学位論文要旨



No 116459
著者(漢字) 森,雄一朗
著者(英字)
著者(カナ) モリ,ユウイチロウ
標題(和) 水中での炭素−炭素結合生成反応を指向した新規触媒システムの開発
標題(洋)
報告番号 116459
報告番号 甲16459
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第933号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小林,修
 東京大学 教授 柴崎,正勝
 東京大学 教授 福山,透
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 講師 眞鍋,敬
内容要旨 要旨を表示する

 有機合成反応の溶媒として用いられる有機溶媒には有害なものもあり、可能ならばそれらの使用を避けることが望ましい。有機溶媒に代わる反応媒体の候補である水は人体や環境に無害で、自然界に豊富に存在し、安価で取り扱いが容易である。また水には有機溶媒に無い特有の化学的性質に基づくユニークな反応性や選択性も期待できる。しかしながら、ほとんどの有機化合物は水に溶解せず、また多くの試薬は水の存在で加水分解されてしまうため、研究例は未だ少ない。一方、生体内の化学反応は、水中あるいは水中に構築された反応場において高度な制御のもとで行われており、このことはフラスコ内でも水中で反応を高度に制御できる可能性を示唆している。筆者は、水中でより高度に制御された炭素―炭素結合生成反応の開発を目指して、新たな触媒システムの探索を行った。

1. ルイス酸-界面活性剤一体型触媒(LASC)を用いる水中での炭素―炭素結合生成反応及び反応場の効果

 有機化合物は水に溶解しにくいため、当研究室では水中での反応において、ごく少量の界面活性剤を加えることでこの問題を解決してきた。またごく最近、ルイス酸―界面活性剤一体型触媒(Lewis Acid-Surfactant-Combined Catalyst, LASC)であるドデシル硫酸スカンジウム(Sc(O3SOC12H25)3、Sc(DS)3)を開発し、水中で向山アルドール反応の触媒として有効に機能することを見出している。そこで、スカンジウム以外の金属部位を持つLASCを合成し、水中でアルドール反応を行ったところ、反応初期段階においてCu(O3SC12H25)2が最も反応加速能が高く、AgO3SC12H25やZn(O3SC12H25)2にも高い加速能が見られることがわかった。

 さて、これらのLASCを用いる水中での炭素―炭素結合生成反応において、その反応液は白濁の懸濁液である。水中にLASC及び反応基質を加えたものを種々の顕微鏡で観察したところ、平均直径が約1μmの球状粒子が見られた(Figure l. 透過型電子顕微鏡(TEM)写真、分子数比Sc(O3SC12H25)3:PhCHO=1:100)。この粒子はコロイド粒子であり、LASCと基質が共に存在して初めて生成する。実際の反応場はLASCの存在するコロイド表面付近であると予想され、このことはLASCを用いるアルドール反応において、攪拌が反応速度に影響するという結果によって裏付けられた。また一方、これらLASCを用いた反応の反応液をそのまま遠心分離(3500rpm)すると、水相・LASC相・有機相の三層に明確に分離した。このことは有機溶媒を用いなくても有機相のみを取り出すことが可能であることを意味し、有機溶媒を用いない後処理への可能性を大きく広げるものである。

2. キラル銅触媒を用いる水中での触媒的不斉アルドール反応の開発

 有機溶媒を一切用いずに水のみを溶媒とした系においては、キラルルイス酸を用いる触媒的不斉合成の例は極めて少ない。そこでLASCを用いて水中で触媒的不斉合成を試みた。検討の結果、LASC としてCu(O3SOC12H25)2(Cu(DS)2)、リガンドとしてisopropyl基を持つbis(oxazoline)を用いると、低収率(23%)ながら中程度の不斉誘起(58%、Run 1)が見られた。さらに触媒量のブレンステッド酸を添加すると収率の向上が見られ(Runs 2-6)、中でもカルボン酸を用いると収率は大幅に改善された。特にラウリン酸を用いた場合には収率76%(Run 5)、69%eeで目的物が得られた。本反応はキラルルイス酸を用いる水中での不斉アルドール反応の初めての例である。

3. LASCを用いる水中でのマイケル反応

 マイケル反応は重要な炭素―炭素結合生成反応の一つであり、近年ルイス酸触媒を用いるマイケル反応の開発も活発に行われている。しかしながらルイス酸を用いる水中でのマイケル反応はYb(OTf)3を用いる一例しか知られておらず、しかも反応時間が非常に長い。そこでLASCを用いる水中でのマイケル反応を検討したところ、Sc(DS)3を用いた場合にβ-ケトエステルとエノンのマイケル反応が水中で円滑に進行することを見出した。この場合、反応速度はYb(OTf)3を用いた場合より有意に速く、Sc(DS)3が水中でより高い触媒活性を持つことが明らかになった(Scheme 1)。

