学位論文要旨



No 116485
著者(漢字) 岩田,博司
著者(英字)
著者(カナ) イワタ,ヒロシ
標題(和) アルツハイマーβアミロイド前駆体蛋白のγ切断機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 116485
報告番号 甲16485
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第959号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 助教授 鈴木,利治
内容要旨 要旨を表示する

[序論]

 アルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)は初老期、老年期に発症する進行性の神経変性疾患である。高齢化社会を迎えた現在、ADの頻度は急速に増加するものと予想され、その原因の解明、治療法の確立は急務である。AD患者脳に出現する病理学的変化の一つである老人斑はβアミロイドペプチド(Aβ)から構成される。Aβはβアミロイド前駆体蛋白(βAPP)からプロテアーゼにより切り出されて産生される。I型の一回膜貫通型蛋白質であるβAPPからAβが切り出される際、まず細胞外側でβセクレターゼによる切断を受けC末端断片(C100)が生じたのち、膜貫通領域内部で、γセクレターゼによる切断を受けることによりAβが生じる。Aβにはγセクレターゼによる切断位置の違いにより、C末端が第40、42残基まで伸びたAβ40とAβ42が存在する。このうちAβ42は凝集性が高く初期から蓄積すること、また、家族性AD(FAD)の原因遺伝子であるβAPPあるいはプレセニリン(PS)の変異によりAβ42の産生が亢進することが明らかにされた。従ってAβ産生にかかわるγ切断機構、特にAβ42の産生機序の解明はADの病態の理解に極めて重要である。本研究においては(1)γ切断によりAβが産生される細胞内コンパートメントの同定、(2)γ切断に必要なβAPP分子内サブドメインの同定、特に細胞質ドメインと膜貫通領域の機能的意義の検討を行い、更にこれらとPSのFAD変異によるAβ42産生上昇機構との関連を明らかにすることを目的として研究を進めた。

 [方法と結果]

1. γセレクターゼ活性を有する細胞内コンパートメントの同定

 βAPPからAβが産生される過程においては、第一段階としてβセクレターゼによる切断を受け、その結果生じた99アミノ酸からなるC末端フラグメント(C100)がγセクレターゼの基質となりγ切断が生じるものと考えられている。そこで私はβAPPのγ切断のみに注目した解析を可能とするために、N末端にシグナルペプチドを付加したC100を基本型として改変分子を構築し解析を進めた。γセクレターゼ活性を有する細胞内コンパートメントを同定するために、C100のC末端側に小胞体(ER)局在シグナルである一KKLN配列、及びトランスゴルジネットワーク(TGN)へのリサイクルシグナルである一SDYQRL配列を結合させたキメラ蛋白をマウスN2a細胞に発現させた(図1)。各キメラ蛋白の細胞内局在を免疫細胞化学的に観察すると、C100は主にERとゴルジ体、C100/ERは主にER、C100/TGNは主にゴルジ体に局在することが確認された。ウエスタンブロット解析では、C100キメラ蛋白に相当する約12kDaのバンドに加えて、カスパーゼ切断による産物であることが確認されている約8kDaのマイナーバンドが検出された。各キメラ蛋白を発現させた場合に分泌されるAβをELISA法で、細胞内AβをIP-Western法により検出した。C100/ERを発現している場合には分泌型、細胞内Aβともに検出されなかったが、C100/TGN発現により分泌型、細胞内Aβがともに検出され、その量はc100/wtを発現させた場合とほぼ同等であった。FAD変異を有するPS2を共発現させた場合には、分泌型Aβ、細胞内AβともにC100/ERではAβ42産生亢進は生じなかったが、C100/wt、C100/TGNではAβ40の減少と、Aβ42産生の上昇がみられた(図1)。βAPP全長についても同様のキメラ蛋白を作製し解析を試みたところ、C100キメラ蛋白を発現させた場合と同様の結果を得た。これらの結果から、細胞内及び分泌型Aβの大部分はともにTGN以降のlate compartmentで産生されること、変異型PS2のAβ42産生亢進作用もこれらのコンパートメントで生じることが示唆された。

