学位論文要旨



No 116449
著者(漢字) 森,那美子
著者(英字)
著者(カナ) モリ,ナミコ
標題(和) メチシリン耐性黄色ブドウ球菌の院内感染およびその防止に関する研究
標題(洋)
報告番号 116449
報告番号 甲16449
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1844号
研究科 医学系研究科
専攻 健康科学・看護学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,泰子
 東京大学 教授 大江,和彦
 東京大学 教授 野本,明男
 東京大学 教授 数間,恵子
 東京大学 助教授 菅田,勝也
内容要旨 要旨を表示する

<はじめに>

 院内感染とは、「病院内での微生物接種によって惹起された感染」指す.院内感染を防止するには,他の感染症防止対策と同様に、感染の三要素である感染源・感染経路・宿主を制御する必要がある.病院内には感染源・感染経路・様々な程度の易感染宿主が多数存在する.また感染源である患者は宿主にもなりうる.したがって,院内感染は様々な様式で起こりうるため、院内感染防止対策は柔軟なものでなければならない.

 院内感染症起因菌の中で黄色ブドウ球菌は、菌血症の16.5%、創部感染の17.1%、呼吸器感染の16.1%を占め,いずれにおいても主要な起因菌である.黄色ブドウ球菌の中でも、メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)は治療に有効な抗菌薬がほとんど無いことから,院内感染防止対策上重要である.T病院は,1979年に初めてMRSAを検出した後,常在的に同菌の検出が続いている.院内サーベンランスの始まった1989年以後,感染制御活動により大幅に減少したが,1992年以後はほぼ横ばい状態で,これ以上の制御が困難な状況にある(Fig.1).したがって,院内感染防止対策上,現行のMRSA対策(手指消毒・手洗い・手袋およびマスクの使用・ガウンテクニック・環境整備・器材消毒・隔離など)を徹底させるとともに,あらたな方策の立案・実行が必要となった.今回は,「院内感染防止対策により院内感染を防止すること」および「今後の院内感染防止対策に有効な知見を得ること」を目的として,問題解決指向型の院内感染防止対策の手順「情報収集→分析→対策の立案→対策の実施→対策の評価」に則り,以下の研究を行った.

<研究1.情報収集:T病院で分離したMRSAの生物学的・分子疫学的解析>

 T病院に出現しているMRSAの生物学的および分子疫学的背景を明らかにする目的で,1998年4〜5月に入院患者から分離した全MRSAに対して,生物学的指標(コアグラーゼ型別試験・薬剤感受性分類[EM, CAM, MINO, AMPC, MPIPC, CEZ, GM, AMK, LVFX, IPM, ABK, VCM])・分子疫学的指標(Pulsed-field gel electrophoresis;PFGE)を用いて疫学調査を行った.被検菌株92株中,コアグラーゼII型が86株(93.4%)で,他III型3株・IV型1株・VII型1株・分類不能1株であった.薬剤感受性分類では,ABK・VCMには全ての株が感受性であった.次にMINOおよびGM・AMK・に感受性を示す株が多く,この両者あるいはどちらかに感受性を示したものが86株(93.4%)あった.また、被検菌は平均8薬剤に対して耐性であった.PFGEでは,被検菌の30.4%が同一のバンドパターンを示しており、これらの株をTICSと命名した.PFGEバンドパターン上,TICSと同一起源である株(TICS Family,7パターン)もあわせると,全被検菌の56.5%を占め,それ以外のパターンを示す株(non-TICS,30パターン)と比較して優位であった.TICSおよびTICS FamilyはT病院24病棟中16病棟で出現していたため,院内流行株と位置づけた.

