学位論文要旨



No 116462
著者(漢字) 村瀬,賢
著者(英字)
著者(カナ) ムラセ,ケン
標題(和) 二次免疫応答の抗体3B62の親和性成熟と交差親和性に関する構造生物学的研究
標題(洋)
報告番号 116462
報告番号 甲16462
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第936号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 原田,繁春
内容要旨 要旨を表示する

 生体内に抗原が侵入すると,免疫系の細胞はその抗原を認識し免疫反応が惹起される。免疫反応は時間経過に伴って増強され,血清中の抗体価が上昇する。この現象は,抗体の親和性の成熟(affinity maturation)と呼ばれる。

 抗体NlG9と抗体3B62は,マウスにニトロフェノール付加抗原を免疫して得られた,それぞれ一次応答と二次応答の抗体である。抗原に対する親和性は,抗体NlG9の105M-1から抗体3B62の107M-1のオーダーに高まっている。抗体3B62のFVの結晶構造を解析し既に解析されている抗体NlG9のFabの三次元構造と比較することにより,抗ニトロフェノール抗体の親和性成熟の機構を三次元構造の観点から解明することを研究の目的とした。またこれら抗体は,ニトロフェノールリガンドの5位をヨウ素に置換したリガンドに対してより高い親和性を示す。この交差親和性(heteroclicity)の機構を抗体3B62のFVの三次元構造に基づいて考察した。

【3B62FVの発現系の構築と結合定数の測定】

 抗体のVLとVHの2個のドメインからなるFVフラグメントを研究の対象とすることにより,結晶性の向上と,解析対象となる原子数およびドメイン数がFabに比べて半数となる点で構造生物学的に有利であると考えられる。そこでマウスハイブリドーマ細胞3B62由来のVLドメインに対応するcDNAとVHドメインに対応するcDNAとをPichia pastorisメタノール資化酵母の同一ゲノム内に導入し,α-factorシグナルペプチドによりVLとVHの二本鎖が会合したFVが分泌される発現系を構築した。ニトロフェノールをリガンドとするアフィニティカラムにより7Lの培養上清から30mgのFVを精製した。MALDI-TOF質量分析によりVLとVHに付加したシグナルペプチドが想定したように除去されていることを確認した。

 FVの結合定数を,抗体3B62およびNlG9のFabを対照として蛍光消光法により測定した。NP-Cap(N-(4-hydroxy-3-nitrophenylacetyl)-6-aminocaproic acid), NIP(4-hydroxy-5-iodo-3-nitrophenyl acetic acid)およびNP(4-hydroxy-3-nitrophenylacetic acid)をリガンドとする各抗体フラグメントの結合定数を表1に示す。3B62のFVはFabと同じオーダーの結合定数を有している。従って,このFVの三次元構造は,抗体3B62の親和性成熟および交差親和性の機構の解明に供することができると考えられる。またFVにおけるVLとVHのドメインの会合について,マウスλタイプのL鎖をもつこのFVと,比較的多く構造が解析されているKタイプのL鎖をもつFVの三次元構造から,タイプとドメインの会合の関係を検討する基盤になりうる。

【X線結晶構造解析と全体構造の比較】

 FVのネイティブ体FVとNPとの複合体,およびFVとNIPとの複合体の結晶を,ポリエチレン列コール6000,0.1 M HEPES-Na緩衝液(pH7.0-7.5)を結晶化剤として蒸気平衡拡散法により析出させた。これらの結晶の空間群はP21,格子定数はα=46.5Å,b=34.9Å,c=77.4Å,β=100.9°であり,非対称単位中にFVが1分子存在する。これらの結晶からCuKα線をX線源として回折強度データを収集した。抗体N1GgFabとNPとの複合体の三次元構造から初期モデルを得て分子置換法を適用し結晶学的構造精密化を行った(表2)。

