学位論文要旨



No 116491
著者(漢字) 西田,基宏
著者(英字)
著者(カナ) ニシダ,モトヒロ
標題(和) 酸化ストレスによるMAP kinase(ERK)活性化における標的分子の解明
標題(洋)
報告番号 116491
報告番号 甲16491
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第965号
研究科 薬学系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 仁科,博史
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

 酸化ストレスとは、生体における酸化・還元のバランスが破綻し酸化側に傾いた状態と定義される。病態時において生体内の活性酸素量が増加することから、酸化ストレスは疾患の発症の重要因子として注目されている。活性酸素種(reactive oxygen species;ROS)は、これまで細胞内の蛋白質、脂質、核酸などを非特異的に酸化し、生理機能の障害を引き起こすと考えられてきた。心筋においては、ROSが虚血再灌流やサイトカイン刺激により生成し、アポトーシスや心肥大形成に関与することが報告されている。その一方で、ROSはいくつかの情報伝達経路において、細胞内のメディエーターとして働いていることも知られている。ROSを介した情報伝達は、最近特に注目を集めており、その生理的役割およびメカニズムの解明に向けた研究が精力的に進められている。

 Extracellular signal-regulatedkinase(ERK)はmitogen activated protein (MAP)kinas efamilyの一つであり、細胞の増殖・分化・生存に関与している。酸化ストレスは、Src チロシンキナーゼや低分子量Gタンパク質rasを介してERKを活性化する(Fig.1B)。しかし、ROSによるERKにおける最初の標的分子については全くわかっていない。私は、心筋において酸化ストレスによるERK活性化経路とGiタンパク質共役型受容体刺激によるERK活性化経路が類似していることから(Fig.1)、Rosの標的分子がGタンパク質ではないかと仮説を立て、検討を進めることにした。

2.酸化ストレスによるMAP kinase活性化の特徴

 ラット新生仔の心室筋は、酵素的に単離し、高密度(105cells/cm2)で培養した。Gタンパク質のβγsubunit(Gβγ)を捕捉し、その機能を阻害するβadrenergic receptor kinaseのカルボキシル末端(βARK-ct)は、リコンビナントのアデノウィルスを作成し心筋に発現させた。対照群の細胞にはLacZを発現させた。ERK活性は特異的基質のリン酸化により測定した。酸化ストレスを模倣する試薬として頻用されている過酸化水素(H2O2)lmMを10分間処置することにより、ERKは最大の活性化を示した。H2O2を処置する前にあらかじめβARK-ctを発現させておくと、H2O2刺激によるERK活性化は約70%抑制された(Fig.2)。受容体非依存的にGi/o蛋白質を活性化させるmastoparan(30μM)処置によるERK活性化もまたβARK-ctの発現により約50%抑制された。しかし、プロテインキナーゼCを直接活性化するホルボールエステル(PMA)処置によるERK活性化に対し、βARK-ctの発現は何ら影響を与えなかった。

 一方、H2O2刺激はERKのみならず、ストレス応答性のMAP kinase familyであるc-JunN-terminal kinase(JNK)やp38MAP Kinaseも活性化させた。しかし、βARK-ctを発現させてもH202刺激によるJNKやp38MAP kinaseの活性化は抑制されなかった。

 次に各種阻害剤の効果を調べた。Giタンパク質をADPリボシル化し、受容体との共役を阻害する百日咳毒素(Pertussis toxin;PTX)やプロテインキナーゼA阻害剤H-89は、H2O2刺激によるERK活性化には何ら影響しなかった。しかし、ホスファチジルイノシトール-3-リン酸キナーゼ(PI3K)の阻害剤であるwortmanninとLY294002は、用量依存的にH2O2処置によるERK活性化を抑制した(Fig.3)。チロシンキナーゼ阻害剤であるgenistein(10 μM)処置もまたH2O2刺激によるERK活性化を抑制した。

 さらにGenistein感受性のチロシンキナーゼ、PI3KおよびβARK-ctの関係を調べた。Srcの活性は基質のリン酸化により、Aktの活性は抗リン酸化抗体を用いてWestem blotにより測定した。H2O2刺激によるAktおよびSrcの活性化は、βARK-ctの発現により部分的に抑制された。しかし、H2O2刺激によるAktの活性化はwortmannin(100nM)処置によりほぼ完全に抑制されたが、genistein処置では抑制されなかった。以上の結果から、H2O2刺激は受容体を介さずにGタンパク質を活性化し、解離したGβγによりPI3K、Srcチロシンキナーゼが活性化され、ERKが活性化されることが示唆された。