4. ブレンステッド酸―界面活性剤一体触媒(BASC)を用いる水中でのマンニッヒ型反応

 マンニッヒ型反応は、β-アミノカルボニル化合物を生成する重要な炭素―炭素結合生成反応である。これまでに、水中においてLASCを用いることにより、アルデヒド・アミン・シリルエノールエーテルのマンニッヒ型三成分縮合反応が円滑に進行することが当研究室によって明らかにされている。今回新たに、この反応は水中でブレンステッド酸と界面活性剤の機能を合わせ持つブレンステッド酸―界面活性剤一体型触媒(Brφnsted Acid-Surfactant-Combined Catalyst, BASC)であるドデシルベンゼンスルホン酸(Dodecylbenzenesulfonic acid, DBSA)を用いることで反応が高収率で進行することを明らかにした(Table 2)。この反応は強酸性触媒を用いるにもかかわらず、加水分解を受けやすいケテンシリルアセタールのような基質も用いることが可能である。

5. ホウ素触媒を用いる水中でのジアステレオ選択的アルドール反応

 これまでの水中におけるLASCを用いた反応においては、界面活性剤機能を持つLASCはコロイド表面付近に、脂溶性である反応基質はコロイド内部に存在していると考えられる。そこで新たに脂溶性の高い触媒を用い、これと界面活性剤を組み合わせれば、触媒と基質がともにコロイド内部に存在することになり、より効率的な触媒システムが構築されることが期待される。そこで種々の脂溶性触媒を検討したところ、diphenylborinic acid(Ph2BOH)とアニオン性界面活性剤であるsodium dodecyl sulfate (SDS)、さらにブレンステッド酸を触媒量加えた時に、水中でアルドール反応が高ジアステレオ選択的に進行するという興味深い結果を得た(Table 3,Run 2)。界面活性剤としてカチオン性や中性のものを用いると収率が大きく低下した(Runs 5,6)。またこの反応を有機溶媒中で行うと付加体はほとんど得られなかった(Run 7)。種々の基質を用いて検討を行ったところ、Z体のシリルエノールエーテルを用いた場合にはいずれも高いsyn選択性(syn/anti=〜97/3)が得られた。また、チオエステル由来のシリルエノールエーテルを用いた場合においては、その幾何異性によってジアステレオ選択性が逆転した(Table 4)。このことは、本反応が六員環遷移状態を経て進行していることを示唆する。すなわち、B-Si交換が起こることにより系内でホウ素エノラートが生成し、反応が進行していることが予想される。これらのことからScheme 2に示す反応機構が想定された。Diphenylborinic acid 1はシリルエノールエーテル2とのB-Si交換によってホウ素エノラート3を生じ、これがアルデヒド4と六員環遷移状態を経て反応し5を生じる。5は加水分解を受けることでアルドール付加体6を生じ、同時に1を再生する。律速段階はホウ素エノラート3が生成するステップであると考えられ、この仮説に基づいてシリルエノールエーテル2の消失速度を測定したところ、この速度はアルデヒドの種類によらずほぼ同じであり、またいずれの場合もシリルエノールエーテルの濃度について一次反応であることが明らかになった。この結果は、Scheme 2に示す反応機構を支持するものである。一般にホウ素エノラートは水に不安定であり、有機溶媒中で、厳密な無水条件下、低温で用いられる。また、通常ホウ素源は化学量論量必要である。本触媒システムは水中で、穏和な条件下、かつ触媒量のホウ素源でホウ素エノラートを生成させた最初の例である。同時に水に不安定な基質を水中で用いることを可能にする一つの例を示したものであり、今後の水中での有機反応の開発における指針を示すものとして意義深い。

Flgure 1. Colloidal particles observed by TEM.

Table 1. Asvmmetric Aldol Reaction Using Cu Catalyst in Water

Scheme 1.

