学位論文要旨



No 116441
著者(漢字) 近藤,健二
著者(英字)
著者(カナ) コンドウ,ケンジ
標題(和) 有毛細胞特異的単クローン抗体の作成及びこれを用いたニワトリ内耳有毛細胞の発生に関する形態学的研究
標題(洋) Hair cell development in the chick inner ear: a morphological study using a hair cell-specific monoclonal antibody
報告番号 116441
報告番号 甲16441
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1836号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新家,眞
 東京大学 助教授 中福,雅人
 東京大学 助教授 中田,隆夫
 東京大学 助教授 菅澤,正
 東京大学 講師 森山,信男
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】内耳は聴覚平衡覚を司り、quality of lifeと極めて密接にかかわる臓器である。有毛細胞はこの中心的役割を担う細胞であり、音エネルギーや加速度の変化を電気信号に変換する機能を持つ。有毛細胞の発生・分化のメカニズムは基礎科学的に興味ある課題であると同時に、先天性難聴等との関係で臨床的にも極めて重要な課題でありながら、その分子レベルでの解析は未だほとんど進んでいない。

 細胞分化の機構の解析が比較的進んでいる視神経、網膜等の感覚神経系の研究を概観すると、研究の推進のためには(1)特定の細胞種をその分化の初期から光学顕微鏡下で容易に同定するための細胞マーカー、(2)in vivoでの発生過程を再現でき、なおかつ細胞環境の操作を容易にする培養系、など研究の基礎となるツールの確立が必要不可欠であることが分かる。しかしながら内耳では意外にもこのような実験材料・手法の開発は未だ不十分な状況である。

 この点に鑑み、本研究では聴覚研究の代表的な実験動物であるニワトリを用い、まず有毛細胞を特異的に標識する単クローン抗体(2A7抗体)を作成した。2A7抗体のcharacterizationを孵化後及び発生期のニワトリ内耳を用いて免疫組織化学的に行った。続いて組織片を培養液に浮遊させたポリカーボネート膜上で静置して培養する方法(ポリカーボネート膜静置法)を内耳原基である耳胞の器官培養法として新たに導入し、同培養系における耳胞の発生ポテンシャルを組織学的手法及び2A7抗体を用いた免疫組織化学的手法にて検討した。

【有毛細胞特異的単クローン抗体の作成】孵化後2-5日目のニワトリ幼鳥から内耳膜迷路を摘出し、これをホモジェナイズしたのち抗原としてマウスに腹腔内投与し免疫した。このマウスより脾臓を摘出し、ポリエチレングリコールを用いてハイブリドーマを作成した。ハイブリドーマの産生する抗体をニワトリ内耳感覚上皮の免疫組織染色にてスクリーニングしたところ、有毛細胞を特異的に標識する抗体が存在した。これを産生する細胞株を限界希釈法にてクローニングし抗体を精製した(2A7抗体)。

 ニワトリの内耳を含む全身諸臓器における2A7抗体の反応性を凍結切片を用いた蛍光抗体法で調べたところ、2A7抗体は艀化後のニワトリ内耳のすべての感覚上皮(卵形嚢斑、球形嚢斑、半規管膨大部稜、基底乳頭及び壼斑)の有毛細胞のapical regionを標識した。卵形嚢斑の免疫電顕法による観察により、この反応性は有毛細胞のstereocilia, kinocilium及びnon-ciliary apical surfaceにおける反応性を反映することが明らかとなった。内耳膜迷路のその他の細胞種は標識されず、他の臓器では腎に弱い標識がある他は反応を認めなかった。これらの観察から同抗体は有毛細胞に特異的な抗原を認識しているものと考えられた。

 2A7抗体と蛍光phalloidinとの2重染色によって、有毛細胞の2A7抗体による染色パターンはhair bundleの基部付近に反応が限局している型(basal-type2A7-IR)とhair bundleのほぼ全長に渡って反応が存在している型(extended-type2A7-IR)の2種類があることが分かった。卵形嚢斑、球形嚢斑、壼斑の各中央部、半規管膨大部稜の頂部及び基底乳頭のほぼ全域の有毛細胞はbasal-type2A7-IRを有し、一方卵形嚢斑、球形嚢斑、壼斑の各周辺部及び半規管膨大部稜の底部はextended-type2A7-IRを有していた。このような染色型の分布を卵形嚢斑でさらに詳しく検討したところ、同斑ではbasal-type2A7-IRの分布がstriolar regionと呼ばれる組織学的部位とほぼ正確に一致することが判明した。卵形嚢斑のstriolar regionには神経終末の形に基づいて分類されたI型、II型の2種類の有毛細胞が存在することが分かっているが、両者はともにbasal-type2A7-IRを示した。このことより2A7抗体の染色の型は神経終末の形に基づいた従来の有毛細胞の分類に対応するものではなく、場所特異的なものであることが示唆された。

