学位論文要旨



No 116473
著者(漢字) 小谷,典弘
著者(英字)
著者(カナ) コタニ,ノリヒロ
標題(和) β1,4-Galactosyltransferase-I(GalT-I)ノックアウトマウスに見られる糖タンパク質糖鎖構造異常とその意味
標題(洋)
報告番号 116473
報告番号 甲16473
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第947号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 高崎,誠一
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

 糖タンパク質糖鎖は従来から生体機能に重要な役割を果たしていると考えられているが、未だ未知な部分が多い。最近、これらの生合成を司る酵素群(糖転移酵素)が多数クローニングされ、様々な研究に用いられている。中でも、糖タンパク質糖鎖のガラクトシル化に重要なβ1,4-galactosyltransferase-1(GalT-I)は早くからその存在が明らかになっていたこともあり注目されてきた。

 1997年に東京大学医科学研究所の浅野、岩倉らのグループによってGalT-Iノックアウトマウスが作成された。このマウスは糖タンパク質糖鎖の構造異常が原因であると考えられる複雑なphenotypeを呈していた。しかし、実際にこのノックアウトマウスでどのような糖タンパク質糖鎖構造異常が起きており、どうphenotypeに反映していくのかは不明である。

 この点を解明するため、本研究ではまずGalT-1ノックアウトマウスの各組織における糖鎖構造変化を正確に把握し、GalT-1欠損により糖鎖生合成がどう変化するかについて解析した。さらに、GalT-I欠損により誘導される糖鎖構造異常とphenotypeの関係を検討する目的で、前述の研究より明らかになった赤血球表面糖鎖の構造異常とノックアウトマウスの生体機能異常の1つである貧血の間に何らかの関係があるか否かについても検討を進めた。

(1)GalT-I欠損と糖鎖生合成の変化

 GaIT-Iは糖タンパク質糖鎖生合成過程におけるβ1,4ガラクトシル化に主要に関与する糖転移酵素と考えられており、ほとんどの組織に発現が認められる。従って、このノックアウトマウスでは多くの組織上に糖鎖構造変化が起こっているものと予想される。実際、レクチン染色による血清タンパク質糖鎖分析ではN結合型糖鎖上のβ1,4Gal残基の欠損が示されている。本研究ではさらに詳細な分析を行い、ノックアウトマウス各組織に起こっている糖鎖構造変化の全体像を明らかにし、GalT-I欠損が各組織での糖鎖生合成過程にどのような影響を与えているかについて解析を進めた。まず、以下に示す4種類のGalT-Iノックアウトマウス由来糖タンパク質:

 a) 赤血球表面糖タンパク質 b) 脾臓細胞表面糖タンパク質

 c) 肝細胞表面糖タンパク質 d) 血漿糖タンパク質

を試料とし、詳細な糖鎖構造分析を行った。糖鎖構造分析は修士課程で開発したHPAEC(High-pH anion exchange chromatography)による方法1)2)を用いて行った。

a)赤血球表面糖タンパク質糖鎖の構造変化

 +/+(wild-type mouse)、+/-(heterozygous knockout mouse)、-/-(homozygous knockout mouse)の赤血球表面のO結合型糖鎖及びN結合型糖鎖を分析した。その結果、-/-のみO結合型糖鎖core2構造及び複合型N結合型糖鎖にβ1,4Gal残基の部分欠損が認められた3)。さらに、N結合型糖鎖においては年齢依存的な分岐構造の変化が認められた(Fig.1)。

b)脾臓細胞表面糖タンパク質糖鎖の構造変化

 +/-及び-/-の脾臓細胞表面のO結合型糖鎖を解析した。その結果、赤血球の場合と同様に-/-のcore2構造においてβ1,4Gal残基の部分欠損が認められた(Table 1)。

c)肝細胞表面糖タンパク質、d)血漿糖タンパク質の糖鎖構造変化

 +/+及び-/-の肝細胞表面のN結合型糖鎖を分析した(Fig.2)。また、肝細胞の分泌タンパク質として血漿糖タンパク質のN結合型糖鎖についても解析した。その結果、興味深いことに両糖タンパク質N結合型糖鎖でβ1,4Gal残基の部分欠損の他、β1,3Gal残基の顕著な増加、シアル酸の結合様式の変化が認められた。しかし、分岐構造の変化は認められなかった。

 以上のことから、Ga1T-I欠損による糖鎖生合成の変化は各組織で異なる上、当初予想されていたβ1,4ガラクトシル化の欠損だけでなく赤血球での年齢依存的な分岐構造の変化や肝細胞でのβ1,3Ga1残基の顕著な増加など、複雑な構造変化を誘導することも分かった。これらの結果は、生合成過程における糖転移酵素同士の協奏関係がvivoでも存在すること、また、協奏関係は各組織特異的であることを示唆している。本研究で得られた知見は将来的には糖鎖構造改変モデルの作製などに応用できると考えられ、さらなる検討が求められる。

(2)貧血と赤血球表面糖鎖構造変化の関係

 前述のようにGaIT-Iノックアウトマウスのphenotypeは糖タンパク質糖鎖の構造変化によって誘導されていると考えられるが、実際のメカニズムは分かっていない。本研究ではノックアウトマウスのphenotypeの1つである貧血と赤血球表面糖鎖構造変化との関係について検討した。