3.酸化ストレスによるGタンパク質の活性化

 酸化ストレスによってGタンパク質が直接活性化されるか調べるため、ラット新生仔心室筋の細胞膜標品を用いて[35S]GTPγSの結合活性を測定した。H2O2刺激により細胞膜への[35S]GTPγS結合活性は濃度依存的に増加した。この増加は抗酸化剤であるN-acetyl-L-cysteineの前処置により完全に抑制された(Fig.4)。この結果は、心室筋細胞膜上のGTP結合タンパク質がH2O2刺激により活性化されることを示している。しかし、細胞膜標品においてGTPγSの結合活性だけでは結合したGタンパク質が三量体Gタンパク質か低分子量Gタンパク質かわからない.そこで、三量体Gタンパク質は活性型と不活性型でトリプシン消化される部位が異なることを利用してWestern blottingによりGタンパク質の活性化を調べた。その結果、細胞膜標品において、GiとGoがH2O2処理により活性化されており、GqとGsは活性化されていないことが示された。

 さらに直接Gタンパク質がH2O2刺激により活性化されるかを調べるため、精製した三量体Gタンパク質(Gi、Go、Gs)を用いて[35S]GTPγS結合活性を測定した。Gi、Goへの[35S]GTPγS結合活性はH2O2刺激10分後から増大したが、Gsへの[35S]GTPγS結合活性は増加しなかった(Fig.5)。

4. Goタンパク質のH2O2刺激による活性化のメカニズム

 三量体Gタンパク質はα、β、γの3つのsubunitからなっている。PTXは三量体の状態にあるGタンパク質のみをADPリボシル化することから、ADPリボシル化の減少はGタンパク質の活性化を意味する。PTXと[32P]NADにより、Gタンパク質がADPリボシル化されるという方法を用いて、どのsubunitがH2O2刺激により修飾を受けて活性化するか検討した。G。タンパク質のαsubunit(Goα)をH2O2(300μM)刺激し、Gβγの存在下でADPリボシル化を行うと、ADPリボシル化の程度は減少した。これに対し、GβγをH2O2(300μM)刺激した後、Goαを加えPTXによるADPリボシル化を行った場合、ADPリボシル化の減少は観察されなかった(Fig.6)。

 さらにG。タンパク質のα subunit(Goα)がH2O2刺激により直接活性化されるかどうかを調べた。H2O2刺激によりGoαの[35S]GTPγS結合活性は濃度依存的に増加した。以上の結果から、GoαがH2O2刺激により修飾を受け、活性化されることが明らかとなった。

5.酸化ストレスによるERK活性化の生理的役割

 心筋では、虚血再灌流時にもROSが産生されることが報告されている。虚血再灌流を模倣する低酸素・再酸素化処理を培養心筋細胞に与えると、ERK活性が無処置時に比べて約4倍に増加した。この活性化はH2O2消去剤であるcatalaseにより抑制され、βARK-ctの発現によってもさらに抑制された。以上の結果から、心筋細胞において虚血再灌流時に産生されるROSがGi/oタンパク質を活性化し、遊離したGβγがERKを活性化することが示された。

 ERKやAktは増殖・分化を引き起こすだけでなく細胞の生存因子として働くことが知られている。ラット新生仔の培養心室筋細胞にH2O2(100μM)を48時間処理したところ、40%弱の細胞死が引き起こされた。これに対し、あらかじめβARK-ctを発現させておいた細胞では細胞死が60%以上に増加していた。従って、ROSによって活性化されるGタンパク質を介した情報伝達は、酸化ストレスに適応するための保護シグナルとして働くことが示唆された。

6.まとめ

 私は、酸化ストレスによるERK活性化の標的分子がGタンパク質(Gi、Go)のαsubunitであることを初めて明らかにした。またラット新生仔心室筋細胞において、Goαの活性化により遊離したβγsubunitがPI3Kを介してSrc、Akt、ERKを活性化することを明らかにした。本研究結果は、これまで受容体でしか活性化されないと信じられてきたG蛋白質の概念を打ち破る画期的なものであり、またこれまで毒性の面のみが強調されてきたROSが細胞の保護に働く経路をも活性化しうることを示した報告である。

参考文献

Nishida, M., Maruyama, Y., Tanaka, R., Kontani, K., Nagao, T. & Kurose, H. Gαiand Gαo are target proteins of reactive oxygen species.Nature (London)408,492-495(2000).