 FVの全体構造を図1に示す。FV-NP複合体とFV-NIP複合体の各結晶では,相補性決定領域(CDR)のL1,L3,H1,H2,H3ループから形成される抗原結合部位のポケット内にそれぞれのリガンドの明瞭な電子密度が認められた(図2)。ネイティブ体結晶では,ポケット内に結晶化剤の成分であるHEPES分子および水分子に相当する明瞭な電子密度が認められた,3B62FV-NIP複合体とN1G9 Fab-NP複合体のFV領域との主鎖原子での根二乗平均変移(rmsd)は1.08Åであり,抗体3B62と抗体N1G9との間にアミノ酸残基の差異や欠失が認められるH1,H2,H3ループでの主鎖の構造の違いが著しい。最近

結晶構造が得られた3B62 Fab-NP複合体の構造と比較すると,FV領域での主鎖原子のrmsdは0.47Åと小さく,FV化によってドメイン配置および主鎖のコンフォメーションに大きな変化を生じていない。L2ループとH3ルーフ、およびL3ループとH2ループの残基はVLドメインとVHドメインとの境界面に位置している。またフレームワーク領域のVal 36L, Phe 44L, Phe 87L, Phe 98L, Val 37H, Leu 45H, Tyr 91H, およびTrp 103Hの側鎖はドメインの境界面で疎水的なクラスターを,Glu 38LとGln 39H, およびHis 42LとTyr 91lHの側鎖は水素結合を形成している。マウスλタイプの抗体ではこれら相互作用に関わる残基が多く保存されており,このことが3B62FVのドメインの解離を低減させ,かつFabと同程度のリガンド親和性をもたらしていると考察した。

【親和性成熟の機構】

 Fv-NIP複合体の抗原結合部位の三次元構造を図3に示す。このポケットの底に位置するTrp 96L, Tyr 95H, 側面に位置するTyr 32L, Trp 91L, Trp33H, Tyr97Hの芳香性側鎖はリガンドに対して疎水的な壁を形成している。Tyr 95Hの側鎖O原子とGly 98Hの主鎖N原子はリガンドのO5原子に近接しそれぞれ水素結合を形成している。His 35HとArg 50Hの塩基性側鎖のN原子はリガンドのニトロ基および水酸基のO原子に,それぞれ水素結合を形成している。これら塩基性側鎖のアミノ酸残基は,N1G9 Fabと共通しており,リガンドのニトロ基および水酸基への特異的な認識に深く関わっている。

 二次応答の抗体3B44では,H鎖の胚細胞由来遺伝子germ-line V186.2の配列に由来するTrp33HがLeuに変異することが親和性上昇の要因と考えられている。一方,抗体3B62ではTrp 33Hが保存されたまま,VHのgerm-line V186.2の配列に対して12残基が変異し1残基が欠失している。抗体3B62のアミノ酸残基の変異と欠失のあるH1ループとH2ループが抗体N1G9とは異なる三次元構造を形成することで抗原結合部位のTrp 33H, His 35H, Arg 50Hのリガンドに対する相対配置に影響を与えている。

 図4に3B62Fv-NIP複合体とN1G9 Fab-NP複合体の抗原結合部位の三次元構造を示す。N1G9 Fabでは,Trp 33Hのζ3位H原子がリガンドのC4原子を向いており,Cζ3原子とC4原子との距離が3.2Åと近接している。この距離は,水素原子のファンデルワールス(vdW)半径を考慮したCζ3原子とC4原子の安定距離より0.5Å小さい。3B62FVでは,H2ループとH3ループとから形成される溝にTrp 33Hのインドール環が位置し,その配向はN1G9の構造と比べてX2角で116°異なってほぼ反転している。リガンドと最も近接しているTrp 33HのCδ1原子とリガンドのO2原子とは3.3Åの距離にある。この距離は安定距離の和より0.2Å大きく,エネルギー的に安定なvdW相互作用を生じている。

