学位論文要旨



No 116455
著者(漢字) 谷,英樹
著者(英字)
著者(カナ) タニ,ヒデキ
標題(和) バキュロウイルス感染に重要な細胞表面分子の解析
標題(洋) Characterization of Cell Surface Determinants Important for Baculovirus Infection
報告番号 116455
報告番号 甲16455
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 博医第1850号
研究科 医学系研究科
専攻 国際保健学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 北,潔
 東京大学 教授 河岡,義裕
 東京大学 教授 斉藤,泉
 東京大学 助教授 土屋,尚之
 東京大学 助教授 渡辺,知保
内容要旨 要旨を表示する

緒言

 ウイルスベクターは、細胞や動物個体への遺伝子導入の有力なツールである。遺伝子治療用ベクターとして開発が進められているレトロウイルスやアデノウイルスベクターは中和抗体の存在、複製による有害な免疫応答の惹起、そして細胞毒性などが大きな問題となっている。一方、バキュロウイルスは昆虫の病原ウイルスであり、強力なプロモーターを利用して昆虫細胞での外来遺伝子の大量発現系として広く用いられてきた。バキュロウイルスは節足動物のみに感染するものと考えられてきたが、近年、哺乳動物細胞にも感染し、適当なプロモーターを選択することにより外来遺伝子を効率よく発現できることから、遺伝子治療用ベクターとしても新たに注目されるようになってきた。

 一般に、ウイルスは宿主細胞の表面に存在する、特異的リセプターに結合することにより感染を開始する。この様なリセプターは、ウイルスの宿主や組織へのトロピズムを決定する上で重要な分子となっている。バキュロウイルスは主にウイルス粒子表面に存在するエンベロープ蛋白gp64を介して宿主に感染していると考えられているが、自然宿主である昆虫細胞ばかりでなく、哺乳動物細胞においても未だ宿主リセプターや感染機構についての解析は進んでいない。

 本研究は、各種組換えバキュロウイルスを作製し、バキュロウイルスの哺乳動物細胞への感染機構ならびに感染に関与する細胞因子の解析を行った。

実験方法および結果

 各種ウイルスエンベロープを粒子表面に被った組換えウイルスの作製とそれらの哺乳動物細胞への感染性

 組換えウイルス作製にあたり、トランスファーベクターpAc64-CAluc, pAcVSVG-CAluc, pAcMHVS-CAlucおよびコントロールとしてpAcGFP-CAlucの作製を行った。それぞれバキュロウイルス、水疱性口内炎ウイルス(Vesicular Stomatitis Virus)、マウス肝炎ウイルス(Mouse Hepatitis Virus)のエンベロープ蛋白であるgp64, VSVG, MHVS、およびGreen Fluorescent Protein(GFP)の遺伝子を多角体プロモーター下に、リポーター遺伝子としてCAGプロモーター下にルシフェラーゼ遺伝子をそれぞれ読み間違いのないように逆方向に組み込んだ(下左図)。このトランスファーベクターとウイルスDNAを用いて相同組換え法により作製した組換えウイルスは昆虫細胞で細胞表面にgp64, VSVG, MHVSを高発現するため、これらを過剰に粒子表面に被ったウイルスが回収できる(下右図)。

 これらのウイルスをヒト肝細胞(HepG2, FLC4)、HeLa細胞, ヒト腎細胞(293T)、CHO細胞、BHK細胞、ラット肝細胞(BRL3A)、マウス肝細胞(NMuLi)などに接種したところ、いずれの細胞でも感染価を上げるに従ってルシフェラーゼ活性が上昇し、コントロールのバキュロウイルスに比べてgp64, VSVG, MHVSの組換えウイルスではどれも5-500倍高い値を示した。また、これらの組換えウイルスによる遺伝子発現はそれぞれの抗体(抗VSVG抗体、抗MHVS抗体もしくは抗gp64抗体)で中和されることから、これらのウイルスはそれぞれのエンベロープ蛋白を介して感染しているものと考えられる。

各種紐換えウイルスの感染性における薬剤処理の効果

 gp64を過剰に粒子表面に被ったウイルスでも他のウイルスエンベロープを粒子表面に被ったウイルスと同様に哺乳動物細胞への感染効率が増強することから、細胞の表面にバキュロウイルスのエンベロープ蛋白を認識する何らかのリセプターが存在しているものと思われた。そこで最も感染効率が高かった細胞(HepG2)を、主にタンパク質を分解するプロナーゼ、糖質を分解する過ヨウ素酸、リン脂質を分解するフォスフォリパーゼCでそれぞれ処理し、ウイルスに対する感受性を調べた(下図)。その結果、フォスフォリパーゼCで処理した細胞において濃度依存的に感染効率が激減したことから、バキュロウイルスは何らかのリン脂質を介して哺乳動物細胞へ感染しているものと考えられた。コントロールとして用いたVSVGを被った組換えウイルスは、VSVのリセプターがフォスファチジルセリンであることから同様に激減したが、蛋白分子をリセプターとして持つMHVSのシュードタイプウイルスでは極端な減少は見られなかった。またこれらの結果は昆虫細胞でのバキュロウイルスのプラーク形成効率においても同様にフォスフォリパーゼCで処理した細胞で激減した。

