学位論文要旨



No 116469
著者(漢字) 林,美正
著者(英字)
著者(カナ) イム,ミチョン
標題(和) 遺伝子工学的手法による人工植物レクチンライブラリーの作製とその応用
標題(洋) Generation of Library of Genetically Engineered Plant Lectins and Its Application
報告番号 116469
報告番号 甲16469
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第943号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 助教授 青木,淳賢
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 糖鎖に書き込まれた暗号を解読することができれば、生物学に新しい地平が開かれると言われている。多様な糖鎖を解析するためのツールとして、また生体内で暗号を読みとっている分子候補として糖結合蛋白質(レクチン)が挙げられる。しかし、糖鎖の種類に対してそれを認識する既知のレクチンの種類は限られており、動物及び植物由来のものを合わせても糖鎖の多様性と対応させるには十分とは言えないのが現状である。もし、異なる糖鎖認識スペクトルを有する人工レクチンが多様な内容を持つライブラリーとして得られれば、その中から、特定の細胞挙動に関与する糖鎖に特異的な新規レクチンを得たり、多様なレクチンを固相化したレクチンチップを作製して細胞の同定に用いるなどの応用が期待される。そこで私は、1)シアル酸を含む糖鎖に特異的なマメ科レクチンであるMaackia amurensis hemagglutinin(MAH)の糖結合部位を遺伝子工学的手法でランダムに改変し、異なる糖鎖のバリエーションを見分けられる人工レクチンのライブラリーを作製すること、2)得られた人工レクチンライブラリーを利用して、種類の異なる細胞への結合パターンから細胞の種類の違いを見分けること、3)人工レクチンライブラリーから、生物学的に重要な糖鎖に特異的なレクチンを選別するための、スクリーニング系を確立することを目標とした。

【結果および考察】

1. 人工レクチンライブラリーの作製

 種々のマメ科レクチンのアミノ酸配列と糖結合部位の構造から得られた情報に基づき、MAHレクチンの285個のアミノ酸のうち、糖結合部位である127番目から137番目の部分の塩基配列を合成オリゴヌクレオチドをプライマーとして用いてオーバラップエクステンションPCRによりランダマイズした。ただし、シアル酸との相互作用に必須と考えられるアスパラギン酸135、また金属イオンとの配位に必須と考えられるアスパラギン酸127とヒスチジン132は固定した(Fig.1)。ダイターミネーター法でDNA配列を決定したところ、変異MAHの場合、最初に固定した3つのアミノ酸を除いてすべて異なり、ランダマイズが達成されていることがわかった。

2. レクチンライブラリーを用いた細胞の分別同定

 作製したレクチンライブラリーをpGEXベクターに組み込んで大腸菌にGST融合蛋白質として発現させた。ランダムに50個のクローンをとり、そのうち、タンパクを発現していると思われる16個のクローンを得た。抗MAHポリクローナル抗体でWestern blottingを行ったところ、すべてのクローンが反応性を示した。これらのクローンのDNA配列を決定したところ、糖結合部位のアミノ酸配列は固定したアミノ酸を除いてすべてのクローンで異なることがわかった。

 得られた16クローンの糖結合特異性の違いを利用して、シアル酸を含むが、構造の異なる糖鎖をその表面に発現していると思われる、異種動物の赤血球の分別同定を試みた。Fig.2は各々の赤血球に対する最大凝集力価をフルスケール、1とし、16クローンの異なるレクチンによる凝集力価を比較しグラフで表わした結果である。各々の赤血球が16種の変異レクチンによる凝集力価の相対強度に関して個有な特性を示すことがわかった。

 この実験から、複数のレクチンを利用することによって結合パターンにより細胞の種類の違いを見分けることができることが示唆された。

3. ファージライブラリーの作製

 人工レクチンライブラリーの応用のひとつとして、生物学的に有用な糖鎖に特異的なレクチンを選別することが考えられる。選別を行うためには発現クローニングができ、多数のライブラリーを扱うことのできる系を用いる必要がある。そこで、ファージディスプレイシステムを導入した。発現ベクターであるλfoo、次にT7ファージディスプレイシステムを試みた。しかし、レクチンを発現させたファージがレクチン遺伝子を持たないファージに比べ増殖が遅くなり、パニングによる目的ファージの濃縮は不可能であることが判明した。そこでファージミド系であるpComb3とpComb8を試みることにした。まず野生型MAHを発現することにより、ファージの表面に発現させたレクチンが活性を有するかを調べた。野生型MAHを発現していると思われる両ファージの抗MAH抗体に対する活性を調べたところ、両者とも抗MAH抗体に特異的に結合した。複数のMAH蛋白質を表面に発現したpComb8の方が単一のMAH蛋白質を表面に発現したpComb3より強い結合性を示した(Fig.3)。次にファージ上に発現された野生型MAHが糖鎖結合活性を保っているかを赤血球凝集能を指標に検討した。野生型MAHを発現していると思われる両ファージは無処理の赤血球を凝集したが、シアリダーゼ処理した赤血球は凝集しなかった。赤血球凝集に必要なファージの最低Titerは両者とも約1×1010cfuであった。このことにより、MAHの活性が保たれ、pCombファージミド系ファージに糖鎖結合性を持つMAHが発現したことが明らかになった。両ファージの活性をシアル酸を含む糖蛋白質であるヒトグリコフォリンに対する結合性でさらに詳しく調べたところ、予想に反し、ファージ1個あたり単一のMAH蛋白質を発現しているpComb3の方がより強い活性を持つことがわかった(Fig.4)。ELISAを用いたヒトグリコフォリンに対する結合性により検出できるpComb3ファージの最低Titerは約1×107cfuであった。

