学位論文要旨



No 116481
著者(漢字) 森本,恵
著者(英字)
著者(カナ) モリモト,メグミ
標題(和) 同系マウスを用いた大腸癌肝転移モデルの作成と遺伝子の解折
標題(洋)
報告番号 116481
報告番号 甲16481
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第955号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 助教授 久保,健雄
 東京大学 助教授 鈴木,利治
 東京大学 講師 東,伸昭
内容要旨 要旨を表示する

 癌の転移は、遺伝子変異が重要である発癌とは異なって、多くの遺伝子の発現量の変化が生じた結果起こると考えられている。肺転移モデルを用いた研究により、遠隔組織に転移するまでに、原発巣の癌細胞中の一部の細胞が転移性を獲得し、原発巣から離脱し、間質組織や血管に浸潤し、血管中を移動して、遠隔組織に浸潤し、増殖するという多くのステップを経ることが明らかとなった。また、転移性の高い癌細胞は、宿主の免疫細胞からの攻撃をかわし、間質系細胞や血管系細胞を再構築して腫瘍を形成する能力を持っていることが多い。これら全ての過程に関与する複数の遺伝子の発現に変化が起きていると考えられる。しかし、これらの複数の遺伝子の発現が変化する機構が全て理解されているわけではない。肺への転移性の違いによって発現量の異なる遺伝子で、分子機能も明らかになっているものはいくつか報告されており、細胞の運動性や浸潤性に関わるRhoC autccrine motility factor receptorやヘパラナーゼがそれである。細胞に遺伝子を導入した際に転移を増強または抑制するものとしては、乳癌の転移能を増強するMts1、黒色腫・乳癌の転移能を抑制するnm23やKiSS-1、前立腺癌の転移能を抑制するKAI1、黒色腫の転移能・増殖性を抑制するElm1などが挙げられる。一方、消化器癌の主な転移標的臓器である肝臓への転移を規定する遺伝子とその発現制御に関する知見は非常に少ない。

 そこで私は、宿主との相互作用を考えるために有用である同系マウスを用いた大腸癌肝転移モデルを作成した。肝臓に高転移性バリアント細胞を選別し、この細胞の特性を明らかにするとともに、発現量の変化している遺伝子の同定を試みた。

【方法と結果】

1.マウス大腸癌転移モデルの作成

 マウス大腸癌細胞株colon 38は、脾臓内投与した際に肝転移巣を形成した。この肝転移腫瘍は線維化が起こり(1)、宿主の免疫細胞の浸潤が見られ(2)、ヒトの大腸癌患者の肝転移巣で見られる現象がよく再現されていた。colon 38細胞を同系C57BL/6マウスの脾臓に投与し、3週間後に肝臓を摘出し、転移した癌細胞のみを培養し、再びマウスに投与した。これを4回繰り返すことにより、肝臓への高い転移性を持つ細胞株colon 38-SL4(SL4)を作成した。さらに限界希釈法によりクローンSL4-1、SL4-4を得た。In vivo における移植した部位での造腫瘍性及び肝転移性は共に親株に比べ高転移性細胞株及びそのクローン株の方が高いことがわかった(Fig.1)(3)。

 次に、この高転移性細胞株の生物学的性質を解析した。足場非依存的及び依存的増殖性は、共に親株に比べ高転移性細胞株及びそのクローン株の方が高かった。増殖速度の速い肝転移巣を持つ大腸癌患者は極めて予後が悪いことが知られており、臨床との相関が示された。しかし、肺への転移性と関連することが知られている運動性、ヘパラナーゼ活性には差がなかった。また、細胞の形態及びアクチンフィラメントの形成を調べたが、アクチンフィラメントの形成とcolon 38 バリアント細胞の肝臓への転移性とは相関関係がないことが示された。また、本実験モデルでは脾臓内に移植した際の肝転移形成によって高転移性細胞株を選別したが、SL4 細胞は同所移植した際にも肝転移巣を高頻度に形成した。以上より、肝臓に高転移性を持つ大腸癌細胞の形質が、肺に高転移性を持つ黒色腫、乳癌、前立腺癌の細胞の形質と異なることが示された。

2.親株と肝高転移性細胞株における遺伝子の発現量の比較

 大腸癌の肝転移性に関与する遺伝子を明らかにするため、SL4細胞に高発現または低発現している遺伝子をMouse cDNA Expression Array と Differential Display法を用いて解析し、それら遺伝子の転移性との関連を調べた。