 3B62のCDRH3をNlG9に移植した抗体では,ニトロフェノールリガンドに対する親和性が上昇しないことが報告されている。N1G9 Fabの三次元構造でTrp 33Hに3B62FVのX2角を仮定すると,Cδ1原子とリガンドのO2原子との距離は5Å以上離れることになり,リガンドとの相補性が損なわれる。抗体3B62では,アミノ酸配列に変異と欠失を伴うH1ループとH2ループがV-D-J接続部に位置し抗体間のアミノ酸配列に多様性のあるH3ループと協調してTrp 33Hインドール環の配向に違いをもたらし,その周囲でのリガンドとの狭あい性の緩和に寄与して高い親和性を獲得している。

【5位ヨウ素化リガンドに対する交差親和性】

 3B62 FV-NP複合体とFV-NIP複合体の三次元構造を比較すると,抗原結合部位でのアミノ酸残基の側鎖の配置がほぼ同一である。FV-NIP複合体では,NPの5-iodo原子がTyr 97HのCε1原子,Trp 91LのCζ2原子およびArg50HのNη2原子と4.2Åの距離で近接している(図3)。Tyr 97Hのε1位H原子,Trp 91Lのζ2位H原子,Arg50Hのη2位H原子は,NIPの5-iodo原子の方を向いており,これら正の部分電荷をもつ水素原子とリガンドの5-iodo原子との間にvdW相互作用や静電相互作用が形成され,ニトロフェノール抗体の5位ヨウ素化リガンドに対する交差親和性に寄与していると考察した。

図1. Fv_NIP複合体のCαモデル

図2. NIP分子の電子密度と構造

図3. FvへIP複合体の抗原結合部位.静電相互作用に関わる主な原子間を点線で結んでいる.

表1. リガンドに対する抗体フラグメントの結合定数

表2. 結晶学的構造精密化

図4. 3B62Fv_NIP複合体とNlGgFab=NP複合体の抗原結合部位.注目する原子同士を点線で結びそれらの間の距離を示す.

審査要旨 要旨を表示する

 生体内に抗原が侵入すると,免疫系の細胞はその抗原を認識し免疫反応を惹起する。時間経過に伴って免疫反応が増強され,血清中の抗体価が上昇する現象は,抗体の親和性の成熟(affity maturation)とよばれる。本論文は,抗ニトロフェノール抗体での親和性成熟の機構の解明を目的とし,マウス抗体3B62の抗原認識の最小の単位であるVLドメインとVHドメインから成るFVを発現させ,FVとニトロフェノール誘導体との複合体の三次元構造をX線結晶構造解析により明らかにしている。抗体3B62はニトロフェノール付加抗原を免疫して得られた二次応答の抗体であり,抗原に対する親和性は一次応答の抗体N1G9の105M-1に比して107M-1のオーダーに高まっている。本論文では,これら抗体がニトロフェノールリガンドの5位をヨウ素に置換したリガンドに対してより高い親和性を示す交差親和性(heteroclicity)についても,得られた三次元構造に基づいて原子レベルで考察している。

 本論文の研究では,抗体のFVを対象とすればより詳細な三次元構造が得られるものと考え,FVの発現系をまず構築した。すなわち,ハイブリドーマ細胞3B62由来のVL(λタイプ)ドメインcDNAとVHドメインcDNAとをメタノール資化酵母Piochia pastorisのゲノム内に同時に導入し,α-factorシグナルペプチドを付加したVLとVHの二本鎖が会合してFVが分泌される高発現系を構築した。付加したシグナルペプチドが得られたVLとVHでは除去されていることをMALDI-TOF質量分析により確認し,リガンドとFVの結合定数を蛍光消光法により測定した。使用リガンドはN-(4-hydroxy-3-nitrophenylacetyl)-6-aminocaproic acid(NP-Cap), 4-hydroxy-5-iodo-3-nitrophenyl acetic acid(NIP)および4-bydroxy-3-nitrophenyl acetic acid(NP)であり,FVはFabとほぼ同オーダーの結合定数を有することが示された。

