学位論文要旨



No 116479
著者(漢字) 平,郁子
著者(英字)
著者(カナ) タイラ,イクコ
標題(和) 完全変態昆虫におけるecdysteroid情報伝達に関する研究 : 細胞表面受容体を介した新規ecdysteroid情報伝達経路の検索
標題(洋)
報告番号 116479
報告番号 甲16479
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第953号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 鈴木,利治
 東京大学 助教授 漆谷,徹郎
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

 ecdysteroidは、昆虫の脱皮や変態を促進する昆虫のステロイドホルモンの総称で、変態のほか性ホルモンとしての働きや胚発生への関与が知られている。また細胞レベルでも、様々な細胞応答を誘導する。

 ところが、その作用の多様性にもかかわらず、ecdysteroidの受容体として現在までに同定されている分子種はecdysone receptor(EcR)のみである。EcRは核内受容体スーパーファミリーに属し、ecdysteroid存在下で遺伝子の転写を直接制御して細胞応答を誘導する。このEcRには複数のアイソタイプが存在するが、それだけではecdysteroidの生理活性の多様性を説明することができない。

 私は修士課程において、完全変態昆虫であるセンチニクバエ最終齢幼虫の中枢神経系にecdysteroidの活性本体である20-hydroxyecdysome(20-HE)を終濃度1μMとなるように与えると、神経芽細胞の増殖と一部の幼虫神経細胞の細胞死を同時に誘導し、最終的に中枢神経系の形態変化を引き起こす事を明らかにした。これらの変化は変態初期に見られる変化をほぼ再現しており、この系を使えばecdysteroidの活性を分子レベルで解析できることが期待された。

 この培養系を用い、中枢神経系に20-HEのパルス刺激を与える実験を行ったところ、培養2日目以降に現れる中枢神経系の形態変化が、わずか10分間の20-HE作用時間で誘導されうることがわかったさらに、当教室においてはセンチニクバエを用いた実験によって、特定の蛋白質のリン酸化や、貯蔵蛋白質の取り込み促進が、蛋白質合成を阻害した状態でも20-HEに依存しておこることが見出されている。これらの現象は、遺伝子の転写調節を必要としないecdysteroid細胞内情報伝達経路の存在を示唆している。そこで私は博士課程において、ecdysteroidに細胞表面受容体による新しい細胞内情報伝達経路が存在するという仮説を立てて研究を進めてきた。以下にその成果を述べる。

第一章 20-HEによる蛋白質チロシンリン酸化の変動の解析

 ecdysteroidに細胞表面受容体を介した細胞内情報伝達経路が存在するならば、20-HE刺激後短時間で何らかの情報伝達分子の変化が見られると予想される。そこで私は中枢神経系を20-HEで短時間刺激したときの蛋白質チロシンリン酸化の変動を解析した。

 その結果、わずか10分間の20-HE処理によって複数の蛋白質のチロシンリン酸化あるいは脱リン酸化がおこることが明らかとなった。20-HE刺激後短時間でこのような変化が見られたことから、EcRによる遺伝子の発現調節を介さずに直接チロシンリン酸化を変化させるようなecdysteroid情報伝達経路が幼虫中枢神経系に存在すると考えられる。

第二章 ecdysteroid細胞表面受容体候補分子の単離

 センチニクバエ中枢神経系には遺伝子発現の調節を必要としないecdysteroid情報伝達経路が存在することが示唆されたが、これを材料に受容体蛋白質の精製・単離を進めるのは困難であると予想された。そこで、他の生物のステロイド結合蛋白質などとの相同性から、ecdysteroid細胞表面受容体候補分子の遺伝子の単離を試みた。

 ここで注目したのはbrassinosteroidとprogesteroneである。Brassinosteroidは多様な機能を有する植物のステロイドホルモンで、現在までに、その情報伝達に関与し受容体様蛋白質をコードする遺伝子としてBRI1が単離されている。一方、progesteroneでは核内受容体以外に細胞膜貫通型の結合蛋白質progestercme binding Protein(PBP)が精製・単離されている。PBPは一次構造上核内受容体と相同性がないにもかかわらず、progesteroneとの結合活性がある。これらの相同体が昆虫にあれば、同じステロイドであるecdysteroidの受容体になりうるのではないかと考えた。

 これらと相同性の高いものをデータベース上で検索したところ、BRI1については有意な相同性を持つ昆虫の遺伝子は見つからなかったが、PBPでは高い相同性をもつショウジョウバエの遺伝子断片が見つかった。その配列を元にスクリーニングを行った結果、248アミノ酸からなるopen reading frame(ORF)を有するcDNAクローンが複数得られた。このORFの予想アミノ酸配列と哺乳類PBPのアミノ酸配列を比較したところ、全長にわたって約40%の相同性を示した。昆虫と哺乳類の間で高い相同性を保っていることから、この遺伝子の産物はステロイドに結合する可能性があると考え、この分子をDrosophila putative steroidmembrane binding protein (dpSMBP)と命名した。また、予想アミノ酸配列中に膜貫通領域と考えられる疎水性に富む領域が存在したことから、dpSMBPは膜貫通蛋白質であることが予想された。

 次に単離したdpSMBP遺伝子が蛋白質として発現するかを確認するために、dpSMBPの予想アミノ酸配列中の部分ペプチドを抗原とする抗体を調製し、イムノブロットによりdpSMBP蛋白質の発生過程における発現解析を行った。その結果、予想分子量にバンドが検出されたのは胚と蛹(特に初期蛹)であった。この発現パターンはecdysteroidのピークと一致しており、この蛋白質がecdysteroidと何らかの関わりをもつことを示唆している。