 まず、Mouse cDNA Expression Arrayを用い、588個の既知の遺伝子(癌関連遺伝子、増殖因子、接着分子など)に関してcolon 38細胞とSL4細胞での発現量の違いをReverse Northern法で検討した。発現強度が3倍以上違った15個の遺伝子について半定量RT-PCR法を用いて、発現量を確認した。プロテアーゼインヒビターであるネキシン-1(PN-1)とNukキナーゼレセプター/EphB2(Nuk)はSL4細胞及びそのクローンに比べてcolon 38細胞において高発現であり、インターフェロン誘導タンパク質-1(IIP-1)はcolon 38細胞で低発現であった(Fig.2)。前脂肪細胞因子-1(Pref-1)はSL4細胞で高発現だが、そのクローン株での発現は低く、転移性との相関はなかった。

 既知の588個の遺伝子を解析した結果からは、肝高転移性で増殖性の高い細胞に特徴的な遺伝子発現のパターンは明らかにされなかった。新規の分子が関与している可能性も視点に入れ、Differential Display法による遺伝子同定を試みた。80通りのプライマーの組み合わせについてDifferential Display法を行いcolon 38細胞に高発現である遺伝子断片を89個、SL4細胞、SL4-1細胞、SL4-4細胞に高発現である遺伝子断片を127個得た。これら遺伝子の配列を決定した。Reverse Northern 法、Northern Blot 法、および半定量RT-PCR法により、発現量に差があることを再確認した。その結果、P7(translation initiation factor eIF-3)、P11(collagen α I chain typeVI)、P12(destrin)、M5(COP9 complex subunit 7a)、M96(新規遺伝子)、M124(Reelin)の遺伝子の発現量に大きな差異を見いだした(Fig.3)。

3.転移関連異遺伝子のin vivo で増殖した細胞及び大腸癌臨床標本における発現パターン

 次に、これら colon 38バリアント細胞間で発現レベルの異なることが分った遺伝子が、直接、肝転移性に影響するものであるかを確かめるために、まず、in vivo で増殖したcolon 38細胞及びSL4細胞での発現パターンとin vitro で増殖した細胞での発現パターンを比較した。その結果、PN-1、NukとReelinは一致したが、他の6個の遺伝子では一致しなかった。これら3個の遺伝子はヒト大腸癌臨床標本(正常大腸、原発巣、肝転移巣及び正常肝臓)においてどれも発現はしていたが、PN-1とNukは肝転移性と相関するか不明であった。予後診断のマーカーとなり得るか、今後さらに多くの臨床標本を用いて検討する予定である。Reelinの発現量は、9例中5例において原発巣よりも肝転移巣で高発現であり(Fig.4)、最も肝転移性に関与すると考えられたことから、この分子についてさらに解析を行った。

 抗体を用いた組織学的検討で、in vivo ではReelinは腫瘍組織内の間質系組織には存在せず、癌細胞にのみ存在することが示された。次に、colon 38細胞にReelin cDNAを強制発現した細胞株を作成した。In vitro での足場依存的増殖性には有意な差が見られなかったが、足場非依存的増殖性は、強制発現株の方が有意に高かった(4)。この細胞をマウスの脾臓内に投与し、24日後に解剖し、脾臓及び肝臓の重量を測定し、その転移能を評価した。その結果、転移性には有意な変化が見られなかった。このことから、Reelinが単独で肝転移性を規定する分子であるかは明らかとならなかった。

【まとめと考察】

 同種同系マウスを用いて大腸癌肝転移モデルを作成した。このモデルでは高頻度に転移が起こり、また再現性に優れること、微小転移から転移巣形成の過程が臨床の実体に近いことなどから、肝転移を抑制する医薬品のスクリーニングに有用であると考えられる。このモデルを用いて肝臓に高転移性のバリアント細胞を得た。この肝高転移性細胞株は増殖性が高いことを特徴とし、細胞の運動性や浸潤性が高いなどの肺に高転移性の細胞にみられる形質は持たず、また、それらに関わる遺伝子の発現にも大きな差がないことがMouse cDNA Expression Arrayによる解析で明らかとなった。肝臓に高転移性の細胞に特徴的な遺伝子発現を明らかにすることを目的に解析を行い、9つの遺伝子の発現量が異なることを示したが、単独で肝転移性を規定する遺伝子は見いだせなかった。今後、SL4細胞のin vitro での増殖性にReelinの他にどのような分子が関与するか、また、親株と肝高転移性細胞株の増殖性の違いが肝転移性にどのように関与するかを探ることが必要であると考えている。また、肝転移が1つの細胞形質により規定されているのではない可能性が高いので、他の分子の関連を調べるために、肝臓への転移性を規定する遺伝子発現パターンをさらに多面的に調べることが必要である。

【参考文献】

(1) Morimoto.M.and Irimura,T.Fibroblast Migratory Factor Derived from Mouse Colon Carcinoma Cells:Potential Roles of Fibronectin in Tumor Stroma Formation.Joumal of Cellular Bicchekmstry,in press(2001).

