学位論文要旨



No 116445
著者(漢字) 西森,美奈
著者(英字)
著者(カナ) ニシモリ,ミナ
標題(和) 周術期医療の質の向上に関する臨床疫学的研究
標題(洋) An epidemiological approach to improving the quality of perioperative care
報告番号 116445
報告番号 甲16445
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 博医第1840号
研究科 医学系研究科
専攻 外科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学大学院 教授 小林,廉毅
 東京大学大学院 教授 甲斐,一郎
 東京大学大学院 助教授 斎藤,英昭
 東京大学大学院 助教授 五十嵐,徹也
 東京大学大学院 助教授 山田,芳嗣
内容要旨 要旨を表示する

<はじめに>

 モニターや麻酔薬の開発により、麻酔の重大な合併症は稀となった。今後周術期医療の質の向上を目指すには、周術期における患者のQOLの維持、向上が重要である。また、患者の視点からみた医療のアウトカム評価を行うことが、医療裨益者の視点に立った新しい医療評価研究として近年その必要性が認識されている。

 私は、周術期医療の質向上を目指すため、2つの調査を行った。調査1では、多くの周術期患者が経験し、かつ彼らのQOLに悪影響を与えるとされる術前不安の評価法について、調査2では、健康なボランティアである骨髄ドナーの周術期QOL評価を行った。

調査1:the Amsterdam Preoperative Anxiety and Information Scale(APAIS)の日本語版作成および信頼性、妥当性の検討

背景:術前の不安は高頻度かつ、周術期QOLに影響することが分かってきているため、的確に評価する必要がある。不安のような主観的事象を評価する際には、信頼性、妥当性に富む指標を用いることが不可欠である。また、臨床の場でルーチンに活用するには、質問数の少ない、簡潔な指標が求められる。APAISはオランダで開発された4項目の不安スケールと2項目の情報希求度スケールからなる指標であり、上記の条件を満たし、既に英語版も作成され広く用いられている。わが国に簡便な術前不安特異的スケールがなかったため、APAIS日本語版を作成し、その信頼性、妥当性の検討を行った。

方法:APAIS日本語版を作成し、既に日本で広く用いられている不安スケールSTAI(the Spielberger's State-Trait Anxiety Inventory)と共に術前患者137名に配布した。日本語版APAISの信頼性の検討は各下位尺度についてCronbach's alpha係数を求めることで、妥当性の検討は、因子分析(Construct validity)、STAIとの相関(Concurrent validity)、および内外の先行研究結果(女性は男性より術前不安が強い、情報希求度と術前不安は正に相関する)と比較検討する(Clinical validity)ことにより評価した。

結果:Cronbach's alpha係数は、不安スケールで0.84、情報希求度スケールで0.68であった。因子分析では2因子が抽出され、この2因子で全体の分散の70%を占めた。APAIS不安スケールとSTAIとの相関係数は0.66であった。女性、高情報希求度が高術前不安と有意に関連した。

考察:日本語版APAISは信頼性と妥当性が高く、オリジナルのオランダ語版、英語版と同様のscale constructionを示した。簡便なスケールであり、今後、臨床、研究両面で有用である考えられる。

調査2:骨髄採取後におけるドナーの健康関連QOL(Health-related quality of life:HRQOL)に関する研究

背景:骨髄採取術は、健康なボランティアであるドナーが他人のために全身麻酔下に侵襲的手技を受けるという点で特殊であり、手術及び麻酔の侵襲的な側面やその後の日常生活への支障が本人の受けとる健康利益のもとに容認されるという手術の前提が当てはまらない。今後さらに多くのドナーを募るためには、骨髄採取後の日常生活への支障がどの程度のものであるか、長期的な支障は本当にないのかを正確に評価し伝えることが重要である。このような視点からドナーを評価する方法として、日常生活機能を定量化した指標である健康関連QOLが最適と考えられたため、本研究では、代表的な健康関連QOLの指標であるMedical Outcomes Study Short Form 36(SF-36)を用いて骨髄提供前後のドナーQOLの変化を評価した。

