学位論文要旨



No 116493
著者(漢字) 小高,正嗣
著者(英字)
著者(カナ) オダカ,マサツグ
標題(和) 2次元非弾性系を用いた火星大気対流に関する数値的研究
標題(洋) A numerical simulation of Martian atmospheric convection with atwo-dimensional anelastic model
報告番号 116493
報告番号 甲16493
学位授与日 2001.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(数理科学)
学位記番号 博数理第164号
研究科 数理科学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 石岡,圭一
 東京大学 教授 山田,道夫
 東京大学 教授 薩摩,順吉
 東京大学 教授 時弘,哲治
 東京大学 助教授 一井,信吾
 理学系研究科 助教授 松田,佳久
 北海道大学 教授 林,祥介
内容要旨 要旨を表示する

 火星大気の熱および循環構造は大気中に存在するダストにともなう放射加熱の影響を大きく受けることが知られている.探査衛星によって観測された温度構造は,しばしば乾燥断熱温度分布に比べ安定な構造を示した(Kliore,et al.,1972;Linda1 et al.,1979;Davies,1979).鉛直1次元放射対流モデルを用いた研究により,この原因はダストにともなう放射加熱であると理解されている(Gierasch and Goody,1972;Pollack et al.,1979).大気大循環モデル(General Circulation Model;GCM)によるシミュレーションは,大気中にダストがある場合の大規模循環の強度はダストのない場合にくらべ有意に大きくなることを示している(Haberle et al.,1982;Pollack et al.,1990;Hourdin et al.,1993;Murphy et al.,1995;Wilson and Hamilton,1996).

 しかしながらGCMによるシミュレーションは,大気中にダストがない場合もしくは少ない場合には大規模場の風によって地表からダスト巻き上げることができないという自己矛盾的な結果を示している(Wilsom and Hamilton,1996;Joshi et al.,1997).Wilson and Hamilton(1996)はGCMでは表現できていない局所的な風のゆらぎを考慮すれば,ダストの巻き上げに必要な地表摩擦を得ることができるのではないかと推測している.しかしそのようなゆらぎの実体については何ら言及してはいない.

 そのような風のゆらぎの1つとして放射加熱と地表面からの顕熱によって駆動される鉛直対流にともなう風が考えられる.実際に過去の探査衛星による観測データからそのような対流の存在は指摘されている(Hess et al.,1977;Ryan and Lucich,1983).しかし火星大気の鉛直対流に注目した研究はこれまでほとんど行われておらず,循環構造等の基本的な特徴は現在全くわかっていない.そこで本研究では対流を陽に表現する空間2次元の数値モデルを用いて火星大気における鉛直対流の様子を調べることにする.空間2次元モデルを用いることで高い空間分解能とある程度広い計算領域を同時に確保することができる.さらに特徴的な対流構造が存在する場合にその抽出は3次元モデル計算の場合に比べ容易となることが期待される,ダストが存在する場合,ダストの放射加熱は対流場に有意な影響を及ぼすと予想される.ダストによる対流場への影響を調べるためにはダストのない場合の対流の様子を把握しておく必要がある。そこで本研究ではダストのない場合の鉛直対流の様子と,鉛直対流にともなう風によってダストが巻き上げられた場合のダストによる鉛直対流への影響について調べる.

数値モデルの概要と実験設定

 本研究で用いる数値モデルは,Nakajima(1994)で用いられた地球大気の積雲対流シミュレーション用数値モデルを基盤として火星大気向けに新たに開発したものである(http://www.gfd-dennou.org/arch/arch/deepconv/).主要な変更点は地表フラックスモデル,大気の放射伝達,地表面熱収支,そしてダストの移流と放射伝達である.

 大気は2次元の非弾性方程式系(Ogura and Phillips,1962)でモデル化する.数値モデルの格子間隔以下のスケールで生じる乱流拡散は2次のクロージャー法(Klemp and Wilhelmson,1978)で計算する.地表からの熱と運動量のフラックスはバルク法で計算し,バルク係数にはモデル大気最下層の大気安定度依存性を考慮する(Louis,1979).大気の赤外放射吸収と太陽放射の近赤外吸収はGoodyのバンドモデルで表現する.地中温度は熱伝導方程式を用いて計算する.