 +/+、+/-、-/-のヘマトクリット値を測定したところ、-/-のヘマトクリット値が有意に低下しており貧血であることが分かった。本研究では-/-赤血球表面糖鎖のβ1,4Gal残基が欠損することに注目し、GlcNAc残基が露出するという糖鎖構造異常が原因で赤血球が異物として認識され、排除(溶血)されることが貧血の原因ではないかという仮説を立てた。まず、+/-,-/-赤血球それぞれに補体血清(モルモツト、マウス)を加えてみると、-/-赤血球特異的に溶血が起こった(Fig.3)。さらに、この溶血反応の溶血素について検討した結果、-/-赤血球にマウス血清コレクチンが特異的に結合することがわかった(Fig.4)。これらの結果から、レクチン経路依存的な溶血反応が-/-における貧血の原因である可能性が示唆された。

 この研究により、糖鎖構造が変化した組織が同様の異物排除機構により障害を受ける可能性が示唆された。今後、その他の組織におけるGlcNAc残基の露出と組織障害の関係について研究が進むことが期待される。

参考文献

1) Kotani, N. and Takasaki, S. (1997) Anal. Biochem. 252, 40-47

2) Kotani, N. and Takasaki, S. (1998) Anal. Biochem. 264, 66-73

3) Kotani, N., Asano, M., Iwakura, Y. and Takasaki, S. (1999) Biochem. Biophys. Res. Commun. 260, 94-98

Fig.1 -/-における年齢依存的な分岐構造の変化

Tablel +/-,-/-のO結合型糖鎖コア構造と存在比

Fig.2 +/+,-/-のN結合型糖鎖構造分析

Fig.3 +/-,-/-赤血球の溶血率(マウス補体血清)

Fig.4 +/-,-/-赤血球への血清コレクチンの結合

審査要旨 要旨を表示する

 β1,4-galactosyltransferase-1(GalT-1)は、糖タンパク質糖鎖のβ1,4ガラクトシル化を担う重要な酵素として注目されてきた。1997年に作製された本酵素のノックアウトマウスは、大半が出生後早期に死亡し、生き残ったマウスは成長遅延、皮膚の肥厚、小腸上皮細胞の分化異常、好中球増加、等の多様な異常を呈する。しかしその後、β1,4ガラクトシル化に関与する複数の酵素の存在が明らかになり、本ノックアウトマウスの病態や、GalT-Iが糖鎖のβ1,4-ガラクトシル化に果たす役割の解明にとって、詳細な糖鎖の構造変化の解析が必須となってきた。

 そこで本研究では、まずGalT-Iのノックアウトに伴う糖鎖の構造変化に関する研究を進め、本酵素の糖鎖生合成における役割を解析した。次に、糖鎖の構造異常と病態との関連性を解明する一環として、本マウスの異常の一つである貧血に着目し、その機構について解析した。

[I]Ga1T-I欠損による糖鎖の構造変化

 レクチン染色法による分析や酵素活性測定から、GalT-Iノックアウトマウスの主要な組織において、Galの転移活性やGal結合性レクチンとの反応性が激減することがこれまで示されていた。しかし、本研究における詳細な解析の結果、以下に示す多様な糖鎖の構造変化が起きていることが判明した。1) GalT-Iのノックアウトによって、赤血球の膜糖タンパク質のコア2型O-グリカンのβ1,4-ガラクトシル化が劇的に低下するのに対し、N-グリカンのガラクトシル化の低下は軽微である。2)コア2型O-グリカンのβ1,4-ガラクトシル化の劇的な低下は脾臓細胞においても認められる。3)赤血球膜のN-グリカンの構造変化は、O-グリカンとは異なり年齢依存的であり、加齢に伴って分岐構造が増加する。4)肝細胞膜や血漿の糖タンパク質においては、N-グリカンのβ1,4-Gal残基が激減し、補償的にβ1,3-Gal残基が顕著に増加し(側鎖の基本骨格のタイプ2鎖からタイプ1鎖への変換)、同時にシアル酸の結合様式も変化する。

以上の結果から、GalT-Iはコア2型O-グリカンのガラクトシル化において中心的な役割を果たしていることを明らかにした。また、GalT-IのN-グリカンのガラクトシル化への寄与は組織により異なり、本酵素の欠損が組織や年齢に依存して、側鎖の基本骨格構造やシアリル化にも影響する多様な糖鎖構造変化を引き起こすことを示した。

[II]貧血と赤血球表面糖鎖構造変化の関係

 本研究過程で、ノックアウトマウスのヘマトクリット値が有意に低下しており貧血であることが分かった。そこで、ノックアウトマウス赤血球表面糖鎖のGal残基が欠損することに注目し、GlcNAc残基が露出した赤血球が異物として認識され、排除(溶血)されることが貧血の原因ではないかという可能性を検証した。その結果、1)補体血清の添加により、ノックアウトマウスの赤血球特異的に溶血が起こり、この反応は補体要求性で、GlcNAc添加で阻害される糖鎖依存性を示すこと、2)正常マウス血清から精製したコレクチンが、ノックアウトマウス赤血球表面のGlcNAcを認識して特異的に結合し凝集させること、3)ノックアウトマウスでは血漿中のコレクチン量が激減していること、等が判明した。以上の結果から、本マウスの貧血の一因として、レクチン経路による持続的な溶血が関与していることを示唆した。

 以上、本研究はGalT-Iのノックアウトマウスの解析から、in vivoにおける糖鎖生合成における本酵素の役割に関する新しい知見を示し、また、ノックアウトマウスの病態の一つである貧血の背景を明らかにしたものであり、糖鎖生物学の発展に寄与する有用な知見を提供するものである。よって博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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