方法:1999年4月から2000年3月までの1年間に骨髄移植推進財団を通じて骨髄提供したドナーのうち海外からの提供者を除く全員(565名)を対象に前向きコホート研究を行った(郵送による質問票調査)。SF-36を用いて、骨髄採取直前、退院1週間後、3ヵ月後の3時点でQOLを測定した。退院1週間後には、骨髄採取に伴う各種徴候の程度についても測定した。ドナーの回復パターンをSF-36スコアの変化として定量的に評価し(repeated measures ANOVA)、国民標準値との比較を行った(Student's t-test)。また、退院1週間後のデータを用いて、骨髄移植による各種徴候の程度と同時期のQOLとの関係を評価した(multiple linear regression)。さらに、退院後1週間のQOLの予測因子について評価した(multiple linear regression)。

結果:骨髄採取前のSF-36スコアは、全てのサブスケールにおいて国民標準値より有意に高かった。退院1週間後のSF-36サブスケールのうち、身体機能(PF)、身体機能障害による役割制限(RP)、および痛み(BP)が大きく下がり、国民標準値より1SD前後低かった。しかし、全体的健康観(GH)、および精神状態(MH)は、国民標準値より有意に高かった。退院1週間後において最も頻度の高かった徴候は「骨髄採取部の痛み」と「腰の痛み」であり、その頻度は大きく低下したPE,RR,BPサブスケールスコアと負に関連していた。また、女性および長骨髄採取時間が退院1週間後のPE,RR,BP低値の予測因子であることが分かったが、骨髄採取量、骨髄採取直後のヘモグロビン値はこれを予測しなかった。3ヵ月後には、SF-36の全てのサブスケールスコアが骨髄採取前のレベルに回復していた。

考察:骨髄採取前のSF-36スコアが国民標準値より高かったことから、ドナーのべースラインQOLが一般国民より優れていることがわかった。

 退院1週間後にPF、RP、BPスコアが大きく下がり、さらに「骨髄採取部の痛み」と「腰の痛み」がPF、RPスコアの低下と関連したことから、骨髄採取に伴う痛みが日常生活の基本的身体活動を妨げるほど強く、回復期の主な問題点であることがわかった。

 長骨髄採取時間が回復に影響を与えることは以前にも報告されたが、本研究によって、長骨髄採取時間の術後QOLへの影響は骨髄採取量や貧血を介さない直接的なものであることが分かった。骨髄採取時間が長いドナーでは、腸骨への穿刺回数が多くなり、これが強い疼痛を引き起こすのではないかと考えられた。

 女性であることも回復期低QOLの予測因子であった。痛みの訴え方に男女差があるとする先行研究もあるが、腰痛の関連因子として女性を挙げている研究もある。今後、骨髄採取後の腰痛の程度および発生率における男女差についてさらに調査する必要があると考えられた。

 こういった身体的な問題があるにもかかわらず、回復期のMH(精神状態)、GH(全体的健康観;健康状態の自己評価)は高く、3ヵ月以内に全てのSF-36サブスケールが骨髄採取前の高いレベルに回復していた。

 以上から、ドナーは精神的には骨髄採取術によく耐え、日常生活が長期にわたって妨げられないことが確認された。しかし、骨髄採取後の一時的なQOL低下を最小限にするには、疼痛対策の強化が必要であると考えられた。

全体の考察:患者の視点からみたアウトカム評価は、患者の状況を把握し効果的な介入方法を模索し、その効果を判定する上で重要である。

 APAIS日本語版は、術前患者の不安と情報希求度を短時間に評価でき、不安の強い患者のスクリーニング、術前訪問や患者教育など各種介入への効果判定に有用であると考えられる。

 SF-36は、通常、慢性疾患患者の評価に用いられているが、骨髄採取後回復期という急性期の状態把握にも有用な評価法であることが分かった。骨髄ドナーの評価にSF-36を用いたことによって、骨髄採取に関わる痛みが医療者側の認識より強いものであり、少なくとも退院後1週間にわたってドナーの日常生活を大きく妨げていることから鎮痛対策の強化が必要であることが分かった。また、退院3ヵ月後までにQOLが完全に回復したことが確認できたことは、骨髄採取術の安全性を保証しインフォームドコンセントを得る際に重要な根拠となると考えられる。

