学位論文要旨



No 116472
著者(漢字) 古泉,博之
著者(英字)
著者(カナ) コイズミ,ヒロユキ
標題(和) 細胞内I型PAF acetylhydrolaseの微小管系および精子形成への関与
標題(洋)
報告番号 116472
報告番号 甲16472
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第946号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 青木,淳賢
内容要旨 要旨を表示する

【序文】

細胞内I型PAFアセチルハイドロラーゼ(PAF-AH(I))は血小板活性化因子PAFを加水分解する酵素として当研究室で同定された。本酵素は、互いに60%の相同性を持つ触媒サブユニットα1、α2と、非触媒サブユニットであるβからなり、3量体G蛋白質に立体構造上よく似た複合体を形成している。βが脳形態形成期の神経細胞移動異常により生じるMiller-Dieker症候群の原因遺伝子産物LIS1と同一であることから、PAF-AH(I)が、神経細胞移動において重要な役割を持っていることが予想された。しかし、実際、PAF-AH(I)が細胞内でどのターゲットに作用しているか、αとLIS1/βはどのように関与しているのか、またどのような生理的機能を持っているかという点に関してほとんど明らかになっていない。私は、過剰発現細胞を用いた細胞レベル、ノックアウトマウスを用いた個体レベルでの解析を行った。その結果、PAF-AH(I)は細胞内微小管系を調節していることが示唆され、さらに個体レベルでは精子形成において重要な機能を果たしていることが明らかになった。

【方法と結果】

過剰発現細胞を用いた細胞レベルでの機能解析

 本酵素の細胞レベルでの機能を探るため、各サブユニットを恒常的に過剰発現させた細胞株の樹立を試みたが、高発現を示すクローンは得られず、この酵素の過剰発現は細胞の生育にとって有害であると予想された。そこで、目的遺伝子の発現を誘導できるTet-Off systemを用いた。CHO細胞において、テトラサイクリンを培地中より除くことにより各サブユニットそれぞれ内在性のものに対して約5倍の過剰発現を誘導できる細胞株を得た。

 LIS1/β、α2の発現誘導を行うと、通常の細胞よりも大きい、多核、多形核を有する異常細胞が出現することを見いだした(Fig.1B,C)。α-tubulin抗体を用いて微小管の免疫蛍光染色を行ったところ、正常細胞では核の近傍に微小管形成中心(MTOC)が観察される(Fig.1A)のに対し、LIS1/β過剰発現細胞ではMTOCが消失し(Fig.1B)、α2過剰発現細胞では正常細胞のものより拡がったMTOCや、2個以上のMTOCを持つものが観察された(Fig.1C)。α1過剰発現細胞では顕著な核形態異常、微小管形成異常は見られなかった。

 微小管形成中心である中心体のマーカー、γ-tubulinの抗体を用いて免疫蛍光染色を行ったところ、正常細胞では、核のすぐ近傍に1つまたは2つの中心体が見られる(Fig.2A)のに対し、LIs1/β過剰発現細胞では核から離れ、多数、細胞質中に散在しており(Fig.2B)、α2過剰発現細胞では中心体が散在するか、核の近傍でなく細胞の縁の方に存在するものが観察された(Fig.2c)。α1過剰発現細胞では顕著な中心体の異常は観察されなかった。

 核形態の異常は、細胞分裂の異常により生じていることが予想されたので、細胞分裂期の様子を観察したところ、LIS1/βやα2過剰発現細胞では過剰数のmitotic spindleが形成される結果、染色体分離異常が生じることが分かった(Fig.3)。

 次に、PAF-AH(I)の細胞内における局在を見るためにmyc-tagをつけた各サブユニットをCHO細胞に発現させmyc抗体で免疫蛍光染色を行ったところ、LIS1/βは細胞質に存在する他、γ-tubulinの局在と一致し、一部、中心体に局在することが明らかになった(Fig.4)。一方、α1、α2ではこのような局在は見られず、細胞質に一様に存在していた。

 以上より、LIS1/βは中心体構成分子と相互作用することにより細胞内微小管系を調節している可能性が示唆された。さらにαは細胞質においてLIS1/βと結合することにより、中心体において機能するLIS1/βの制御を行っているのではと考えられた。

ノックアウトマウスを用いた個体レベルでの機能解析

 さらにPAF-AH(1)の個体レベルにおける生理的機能を解析するために、触媒サブユニットα1、α2のノックアウトマウスを作成した。α1-/-マウス、α2-/-マウス、α1-/-α2-/-マウスいずれもメンデルの法則に従い、正常に出生し、見かけ上、正常に成長した。どのマウスにおいても脳構造の顕著な異常は少なくともadultでは観察されなかった。

