学位論文要旨



No 116456
著者(漢字) 海老澤,正幸
著者(英字)
著者(カナ) エビサワ,マサユキ
標題(和) カルボン酸等価性基を持つ新規レチノイド
標題(洋)
報告番号 116456
報告番号 甲16456
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第930号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 遠藤,泰之
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 助教授 影近,弘之
内容要旨 要旨を表示する

 レチノイドは、ビタミンAの活性本体であるレチノイン酸(all-trans,1a,図1)の同効物質の総称であり、細胞の分化・増殖、形態形成など、生体において重要な作用を担っている。レチノイド作用は、特異的核内レセプターであるレチノイン酸レセプター(RAR)を介した特異的遺伝子発現の直接的な制御により発揮される。このときRARは、レチノイドのもう一つの核内レセプターであるレチノイドXレセプター(RXR)とヘテロダイマーを形成し、応答遺伝子に結合する。RXRの生体内リガンドとして9-cis-レチノイン酸(lb)が同定され、また、RXRはRARばかりでなく、ビタミンD3レセプター(VDR)、チロイドホルモンレセプター(TR)、ペルオキシソーム増殖性応答因子レセプター(PPAR)などの多くの核内レセプターとヘテロダイマーを形成することが示され、それらのレセプターの機能調節を担っていると考えられる。例えば、RXRアゴニストはそれ自身ではレチノイド作用を示さないが、レチノイド作用増強活性を示す。本研究室では一般式2(図1)に示されるRARもしくはRXR特異的な合成リガンドの創製を行ってきた。これまで、疎水性アルキル部位(R1,R2)及びリンカー部(X)においては様々なもので置き換えうることを示してきたが、末端のカルボキシル基については、スルフォンアミドやテトラゾールなどのいわゆるバイオアイソスターでは代替できないとされてきた。このカルボキシル基はレセプターとの結合に最も重要であり、他の極性基で代替することが出来れば、その結合様式に変化をもたらし、結果として多様な生理作用を示す従来のレチノイドとは異なった生物的特異性が得られると考え、カルボキシル基と等価性を有一する極性基の探索と、その導入による核内レセプターRAR、RXRの新たなリガンドの創製を試みた。

 カルボン酸等価性基としてのチアゾリジン環

一連の核内レセプターは一つの遺伝子から進化したと考えられ、構造的にも相同性が高い。そこでレチノイドレセプターリガンド創製において、他の核内レセプターリガンドの構造活性相関を応用してみた。脂質代謝に重要な働きをするPPARγのリガンドには、生体内リガンド候補として15-deoxy-△12,14-prostaglandin J2(3,図2)が、合成リガンドとしてインドメタシン(4)などの抗炎症剤が同定されている。一方、PPARγはII型糖尿病治療薬であるピオグリタゾン(5)などのチアゾリジン誘導体の標的分子でもある。PPARリガンドのカルボキシル基とチアゾリジン環がリガンド結合領域の同一の部位を認識していると考え、私は、レチノイド(RARアゴニスト)のカルボキシル基をチアゾリジン環で代替した化合物をデザイン・合成した。その結果、強力なレチノイドであるAm580(6)と同じ骨格を持つTZ181(7,図2)等がヒト急性前骨髄球性白血病細胞HL-60の分化誘導活性を示し、この作用がRARを介していることがわかった。

 次いで、RXRを標的レセプターとしてチアゾリジン誘導体をデザインした。リガンド候補化合物を設定するに当たり、まず、図3に示す部分構造からなるチアゾリジン化合物の仮想ライブラリー(8)を計算機上で作成し、三次元構造の構築の後、hRXRαの三次元蛋白モデル構造に対する結合性を計算化学的に吟味した。その結果、ジフェニルアミン誘導体TZ335(9)などがRXRのリガンド結合領域に安定に結合することが示唆された。この骨格を持つ一連の誘導体を合成し、RXR活性として「HL・60細胞分化誘導検定における共存するRARリガンド(Am80)の作用増強活性」を調べたところ、TZ335(9)は既存のRXRリガンドと同様のレチノイド作用増強活性をより強力に発揮した(図3)。これらの化合物はレセプター転写活性化試験からもRXRを介してその作用を発現していることが判明した。