 術後回復期を患者QOLという視点から評価する手法は、今後一般外科手術患者にも応用できると考えられる。我が国でも、医療費削減や入院ベッドの有効利用を目的とした入院期間短縮が進められつつあるが、それに従い、術後患者の退院後を評価する必要性が高まると考えられる。例えば、日帰り手術はここ数年のうちに欧米で急速に広まり、我が国でも関心が高まってきているが、手術当日に退院する患者の帰宅後の評価はまだ充分になされていない。周術期患者へのサービスを充実しつつ入院期間の短縮を進めていく上で、また、インフォームドコンセントを得るための正確な情報を得る手段として、術後患者の回復期QOL評価は有用であると考えられた。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、周術期患者のQOLを維持、向上する目的で、

 (調査1) 周術期患者のQOLを下げる要因の一つである術前不安のスケールthe Amsterdam Preoperative Anxiety and Information Scale(APAIS)の日本語版作成およびその信頼性、妥当性の検討

 (調査2)健康なボランティアである骨髄ドナーの周術期QOLを評価し、周術期におけるQOL変化および回復期QOLに影響を与える因子についての評価、検討を行ったものであり、下記の結果を得ている。

1. PAIS日本語版のCronbach's alpha係数は、不安スケールで0.84、情報・希求度スケールで0.68であった。因子分析では2因子が抽出され、この2因子で全体の分散の70%を占めた。APAIS不安スケールとSTAIとの相関係数は0.66であった。女性、高い情報希求度が術前不安の強さと有意に関連し、内外の先行研究による知見と一致した。以上の結果から日本語版APAISの信頼性と妥当性が高いことが確認された。(調査1)

2. ドナーの骨髄採取前のSF-36スコアは全てのサブスケールにおいて国民標準値より高く、ドナーのベースラインQOLが一般国民より良好であることが分かった。(調査2、以下同じ)

3. 退院一週間後のドナーのQOLの身体的側面が大きく低下したのに対し、精神的側面と全体的健康感は高い値を維持したことから、回復期におけるドナーの問題点が主に身体的なものであり、精神的には骨髄採取術に良く耐えていることがわかった。

4. 上記の身体的側面のQOL低下が、同時期の骨髄採取部および腰部の痛みの程度と強く関連していたことから、骨髄採取に伴う痛みが回復期の日常生活を妨げる主な要因であることがわかり、術後疼痛対策の強化が必要であることがわかった。

5. 女性であることおよび骨髄採取時間の長いことが、身体的側面のQOL低下の予測因子であることが分かった。また、現行の骨髄採取量の上限(20ml/kg)以内であれば、骨髄採取量および術後の貧血の程度は回復期QOLに影響しないことがわかった。

6. 骨髄採取3ヵ月後までには、SF-36は全てのサブスケールでベースラインに戻っていることがわかった。

以上、本論文調査1では術前不安特異的スケールであるAPAIS日本語版信頼性、妥当性を確認した。APAISは質問数が少なく短時間で回答できるため、今後、我が国の臨床、研究両面で有用な指標となり、医療の質向上を目指した周術期患者評価に向けて重要な貢献をなすと考えられる。また、調査2では、骨髄ドナーのQOL評価を行い、ドナーのQOLが骨髄採取後長期的に妨げられないことを確認した。さらに骨髄採取直後の問題点を明らかにし、ドナーの身体的負担を軽減するためには疼痛対策を強化すべきという介入可能な新しい知見を得た。

骨髄ドナーのQOLに関する先行研究はなく、本研究により得られた知見は、今後、ドナー候補者からインフォームドコンセントを得る際に提供すべき正確な情報として重要であり、骨髄移植医療に重要な貢献をなすと考えられる。以上から、本研究は学位の授与に値するものと考えられる。

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