学位論文要旨



No 116477
著者(漢字) 野田,展生
著者(英字)
著者(カナ) ノダ,ノブオ
標題(和) 抗体結合能の付与による抗体プローブの利用 : リボヌクレアーゼ・Fab複合体のX線解析と受容体への応用
標題(洋)
報告番号 116477
報告番号 甲16477
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第951号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,能雅
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 黒瀬,等
 東京大学 助教授 原田,繁春
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

 生命活動を理解するためには蛋白質の機能を解明することが必須であり,そのためには蛋白質の三次元構造を知ることが重要となる。蛋白質の三次元構造決定の最も強力な手法は,今も昔もX線結晶構造解析法である。蛋白質のX線解析は,近年の計算機科学の発達,シンクロトロン放射光の利用等により,解析のスピードが飛躍的に向上し,試料の良質な結晶さえ得られればあとはルーチンで構造決定が可能な段階にまで来ている。しかしながら,蛋白質の結晶化の段階だけはいまだ試行錯誤に頼った,時間と労力のかかる過程であり,三次元構造決定への大きな足かせとなっている。この結晶化の過程を迅速に,効率良く行なう新しい方法論の開発を目的として,蛋白質試料に化学的に抗体結合能を付与することにより,既存の高親和性抗体のFabフラグメントとの複合体を調製し,複合体として結晶化を行った。抗体結合能を付与するモデル蛋白質としてリボヌクレアーゼ(RNase)U2を,また抗体として抗ダンシル抗体および抗ニトロフェノール抗体を用いた。

【化学抗原化と複合体の調製】

 ダンシル(DNS,1)化合物に対して106〜108M-1の親和性を持つ抗ダンシル抗体をプローブとして活用するため,RNase U2のN末端にDNSクロライドを反応させた。陰イオン交換クロマトグラフィーによる精製後,MALDI-TOF質量分析によりDNSに相当するRNase U2の分子量の増大を確認した。ゲルろ過クロマトグラフィーによる抗ダンシル抗体のFvフラグメントとの複合体形成を調べたところ,安定な会合は認められなかった。

 4-hydroxy-3-iodo-5-nitrophenylacetic acid(NIP)に対して106および108M1の親和性を持つ抗ニトロフェノール抗体N1G9および3B62をプローブとして活用するため,RNase←U2のN末端にスクシンイミドを利用したカップリング反応によりMIP(2a),およびリンカーとしてグリシンとβアラニンを用いた誘導体(2b,2c)を付加した。陰イオン交換クロマトグラフィーによる精製後,MALDI-TOF質量分析によりそれぞれの付加物に相当するRNase←U2の分子量の増大を確認した。

 化学修飾後のRNaseU2のRNA切断活性を測定したところ,80%以上の活性を保持していた。ゲルろ過クロマトグラフィーによるとMIPを付加させたRNaseU2ではFabとの会合が弱いが,グリシンとβアラニンをリンカーとして付加したRNaseU2では安定なFabとの複合体形成が認められた(図2)。

 各Fabと,リンカーをグリシンとβアラニンとしたNIP誘導体を付加したRNaseU2の組み合わせで,計4種類の複合体を調製し,結晶化サンプルとして用いた。

【X線結晶構造解析】 結晶化条件のスクリーニングの結果,MIP-βアラニンを付加したRNaseU2とNIG9Fabの複合体について,ポリエチレングリコール(PEG)8000を沈殿剤として,pH7.0で六方晶系の結晶(I型)が得られた。また,PEG400を沈殿剤として,50mMCdCl2存在下pH4.6で斜方晶系の結晶(II型)が得られた。銅Ka線を用いてX線回折強度データを収集し,NlG9のFabとRNaseU2それぞれの結晶構造を初期構造モデルとして分子置換法を適用し、プログラムCNS を用いて結晶学的構造精密化を行った。非対称単位あたり,I型はNIG9FabとRNaseU2を1分子ずつ含み,II型はそれぞれ2分子ずつ含む。

 3B62Fab単独ではPEG6000を沈殿剤として,pH7.0で単斜晶系のネーティブ体結晶が得られた。ネーティブ体については277Kで,4-hydroxy-3-nitrophenylacetic acid(NP)をソーキングした複合体結晶については100Kで銅Ka線を用いて回折強度データを収集し,抗体N1G9のFabをモデル分子として分子置換法により解析を進めた。以上の結果を表1にまとめて示す。

【複合体構造とその考察】I型,II型結晶の結晶格子内での分子充填を図3に示す。距離3.5Å以内の原子間接触が,I型ではFab分子間が38ヶ所,Fab-RNase分子間が12ヶ所,RNase分子間が1ヶ所であるのに対し,II型結晶ではFab分子間が66ケ所,Fab-RNase分子間が46ケ所,RNase分子間が30ヶ所存在する。すなわちII型結晶は,NIG9FabとRNase←U2の双方ともに密に隣接分子と接触しているのに対し,I型結晶の分子充填には主にFabが関わっており,RNase周辺には広い空間が存在している。I型結晶のFabの分子充填の間隙は,a-c面内に35×45Å2という広さで,その垂直方向に伸びた空間を形成し,RNaseはこの空間に収納されている。II型結晶の分子充填はこの複合体固有と考えられるが,I型結晶の分子充填はFabの性質に依存するところが大きい。すなわち,難結晶性の蛋白質に関しても,Fabの結晶性を利用することができると考えられる。

