学位論文要旨



No 116443
著者(漢字) 沈,衛東
著者(英字)
著者(カナ) シン,エイトウ
標題(和) ラットの聴皮質誘発電位と頭頂部中間潜時反応に関する研究
標題(洋)
報告番号 116443
報告番号 甲16443
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1838号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上野,照剛
 東京大学 教授 花岡,一雄
 東京大学 助教授 今泉,敏
 東京大学 助教授 菅沢,正
 東京大学 講師 五嶋,孝博
内容要旨 要旨を表示する

(1)覚醒時の反応と麻酔下の反応の比較

 聴皮質は動物の種類によって脳内での位置と厚さが異なる。ヒトやサルでは、シルビウス溝の深い位置にあるため直接記録が難しい。ネコの第一次聴皮質は、脳表面にあり、suprasylvian sulcusとanterior posterior ectosylvian sulcusによって、その脳表面上での同定が可能である。しかし、ラットの脳は脳溝がほとんどなく、ネコのように肉眼で明確に聴皮質を同定することは困難である。Kellyらは、単一ニューロンの反応より、ラットの第一次聴皮質は新皮質の後外側部に位置すると報告した。同部には脳溝がないため、彼らは、肉眼的な聴皮質の同定は、脳表面の血管走行の図譜を参考にしているが、個体差の存在は否定できない。本研究では彼らの血管走行図譜を参考して4つの半導体ピン電極を脳表面に設置し、その中で最も大きな反応を選んだ。この反応は刺激頻度を増加させると、誘発反応は小さくなり、従来の報告の聴皮質誘発反応と同様の特徴を持っていることが明らかとなった。

 ABRおよび頭頂部中間潜時反応や聴皮質誘発電位のラットの実験では、これまで麻酔下に研究されて来た。覚醒時と麻酔下と比較した報告はネコやモルモットではあるが、ラットではない。本研究の結果、ペントバルビタール、ケタミン麻酔下と覚醒時では頭頂部中間潜時反応のPo,Na,Pa,Nbも聴皮質誘発電位のP1,N2,P2,N3も振幅については統計学的に有意差のあることが明らかとなった。ラットの覚醒時の頭頂部中間潜時反応(middle latency response:MLR)および聴皮質誘発電位の波形はネコ、モルモットとほぼ共通していることが示された。しかし、覚醒時の聴皮質誘発電位および頭頂部のMLRと麻酔下の聴皮質誘発電位および頭頂部のMLRの波形は異なることを示した。すなわち聴皮質誘発電位のP1と頭頂部中間潜時反応のPoは麻酔や音刺激頻度の影響を同時に受けて変化することから、P1とPoが同一の起源に根ざし、聴皮質に起源がある可能性があることが示唆された。

(2)片側および両側聴皮質破壊によるMLRの変化

 中間潜時反応はGeislerが報告して以来、聴皮質のMLRへの関与について、ヒトはGrahamら、KilenyらのMLRのPaに関与するとの報告やParvingら、WoodsらのMLRの成分に影響がないとする報告や、ネコではKagaらのMLRのPaとするものやBuchwaldらのABRのwave7とする報告があり、モルモットではKrausらのMLRの成分に影響ない報告があるが、解剖学的起源はまだ明らかとは言えず、臨床的有用性はまだ確立されているとは言えない。動物実験の報告はほとんどが麻酔下の記録であり、麻酔の影響に関与する考慮が必要で解釈が難しくなる。これまで本研究のようなラットの片側および両側聴皮質の破壊後に覚醒時に記録した報告はない。本実験は半導体レーザーでラットの片側および両側聴皮質破壊実験を行い、ラットの聴皮質破壊前後の聴皮質誘発電位および頭頂部誘発電位を覚醒時に記録し比較検討した。両側聴皮質破壊前後のABRの潜時と振幅は有意な変化を認めなかった(p>0.05)。片側および両側聴皮質破壊前後のMLRの潜時は有意な変化がなかったが、P1N2およびNaPa、PaNbの振幅は有意に減少した(p<0.05)。すなわち、ラットのNa-Pa成分のNaに聴皮質が関与していることが分かった。ネコ、サルの聴皮質破壊の慢性実験およびヒトの両側聴皮質損傷症例では、いずれも長期的な内側膝状体ニューロンの逆行性変性の存在が報告されている。本実験は片側聴皮質破壊後4週間、さらに同一のラットで反対側の聴皮質を破壊後1週間の合計5週間にわたって継時的にMLRを記録した。破壊前後の各波の潜時が変わらず、破壊前と破壊5週間後のNaPaの振幅が有意に変化することから、ラットのMLRのNa-Pa成分に内側膝状体の逆行性変性も関与していることが示唆された。以上よりラットMLRのPo、Na-Pa成分の起源は主に聴皮質と内側膝状体が関与していることが示唆された。Paへの関与はすくないこともわかった。