FVのネイティブ体,FVとNPとの複合体,およびFVとNIPとの複合体の結晶をポリエチレングリコール6000の結晶化剤により析出させた。結晶は相互に同型で,空間群P21の非対称単位中にFVが1分子存在する。CuKαのX線源を用いて回折強度データを収集し,分子置換法により初期構造を得て,FVネイティブ体では分解能1.85Å,FV-NP複合体では2.0Å,FV-NIP複合体では1.8Åで結晶学的構造精密化を行った。

 FVの三次元構造(図はNIPとの複合体)とFabの比較から,主鎖原子の根二乗平均変位が0.47Åと小さく,FVでのドメインの配置および主鎖のコンフォメーションは元の抗体とほぼ同一であることを示した。これは研究例が多いKタイプ軽鎖抗体とは異なる現象である。λタイプの抗体でよく保存されているフレームワーク領域のval 36L, Phe 44L, Phe 87L, Phe 98L, Val 37H, Leu 45H, Tyr 91HとTrp 103Hの側鎖がドメインの境界面で疎水的なクラスターを,Glu 38LとGln 39HおよびHis 42LとTyr91Hの側鎖が水素結合を形成し,FVのドメインの解離を低減させFabと同程度のリガンド親和性をもたらすと帰結した。

 相補性決定領域のL1,L3,H1,H2とH3ループから形成される抗原結合部位のポケット内にリガンドは結合している。ポケットの底にはTrp 96LとTyr 95H,側面にはTyr 32L,Trp 91L,Trp 33HとTyr97Hの芳香性側鎖が位置し,リガンドに対する疎水的な壁を形成している。Tyr 95Hの側鎖のO原子とGly 98Hの主鎖N原子はリガンドacetyl O5原子に近接し,それぞれ水素結合を形成している。His 35HとArg 50Hの側鎖のN原子はニトロ基および水酸基とそれぞれ水素結合を形成している。

 一次応答抗体N1G9のH鎖の胚細胞由来遺伝子germ-line V186.2の配列中のTrp 33Hが,二次応答抗体3B44ではLeuに変異し,親和性が上昇すると考えられている。しかし,二次応答抗体3B62ではこのTrp 33Hは保存されている。NIG9ではTrp 33HのHζ3原子がリガンドのpheny1 C4原子を向き,Cζ3原子とC4原子との距離が3.2Åと過度に近接している。3B62では,H2とH3のループとから形成される溝にTIp33Hのインドール環が位置し,その配向はN1G9の構造からほぼ反転している。Trp 33HのCδ1原子は最近接のニトロ基O2原子から安定距離の和より0.2Å大きい3.3Åの距離にあり,エネルギー的に安定なvdW相互作用を生じている。3B62では,germ-line V186.2の配列に対してアミノ酸残基の変異と欠失を示すH1とH2のループが,V-D-J接続部に位置して抗体のアミノ酸配列に多様性をもたらすH3ループと協調してTrp 33Hインドール環に配向の違いを生じ,その周囲でのリガンドとの狭あい性を緩和して親和性成熟をもたらすと結論している。

 FV-NIP複合体では,Tyr 97HのCε1原子,Trp 91LのCζ2原子およびArg 50HのNη2原子がNIPの5-iodo原子へ4.2Åの距離で近接しており,Tyr 97HのHε1原子,Trp 91LのHζ2原子,Arg 50HのHη2原子がNIPの5-iodo原子へ向いている。そこで,これら正の部分電荷をもつ水素原子とリガンドの5-iodo原子との間にvdW相互作用や静電相互作用が形成され,ニトロフェノール抗体が5-iodo化リガンドに対する交差親和性を生じると結論している。

 本論文の研究は,二次免疫応答のマウス抗ニトロフェノール抗体のFVを2本のポリペプチド鎖の蛋白質として高発現させる系を構築し,抗体の親和性成熟と交差親和性の理解に必須とされるFV単体とニトロフェノール誘導体複合体の三次元構造をX線解析により詳細に解明している。よって,本論文は,蛋白質の構造生物学と構造化学の面から薬学の進歩に貢献するところが大きく,博士(薬学)の学位の授与に価すると判定した。

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