 レチノイドレセプターRAR、RXRにおいてリガンドのカルボキシル基がチアゾリジン環によって代替可能であることがわかったので、この性質を応用する目的で核内レセプターTRを標的とするチロイドホルモン3,3',5-triiodothyronine(T3,13)の骨格にチアゾリジン環を導入した化合物(14)を合成した(図4)。合成した化合物をチロイドホルモンレセプターTRαに対する転写活性化試験でその活性を判定したところ、TZ1660(14b)にT3とほぼ同等の活性を見いだし、チロイドホルモンにおいてもその極性基がチアゾリジン環で代替できることが確認された。

他のカルボン酸等価性基の探索

 チアゾリジン誘導体のレセプター結合には環内イミド結合が関与していると考えられる。しかし、類似のイミド構造を含む種々の複素5,6員環の導入を試みたが、いずれも高い活性を得るにはいたらず、チアゾリジン環だけが有効であった。そこで、チアゾリジン環以外のカルボン酸代替極性基を探索する目的で、市販データベースを用いて計算化学的にリガンド候補化合物を検索した。即ち、約6万個の市販化合物の構造を三次元化し、hRARαモデル構造のリガンド結合領域に安定に結合しうる化合物を検索したところ、図5に示したようなベンゾフロキサン誘導体がリガンド候補化合物として得られた。化合物15は、HL-60細胞を用いた検定試験ではレチノイド作用を抑制するアンタゴニストであることがわかったが、ベンゾフロキサンをRARアゴニストであるAm580(6,図2)の構造とハイブリッドさせたFX10(16)は弱いながらも分化誘導作用を示した。活性向上のための構造最適化が必要ではあるが、カルボン酸等価性基としてベンゾフロキサン環が代替しうることがわかった。

安息香酸等価性基としてのトロポロン環

 トロポロン(2-ヒドロキシ-2,4,6-シクロへプタトリエン-1-オン、図6)は、安息香酸の異性体であり、平面7員環構造を持つ安定な非ベンゼン系芳香族化合物の一種である。トロポロンはカルボン酸のビニログに相当するイオン構造の寄与により酸性を示すことから、トロポロン環が安息香酸の等価体として働くと考え、レチノイド(RARアゴニスト)の安息香酸部分をトロポロンで置き換えたTp140(17),Tp80(18)(図7)などをデザイン`合成し、その活性を検討した。その結果、Tp140(17),Tp80(18)のようなトロポロン誘導体に単独での分化誘導活性がみられたが、有効濃度が高く、かつ最大応答数が50%程度で飽和した。しかしながら、この化合物の活性はRXRリガンド(レチノイド作用増強剤)を共存させると通常のRARアゴニストに対するシナジスト効果よりも著しく上昇することがわかった。その作用特性をRAR、RXRを用いた転写活性化試験により検討したところ、これらトロポロン誘導体は、低濃度ではRARに結合・活性化することにより分化誘導活性を引き起こし、高濃度ではヘテロダイマ一のパートナーであるRXRに結合・活性化することでそれ自身の作用を抑制していることが考えられる。このようにRARアゴニスト、RXRアンタゴニストの作用を併せ持つ化合物はこれまで例がなく、その作用特性に興味が持たれる。

【総括】レチノイドレセプターRAR及びRXRのリガンドにおいて活性に必須とされるカルボキシル基をチアゾリジン環で代替することに成功した。特にRXRに特異的なリガンドとして既存の化合物よりも高い活性を示す化合物を見いだした。チアゾリジン環のカルボキシル基等価性は、チロイドホルモンレセプターリガンドにも応用でき、T3に匹敵するほどの活性が得られた。またフロキサンやトロポロンなどのユニークな構造を持つ化合物にレチノイド活性を見出したが、これが通常のレチノイドとは異なる生物学的特性を持つことが示唆された。以上の結果は、チアゾリジン環、ベンゾフロキサン環、トロポロン環がカルボキシル基(安息香酸)の生物学的等価体として分子設計に用いうることを示したと共に、得られた核内レセプターリガンドは、カルボン酸誘導体とは異なるレセプター特異性、体内動態が期待され、レチノイドによる複雑な核内情報伝達系の制御の解明もしくは医薬への応用に一役を担うであろう。