<研究2.分析:T病院院内流行株と院内感染およびoutbreakとの関連の探索>

 T病院におけるMRSA,特に院内流行株の動向を明らかにする目的で,院内流行株と1998年1〜6月における院内感染およびoutbreakとの関連を探索した.本研究では、「1病棟で25日間に3人以上の新規MRSA検出患者が発生した場合」をoutbreakとした.1998年1〜6月に,T病院では院内感染すなわち,新規MRSA検出患者が114人発生した.outbreakは8病棟で9件発生し、そのうち7件に院内流行株が関与していた(Fig.2).outbreakで検出した株(55株)とoutbreak以外で検出した株(散発株;59株)との比較では、院内流行株はoutbreak時に有意に増加していた(P<0.01).したがって,院内流行株は院内伝播しやすく,outbreakに関与していると推定した.

<研究3.分析:院内流行株の起源の探索>

院内流行株の起源を探索する目的で,T病院に1988年1〜12月までの期間に入院していた患者から分離し、保存されていた全てのMRSA70株について,PFGEを行った.この時点では院内流行株TICSは存在せず,TICS Family 2パターンが1株づつ存在していたのみであった.1998年に出現した院内流行株以外のパターンを示す株(non-TICS)のうち,1988年には5パターン(4株・1株・1株・1株・1株)が出現していた.TICSは10年前には存在せず、1988年から1998年の間に,TICS Familyあるいは他の起源から派生したか,市中あるいは他医療機関から持ち込まれ,研究2に示したようにoutbreakを繰り返し,院内に伝播・拡散したと推測した.また,10年の期間を経て同一のパターンを示す株が存在したことから,これらは院内に定着した株で(hospital strain)あると推測した.

<研究4.分析:院内流行株TICSの拡散性に関する特性の検討>

 院内流行株は,T病院に広く拡散しoutbreakを起こしていることから、伝播に有利な特性をもつ可能性があると考えた.MRSAは接触感染で伝播する.感染源から遊離したMRSAは,宿主に付着するまで何らかの感染経路中に留まり,感染の機会を待つ.そこで、乾燥条件下における生存能力と,消毒薬に対する感受性を検討した.乾燥条件下では,無栄養時および栄養存在時(50%ウマ血清添加時)ともに,TICSとnon-TICSでは生存率に差を認めなかった.消毒薬感受性試験では、低濃度(0.005%)クロルヘキシジンに3分間接触した時は、TICSの生存率が有意に高かった.したがって,不適切な消毒薬の使用によって、TICSが選択された可能性がある.またMRSA感染症治療にバンコマイシン(VCM)の静脈注射を用いていることから,VCMへの感受性試験を行ったところ,TICSとnon-TICSの中央値はともに1.0μg/mLで,最頻値はそれぞれ1.0μg/mLと0.75μg/mLであった.MICの分布に有意な差を認めた(p<0.01).VCMの通常使用濃度より低い濃度での現象であるため,VCM治療によってTICSが選択され拡散したとは考えられなかった.低濃度クロルヘキシジンおよび低濃度VCMへの抵抗性は,TICSの拡散性を説明する主要な特性ではないと思われるが,non-TICSと生物活性に何らかの違いがあることを示すものであり,その特性の違いを反映する現象であろうと考えた.

<研究5.対策の立案・実施・評価:T病院胸部外科におけるoutbreakの制御>

 院内流行株がoutbreakに関与していることから,outbreakの制御によって院内流行株の拡散を制御できると考えた.調査期間中に胸部外科病棟でoutbreakが進行していたため,制御策としてムピロシン(MUP)ブランケットユースを実施し、効果を検討した.介入後outbreakは収束し,新規MRSA検出患者が有意に減少した(p<0.01).したがって,MUPブランケットユースの有効性が認められた.

<結論>

 今回の研究により,T病院におけるMRSAによる院内感染について,以下が明らかになった.

(1)T病院には分子疫学的に優位な株(院内流行株)が存在し,院内に広く分布している.

(2)院内流行株は、outbreakに関与している.

(3)院内流行株は,10年前にT病院には存在せず,この10年間のある時点で出現し,院内に拡散した.

(4)院内流行株は低濃度クロルヘキシジンおよび低濃度VCMに対して抵抗性を示す.

(5)MUPブランケットユースによって,院内流行株の関与するoutbreakが制御できた.

