学位論文要旨



No 116488
著者(漢字) 鈴木,裕之
著者(英字)
著者(カナ) スズキ,ヒロユキ
標題(和) 低酸素誘導アポトーシスにおけるHIF-1複合体の機能
標題(洋)
報告番号 116488
報告番号 甲16488
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第962号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鶴尾,隆
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 内藤,幹彦
内容要旨 要旨を表示する

【序】

 低酸素状態は虚血性疾患や固形腫瘍などで認められ、これら疾患では低酸素によるアポトーシスが重要な役割を果たしている。従って、低酸素環境下での細胞生死の制御機構の解明は重要な課題となっている。細胞が低酸素にさらされると、HIF-1αが誘導され、HIF-1αは核内でARNTとヘテロダイマーを形成する(HIF-1複合体)。HIF-1複合体はbHLH-PASファミリー転写因子として機能し、血管新生促進因子VEGF、エリスロポエチンや解糖系の酵素群を誘導し、低酸素環境への適応(生存)に関与する。一方でHIF-1αは癌抑制遺伝子p53を安定化し、低酸素誘導アポトーシスにも関与することが示されている。しかしながら、このような相反するHIF-1αの機能がどのように制御されているかについては不明である。そこで本研究ではHIF-1αの低酸素誘導アポトーシスにおける役割を中心に検討し、以下の成果を得た。

【結果と考察】

低酸素誘導アポトシースHIF-1複合体(HIF-1α、ARNT)の発現変化

 ヒト乳がんMCF-7細胞を低酸素(酸素濃度10ppm以下)処理すると、48時間後からp53、Baxの誘導、それに伴うミトコンドリアからのCytochrome cの遊離が認められ、72時間後には全ての細胞がアポトーシスを起こして死滅する(図1A)。この時HIF-1αの発現をイムノブロット法により調べたところ、主に2つのバンドが認められた(図1B)。免疫沈降したHIF-1αをフォスファターゼ処理すると高分子量側のバンドが消失し、低分子量側のバンドと一致した(図1C)。これらのことから、低酸素環境下ではリン酸化型と脱リン酸化型HIF-1αが誘導され、アポトーシスの進行とともに脱リン酸化型HIF-1αの割合が増加することが明らかになった。

 次に、ARNTの発現を調べたところ、分子量95kDaのARNTはアポトーシスの進行とともに減少し、新たに75kDaのバンドが認められた(図1B)。75kDaのARNTの出現はカスペース阻害剤で抑制されることから、ARNTはアポトーシスの進行に伴いカスペースによって切断を受けることが示唆された。

ARNTの切断がHIF-1αとの結合とそのリン酸化の及ぼす影響

 ARNTのカスペースによる切断部位を同定するため、アスパラギン酸(カスペースの認識アミノ酸)に変異を導入したARNTを作製し、精製したカスペースをin vitroで作用させた。その結151番目のアスパラギン酸に変異を入れたARNTでは、カスペース3、9による切断を受けないことが明らかとなった(図2A)。従って、ARNTはカスペースによって151番目のアスパラギン酸で切断を受けるものと考えられた。

 次にARNT切断の影響を調べるため、FL-AGtagを付けた野生型ARNT(WT)、ΔN-ARNT(aa152-789)とV5tagを付けたHIF-1αをMCF-7細胞に共発現させた。免疫沈降法により、HIF-1αとWT-ARNTとの結合は認められたが、ΔN-ARNTとの結合は認められなかった(図2B)。このことからカスペースによって切断を受けたARNTは、HIF-1αとの結合能を失うことが明らかとなった。さらにWT-ARNTと結合したHIF-1αでは、リン酸化によるバンドシフトが認められた(図2B、矢印)。また低酸素処理した細胞のlysateを抗ARNT抗体で免疫沈降すると、抗HIF-1α抗体で免疫沈降したときと比べて、リン酸化型のHIF-1αが選択的に共沈降されることが明らかになった(図2C)。これらのことからHIF-1αはARNTとの結合に依存してリン酸化されることが明らかになった。

HIF-1αの脱リン酸化とp53の発現

 p53の発現はHIF-1αの脱リン酸化型の発現と良く一致している(図1B)。そこで細胞内でのp53とHIF-1αとの結合を免疫沈降法で調べたところ、p53はHIF-1αの脱リン酸化型と結合していることが明らかになった(図3A)。従ってHIF-1αはARNT、p53の双方と結合するが、HIF-1αのリン酸化状態が異なっていることが明らかになった。次に、HIF-1αのリン酸化に影響を与える阻害剤についてスクリーニングを行った。その結果、Hsp90阻害剤として知られるGeldanamycin A(GA)がHIF-1αの脱リン酸化型の発現を抑制することが明らかになった(図3B)。興味深いことに、GAによるHIF-1αの脱リン酸化型の発現抑制に伴い、p53の発現も抑制された。さらにGAは低酸素によって誘導されるアポトーシスも抑制した(図3C)。これらのことから脱リン酸化型HIF-1αは、p53と結合し、その安定化及びアポトーシスの誘導に寄与することが明らかになった。

【まとめ】

 本研究により、低酸素環境での細胞生死の制御がHIF-1αのリン酸化レベルで制御されていることが示された(図4)。即ちリン酸化型HIF-1αはARNTと結合し、低酸素環境下での生存に重要な遺伝子の発現を促進する。一方、脱リン酸化型HIF-1αはP53と結合し、安定化することによって、p53依存的なアポトーシスを促進すると考えられた。Hsp90阻害剤GeldanamycinA(GA)は脱リン酸化型HIF-1αの誘導を選択的に抑制し、さらにはp53依存的なアポトーシスの誘導を抑制した。またアポトーシスの際に活性化されたカスペースはARNTを切断し、ARNTとHIF-1αとの結合を阻害することにより、HIF-1複合体の転写活性を抑制するものと考えられた。さらにこの際、ARNTとの結合に依存したHIF-1αのリン酸化が抑制され、脱リン酸化型HIF-1αを増加させることによってアポトーシスの進行が促進されるものと考えられた。以上のように、HIF-1αは、そのリン酸化状態に依存して低酸素環境下での細胞生死の制御に重要な役割を果たしており、虚血性疾患や固形腫瘍等においてHIF-1αのリン酸化を標的とした新たな治療法の開発につながるものと期待される。