第三章 強制発現細胞を用いたdpSMBP蛋白質の性状・機能解析

 dpSMBP蛋白質がecdysteroidの受容体として機能するかを検討するため、dpSMBP遺伝子強制発現細胞を用いてdpSMBP蛋白質の性状および機能を解析した。

 まず、dpSMBP蛋白質が細胞表面に存在するか否かを知る目的で、この蛋白質の細胞内におけるソーティングを解析した。強制発現細胞から細胞膜を含むミクロソーム画分と細胞質画分を調製してイムノブロットを行ったところ、dpSMBP蛋白質はミクロソーム画分に分配された。さらに、蛍光免疫染色を行ったところ、抗dpSMBP抗体を用いた場合には、透過処理の有無に関わらずdpSMBP強制発現細胞群のなかで10〜20%の陽性細胞が検出された。このとき、細胞質にソーティングされるβ-galactosidase(β-gal)を発現させた細胞に対し抗β-gal抗体を反応させた時には、透過処理した細胞でのみ陽性細胞が検出されたことから、dpSMBP蛋白質は細胞表面にソーティングされることが示された。

 次に、dpSMBP蛋白質とecdysteroidが結合するかを検討する目的で、3Hラベルされたecdysoneに対する結合をミクロソーム画分で検討した。その結果、dpSMBP強制発現細胞のミクロソーム画分は、β-gal強制発現細胞のものと比較して約1.5倍の[3H]-ecdysoneを保持できることがわかった。さらに・[3H]-ecdysoneの1000倍量の非標識ecdysoneを添加して同様の実験を行ったところ、dpSMBP強制発現細胞ミクロソーム画分に保持される[3H]-ecdysone量が減少したことから、dpSMBP蛋白質はecdysone特異的な結合能を持つことが示唆された。

 さらにdpSMBP蛋白質がecdysteroidの細胞内情報伝達に関与しているかを、蛋白質のチロシンリン酸化の変動を指標に解析した結果、dpSMBP強制発現細胞とβ-gal強制発現細胞を比較してバンド強度の変動に違いのあるものが複数あった。そのなかでも、分子量約18kDaの蛋白質は、dpSMBP強制発現細胞群で、20-HE.添加後2分で一過的にリン酸化が強く亢進することがわかった。このことは、dpSMBP蛋白質がecdysteroidの細胞内情報伝達に関与する可能性を示している。

まとめ

 本研究において私は、センチニクバエ幼虫中枢神経系において短時間の20.HE処理によって複数の蛋白質のチロシンリン酸化が変動することを見いだした。またショウジョウバエにおいてecdysteroid細胞表面受容体の候補分子としてdpSMBP遺伝子を単離した。さらにこの遺伝子の強制発現細胞を用いてdpSMBP蛋白質が細胞表面に存在することを示し、ecdysone結合能を有し、20-HEによる蛋白質チロシンリン酸化の変動に関与する可能性を示した。

 従来ecdysteroidは、EcRを介して特異的な遺伝子の発現を直接制御することが分かっていたが、本研究によりdpSMBPが関与する新しいecdysteroid情報伝達経路の存在が示唆された。今後、この情報伝達経路の解析により、ecdysteroidを含むステロイドホルモンの多様な生理活性発現のメカニズムが明らかになることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、昆虫のステロイドホルモンであるecdysteroidに対して核内受容体以外の細胞内情報伝達経路による細胞応答の発見、およびecdysteroid細胞表面受容体候補分子の単離・解析を行ったものである。

 申請者はecdysteroid処理したセンチニクバエ幼虫中枢神経系において蛋白質のチロシンリン酸化の変動を解析した。その結果ecdysteroid添加後10分というごく短時間で、複数の蛋白質のチロシンリン酸化が変動したことから、遺伝子発現を必要とする核内受容体以外に、ecdysteroid細胞内情報伝達経路が存在することが示唆された。

 次に申請者は、progesteroneの細胞膜貫通型の結合蛋白質のアミノ酸配列をもとに、ショウジョウバエ胚由来cDNA libralyからその相同遺伝子を単離した。この遺伝子は248アミノ酸からなる蛋白質をコードしており、N末端付近に膜貫通領域と予想される領域が存在した。また、脊椎動物の細胞膜貫通型progesterone結合蛋白質と全長にわたって約40%の相同性を示し、膜貫通領域のC末端側に60%という高い相同性を有する領域が存在した。この蛋白質が哺乳類のものと高い相同性を持つことから、Drosophila putative steroid membrane binding protein(以下、dpSMBP)と命名した。

 このdpSMBPの蛋白質レベルでの発現を解析するために、dpSMBP蛋白質の抗部分ペプチド抗体を作製した。この抗体を用いたWestem blottingの結果、本蛋白質はecdysteroid産生が盛んな胚、前蛹、初期蛹に発現していた。

 ショウジョウバエ培養細胞Schneider's line2cellにdpSMBP遺伝子を強制発現させdpSMBP蛋白質の細胞内分布を調べたところ、細胞表面に存在することが明らかとなった。

 さらに、dpSMBP遺伝子の強制発現細胞から調製したミクロソーム画分に、通常細胞のものと比較して高いecdysone結合活性が検出されたことから、dpSMBP蛋白質がecdysteroid結合分子であることが示唆された。

 ecdysteroidで処理したdpSMBP遺伝子強制発現細胞において、蛋白質チロシンリン酸化の変動を解析したところ、dpSMBP遺伝子強制発現依存にチロシンリン酸化の変動が変化する蛋白質が複数存在したことから、dpSMBP蛋白質がecdysteroid細胞内情報伝達に関与する可能性が示された。

 以上、本研究は昆虫においてステロイドホルモンの細胞内情報伝達に関与する新規な現象および蛋白質を発見し、その解析を行ったものであり、生物化学ならびに薬学の発展に寄与するところがあり、博士(薬学)に値すると判断した。

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