Fig.1 心筋におけるERK活性化経路

Fig-2 H2O2刺激によるERK活性化に対するβARK-ctの作用

Fig.3 H2O2刺激によるERK活性化に対する各種阻害剤の作用

Fig.4 ラット心室筋細胞膜標品におけるH2O2刺激による活性化

Fig.5 H2O2刺激による三量体G蛋白質の活性化

Fig.6 H2O2前処理したG。α、GβγにおけるPTXによるADPリボシル化

Fig.7 低酸素一再酸素化刺激によるERK活性化に対するβARK-ctの作用

審査要旨 要旨を表示する

 過剰量の活性酸素による酸化ストレスは,細胞内のタンパク質,脂質,核酸などを非特異的に酸化し,生理機能の障害を引き起こす.そのため,活性酸素は生体に悪影響を及ぼす因子として考えられてきた,しかしその一方で、ROSがいくつかの情報伝達経路を活性化する細胞内のメディエーターとして働くことが明らかにされ,生理的機能の発現にも積極的に関与することがわかってきた.

 Extracellular signal-regulated kinase(ERK)はmitogen activatedprotein(MAP)kinase familyの一つであり,細胞の増殖・分化・生存に関与している.ERKもまた酸化ストレスにより活性化する情報伝達経路の一つであるが,活性酸素によるERK活性化における最初の標的分子については全くわかっていなかった.本研究は,心筋細胞の初代培養系を用いて活性酸素の標的分子を見出したものである.以下に本研究によって得られた主要な知見をまとめる.

1) 酸化ストレスによるMAP kinase活性化の特徴

 本研究では,ラット新生仔の培養心室筋細胞を用いて情報伝達系の解析を行った.この細胞は組み換えアデノウィルス法を用いることで高効率に遺伝子を発現させることが可能な細胞内情報伝達系の解析に非常に有用な系である.Gタンパク質のβγ subunit(Gβγ)をトラップするペプチドや様々な阻害剤および各種キナーゼ活性を測定することにより,酸化ストレスによるERK活性化にGβγ,ホスファチジルイノシトール-3-キナーゼ(PI3K),Srcチロシンキナーゼが関与することを明らかにした.さらに,酸化ストレスによるERK活性化が受容体非依存的に起きること,新生仔心室筋の細胞膜標品において酸化ストレスによるGタンパク質の活性化が確認されたことから,活性酸素が直接三量体Gタンパク質を活性化していると推測された.

2) 酸化ストレスによるGタンパク質の活性化

 1)で示した仮説が本当であるかどうか見極めるため,精製したGタンパク質を用いて活性酸素による活性化を調べた.その結果,活性酸素の標的分子がGi/oタンパク質のαサブユニットであることを見出した.

3) 生理的意義

 1),2)で明らかにした経路が生理的に意味を持つかどうか調べるため,ラット新生仔の培養心室筋細胞に低酸素・再酸素化を行った.その結果,低酸素・再酸素化刺激によって細胞内で産生された活性酸素がGタンパク質を活性化し,遊離したGβγがERKを活性化することを明らかにした.また,これらのメカニズムがラットの心室筋細胞において酸化ストレスに適応するための生存シグナルとして働く可能性を示した.

本研究は,以下に示す3つのことを明らかにした.

1)酸化ストレスによるERK活性化の標的分子がGタンパク質(Gi,Go)のαsubunitであることを初めて明らかにした.

2)ラット新生仔心室筋細胞において,Gαの活性化により遊離したβγsubunitがPI3KやSrcチロシンキナーゼを介してERKを活性化することを明らかにした.

3)これらのメカニズムは心筋において酸化ストレスに適応するための保護シグナルとして働く可能性を見出した.

 本研究結果は,これまで受容体でしか活性化されないと信じられてきたGタンパク質の概念を打ち破る画期的なものであり,またこれまで毒性の面のみが強調されてきた活性酸素が細胞の保護に働く経路をも活性化しうることを示した報告である.

 故に,本研究は活性酸素が及ぼす生理機能の理解に多大な寄与をなすものであり,博士(薬学)の学位を授与するに値するものと認めた.

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