図1

図2

図3 仮想ライブラリー検索によるRXRリガンドのデザインと活性

図4 チアゾリジン環を有するチロイドホルモン誘導体

図5

図6

図7トロポロン環を有するレチノイド

審査要旨 要旨を表示する

 レチノイドは、ビタミンAから誘導されるレチノイン酸の同効物質の総称であり、細胞分化・増殖、形態形成など生体に不可欠な作用を担っている。レチノイン酸には複数の幾何異性体が存在し、al1-trans-retinoic acid、9-cis-retinoic acidには、それぞれレチノイン酸レセプター(RAR)、レチノイドXレセプター(RXR)と呼ばれる受容体が存在する。レチノイド作用は主としてRARを介した特異的転写調節によるが、その過程でリガンドーRAR複合体はRXRとヘテロダイマーを形成し、レチノイド応答配列に結合するため、RXRのリガンドもRARの機能を制御する存在である。

 本研究はRAR及び、RXRリガンドの水素結合性構造要件として、これまで必須であると考えられてきたカルボン酸の生物学的等価性基の探索による多数の新規リガンドの設計、合成により、従来のレチノイドとは異なる活性挙動を有する化合物を得るとともに、他の受容体リガンドへの応用性も示したものである。

 本研究では、第一に、カルボン酸等価基として、チアゾリジンジオン環を応用したリガンドの設計を展開している。RARリガンドとしては、強力なRARアゴニストであるAm80(1)と同様の骨格を有するTZ181(2)がヒト前骨髄性自血病細胞HL-60に対する分化誘導活性を示し、チアゾリジンジオン環の応用性に関する端緒を得た。次いで、RXRを標的とした計算機上でのリガンド探索から、チアゾリジンジオン環を有するジフェニルアミン誘導体にRXRリガンド結合領域との親和性が示唆された。そこで、その類縁体の合成により、TZ335(3)にRXRを介する強力なレチノイド作用増強活性を見い出した。

 第二に、安息香酸等価基として、ベンゾフロキサン環を見い出している。これは、RARに対する親和性を市販化合物データベースからの計算化学的検索により行い、示唆された化合物の修飾と合成により、HL-60に対する分化誘導活性を示す化合物FXlO(4)を得たことで証明している。

 第三に、安息香酸等価基として、トロポロン環を応用したリガンドの設計を展開している。トロポロンは平面7員環をもつ非ベンゼン系芳香族化合物で、酸性プロトンを有することから安息香酸酸に代替できるものと考えた。RARアゴニストとして設計、合成したTp140(5),Tp80(6)は、それら自体のHL-60に対する分化誘導活性の作用有効濃度が高く、最大50%で飽和するものの、レチノイド作用増強に働くRXRリガンドを共存させると著しい活性の増強を示すという特徴的な作用特性を示した。以上のカルボン酸等価基を有するレチノイドの創製は、レチノイドによる複雑な核内情報伝達系の制御の解明や今後の医薬設計への応用に寄与するものである。

 また、以上のカルボン酸等価基の他の受容体リガンド設計への応用の一例として、チアゾリジンジオン基を有するチロイドホルモン(TR)受容体リガンドめ設計、合成にも展開している。TRリガンドである3,3',5-triiodothyronine(T3)のアミノ酸部分をチアゾリジンジオン基に変換したTZ1660(R=iso-Pr,7)はTRαに対する転写活性化試験で、T3と同等の活性を示すことで、その医薬設計への有用性を実証している。

 以上、海老澤正幸の研究成果は、生物有機化学、医薬化学研究に資するところ大であり、博士(薬学)の学位を授与するに十分なものと認めた。

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