2.γ切断に必要なβAPPサブドメインの検討

 βAPPには様々な機能配列や修飾部位が存在することが明らかにされている。また細胞質領域には複数の結合蛋白の存在が明らかにされており、Aβ産生にも影響を及ぼすことが示されている。Aβはβ切断後C100がγ切断を受けて生じるが、このうちγ切断に必要なβAPPの分子内サブドメイン、特に細胞質領域の役割は不明であった。そこでC100の細胞質領域を段階的に欠失させた変異体を作製し解析を行った。caspase-3切断部位からC末端側を欠失したC100/stop68、膜アンカリングに必要とされるKKK配列以降を欠失したC100/stop56、及びKKK配列を含む細胞質領域全体を欠失したC100/stop52を作製した(図2)。各C末端欠失型変異体はER、ゴルジ体を含む細胞内膜系に広く分布し、その局在は全長C100/wtと変わらなかった。また全ての変異体は0.5M Na2CO3(pH11.0)不溶、1%TritonX-100可溶であり、膜に挿入されていることが示された。Aβ分泌をELISA法で解析すると、C100/stop68、C100/stop56発現時にはAβに変化は見られず、C100/stop52発現によりAβ1-40分泌は変化しなかったがAβ1-42分泌が特異的に減少した。次に変異型PS2とC末端欠損型C100を共発現するとAβ1-42分泌の上昇が観察され、この場合細胞質領域を完全に欠失させたC100/stop52でもAβ42の産生亢進は全長C100/wtと同程度に生じた(図2)。βAPP全長についても同様の細胞質領域欠失型変異体を作製し解析を試みたところ、C100キメラ蛋白を発現させた場合とほぼ同様のAβ42上昇を確認した。これらの結果からγセクレターゼによるβAPPの切断及び変異型PSによるAβ42産生上昇効果には膜貫通部分を含むC100のN末端半のみが存在すれば十分であり、細胞質領域は必要ではないことが示唆された。

3. Aβ1-40、1-42部分のみの細胞発現による効果

 C100の細胞質領域を段階的に欠失させた結果、KKK配列以降の細胞質領域を完全に欠失させてもγセクレターゼの基質となりAβ産生が生じた。そこで更に欠失を膜貫通領域まで拡大し、C100/stop52より更に10アミノ酸欠失させたAβ1-42、Aβ1-40を細胞に発現させ、Aβの挙動を検討した。N末端側にシグナルペプチドを付加したsAβ1-40とsAβ1-42そのものをCOS-1細胞に一過性に発現させ細胞内局在を解析したところ、sAβ1-40は細胞内膜系に局在し、特にERに強い局在を示した。一方sAβ1-42はsAβ1-40と同様にERに局在するとともに、細胞内でしばしば凝集体様の構造を形成することが明らかとなった。この構造にはERマーカーのBiP及びTGNマーカーのAdaptin-γも共存していた。次にsAβ1-40、sAβ1-42発現により分泌されるAβをELISA法で測定した。その結果、Aβ1-40、Aβ1-42は同等に細胞内に発現されたが、相当量のAβ1-40が分泌されるのに対し、Aβ1-42はほとんど分泌されなかった。またsAβ1-42からAβ1-40が産生されることはなかった。これらの結果から、γ切断が生じるには膜貫通部分の保存された状態が必要であること、またAβ1-42はAβ1-40とは異なり、細胞内で膜と高い親和性を示し、細胞内に留まりやすい性質を有することが明らかとなった。

[まとめと考察]

 本研究においてβAPPのγ切断及び変異型PS2によるAβ42産生亢進効果はERではなくTGN以降で主に生じており、βAPPの細胞質領域を欠失させても影響を受けないこと、さらにAβ42は分泌されずに細胞内に留まりやすい性質をもつことが明らかとなった。

これらの結果からβAPPは主にTGNにおいてその膜内部分でPSの作用を受け、γ切断が生じるものと考えられる。またFAD変異PSによるAβ42産生上昇効果も主にTGNでβAPPの膜内部分を介して生じるものと考えられる。Aβ42はAβ40とともに分泌され老人斑の形成を促しAD発症に至るが、Aβ42の一部は分泌されずに細胞内に留り、細胞障害性を示す可能性も残される。今後γ切断によるAβ40とAβ42の切り分け機構を更に追求すること、細胞内Aβ42の効果を明らかにすることがAD発症機構の解明と治療法の開発に重要と考えられる。