 まずはじめに、ノックアウトマウスの生化学的な解析を行った。PAF-AH(I)のα1、α2は可溶性画分にのみ検出されるのに対し、LIS1/βは可溶性画分のみならず、不溶性画分にも検出される。可溶性画分のこれらのサブユニットは1型PAF-AHとしてのcomplexを形成していると思われるが、不溶性画分のLIS1/βはαとは結合しておらず、何らかの別の成分、恐らくは中心体構成分子などと結合しているものと予想される。α2、α1ノックアウトマウスにおいてLlS1/βの発現を調べたところ、α2ヘテロ、α2ホモ欠損マウスにおいて、可溶性画分のLlS1/βがα2量依存的に減少していることが見出された。一方、不溶性画分においてLIS1/βの発現量には変化は見られなかった。mRNAレベルではむしろ上昇傾向にあったことから、蛋白翻訳後に分解されていると考えられた。またα1ノックアウトマウスではLIS1/βの発現量に変化は見られなかった(Fig.5)。

 以上の結果より、α、特にα2は、恐らく細胞質においてLIS1/βと結合することにより細胞内におけるLIS1/βを安定化し、細胞質のLIS1/βの量を規定している可能性が初めて示唆された(Fig.6)。

一方、交配を重ねていく過程でα-/- α2-/-マウスではオスが不妊であることを見いだした(メスは妊娠可能)。その精巣を調べてみると、野生型に比べ極端に小さいことが分かった。そこで、精巣を固定し、組織切片を観察した。哺乳類の精巣は精細管と呼ばれる細い管の集合体から成っている。精細管内では外側から内腔にむかって周期的に精子形成が行われており、まず、精原細胞が精母細胞に分化し、減数分裂をへて、精子細胞が生じ、形態形成後、精細管内腔に放出される。α1-/-マウス、α2-/-マウスの精巣では、何ら異常は認められず、精子形成も正常に行われていた。一方、α1-/-α2-/-マウスでは、精細管は顕著に細くなっており、精細胞の数も極端に減少していた(Fig.7)。精原細胞の数は変わっていないようだが、精母細胞の減数分裂以降に急激に減少しており、精子はほとんどつくられていない。α1+/- α2-/-マウスでもダブルノックアウトの時とほぼ同様なフェノタイプが観察され、やはり精子形成はほとんど行われていない。一方、α1-/-α2+/-マウスでは精子は少ないながらも形成されており、生殖能力もあった。

実際α、特にα1は、精巣に高発現しており、以上より、少なくともマウスにおいてはPAF-AH(I)触媒サブユニットが精子形成において重要な働きをしていることが初めて明らかになった。

【まとめと考察】

私は本研究においてα1、α2のノックアウトマウスを作成したが、どちらのマウスでも異常は見られなかった。しかし、α1、α2ともに欠損すると脳には異常が見られないものの、精巣に異常が発生することを初めて見出した。一方、LIS1/βノックアウトマウスがすでに作成されており、ヘテロ欠損マウスでは神経細胞層構造にわずかに異常が見られるものの、見かけ上、正常に成長する。またホモ欠損では胚致死になることが報告されている。以上の知見を考慮すると、PAF-AH(I)では、α1、α2の欠損よりLIS1/β欠損の方が重篤なフェノタイプを呈することが分かる。今回、精巣に見られたような異常がLIS1/βノックアウトマウスで見られるかどうかは分かっていないが、α1、α2が欠損すると、一部の特殊な細胞(おそらく微小管の発達した細胞)でのみ、微小管系の調節、細胞分裂に異常が生じ、LIS1/β欠損では全ての細胞において異常が生じるものと考えられる。LIS1/βは中心体に存在するなど細胞内微小管系を直接、制御していると考えられるが、α(特にα2)は恐らくLIS1/βとの結合を介して、LIS1/βの量的制御に関わっているものと現在考えている。αがLIS1/βのタンパク量だけでなく、質的な違いにも関与してくるのか、またα1とα2がどのように使い分けられているのか、触媒活性がどのように関与してくるのかということが今後の課題である。

Fig.1 Lls1/β、α2過剰発現による微小管構造異常

Fig.2 Lls1/β、α2過剰発現による中心体構造異常

Fig.3 LIS1/β過剰発現による細胞分裂異常

Fid.4 LIS1/βの一部は

Fig.5 α2-/-マウスではLIS1/βの可溶性画分の発現量が低下する

Fig.6 αはLIS1/βとの結合を介して、可溶性画分におけるLIS1/β量を規定している(仮説)