(2) Higashi,N.,Ishii,H.,Fujiwara,T.,Morimoto-Tomita.M. and Irimura,T. Redistribution of fibroblasts and macrophages during development of micrometastasis into established liver metastasis in a mouse colon carcinoma model. Submitted.

(3) Morimot-Tomita.M.,Uchida,K.,Tsuiji,M.,Nakamori,S.and Irimura,T.Differential Gene Expression in Highly Metastatic Variants of Mouse Colon Adenocarcinoma Cells.Submitted.

(4)Morimoto-Tomita.M.,Uchida,K.,Tsuiji,M.,Nakamori,S.and Irimura,T.Molecular Determinants of Hepatic Metastasisof Colon Carcinoma in an Experimental Mouse Mode1:Genesidentified by differential display analysis.In preparation.

[Fig.1] Evaluation of experimental primary tumor(left) and hepaticmetastasis (right) by colon 38 cells,SL4 cells,and SL4 clones injccted intrasplenically into C57BL/6 mice.

[Fig.2] Semiquantitative RT-PCR analysis of genesidentified by differential hybridization of the Atlas MousecDNA Expression Array using colon 38 cells,SL4cells,and SL4 clones(SL4-1 and SL4-4cells).

[Fig.3] Northem blotting analysis(A) of P7 (translation initiation factor elF-3),P11(collagen αl chain type Vl),P12(destrin),M5(COP9 complex subunit7a)and semiquantitative RT-PCR analysis(B) of M96and M124(Reelin)using colon 38 cells(lane1),SL4c ells(Iane2),SL4-1cells(lane3),and SL4-4cells(lane4).

[Fig.4] Expression of Reelin(A)andβ-actin(B) in normal colon(n.c.),primary colon carcinoma(P),hepatic metastasis of colon carcinoma(M),and normal liver(n.l.)of nine patients demonstrated by semiquantitativeRT-PCR analysis.

審査要旨 要旨を表示する

 生物学的に見た時、癌が転移を形成する過程は発癌の過程とは大きく異なっており、前者では複数の遺伝子の変異が原因であるのに対して、後者では複数の遺伝子の発現量の変化が原因であると考えられている。これらの複数の細胞形質は、細胞の移動と特定の微小環境における増殖に必要な、細胞間相互作用を規定するものであることが、メラノーマや乳癌などの肺転移モデルを用いた研究によりこれまで明らかにされて来た。しかし、悪性腫瘍の増殖に伴って転移性の高い癌細胞亜集団が生じる機構や、これらの亜集団における遺伝子発現の変化の全体像が理解されているわけではなかった。肺への転移性に関しては、転移性と相関して発現量の異なる遺伝子でその産物の分子機能も明らかになっているもの(接着分子やマトリクス分解酵素など)が報告されていたので、これらが癌転移の本質そのものであるかのように錯覚されていた。一方、消化器癌の主な転移標的臓器である肝臓への転移を規定する細胞形質や遺伝子とその発現制御に関する知見は非常に少なかった。

 「同系マウスを用いた大腸癌肝転移モデルの作成と遺伝子の解析」と題する本論文では、宿主との相互作用を考えるために有用である同系マウスを用いた大腸癌肝転移モデルを作成し、肝臓に高転移性のバリアント細胞を選別した。開発された肝転移モデルは抗転移薬開発にも用いられうる非常に有用なものであった。この高転移性バリアント細胞は、親株に比べて増殖性が高く、アポトーシスを起こしている細胞の比率が低いが、肺転移性と関係があるとされている種々の細胞形質に関しては、親株と比較して有意な差異が見られなかった。さらに本研究では、高転移性バリアント細胞と親株との間で発現解析を行うことによって、発現量の変化している複数の遺伝子の同定に成功した。転移性と相関して発現する複数の遺伝子の中で、神経系に発現して細胞の移動に関係する細胞外分子であるreelinは、ヒト大腸癌手術標本において転移巣に発現レベルが高いことを確認した。この分子の発現レベルを遺伝子導入によって改変すると、細胞の足場非依存的な増殖性が上昇することを証明した。本研究は、動物実験モデル、ゲノム科学的なアプローチ、臨床的なアプローチ、分子細胞生物学的な方法論を縦横に駆使した、新しい創薬基礎科学としてまた腫瘍生物学として価値の高いものである。