図1 低酸素による細胞死とHIF-1複合体の発現

図2 ARNTのカスペースによる切断とHIF-1αとの結合

図3 HIF-1αの脱リン酸化とp53の誘導

図4 HIF-1αのリン酸化による細胞生死の制御モデル

審査要旨 要旨を表示する

 低酸素状態は虚血性疾患や固形腫瘍などで認められ、これら疾患では低酸素によるアポトーシスが重要な役割を果たしている。従って、低酸素環境下での細胞生死の制御機構の解明は重要な課題となっている。細胞が低酸素にさらされると、HIF-1αが誘導され、HIF-1αは核内でARNTとヘテロダイマーを形成する(HIF-1複合体)。HIF-1複合体はbHLH-PASファミリー転写因子として機能し、血管新生促進因子VEGF、エリスロポエチンや解糖系の酵素群を誘導し、低酸素環境への適応(生存)に関与する。一方でHIF-1αは癌抑制遺伝子P53を安定化し、低酸素誘導アポトーシスにも関与することが示されている。しかしながら、このような相反するHIF-1αの機能がどのように制御されているかについては不明である。そこで本研究ではHIF-1αの低酸素誘導アポトーシスにおける役割を中心に検討した。

低酸素誘導アポトーシスとHIF-1複合体(HIF-1αARNT)の発現変化

 ヒト乳がんMCF-7細胞を低酸素(酸素濃度10PPm以下)処理すると、48時間後からp53、Baxの誘導、それに伴うミトコンドリアからのCytocheome cの遊離が認められ、72時間後には全ての細胞がアポトーシスを起こして死滅する。この時HIF-1αの発現をイムノブロット法により調べたところ、主に2つのバンドが認められた。免疫沈降したHIF-1αをフォスファターゼ処理すると高分子量側のバンドが消失し、低分子量側のバンドと一致した。これらのことから、低酸素環境下ではリン酸化型と脱リン酸化型HIF-1αが誘導され、アポトーシスの進行とともに脱リン酸化型HIF-1αの割合が増加することが明らかになった。

 次に、ARNTの発現を調べたところ、分子量95kDaのARNTはアポトーシスの進行とともに減少し、新たに75kDaのバンドが認められた。75kDaのARNTの出現はカスペース阻害剤で抑制されることから、ARNTはアポトーシスの進行に伴いカスペースによって切断を受けることが示唆された。

ARNTの切断がHIF-1αとの結合とそのリン酸化の及ぼす影響

 ARNTのカスペースによる切断部位を同定するため、アスパラギン酸(カスペースの認識アミノ酸)に変異を導入したARNTを作製し、精製したカスペースをin vitroで作用させた。その結果151番目のアスパラギン酸に変異を入れたARNTでは、カスペース3、9による切断を受けないことが明らかとなった。従って、ARNTはカスペースによって151番目のアスパラギン酸で切断を受けるものと考えられた。

 次にARNT切断の影響を調べるため、FLAG tagを付けた野生型ARNT(WT)、ΔN-ARNT(aal52-789)とV5tagを付けたHIF-1αをMCF-7細胞に共発現させた。免疫沈降法により、HIF-1αとWT-ARNTとの結合は認められたが、ΔN-ARNTとの結合は認められなかった。このことからカスペースによって切断を受けたARNTは、HIF-1αとの結合能を失うことが明らかとなった。さらにWT-ARNTと結合したHIF-1αでは、リン酸化によるバンドシフトが認められた。また低酸素処理した細胞のlysateを抗ARNT抗体で免疫沈降すると、抗HIF-1α抗体で免疫沈降したときと比べて、リン酸化型のHIF-1αが選択的に共沈降されることが明らかになった。これらのことからHIF-1αはARNTとの結合に依存してリン酸化されることが明らかになった。

HIF-1αの脱リン酸化とp53の発現

 P53の発現はHIF-1αの脱リン酸化型の発現と良く一致している。そこで細胞内でのP53とHIF-1αとの結合を免疫沈降法で調べたところ、P53はHIF-1αの脱リン酸化型と結合していることが明らかになった。従ってHIF-1αはARNT、P53の双方と結合するが、HIF-1αのリン酸化状態が異なっていることが明らかになった。次に、HIF-1αのリン酸化に影響を与える阻害剤についてスクリーニングを行った。その結果、Hsp90阻害剤として知られるGeldanamycinA(GA)がHIF-1αの脱リン酸化型の発現を抑制することが明らかになった。興味深いことに、GAによるHIF-1αの脱リン酸化型の発現抑制に伴い、p53の発現も抑制された。さらにGAは低酸素によって誘導されるアポトーシスも抑制した。これらのことから脱リン酸化型HIF-1αは、P53と結合し、その安定化及びアポトーシスの誘導に寄与することが明らかになった。

 本研究により、HIF-1αは、そのリン酸化状態に依存して低酸素環境下での細胞生死の制御に重要な役割を果たしており、虚血性疾患や固形腫瘍等においてHIF-1αのリン酸化を標的とした新たな治療法の開発につながるものと期待される。この成果は生命薬学における興味ある知見を明らかにしたものであり、博士(薬学)の学位を受けるに充分値するものと判断した。

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