Fig.7 PAF-AH(1)αサブユニットノックアウトマウスの精巣のフェノタイプ

生後、5〜7ヶ月齢のマウスの精巣をBouin固定し、PAS-hematoxylin染色を行った。

審査要旨 要旨を表示する

細胞内I型PAF acetylhydrolase(PAF-AH(I))は血小板活性化因子PAFを加水分解する酵素として同定された。本酵素は、互いに60%の相同性を持つ触媒サブユニットα1、α2と、非触媒サブユニットであるβからなる複合体を形成している。βが脳形態形成期の神経細胞移動異常により生じるMiller-Dieker症候群の原因遺伝子産物LIS1と同一であることから、PAF-AH(I)が、神経細胞移動において重要な役割を持っていることが予想されている。しかし、実際、PAF-AH(I)が細胞内でどのターゲットに作用しているか、αとLIS1/βはどのように関与しているのか、またどのような生理的機能を持っているかという点に関してほとんど明らかになっていない。

 「細胞内1型PAF acetylhydrolaseの微小管系および精子形成への関与」と題する本論文では、過剰発現細胞を用いた細胞レベル、ノックアウトマウスを用いた個体レベル、両方向よりの解析の結果、PAF-AH(I)が細胞内微小管系を調節に関与していることを見出し、さらに個体レベルでは精子形成において重要な機能を果たしていることを明らかにしている。

過剰発現細胞を用いた細胞レベルでの機能解析

本酵素の細胞レベルでの機能を探るため、目的遺伝子の発現を誘導できるようなテトラサイクリン.Offのシステムを用い、CHO細胞において本酵素各サブユニットの発現誘導を行っている。

LIS1/βを過剰発現させると多核、多形核を持つ、正常な細胞より大きな細胞が多く出現することを見出された。これらの異常な細胞では、微小管形成、中心体構造が異常なことが明らかにされた。また細胞分裂期には、過剰数のmitotic spindleが形成され、染色体分離異常が生じることが明らかにされた。さらにmycタグをつけたLIS1/βをCHO細胞に発現させると、一部、中心体に局在することが見出された。以上より、LIS1/βは中心体構成分子と相互作用することにより細胞内微小管系を調節している可能性が初めて示唆された。

α2過剰発現によっても微小管形成、中心体の異常が観察された。一方、α1では顕著な異常は見出されなかった。mycタグをつけたαをCHO細胞に発現させると、細胞質にしか存在しない。α2ノックアウトマウスの脳可溶性画分をカラムで分画したところ、α1とLIS1/βはほとんど結合していないことが見出された。以上より、α2過剰発現では中心体で機能できるLIS1/βが細胞質に奪われるために異常が生じるが、α1過剰発現ではLIS1/βを奪えないため、フェノタイプが弱くなる可能性が示唆された。

ノックアウトマウスを用いた個体レベルでの機能解析

本酵素の個体レベルでの解析を行うために本酵素の触媒サブユニットα1およびα2のノックアウトマウスを作製し、解析を行っている。α1およびα2のノックアウトマウス、ダブルノックアウトマウスいずれも正常に出生し、正常に成長した。また、非触媒サブユニットであるLIS1/βノックアウトマウスに見られるような脳構造の異常は見られなかった。

しかし、生化学的解析の結果、α2ノックアウトマウスにおいて可溶性画分のLIS1/β発現量が減少しており、分解されやすくなっていることが見出された。αは可溶性画分のみに存在するのに対し、LIS1/βは可溶性画分のみならず不溶性画分にも存在し、可溶性画分においては本酵素複合体を形成し、不溶性画分ではαとは別の成分、おそらく中心体構成分子などと複合体を形成しているものと思われる。以上より、αは細胞質においてLIS1/βと結合することにより、中心体において機能するLIS1/βを調節している可能性が示唆された。

さらに、α1およびα2それぞれのノックアウトマウスは生殖可能であるが、ダブルノックアウトマウスのオスでは不妊になることが見出された。このマウスでは精巣が野生型に比べ小さくなっており、組織切片の観察を行ったところ、精子形成の異常が観察された。本酵素が精子形成において重要な役割を果たしていることが初めて明らかにされた。

以上を要するに、本研究は、過剰発現細胞を用いた細胞レベル、ノックアウトマウスを用いた個体レベル、両方向よりの解析を行うことにより、PAF-AH(I)が細胞内微小管系を調節に関与していることを見出し、さらに個体レベルでは精子形成において重要な機能を果たしていることを明らかにしている。また、α(α2)はLIS1/βと細胞質において相互作用することにより、この量的制御を行い、中心体において機能するLIS1/βを調節し得る可能性を持つことが示唆されている。以上の知見は、PAF-AH(I)の生理的意義を考える上で、意義深いものであり、博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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