図1.細胞内輸送シグナルを結合させたβAPPC末端断片(C100)キメラ蛋白とPS2を共発現させた場合のAβ分泌

図2.細胞質領域欠失型C-100h変異体とPS2を共発現させた場合のBβ分泌

審査要旨 要旨を表示する

 アルツハイマー病(Alzheimer's disease;AD)は老年期に発症する進行性の変性型痴呆症であり、その解決は急務である。AD患者脳に出現する老人斑はβアミロイドペプチド(Aβ)から構成される。Aβがβアミロイド前駆体蛋白(βAPP)から切り出される際、まず細胞外側でβセクレターゼによる切断を受けC末端断片(C100)が生じたのち、膜貫通領域内部で、γセクレターゼによる切断を受けることによりAβが生じる。Aβにはγセクレターゼによる切断位置の違いにより、C末端が第40、42残基まで伸びたAβ40とAβ42が存在する。このうちAβ42は凝集性が高く初期から蓄積すること、また、家族性AD(FAD)の原因遺伝子であるβAPPあるいはプレセニリン(PS)の変異によりAβ42の産生が亢進することが明らかにされた。従ってAβ産生にかかわるγ切断機構、特にAβ42の産生機序の解明はADの病態の理解に重要である。申請者 岩田博司は(1)γ切断によりAβが産生される細胞内コンパートメントの同定、(2)γ切断に必要なβAPP分子内サブドメインの同定、特に細胞質ドメインと膜貫通領域の機能的意義の検討を行い、更にこれらとPSのFAD変異によるAβ42産生上昇機構との関連について調べた。

 γセクレターゼ活性を有する細胞内コンパートメントを同定するために、C100のC末端側に小胞体(ER)局在シグナルである一KKLN配列、及びトランスゴルジネットワーク(TGN)へのリサイクルシグナルである一SDYQRL配列を結合させたキメラ蛋白をマウスN2a細胞に発現させた。C100/ERを発現した場合には分泌型、細胞内Aβともに検出されなかったが、C100/TGN発現により分泌型、細胞内Aβがともに検出され、その量はC100/wtを発現させた場合とほぼ同等であった。FAD変異を有するPS2を共発現させた場合には、分泌型Aβ、細胞内AβともにC100/ERではAβ42産生亢進は生じなかったが、C100/wt、C100/TGNではAβ40の減少と、Aβ42産生の上昇がみられた。これらの結果から、細胞内及び分泌型Aβの大部分はともにTGN以降のlate compartmentで産生されること、変異型PS2のAβ42産生亢進作用もこれらのコンパートメントで生じることが分かった。

 Aβがγ切断を受けて産生されるのに必要なβAPPの分子内サブドメイン、特に細胞質領域の役割を明らかにするため、C100の細胞質領域を段階的に欠失させた変異体を作製し解析を行った。Aβ分泌をELISA法で解析すると、C100/stop68、C100/stop56発現時にはAβに変化は見られず、C100/stop52発現によりAβ1-40分泌は変化しなかったがAβ1-42分泌が特異的に減少した。変異型PS2とC末端欠損型C100を共発現するとAβ1-42分泌の上昇が観察され、この場合細胞質領域を完全に欠失させたC100/stop52でもAβ42の産生亢進は全長C100/wtと同程度に生じた。これらの結果からγセクレターゼによるβAPPの切断及び変異型PSによるAβ42産生上昇効果には膜貫通部分を含むC100のN末端半のみが存在すれば十分であり、細胞質領域は必要ではないことが示唆された。

 次にN末端側にシグナルペプチドを付加したsAβ1-40とsAβ1-42そのものをCOS-1細胞に一過性に発現させ細胞内局在を解析したところ、sAβ1-40は細胞内膜系に局在し、特にERに強い局在を示した。一方sAβ1-42はsAβ1-40と同様にERに局在するとともに、細胞内でしばしば凝集体様の構造を形成した。Aβ1-40、Aβ1-42は細胞内からほぼ同等に回収されたが、相当量のAβ1-40が分泌されるのに対し、Aβ1-42はほとんど分泌されなかった。これらの結果から、γ切断が生じるには膜貫通部分の保存された状態が必要であること、またAβ1-42はAβ1-40とは異なり、細胞内で膜と高い親和性を示し、細胞内に留まりやすい性質を有することが明らかとなった。

 以上のごとく申請者 岩田博司は、βAPPのγ切断及び変異型PS2によるAβ42産生亢進効果はERではなくTGN以降で主に生じており、βAPPの細胞質領域を欠失させても影響を受けないこと、さらにAβ42は分泌されずに細胞内に留まりやすい性質をもつことを明らかにした。またFAD変異PSによるAβ42産生上昇効果も主にTGNでβAPPの膜内部分を介して生じることを示した。これらの結果はアルツハイマー病の分子病態に関連した新知見をもたらすものであり、博士(薬学)の学位に値するものと考えられた。

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