 発生期における検討をニワトリ胚の内耳の連続凍結切片で行ったところ、2A7抗体の標識は前庭では孵卵開始後4.5日目胚に、蝸牛管では同7日目胚に初めて出現した。これらは電顕的に有毛細胞の形態的分化が初めて認められる時期とほぼ一致することから、2A7抗体は分化開始後早期の有毛細胞をも標識可能な抗体であると考えられた。

 また、孵化後のニワトリ内耳における2A7標識の分布、及び発生期のニワトリ内耳における2A7標識の出現時期は抗hair cell antigen(HCA)抗体のそれと若干の差異を認めるものの類似しており、両抗体が関連した抗原部位を認識している可能性が示唆された。

【耳胞器官培養系における有毛細胞の発生と分化】

 培養方法としてはすでに網膜細胞の培養で実績のあるポリカーボネート膜静置法を用いた。本方法では膜の細孔を通じて毛細管現象により培養液が吸い上げられ常に組織表面が最小限の培地の層で覆われるため、aerationが良好であるという利点がある。

 本培養法にて艀卵開始後3日目のニワトリ胚から取り出した耳胞を培養すると、初めは単純な嚢状の形態であった耳胞の内部に次第に襞状の構造が形成された。培養14日目の耳胞をエポキシ樹脂に包埋、切片とし光学顕微鏡で観察すると、このような内腔の一部に分化したhair bundleを有する有毛細胞からなる感覚上皮の形成が認められた。透過電顕で同部を観察すると、これらの有毛細胞はcuticular plateの形成、核の位置の表層化、stereocilia基部のくびれ等の成熟有毛細胞の特徴を有していた。

 過去の研究において、ニワトリ内耳組織のエポキシ樹脂切片をトルイジンブルーで染色すると、蝸牛感覚上皮では有毛細胞は支持細胞に比べ濃染し、一方前庭感覚上皮では有毛細胞は支持細胞に比べやや淡く染まることが報告されている。また透過電顕による観察では蝸牛有毛細胞は支持細胞に比べ非常に高い電子密度を有することが知られている。今回ポリカーボネート膜静置法で14日間培養した耳胞を連続切片で観察したところ、存在する有毛細胞はいずれも前庭型の有毛細胞の像を呈し、蝸牛型の有毛細胞は確認できなかった。このことより、本培養法では主として前庭型有毛細胞への分化が生じていると考えられた。

 先に作成した2A7抗体を11日間培養した耳胞と反応させて光顕・電顕下で観察したところ、in vivoと同様に2A7抗体は有毛細胞のapicalregionを標識しており、同抗体がin vitroで発生した有毛細胞のマーカーとしても使用可能であることが分かった。そこで2A7抗体を用い、同培養系における有毛細胞の発生過程をin vivoのそれと比較検討した。まず培養開始後1,2,3,5,7日目の耳胞から凍結連続切片を作成し2A7反応性の出現時期を検討したところ、3日目の耳胞において初めて標識が認められた。これはin vivoで孵卵開始後約6日目に相当し、従って有毛細胞の分化の開始のタイミングは本培養系でほぼ保たれていることが分かった。さらに培養開始後14日目の組織の2A7抗体による免疫染色ではbasal-type2A7-IRとextended-type2A7-IRを示す有毛細胞がそれぞれ確認され、有毛細胞のsubtypeの分化も培養系内で起こっていることが示唆された。さらに、培養開始後24時間の耳胞を細胞増殖マーカーであるブロモデオキシウリジン(BrdU)を含む培養液で8時間培養し、その後もとの培養液に戻して14日間培養した後凍結切片を作成、2A7抗体と抗BrdU抗体による2重染色を施して観察すると、有毛細胞の約半数はBrdU陽性であることが確認された。このことは培養系で分化した有毛細胞の多くはin vitroで分裂増殖中の前駆細胞から分化したことを示している。近年のレトロウイルスを用いた細胞系譜解析により、有毛細胞への分化の運命決定は前駆細胞の最終分裂期もしくは直後になされることが示唆されており、従ってこのBrdU染色の所見は多くの有毛細胞への分化の決定が培養系内で行われたことを示している。

 以上の結果より、今回用いたニワトリ耳胞の器官培養系ではin vivoにおける有毛細胞の発生過程がかなりの程度で再現されていると考えられた。

【結論】結論として2A7抗体とニワトリ胚の耳胞の器官培養系の組み合わせは有毛細胞の発生・分化のメカニズムの解析に有用な手段となると考えられる。今後各種の増殖因子・神経栄養因子の添加によって分化のタイミングや程度がどのように変化するかを検討することにより、有毛細胞の発生・分化の機構がより詳細に解析できるものと期待される。