 以上をふまえ,今後は既存の院内感染防止対策とともに、消毒薬および抗菌薬の適正使用の指導・確認、適宜MUPブランケットユースを行い,院内流行株を含めたMRSAの院内感染防止対策を推進していく必要があると考える.

 また今後,院内流行株の起源および周辺地域への広がりについて調査し,出現頻度や臨床での振るまいを把握して,出現の危険度やベースラインを設定すること,および拡散性を説明する性質についてのさらなる検討が必要であると考える.

Fig.1 年度別新規MRSA検出患者数

Fig.2 1988年1〜6月までの各病棟におけるoutbreak発生状況

審査要旨 要旨を表示する

<はじめに>

 院内感染症起因菌の中で黄色ブドウ球菌は,菌血症の16.5%,創部感染の17.1%,呼吸器感染の16.1%を占め,いずれにおいても主要な起因菌である.黄色ブドウ球菌の中でも,メチシリン耐性黄色ブドウ球菌(MRSA)は治療に有効な抗菌薬がほとんど無いことから,院内感染防止対策上重要である.T病院は,1979年に初めてMRSAを検出した後,常在的に同菌の検出が続いている.院内サーベンランスの始まった1989年以後,感染制御活動により大幅に減少したが,1992年以後はほぼ横ばい状態で,これ以上の制御が困難な状況にある.したがって,院内感染防止対策上,現行のMRSA対策(手指消毒・手洗い・手袋およびマスクの使用・ガウンテクニック・環境整備・器材消毒・隔離など)を徹底させるとともに,あらたな方策の立案・実行が必要となった.本研究では,「院内感染防止対策により院内感染を防止すること」および「今後の院内感染防止対策に有効な知見を得ること」を目的として,以下の研究を行った.

<研究1.T病院で分離したMRSAの生物学的・分子疫学的解析>

 T病院に出現しているMRSAの生物学的および分子疫学的背景を明らかにする目的で,1998年4〜5月に入院患者から分離した全MRSAに対して,生物学的指標(コアグラーゼ型別試験・薬剤感受性分類[EM,CAM,MINO,AMPC,MPIPC,CEZ,GM,AMK,LVFX,IPM,ABK,VCM])・分子疫学的指標(Pulsed-field gel electrophoresis;PFGE)を用いて疫学調査を行った(研究1-1).被検菌株92株中,コアグラーゼII型が86株(93.4%)で,他III型3株・IV型1株・VII型1株・分類不能1株であった.薬剤感受性分類では,ABK・VCMには全ての株が感受性であった.次にMINOおよびGM・AMK・に感受性を示す株が多く,この両者あるいはどちらかに感受性を示したものが86株(93.4%)あった.また,被検菌は平均8薬剤に対して耐性であった.PFGEでは,被検菌の30.4%が同一のバンドパターンを示しており,これらの株をTICSと命名した.PFGEバンドパターン上,TICSと同一起源である株(TICS Family,7パターン)もあわせると,全被検菌の56.5%を占め,それ以外のパターンを示す株(non-TICS,30パターン)と比較して優位であった.TICSおよびTICS FamilyはT病院24病棟中16病棟で出現していたため,院内流行株と位置づけた.

 T病院における院内流行株の動向を明らかにする目的で,院内流行株と1998年1〜6月における院内感染およびoutbreakとの関連を探索した(研究1-2).本研究では,「1病棟で25日間に3人以上の新規MRSA検出患者が発生した場合」をoutbreakとした.1998年1〜6月に,T病院では院内感染すなわち,新規MRSA検出患者が114人発生した.outbreakは8病棟で9件発生し,そのうち7件に院内流行株が関与していた.outbreakで検出した株(55株)とoutbreak以外で検出した株(散発株;59株)との比較では,院内流行株はoutbreak時に有意に増加していた(p<0.01).したがって,院内流行株は院内伝播しやすく,outbreakに関与していると推定した.