 本論文の内容は、具体的には三章から成りたっており、それぞれ、モデル系の構築、遺伝子発現解析、臨床試料による解析と細胞機能との関連が中心課題である。

 第一章「マウス大腸癌転移モデルの作成」では、マウス大腸癌細胞株colon 38によって肝転移巣を形成させる条件を見い出し、肝臓への高い転移性を持つバリアント細胞株colon 38-SL4(SL4)、及びそのクローンを作成した経過が述べられている。これらの高転移性株は親株と比すると、足場非依存的及び依存的増殖能が高く、アポトーシスを起こしている細胞の比率が非常に低かった。しかし、肺への転移性と関連することが知られている運動性やマトリクス分解酵素活性には差がなかった。

 第二章「親株と高転移性株における遺伝子の発現量の比較」では、これらの細胞で発現レベルの異なる遺伝子を明らかにするため、Expression ArrayとDifferential Display法を用いてmRNAを比較した。前者の解析からは、プロテアーゼインヒビターであるネキシン-1(PN-1)とNukキナーゼレセプター/EphB2(Nuk)はSL4細胞及びそのクローンに比べてcolon 38細胞において高発現であり、インターフェロン誘導タンパク質-1(IIP-1)はcolon 38細胞で低発現であった。しかし、既知の588個の遺伝子を解析した結果からは、肝高転移性で増殖性の高い細胞に特徴的な遺伝子発現のパターンを見い出すことは出来なかった。そこで、より多数の発現レベルを異にする遺伝子を見い出すため、Differential Display法による遺伝子同定を試みた。80通りのプライマーの組み合わせを用いて、colon 38細胞に高発現であった遺伝子断片を89個、SL4細胞とそのクローンに高発現である遺伝子断片を127個得た。これら遺伝子の配列を決定し、ノザンブロッティング法、逆ノザンブロッティング法、および半定量RT-PCR法により、発現量に差があることを再確認した。その結果、P7(translationinitiation factor eIF-3)、P11(collagen αI chain type VI)、P12(destrin)、M5(COP9 complexsubunit 7α)、M96(新規遺伝子)、M124(reelin)の遺伝子の発現量に大きな差異を見いだした。このように、網羅的に肝転移性の高い癌細胞の遺伝子発現が解析された例は今までになかった。

 第三章では「転移関連遺伝子のin vivoで増殖した細胞及び大腸癌臨床標本における発現パターン」というタイトルの下に、これらバリアント細胞間で発現レベルの異なることが分った遺伝子を診断に用いる可能性について追求した結果が述べられている。遺伝子発現における差異がin vivoで増殖した細胞で保たれているかどうか確認したところ、PN-1、Nukとreelinは一致したが、他の6個の遺伝子では一致しなかった。これら3個の遺伝子はヒト大腸癌臨床サンプル(正常大腸、原発巣、肝転移巣及び正常肝臓)においてどれも発現はしていたが、PN-1とNukは肝転移性と相関するか不明であった。reelinの発現量は、9例中5例において原発巣よりも肝転移巣で高発現であり、肝転移性との相関が考えられた。reelinは遺伝子診断の道具として役立つかどうかを更に明確にするために、in Vitro 及びin vivoにおける発現についてさらに検討した。抗体による免疫組織学的方法では、in vivoではreelinは腫瘍組織内の間質系組織には存在せず、癌細胞にのみ存在することが示された。そこで、colon 38細胞にreelin cDNAを強制発現した細胞株を作成した。In vitroでの足場非依存的増殖能は、強制発現株の方が有意に高かった。この細胞をマウスの脾臓内に投与し肝転移能を評価した。その結果、転移性には有意な変化が見られず、reelinが単独で肝転移性を規定する分子である可能性は低かったとのことであった。

 以上のように、本研究では同種同系マウスを用いて大腸癌肝転移モデルを作成し、肝臓に高転移性のバリアント細胞及びそのクローンを取得した。これらの細胞株は親株よりも増殖性が高いが、細胞の運動性や浸潤性などの肺に高転移性の癌細胞にみられる特徴を持たないことを明らかにした。この細胞の遺伝子発現の特徴を明らかにすることを目的に解析を行い、9つの遺伝子を示した。それらの遺伝子のin vivoにおける発現パターンを実験モデル及びヒト臨床サンプルを用いて明らかにした。本研究はヒト消化器癌の病態に関与する分子と遺伝子を新たに同定したことから、腫瘍生物学及び分子生物学に重要な貢献をするものであり、本研究を行った森本恵は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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