 また、2A7抗体の認識する抗原の機能については現在のところ不明であるが、2種類の染色型(basal-type2A7-IRとextended-type 2A7-IR)を示す有毛細胞の生理学的特性を比較することによりこれが明らかになると期待される。同時にこの検討は前庭感覚上皮における機能的局在を解明する糸口となる可能性がある。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は内耳有毛細胞の発生・分化のメカニズムの解析のための基礎的ツールとなる(1)有毛細胞をその分化の初期から光学顕微鏡下で容易に同定するための細胞マーカー、及び(2)in vivoでの発生過程を再現でき、なおかつ細胞環境の操作を容易にする発生期内耳組織の培養系の開発を試みたものであり、下記の結果を得ている。

1. ニワトリ幼鳥から摘出した内耳膜迷路組織を抗原としてマウスを免疫し、免疫組織化学的スクリーニングにより有毛細胞を特異的に標識する単クローン抗体(2A7抗体)を作成した。2A7抗体は孵化後のニワトリ内耳のすべての感覚上皮の有毛細胞のapical regionを標識し、さらに免疫電顕法による観察により、この標識は有毛細胞のstereocilia,kinocilium及びnon-ciliary apical surfaceに分布することが示された。内耳膜迷路のその他の細胞種は標識されず、また他の臓器では腎に弱い標識がある他は反応を認めなかったことから同抗体は有毛細胞に特異的な抗原を認識しているものと考えられた。

2. 2A7抗体と蛍光phalloidinとの2重染色によって、有毛細胞の2A7抗体による染色パターンはhair bundleの基部付近に反応が限局している型(basal-type2A7-IR)とhair bundleのほぼ全長に渡って反応が存在している型(extended-type2A7-IR)の2種類があることが示された。前庭有毛細胞には神経終末の形に基づいて分類されたI型、II型の2種類の有毛細胞が存在するが、I型有毛細胞が基本的にbasal-type2A7-IRを示したのに対し、II型有毛細胞ではbasal-type2A7-IRを示す細胞とextended-type2A7-IRを示す細胞が場所特異的に分布していた。この結果から、従来神経終末の形により単純に2種類に分類されていた前庭有毛細胞のうち、特にII型有毛細胞についてはsubtypeの存在が示唆された。

3. 発生期における検討では、2A7抗体の標識は前庭では孵化開始後4.5日目胚に、蝸牛管では同7日目胚に初めて出現した。これらは電顕的に有毛細胞の形態的分化が初めて認められる時期とほぼ一致することから、2A7抗体は分化開始後早期の有毛細胞をも標識可能な抗体であると考えられた。

4. 艀化後のニワトリ内耳における2A7抗体標識の分布、及び発生期のニワトリ内耳における2A7抗体標識の出現時期は抗hair cell antigen(HCA)抗体のそれと若干の差異を認めるものの類似しており、両抗体が関連した抗原部位を認識している可能性が示唆された。

5. 組織片を培養液に浮遊させたポリカーボネート膜上で静置して培養する方法(ポリカーボネート膜静置法)を内耳原基である耳胞の器官培養法として新たに導入した。先に作成した2A7抗体を有毛細胞のマーカーとして用い、同培養系における有毛細胞の発生過程をin vivoのそれと比較検討したところ、(1)有毛細胞の分化の開始のタイミングは本培養系でほぼ保たれていることが分かった。また(2)basal-type2A7-IRとextended-type2A7-IRを示す有毛細胞が培養系内にそれぞれ確認され、有毛細胞のsubtypeの分化も培養系内で起こっていることが示唆された。さらに(3)細胞増殖マーカーであるブロモデオキシウリジン(BrdU)を用いた検討により、培養系で分化した有毛細胞の多くはin vitroで分裂増殖中の前駆細胞から分化したことが示された。以上の結果より、今回用いたニワトリ耳胞の器官培養系ではin vivoにおける有毛細胞の発生過程がかなりの程度で再現されていると考えられた。

 以上、本研究では聴覚研究の代表的な実験動物であるニワトリを用い、内耳有毛細胞の発生と分化に関する研究に不可欠な研究ツールの開発を行った。本研究の成果である2A7抗体とニワトリ胚の耳胞の器官培養系の組み合わせは今後有毛細胞の発生・分化のメカニズムの解析に大きな貢献をなすと考えられ、さらに2A7抗体による2種類の染色型(basal-type2A7-IRとextended-type2A7-IR)の解析は前庭感覚上皮における機能的局在の解明に大きな示唆を与えると期待される。よって本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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