 研究1-2の結果より,院内流行株は,伝播に有利な特性をもつ可能性があると考えた.MRSAは接触感染で伝播する.感染源から遊離したMRSAは,宿主に付着するまで何らかの感染経路中に留まり,感染の機会を待つ.そこで,乾燥条件下における生存能力と,消毒薬に対する感受性を検討した(研究1-3).乾燥条件下では,無栄養時および栄養存在時(50%ウマ血清添加時)ともに,TICSとnon-TICSでは生存率に差を認めなかった.消毒薬感受性試験では,低濃度(0.005%)クロルヘキシジンに3分間接触した時は、TICSの生存率が有意に高かった.したがって,不適切な消毒薬の使用によって,TICSが選択された可能性がある.またMRSA感染症治療にバンコマイシン(VCM)の静脈注射を用いていることから,VCMへの感受性試験を行ったところ,TICSとnon-TICSの中央値はともに1.0μg/mLで,最頻値はそれぞれ1.0μg/mLと0.75μ9/mLであった.MICの分布に有意な差を認めた(P<0.01).VCMの通常使用濃度より低い濃度での現象であるため,VCM治療によってTICSが選択され拡散したとは考えられなかった.低濃度クロルヘキシジンおよび低濃度VCMへの抵抗性は,TICSの拡散性を説明する主要な特性ではないと思われるが,non-TICSと生物活性に何らかの違いがあることを示すものであり,その特件の違いを反映する現象であろうと考えた.

 院内流行株の起源を探索する目的で,T病院に1988年1〜12月までの期間に入院していた患者から分離し,保存されていた全てのMRSA70株について,PFGEを行った(研究1-4).この時点では院内流行株TICSは存在せず,TICS Family 2パターンが1株づつ存在していたのみであった.1998年に出現した院内流行株以外のパターンを示す株(non-TICS)のうち,1988年には5パターン(4株・1株・1株・1株・1株)が出現していた.TICSは10年前には存在せず,1988年から1998年の間に,TICS Familyあるいは他の起源から派生したか,市中あるいは他医療機関から持ち込まれ,研究1-2に示したようにoutbreakを繰り返し,院内に伝播・拡散したと推測した.また,10年の期間を経て同一のパターンを示す株が存在したことから,これらは院内に定着した株で(hospital strain)あると推測した.

<研究2.T病院胸部外科におけるoutbreakの制御>

 院内流行株がoutbreakに関与していることから,outbreakの制御によって院内流行株の拡散を制御できると考えた.調査期間中に胸部外科病棟でoutbreakが進行していたため,制御策としてムピロシン(MUP)ブランケットユースを実施し,効果を検討した.介入後outbreakは収束し,新規MRSA検出患者が有意に減少した(p<0.01).したがって,MUPブランケットユースの有効性が認められた.

<結論>

 今回の研究により,T病院におけるMRSAによる院内感染について,以下が明らかになった.

(1)T病院には分子疫学的に優位な株(院内流行株)が存在し,院内に広く分布している.

(2)院内流行株は,outbreakに関与している.

(3)院内流行株は低濃度クロルヘキシジンおよび低濃度VCMに対して抵抗性を示す.

(4)院内流行株は,10年前にT病院には存在せず,この10年間のある時点で出現し,院内に拡散した.

(5)MUPブランケットユースによって,院内流行株の関与するoutbreakが制御できた.

 以上をふまえ,今後は既存の院内感染防止対策とともに、消毒薬および抗菌薬の適正使用の指導・確認,適宜MUPブランケットユースを行い,院内流行株を含めたMRSAの院内感染防止対策を推進していく必要があると考える.

 また今後,院内流行株の起源および周辺地域への広がりについて調査し,出現頻度や臨床での振るまいを把握して,出現の危険度やベースラインを設定すること,および拡散性を説明する性質についてのさらなる検討が必要であると考える.

 以上,本論文は院内感染におけるMRSAの解析から,院内流行株の存在を明らかにするとともに,院内流行株の生物学的・生態学的特性の解明への糸口を見出している.これは,今後の感染制御学および感染看護学の発展に重要な貢献をなすと考えられ,学位の授与に値するものと考えられる.

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