4. ファージライブラリーから特定レクチンの選別

 以上の結果に基づき、1次構造を改変したレクチンライブラリーの作製はpComb3のファージミドを用いて行うことにした。実現可能な範囲のライブラリーの作製のため、MAHの糖結合部位のアミノ酸の内、シアル酸との相互作用と金属イオンとの配位に必須と考えられる3つのアミノ酸以外に、他のマメ科レクチンで保存性が高い2個のアミノ酸をさらに固定し、6つのアミノ酸だけをランダムに改変した。その結果、理論的に予想される6.25×107をカバーしていると思われる約1×108のライブラリーを作製できた。

 次に、pComb3ファージのレクチンライブラリーを用いたパニング系を確立することを目標として、野生型MAHが強い結合性をもっているヒト赤血球に対するパニングを試みた。1回目のパニングに比べ3回目においてはその回収率が約10培に増加し、ヒト赤血球に対する結合性を持つファージが濃縮されていることが判明した。3回目のパニングによって得られたファージから、ヒト赤血球を特異的に凝集するが、異なる糖結合特異性を持つ、いくつかのクローンが得られた(Fig.5)。以上より、1次構造に変異を導入したレクチンライブラリーから生物学的に重要な糖鎖に特異的なレクチンを選別するための、スクリーニング系が確立できた。

【まとめ】

本研究で私は、レクチンライブラリーが細胞の分別同定に有用であることを証明した。

この新しい方法で細胞表面の糖鎖を分析することにより、遺伝子発現だけに依存していた細胞の同定が正確に行えることを意味し、細胞移植や細胞治療の開発に役立つと考える。また、本研究では人工レクチンライブラリーをファージミド系ファージの表面に発現させることに成功した。改変レクチンライブラリーから特異性の異なるものを選別する方法が確立したので、この系を用いて既存のレクチンやモノクローナル抗体にはない、新規な糖鎖特異性を有するものを得ることができると期待される。

【参考文献】

1. Yim M., Ono T., and Irimura T., Mutated plant lectin library useful to identify different cells, Proc Natl Acad Sci USA, in press (2001).

2. Yim M., Maenuma K., Ono T., and Irimura T., Selection and characterization of genetically engineered lectins through a phage display system, in preparation.

Fig.1. MAH糖結合部位の変異

Fig.2. 変異MAHレクチンを用いた異種動物赤血球の分別同定1-16:クローン1-1617:N,C

Fig.3. 野生型MAHを発現しているファージの抗MAH抗体に対する結合性

Fig.4. 野生型MAHを発現しているファージのヒトグライコフォリンに対する結合性

Fig.5. パニングにより得られたヒト赤血球に特異的なクローンの糖鎖特異性

hatched bars, glycophorin; gray bars, Neu5Acα2-3Galβ1-3Ga1NAcα-sp-biotin; checked bars, GalNAcα1-3GalNAcβ-sp-biotin; white bars, Neu5Acα2-6GalNAcα-sp-biotin; dotted bars, 3'sialyllactosamine-BSA.

審査要旨 要旨を表示する

 糖鎖に書き込まれた暗号を解読することができれば、生物学に新しい地平が開かれると言われている。多様な糖鎖を解析するためのツールとして、また生体内で暗号を読みとっている分子侯補として糖結合蛋白質(レクチン)が挙げられる。しかし、糖鎖の種類に対してそれを認識する既知のレクチンの種類は限られており、動物及び植物由来のものを合わせても糖鎖の多様性と対応させるには十分とは言えないのが現状である。もし、異なる糖鎖認識スペクトルを有する人工レクチンが多様な内容を持つライブラリーとして得られれば、その中から、特定の細胞挙動に関与する糖鎖に特異的な新規レクチンを得たり、多様なレクチンを固相化したレクチンチップを作製して細胞の同定に用いるなどの応用が期待される。「Generation of Library of Genetically Enineered Plant Lectins and Its Application(遺伝子工学的手法による人工植物レクチンライブラリーの作製と応用)」と題する本論文では、シアル酸を含む糖鎖に特異的なマメ科レクチンであるMaackia amurensis hemagglutinin(MAH)の糖結合部位を遺伝子工学的手法でランダムに改変し、異なる糖鎖のバリエーションを見分けられる人工レクチンのライブラリーを作製することが目論まれ、成功を修めた。さらに、得られた人工レクチンライブラリーを利用して、種類の異なる細胞への結合パターンから細胞の種類の違いを見分けることに成功した。また、人工レクチンライブラリーから、生物学的に重要な糖鎖に特異的なレクチンを選別するための、スクリーニング系を確立するという、ライブラリーを広範に応用するための重要なステップがクリアされた。

