-2は、ヘルペスウイルス網膜炎において早期から眼内に発現し、網膜炎早期の好中球浸潤に関与している可能性が考えられた事から、MIP-2に対する抗体をヘルペスウイルス網膜炎マウスにin vivoで投与し、ヘルペス網膜炎に対する治療効果を検討した。抗MIP-2抗体投与は、ヘルペス網膜炎モデルにおける左眼への好中球浸潤を抑制し、網膜炎の発症を遅延、抑制したが、眼内のウイルス量には有意な影響を与えなかった。抗MIP-2抗体投与によってヘルペス網膜炎で早期に浸潤する主な白血球である好中球の浸潤が抑制された事で、左眼での網膜炎の進展が遅延され、結果的に網膜炎の発症率が抑制されたのではないかと考えられた。

5. ヘルペス網膜炎マウスへの抗IP-10抗体投与実験について

 抗IP-10抗体の隔日投与は、コントロール抗体投与に比べ、ヘルペス網膜炎モデルにおける両眼へのT細胞浸潤が抑制した。また、右眼及び左眼の眼内のウイルス量を増加させた。さらに、左眼の網膜炎の発症は抗IP-10抗体投与により早まり、累積発症率は有意に増加した。また、Th1遊走性の3つのケモカイン(IP-10,Mig,MIP-1α)の眼内発現を定量的RT-PCRで検討したところ、IP-10はMig,MIP-1αよりも早期から眼内に発現する事が確認された。

この事からIP-10はマウスヘルペス網膜炎においてMig,MIP-1αよりも主要なケモカインとして眼内へのTh1細胞の遊走に関与していると推測された。

これらの結果は、抗IP-10抗体投与が、ヘルペス網膜炎における眼内へのT細胞浸潤を抑制し、その結果眼内からのウイルス除去を遅らせる事を示唆する。

【考察及びまとめ】

 本研究により、マウスヘルペス網膜炎モデルにおいて、網膜炎発症と時期を同じくして眼内に種々のケモカインの発現する事が明らかになった。ケモカインの眼内での発現部位を免疫染色で検討した結果、MIP-2、IP-10共に主に網膜内顆粒層に発現し、一部網膜色素上皮層、視神経節細胞層にも発現が認められた。この結果から、網膜内顆粒層のMuller細胞、網膜色素上皮層の網膜色素上皮細胞などが、ケモカインの産生源ではないかと推測された。マウスヘルペス網膜炎に抗MIP-2抗体を静脈投与する事により、左眼への好中球浸潤が抑制され、網膜炎の発症率が低下したが、眼内ウイルス量には影響を及ぼさなかった。この結果から、抗MIP-2抗体投与は、ヘルペス網膜炎に対する消炎を目的とした治療効果があるものと考えられた。また、抗MIP-2抗体はヘルペス網膜炎以外のぶどう膜炎、眼内炎に対する治療法としても利用できる可能性が考えられた。一方、抗IP-10抗体をマウスヘルペス網膜炎に投与すると、眼内へのT細胞浸潤が抑制され、眼内ウイルス量が増加した。左眼の網膜炎の発症は抗IP-10抗体投与により早まり、累積発症率は有意に増加した。また、眼内のIP-10,Mig,MIP-1αに対するRT-PCRの結果、IP-10はウイルス増殖を抑制するサイトカインIFN-γを分泌するTh1細胞の感染巣への浸潤に主要な役割を担っていると考えられた。

 抗MIP-2抗体、抗IP-10抗体投与実験の結果は、MIP-2,IP-10がそれぞれの特異的白血球の眼内浸潤を介して網膜炎の発症及びウイルス除去に関与している事を示唆する。さらに、これらの結果は、ケモカインに対する抗体やantagonistが、ヘルペス網膜炎を含めた眼炎症性疾患の治療に役立つ可能性をも示唆するものと考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 ヘルペス網膜炎(別名:急性網膜壊死、桐沢型ぶどう膜炎)は、単純ヘルペスウイルス、又は帯状庖疹ウイルスによる網膜炎で、高度の網膜血管炎による血流障害から網膜壊死、網膜剥離を起こし、しばしば高度の視力障害を来す、眼炎症疾患の中でも最も重篤な疾患の一つである。ヘルペス網膜炎の動物モデルであるマウスヘルペス網膜炎モデルは、マウスの片眼(右眼)にヘルペスウイルスを前房内あるいは硝子体内に眼内注射し、約1週間後にウイルスが動眼神経、及び視神経を伝って他眼(左眼)に伝播して発症する網膜炎を観察する動物実験モデルである。