各種組換えウイルスの感染性における精製脂質の効果

 次に、精製脂質を用いてどのような脂質がバキュロウイルスの感染に関与しているのか調べるために、フォスファチジン酸(PA)、フォスファチジルイノシトール(PI)、フォスファチジルセリン(PS)、フォスファチジルグリセロール(PG)、フォスファチジルコリン(PC)、フォスファチジルエタノールアミン(PE)、スフィンゴミエリン(SP)をgp64を過剰に粒子表面に被った組換えウイルス(Ac64-CAluc)とVSVGのシュードタイプウイルス(AcVSVG-CAluc)と反応させ、哺乳動物細胞(HepG2)に感染させたところ(下図)、濃度依存的にPAとPIと反応させた組換えウイルスにおける感染性が激減した。この結果より、バキュロウイルスが哺乳動物細胞に感染する際にはこれらの脂質と何らかの関連があることが示された。

脂質欠損変異細胞株における組換えウイルスの感染性

 バキュロウイルスの感染に細胞のリン脂質が関与していることを裏付けるため、次に特定の培養条件下で脂質の合成をコントロールできる変異CHO細胞株を用いて、gp64を過剰に粒子表面に被った組換えウイルス(Ac64-CAluc)とVSVGのシュードタイプウイルス(AcVSVG-CAluc)の感染性を調べたところ、親株(K1)およびPSやPCの欠損変異細胞株(PSA-3, CT58)に比べてPIの欠損変異細胞株(51.13)ではウイルスの感染性が低いことが示された(下図)。このことからも、バキュロウイルス感染に細胞のリン脂質の一つであるPIが深く関与していることが示唆された。

結語

 これまでのバキュロウイルスの研究から、エンベロープ蛋白gp64が宿主の何らかのレセプターと作用することで感染が成立することが明らかとなっている。本研究では、近年、バキュロウイルスが哺乳動物細胞にも感染できることが示されたため、その感染に重要と思われる細胞因子の性状を解析した。バキュロウイルスのエンベロープ蛋白を昆虫細胞に過剰発現させると、その細胞から出芽してくる組換えウイルスはエンベロープ蛋白を過剰に粒子表面に保持している。この現象は他のウイルスのエンベロープ蛋白を過剰発現させた場合にも同様に起こり、外来のエンベロープ蛋白を粒子表面に被ったシュードタイプウイルスが産生される。また、これらの組換えウイルスは哺乳動物細胞に対する感染性が通常のバキュロウイルスに比べて5-500倍高いことが示された。バキュロウイルスのエンベロープ蛋白gp64の過剰発現だけでも感染性が高まることから、このウイルスの感染に関与する細胞表面分子を解析した結果、哺乳動物細胞表面に存在しているリン脂質が深く関与していること明らかとなった。また、本来の宿主である昆虫細胞でも同様の成績が得られた。さらに、各種リン脂質による感染阻止実験や脂質欠損変異細胞株に対する感染性の成績から、フォスファチジン酸やフォスファチジルイノシトールがバキュロウイルスの感染に深く関与しているとが示された。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究では、これまで昆虫病原ウイルスとして知られてきたバキュロウイルスが、近年、哺乳動物細胞にも感染できることが示されたため、その感染に重要と思われる細胞因子の性状を解析したものであり、下記の結果を得ている。

1. これまでのバキュロウイルスの研究から、エンベロープ蛋白gp64が宿主の何らかのレセプターと作用することで感染が成立することが明らかとなっている。バキュロウイルスのエンベロープ蛋白を昆虫細胞に過剰発現させると、その細胞から出芽してくる組換えウイルスはエンベロープ蛋白を過剰に粒子表面に保持できることが明らかにされた。この現象は他のウイルスのエンベロープ蛋白を過剰発現させた場合にも同様に起こり、外来のエンベロープ蛋白を粒子表面に被ったシュードタイプウイルスが産生される。また、これらの組換えウイルスは哺乳動物細胞に対する感染性が通常のバキュロウイルスに比べて5-500倍高いことが示された。

2. バキュロウイルスのエンベロープ蛋白gp64の過剰発現だけでも感染性が高まることから、このウイルスの感染に関与する細胞表面分子を解析した結果、哺乳動物細胞表面に存在しているリン脂質が深く関与していること明らかとなった。また、本来の宿主である昆虫細胞でも同様の成績が得られた。

3. 各種リン脂質による感染阻止実験や脂質欠損変異細胞株に対する感染性の成績から、フォスファチジン酸やフォスファチジルイノシトールがバキュロウイルスの感染に深く関与していることが示された。

 以上、本論文はバキュロウイルスが、宿主である昆虫細胞および哺乳動物細胞においても感染する際に、細胞表面のリン脂質が重要な役割をすることを明らかにした。今後、哺乳動物細胞への遺伝子導入ベクターとしてだけでなく遺伝子治療用ベクターとしても利用可能なものとして注目されているバキュロウイルスにおいて、レセプター検索の知見にもつながるような今回の解析はバキュロウイルスのウイルス学のみならず、ウイルスのエンベロープ蛋白と宿主側のレセプター因子との相互作用の解明にも重要な貢献を為すものと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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