Table 2. Mannich-Type Reactions Catalyzed by DBSA in Water

Table 3. Mukaiyama Aldol Reaction Using Ph2BOH in Water

Table 4. Mukaiyama AIdol Reactions Using Ph2BOH in Water

Scheme 2. Possible Mechanism

審査要旨 要旨を表示する

 多くの有機反応は有機溶媒中で行われるが、有機溶媒の中には有害なものもあり、それに代わる反応媒体として水が注目を集めている。本論文は、水中でより高度に制御された炭素―炭素結合生成反応の開発を目指して、新たな触媒システムの探索を行った結果について述べたものである。

 まず第一章では、水中で有効に作用するルイス酸一界面活性剤一体型触媒(Lewis Acid-Surfactant-Combined Catalyst,LASC)であるドデシル硫酸塩の金属部分について検討している。水中でのアルドール反応において、スカンジウム塩が良好な結果を与えるが、他に反応初期段階では銅塩が最も反応加速能が高く、銀塩、亜鉛塩にも高い加速能が見られることを明らかにしている。さらに、水中にLASC及び反応基質を加えた段階で疎水性の反応場が速やかに構築されることを見出している。この反応場は、平均直径が約1μmの球状コロイド様粒子であり、実際の反応はコロイド内のLASCの存在する表面付近で起きていることを推定している。また、これらLASCを用いた反応の反応液をそのまま遠心分離すると、水相・LASC相・有機相の三層に明確に分離することを明らかにし、有機溶媒を用いなくても有機相のみを取り出すことが可能であり、従って反応中ばかりでなく反応の後処理においても有機溶媒を用いずに行えることを示している。

第二章では、キラル銅触媒を用いる水中での触媒的不斉アルドール反応の開発について述べている。有機溶媒を一切用いない水のみを溶媒とした系におけるキラルルイス酸を用いる触媒的不斉合成は、キラルルイス酸が水中で不安定な場合が多くその成功例は極めて少ない。LASCとしてドデシル硫酸銅、リガンドとしてイソプロピル基を持つビスオキサゾリンを用い、さらに触媒量のラウリン酸を添加することにより、目的とする不斉反応が水中で円滑に進行することを明らかにしている。本反応は、キラルルイス酸を用いる水中での触媒的不斉アルドール反応の初めての例である。

 第三章では、LASCを用いる水中でのマイケル反応について述べている。マイケル反応はアルドール反応と並び最も重要な炭素―炭素結合生成反応の一つであり、近年ルイス酸触媒を用いる反応系の開発も活発に行われている。しかしながらルイス酸を用いる水中でのマイケル反応はこれまで一例しか知られておらず、反応時間が非常に長い点が問題となっていた。本論文では、ドデシル硫酸スカンジウムを用いた場合に、β-ケトエステルとエノンのマイケル反応が水中で円滑に進行することを見出している。

 続いて第四章では、ルイス酸と界面活性剤を組み合わせるLACSの考え方が、ブレンステッド酸と界面活性剤を組み合わせる、ブレンステッド酸一界面活性剤一体型触媒(Brφnsted Acid-Surfactant-Combined Catalyst,BASC)にも応用できることを、マンニッヒ型反応において実証している。マンニッヒ型反応は、β-アミノカルボニル化合物を生成する重要な炭素―炭素結合生成反応である。本論文では、BASCの一つであるドデシルベンゼンスルホン酸(Dodecylbenzenesulfonic acid,DBSA)存在下、アルデヒド・アミン・シリルエノールエーテルのマンニッヒ型三成分縮合反応が円滑に進行することを明らかにしている。この反応は強酸性触媒(DBSA)を用いるにもかかわらず、加水分解を受けやすいケテンシリルアセタールのような基質を用いた場合にも高収率で目的とする付加体が得られることを示している。

 第五章では、ホウ素触媒を用いる水中でのジアステレオ選択的アルドール反応を開発した結果について述べている。ホウ素エノラートは有機合成で汎用されているが、一般に水に不安定であり、有機溶媒中で、厳密な無水条件下、低温で用いられる。また、通常ホウ素源は化学量論量必要である。これに対して本論文ではまず、ジフェニルボロン酸とアニオン性界面活性剤であるドデシル硫酸ナトリウム、さらにブレンステッド酸を少量加えた触媒系を用いると、水中でアルドール反応が高ジアステレオ選択的に進行するという興味深い結果を得た。ここでは高い選択性が実現されていることや、ジアステレオ選択性が用いるエノラートの幾何異性に依存することなどから、ホウ素エノラートを経由していることが示唆されたが、その水中での存在時間は極めて短いことが予想され、実際その直接的な観測は非常に困難である。そこで本論文では、反応機構の考察に基づく速度実験を精密に行うことにより、ホウ素エノラートの存在を間接的に証明している。この研究は、ホウ素エノラートを水中で用いた初めての例である一方、水に不安定な基質を水中で用いることを可能にする一つの例を示したものであり、今後の水中での有機反応の開発における一つの指針を示すものとしても意義深い。

 以上、本論文は新たな触媒系の構築によりいくつかの水中での炭素―炭素結合生成反応を実現したもので、ある意味ではこれまでの化学の常識を覆す数々の有益な知見を含んでおり、有機合成化学、医薬品化学の分野に貢献するところ大である。よって博士(薬学)の学位に値するものと判定した。

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