 大きく四部に分けられる本論文の最初の部分では、人工レクチンライブラリーの作製法に関するアイディアと、結果として作製されたものの内容について詳しく述べられている。種々のマメ科レクチンのアミノ酸配列と糖結合部位の構造から得られた情報に基づき、MAHレクチンの285個のアミノ酸のうち、糖結合部位である127番目から137番目の部分の塩基配列を合成オリゴヌクレオチドをプライマーとして用いてオーバラップエクステンションPCRによりランダマイズした。ただし、シアル酸との相互作用に必須と考えられるアスパラギン酸135、また金属イオンとの配位に必須と考えられるアスパラギン酸127とヒスチジン132は固定した。ダイターミネーター法でDNA配列を決定したところ、変異MAHの場合、最初に固定した3つのアミノ酸を除いてすべて異なり、ランダマイズが達成されていることがわかった。

 第二部では、レクチンライブラリーを用いた細胞の分別同定が研究対象である。作製したレクチンライブラリーをpGEXベクターに組み込んで大腸菌にGST融合蛋白質として発現させた。ランダムに50個のクローンをとり、そのうち、タンパクを発現していると思われる16個のクローンを得た。これらのクローンのDNA配列を決定したところ、糖結合部位のアミノ酸配列は固定したアミノ酸を除いてすべてのクローンで異なることがわかった。得られた16クローンの糖結合特異性の違いを利用して、シアル酸を含むが、構造の異なる糖鎖をその表面に発現していると思われる、異種動物の赤血球の分別同定を試みた。各々の赤血球が16種の変異レクチンによる凝集力価の相対強度に関して固有な特性を示すことがわかった。以上から、複数の改変レクチンを利用することによって結合パターンにより細胞の種類の違いを見分けることができることが示唆された。

 第三部では、ファージライブラリーの作製とパニングによる選別を行った結果である。ファージミド系であるpComb3とpComb8を用い、先ずファージの表面に野生型レクチンが発現し、活性を有するかを調べた。抗MAH抗体の結合性、ヒト赤血球凝集能及びグリコフォリンに対する結合性により、糖鎖結合性を持つMAHが発現したことが明らかになった。ELISAを用いたヒトグリコフォリンに対する結合性により検出できるpComb3ファージの最低力価は約1×107cfuであった。

 第四部では、ファージライブラリーから特定レクチンを選別する方法を確立することが目標となった。MAHの糖結合部位(ループC)のアミノ酸の内、シアル酸との相互作用と金属イオンとの配位に必須と考えられる3つのアミノ酸以外に、他のマメ科レクチンで保存性が高い2個のアミノ酸をさらに固定し、6つのアミノ酸をランダムに改変した。その結果、理論的に予想される6.25×107をカバーしていると思われる約1×108のライブラリーを作製できた。pComb3ファージのレクチンライブラリーを用いたパニング系を確立することを目標として、野生型MAHが強い結合性をもっているヒト赤血球に対するパニングを試みた。1回目のパニングに比べ3回目においてはその回収率が約10培に増加し、ヒト赤血球に対する結合性を持つファージが濃縮されていることが判明した。3回目のパニングによって得られたファージの95%以上は野生型と同一のアミノ酸配列を有した。300クローンの内の異なるアミノ酸配列を持つ10クローンには、最も親和性の高いオリゴ糖が野生型におけるNeuAcα2-3Galβ1-3(NeuAcα2-6)Ga1NAcではなく、NeuAcα2-3Galβ1-3Ga1NAcであるものが含まれていた。以上より、1次構造に変異を導入したレクチンライブラリーから生物学的に重要な糖鎖に特異的なレクチンを選別するための、スクリーニング系が確立できた。

 本研究によって、多様な特異性を持つレクチンライブラリーが遺伝子工学的に作製できること、これらが、細胞の分別同定に有用であること、ライブラリーから特定の特異性を持つレクチンを選別して大量に生産できることが証明された。細胞移植や細胞治療においては、利用する細胞を分別同定することがぜひとも必要であるが、確かな方法がなく、遺伝子発現解析に期待が集まっていたが、この新しい方法で細胞表面の糖鎖を分析することにより、全く新しい角度から細胞の同定が正確に行うことができるようになった。人工レクチンライブラリーをファージミド系ファージの表面に発現させ、選別する方法が確立されたことにより、既存のレクチンやモノクローナル抗体にはない、新規な糖鎖特異性を有するレクチンを得ることができる。これらの成果は糖鎖生物学の発展に強いインパクトを与えるものであり、本研究を行った林美正は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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