 一方、ケモカインは白血球遊走及び活性化能を持つサイトカインの一群で、様々な炎症性疾患で発現が認められ、炎症の成立に重要な働きを持つ事が明らかとなって来ている。

 本研究はヘルペス網膜炎におけるケモカインの関与及びその役割を明らかにする事、さらにはケモカインを標的とした網膜炎の新しい治療法の確立を目標として実施したものであり、以下の結果を得た。

1. ヘルペス網膜炎の浸潤白血球の解析

 マウスヘルペス網膜炎を発症した非注射眼(左眼)に浸潤する白血球サブセットの割合には時間経過を追って変化が見られ、網膜炎早期には好中球、NK細胞が多く、後期にはT細胞、B細胞、マクロファージが増加した。この結果は、ヘルペスウイルス感染後、まずinnate immunityを司る好中球、NK細胞が眼内に浸潤し、数日遅れてacquired immunityを担当するT細胞・B細胞の浸潤が増加する事を意味すると考えられた。

2. ケモカインmRNAの眼内発現の検討

 マウスヘルペス網膜炎における眼内でのケモカインmRNA発現をRT-PCRで検討した。ケモカインmRNAは、網膜炎の発症前には認められず、網膜炎の発症後に認められた。MIP-2,MCP-1,Mig,IP-10は高度の発現がみられ、MIP-1αは低レベルの発現が見られた。一方LARCとTARCは発現がほとんどみられなかった。MIP-2は好中球を、Mig,IP-10,MIP-1αはT細胞(特にTh1細胞)を、MCP-1は単球、マクロファージを主に遊走するケモカインであり、これらの細胞はいずれもヘルペス網膜炎で眼内に浸潤する白血球であった。これらの結果より、網膜炎の発症にケモカインが関与している可能性が考えられた。

3. ヘルペスウイルス網膜炎におけるケモカインの眼内での発現部位の検討

 ヘルペスウイルス網膜炎の組織切片に対する抗MIP-2抗体、抗IP-10抗体を用いた免疫染色の検討から、MIP-2、IP-10は主に網膜内顆粒層に発現し、一部網膜色素上皮層、視神経節細胞層にも発現する事が確認された。内顆粒層は、双極細胞、Muller細胞、アマクリン細胞などから構成されており、これらの細胞のいずれかがケモカインを分泌していると考えられた。

4. 抗MIP-2抗体のマウスヘルペス網膜炎における治療効果の解析

 ヘルペス網膜炎モデルにおける抗MIP-2抗体の静脈投与は、左眼への好中球浸潤を抑制し、網膜炎の発症を遅延、抑制したが、眼内のウイルス量には有意な影響を与えなかった。抗MIP-2抗体投与によってヘルペス網膜炎で早期に浸潤する主な白血球である好中球の浸潤が抑制された事で、左眼での網膜炎の進展が遅延され、結果的に網膜炎の発症率が抑制されたのではないかと考えられた。

 5.ヘルペス網膜炎マウスへの抗IP-10抗体投与実験について

 ヘルペス網膜炎モデルにおける抗IP-10抗体の投与は、コントロール抗体投与に比べ、両眼へのT細胞浸潤を抑制し、両眼の眼内ウイルス量を増加させた。さらに、左眼の網膜炎の発症は抗IP-10抗体投与により早まり、累積発症率は有意に増加した。また、Th1遊走性の3つのケモカイン(IP-10,Mig,MIP-1α)の眼内発現を定量的RT-PCRで検討した結果、IP-10はMig,MIP-1αよりも早期から眼内に発現する事が確認された。この事からIP-10はマウスヘルペス網膜炎においてMig,MIP-1αよりも主要なケモカインとして眼内へのTh1細胞の遊走に関与していると推測された。

 以上、本論文はヘルペス網膜炎におけるケモカイン発現とMIP-2、IP-10の役割について明らかにした。本研究は、ヘルペス網膜炎の発症におけるケモカインの関与と言う新しい視点を提供するとともに、ヘルペス網膜炎も含めた様々な眼炎症性疾患に対するケモカインを標的とした新しい治療の可能性を示唆するもので、眼炎症の研究において重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考える。

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