II型の2つの複合体構造と,I型の複合体構造を抗原結合に関わるFabのアミノ酸残基で重ねた結果を図4に示す。II型の構造間では,RNaseU2の向きはほぼ同じで,相互に主鎖α炭素の位置が2〜7Å異なる。I型では,FabとRNase間の相対配置がII型と比較すると,RNase←U2の向きは約74°回転し,重心の並進位置が15Åと17Å異なる。この相対配置の差異は,リンカー部βアラニンのフレキシブルなコンフォメーションに帰結される。

 MIP-βアラニン部分とその差フーリエ合成電子密度を図5に示す。NIP部分はFabの抗原結合部位のポケットに入り込み,密なvan der Waals接触と6本の水素結合を形成している。一方,βアラニンとそれに続くRNase部分はFab原子との接触が少なく,先に述べた結晶系の違いに応じた異なるコンフォメーションを可能にしている。

 また,3B62Fabの結晶構造とRNaseU2-N1G9Fabの複合体構造を比較することで,抗ニトロフェノール抗体のハプテン単体に対する認識様式と,本来の免疫源である,ハプテンを付加した蛋白質に対する認識様式の違いを考察した。

【今後の展望】 化学修飾による抗体結合能の付与は,実際に適用できる蛋白質に制限がある。一方,薬物受容体など,親和性の高いリガンドが存在する蛋白質に関しては,リガンドと抗体のハプテンを化学的に結合させることで,その蛋白質と抗体の両方に結合するbi-functionalなリガンドを作製することが可能である。このbi-functionalリガンドは既知の蛋白質のみならず,リガンドしか知られていない未知の蛋白質に対しても適用可能であり,プローブとしての抗体の適用範囲を広げる。そこで,bi-functionalなリガンドの適用を試みるため,Pichia Pastorisを用いてヒトβ2アドレナリン受容体を大量に発現させ,受容体の三次元構造の解明に向けて研究を進めた。ハプテンMIPとヒトβ2アドレナリン受容体のアンタゴニストAlprenololをリンカーでつなげた化合物NBCCAについて,bi-functional能の有無を調べた。抗体3B62と受容体の混合液についてNBCCAの存在下,非存在下でゲルろ過クロマトグラフィーを行い,挙動に及ぼす影響を調べた結果,NBCCA存在下では両者間の相互作用が示唆された。

図1. RNase← U2に付加させたリガンド

図2. 3B62FabとRNaseU2の複合体のゲルろ過クロマトグラフィー 細線は2a,破線は2b,太線は2cを付加させたRNaseU2を用いた。表1. 結晶学的データと精密化

図3. N1G9Fab-RNase←U2複合体結晶の分子充填 (a)I型,(b)II型

図4. 複合体の全体構造のステレオ図。細線はI型,太線と中線はII型の2つの構造を表す。抗原結合に関わるFabのアミノ酸残基で重ねた。

図5. NIP-βアラニン部分の電子密度と主鎖Cα原子のトレース。NIPの結合に関わるFab(細線)のアミノ酸残基の側鎖をスティックモデルで,RNase U2を太線で示す。

審査要旨 要旨を表示する

 抗原に対する免疫によって得られる抗体の分子認識能は広範に利用されている。本論文は,特定の抗原リガンドに対する高親和性を有する抗体について,リガンドを化学修飾により標的の蛋白質に付加し,抗体への結合能を付与する新たな概念を提供している。

 蛋白質のX線結晶構造解析による構造生物学では,シンクロトロン放射光の利用や近年の計算機科学の発達などにより,解析の精度とスピードが飛躍的に向上している。しかしながら,蛋白質の結晶化の段階は未だ試行錯誤に頼る,時間と労力を要する過程に留まっている。本論文の研究では,この結晶化を迅速かつ効率的に行う新しい方法の開発を目指して,蛋白質の化学修飾による抗体結合能の付与を達成し,高親和性抗体のFabフラグメントとの複合体を調製し,複合体の結晶化とX線解析を行った。さらに,この概念を発展させ,7回膜貫通型受容体のリガンドと抗原ハプテンとを連結することにより,受容体を特定の抗体に結合させる方法を展開した。