(3)頭部磁気刺激による頭頂部MLRへの影響の有無

 聴皮質の機能の臨床的検査として頭部磁気刺激は有望であると考えられている。1985年Barkerらにより頭部磁気刺激(Transcranial Magnetic Stimulation)を行うと、脳及び脳神経が興奮するが、脳や神経そのものには障害が生じないと報告されて以来、頭部磁気刺激法は各種神経系疾患の診断や治療に応用されているが、安全性について、まだ解明されていない。すなわち、次の三つの副作用についての有無に関してである:1)けいれん発作誘発、2)聴覚機能への影響、3)大脳皮質障害の有無。

 我々は以上の研究背景のもとに磁気刺激後の蝸牛、脳幹、大脳への影響の有無を調べることにした。すなわち、ラットの頭部に経頭蓋法で最大限の磁気刺激を与え、その前後でABRとMLRを記録し、磁気刺激の聴皮質に与える影響はラットのABR、MLRを指標として調べることにした。さらに、脳への影響も組織学的に検討することにした。

 本実験では頻度25Hz、強度1.6テスラ、合計2010発の連続パルスという強い刺激を両側聴皮質に与えたにもかかわらず、けいれん発作は誘発されなかった。ABRのP1、P2、P3、P4の潜時および振幅は個体の変化を認めたが、統計学的に有意差を認めなかった。MLRのNa、Pa、Nbの潜時および振幅変化の有意差を認めなかった。脳組織には光学顕微鏡レベルでは大脳皮質、皮質下、海馬及び小脳、脳幹、延髄について有意な変化を認めなかった。われわれの実験の範囲では少なくとも内耳にも脳にも影響は生じていないものと考えられた。今後、臨床応用への可能性が期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は中間潜時反応(middle latency response:MLR)の臨床応用の際のデータとしてMLRを構成する各波(Po,Na,Pa,Nb)の起源における聴皮質の関与を明らかにすることを目的としている。そのため、従来困難であった、覚醒時ラットよりの聴性誘発電位測定法を開発し、MLRや聴性脳幹反応(auditory brainstem response:ABR)などの頭頂部誘発電位と聴皮質誘発電位を比較検討した。更に、この系を使用し磁気刺激の聴皮質に与える影響を、ラットのABR、MLRを指標として検討した。

 1. ラット聴皮質の誘発電位の測定方法の開発、覚醒時とペントバルビタール麻酔およびケタミン麻酔の影響を調べた。ラットの覚醒時の頭頂部MLRおよび聴皮質誘発電位の波形はネコ、モルモットとほぼ共通していることが分かった。覚醒時の聴皮質誘発電位および頭頂部のMLRと麻酔下の聴皮質誘発電位および頭頂部のMLRの波形の形状および各波の潜時、振幅は異なることが示された。聴皮質誘発電位のP1と頭頂部中間潜時反応のPoは麻酔や音刺激頻度により同様の変化することから、P1とPoが同一の起源に根ざし、聴皮質に起源がある可能性があることが示唆された。

 2. 半導体レーザーでラットの片側および両側聴皮質破壊実験を行った。片側および両側聴皮質破壊前後のABRの潜時と振幅は有意な変化を認めなかった。片側および両側聴皮質破壊前後のMLRの潜時は有意な変化がなかった。しかし、振幅についてはPlN2およびNaPa、PaNbは有意に減少した。ラットのMLRのNa-Pa成分に聴皮質が関与していることがわかった。Na-Pa成分に内側膝状体の逆行性変性が関与していることもわかった。

 3. ラット両側聴皮質に合計2010発の連続パルス、25Hzの高頻度、1.6テスラの強度という強い刺激を与え、その前後でABRとMLRを記録し、磁気刺激による影響の有無を調べた。さらに、脳への影響の有無も組織学的に検討した。けいれん発作は誘発されなかった。閾値も上昇しなかった。ABRのP1、P2、P3、P4の潜時および振幅は統計的に有意差を認めなかった。MLRのNa、Pa、Nbの潜時および振幅に有意な変化を認めなかった。脳組織には光学顕微鏡レベルでは神経病理学的変化を認めなかった。本実験では高頻度連続パルス頭部磁気刺激後、聴覚末梢および中枢系への影響がないことが明らかになり、臨床応用への可能性が示唆された。

 以上、本論文はラットの覚醒時の新しい記録方法を開発し、聴皮質破壊前後の聴皮質誘発電位および頭頂部誘発電泣を覚醒時に記録可能にした。聴皮質と内側膝状体がラットMLRのNa-Pa成分の起源に関与していることを明らかにした。また本測定を用い高頻度連続パルス頭部磁気刺激は、ラット聴覚末梢および中枢系への影響を与えないことを示した。今後、本測定系はMLRをはじめとする誘発電位の波形の起源解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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