 抗体への結合能を付与するモデル蛋白質としてリボヌクレアーゼ(RNase)U2を,抗体として抗ダンシル抗体および抗ニトロフェノール抗体を用いている。まず,ダンシル(DNS)化合物に対して106〜108M-1の親和性を持つマウス抗ダンシル抗体をプローブとして活用するため,RNase←U2のアミノ末端にDNSクロライドを反応させてダンシル化RNaseU2を得た。しかし,抗ダンシル抗体のFvフラグメントについては安定な複合体の形成は認められなかった。これは,RNaseU2とDNSの間にリンカーを必要とするため,また,Fvのドメインが解離し易いためと考えられる。

 マウス抗ニトロフェノール抗体は4-hydroxy-3-iodo-5-nitrophenylacetic acid(NIP)に対し106〜108M-1の親和性を示す。スクシンイミドを利用したカップリング反応によりNIPを,さらに,NIPにリンカーとしてグリシンとβアラニンを導入した各誘導体をRNaseU2のアミノ末端に付加した。これら化学修飾RNaseU2のRNA切断活性を測定し,80%以上の活性を保持することを示した。ゲルろ過クロマトグラフィーにより,NIP付加RNaseU2では抗体Fabとの会合が弱いが,NIP一グリシン付加RNaseU2とNIP一βアラニン付加RNaseU2ではFabとの安定な複合体が得られることを示した。

 抗体Fabと付加体RNase← U2の複合体の結晶性と結晶構造を検討するため結晶化条件を広く探索し,一次応答N1G9抗体FabとNIP-βアラニン付加RNaseU2との複合体について,ポリエチレングリコール(PEG)8000の結晶化剤による六方晶系の結晶(I型)と,PEG400の結晶化剤による斜方晶系の結晶(II型)を得た。銅Kα線を用いてX線回折強度データを収集し,NIG9FabとRNaseU2それぞれの結晶構造を初期構造モデルとして分子置換法を適用し,結晶学的構造精密化を行った。I型は非対称単位あたり複合体1分子,II型は複合体を2分子含み,併せて3種の複合体の構造が得られた。また,高親和性を示す二次応答3B62抗体Fabについて単斜晶系の結晶を得た。この結晶に4-hydroxy-3-nitrophenylacetic acid(NP)をソーキング法で導入したNP複合体結晶を調製し,これら結晶も分子置換法により解析を行っている。その結果,二次応答抗体での高親和性を三次元構造に基づいて検討することが可能となった。

 I型とII型の結晶の結晶格子内での分子充填を見ると,I型結晶の分子充填には主にFabが関わり,RNase←U2周辺に広い空間が存在しているのに対し,II型結晶ではFabとRNase←U2の双方ともに密に隣接分子と接触している。そこで,I型結晶の分子充填はFabの性質に依存するところが大きく,難結晶性の蛋白質に関しても,Fabの結晶性を利用できると結論してる。

 図はI型の構造を細線で,II型の2構造を太線と中太線で表し,Fabのアミノ酸残基で重ね併せたものである。II型の構造間では,RNase U2の向きはほぼ同じで,相互に主鎖α炭素の位置が2〜7A異なる。1型では,FabとRNase間の相対配置がII型と比較すると,RNaseU2の向きは約74°回転し,重心の並進位置が15Åと17Å異なる。

この相対配置の差異は,リンカー部のβアラニンの柔軟なコンフォメーションに由来すると考察している。NIP部分はFabの抗原結合部位のポケットに入り込み,密なvan der Waals接触と6本の水素結合を形成していることも判明した。さらに,3B62抗体Fabの結晶構造の比較により,NPハプテン単体の認識様式と,本来の免疫源であるハプテン付加蛋白質に対する認識様式の違いを考察している。

 薬物受容体など,親和性の高いリガンドが存在する蛋白質に関しては,リガンドと抗体のハプテンを化学的に連結した双官能性リガンドを作製できれば,その蛋白質を抗体に結合させることが可能となる。この双官能性リガンドは既知の蛋白質のみならず,未知の蛋白質に対してもリガンドを介した抗体による探索などにも適用可能であり,プローブとしての抗体の適用範囲を広げる。研究ではこの概念を提案するとともに,酵母Pichia pastorisを用いるヒトβ2アドレナリン受容体の大量発現系を構築し,実際にアンタゴニストAlprenololとNIPをリンカーで連結した双官能性リガンドと抗体3B62を用いて,抗体を受容体へのプローブ化できることを示した。これは,受容体の三次元構造の解明に向けた構造生物学的な研究を大いに進展させるものと期待される。

 本論文の研究は,抗原リガンドを化学修飾により標的の蛋白質に付加し,リガンドへの高親和性を有する抗体への結合能を付与する新たな概念を提供し,化学修飾蛋白質と抗体Fabの複合体の結晶化とX線解析により概念を実証し,その有用性を示している。さらに,ヒトβ2アドレナリン受容体の大量発現系を構築し,抗体への結合能を双官能性リガンドにより受容体に付加させている。したがって,本論文は,蛋白質の構造生物学と構造化学の面から薬学の進歩に貢献するところが大きく,博士(薬学)の学位の授与に価すると判定した。

UTokyo Repositoryリンク