 ダストの空間分布は重力沈降を考慮した移流拡散方程式で計算する.ダストの放射吸収は可視と赤外の波長域両方を考慮し,放射伝達はδ-Eddington近似で計算する.ダストはモデル最下層の水平風から計算される地表摩擦が臨界値を越えると地表から大気へ供給されるとする.地表からのダストフラックスは一定として,その大きさには風洞実験によって得られた値(White et al.,1997)を用いる.

 モデル大気の計算領域は水平に51.2km,鉛直に20kmとする.水平格子間隔は100m,鉛直格子点は高度100m以上では100m毎に置き,高度100m以下には不等間隔に5点置く.最下層の水平風は高度約1.5mで計算される.地表付近の高い鉛直分解能は対流プリュームを適切に表現するために必要なものである.境界条件は水平に周期境界条件,下部境界では鉛直風を0,上部境界は応力無し条件を置く.地面モデルの計算領域は日変化表皮深さの6倍までとり,地中の鉛直格子点は不等間隔に10点置く.

 大気上端の入射太陽放射量は北半球が夏の北緯20°の条件に固定する.ダストのない場合の初期条件は水平一様温度分布,静止大気である.初期条件の鉛直温度分布は2次元モデルと同じ放射モデルを持つ鉛直1次元放射対流モデルによって計算したLT=06:00の分布である.ダストのある場合の初期条件はダストのない場合の3日目の計算結果を用いる.ダスト巻き上げの臨界地表摩擦は0.01 Nm-2とする.

 数値計算は京都大学大型計算機センター,および文部省宇宙科学研究所宇宙科学企画情報解析センターの富士通VPP800システムにおいて行った.必要な主記憶は約256メガバイト,24モデル時間計算を行った場合のCPU時間は約8時間である.総計算モデル時間はダストのない場合は3日間,ダストのある場合は6日間である.

数値計算の結果

ダストのない場合

 ダストのない場合の対流層の厚さは高度10km前後となる.これは鉛直1次元モデルによる計算結果(Pollacket al.,1979)と比べると若干大きい.日中の熱境界層の厚さはおよそ200mであり,とくに高度50m以下に温位勾配の非常に大きな領域(熱伝導層)が形成される.熱伝導層の厚さと温位差は供給される熱フラックス地表付近の乱流拡散係数の大きさからおよその大きさを見積もることができる.

 計算された対流は最大空間スケールが鉛直方向に約10km,水平方向に数kmとなるようなキロメータサイズの対流であった.対流セルの縦横比は2:1で,上昇域と下降域の幅はほぼ同じである.対流による風速値は鉛直風で20〜30msec-1,水平風で15〜20msec-1となる.対流にともなう風の大きさは対流プリュームの浮力による自由加速によって見積もることができる.

 対流にともなう風によって生成される地表摩擦はダストを巻き上げるのに必要な値の下限値に達したダストのないGCMの計算結果から推測される大規模場の風を対流にともなう風に重ね合わせると,地表摩擦はダストを巻き上げるのに必要な臨界値を越える.この結果はGCMにおいてキロメータサイズの対流にともなう風の効果を考慮すれば,ダストのない条件においてもダストを地表面から巻き上げることが可能であることを示すものである.

ダストのある場合

 対流によって巻き上げられたダストは2時間程度で対流層内全域に広がる.対流層上端付近に巻き上げられたダストはそれ自体の放射加熱が生み出す上昇流によってさらに上昇する.ダストが巻き上げられる段階でのダスト混合比の大きい上昇流域とその他の領域との間の放射加熱の差は,対流にともなう循環パターンにはあまり影響していない.対流によるダスト混合の時間スケールはダストによる放射加熱の時間スケールに比べて短い.

 ダストが巻き上げられた後,日中の対流層の厚さはダストのない場合に比べ小さくなる.ダスト巻き上げ後3日目の対流層の厚さは約5kmで,これはダストのない場合のおよそ半分である.対流層の厚さが小さくなるのはダストの放射加熱により大気上層の温位が大きくなるためである.

 対流にともなう風速の大きさはダストのない場合よりも小さくなる.鉛直風は10〜15msec-1,水平風は10msec-1前後の値となる.対流セルの縦横比,上昇域と下降域の幅の比はダストのない場合と変わらない.風速値が小さくなるのは対流層の厚さが小さくなることと,対流プリュームの持つ温位差が減少することによる.

議論

 対流を陽に表現する2次元数値モデルを用いて,火星大気における放射と顕熱によって駆動される鉛直対流の数値計算を初めて行った.数値計算の結果から,そのような対流は最大空間スケールが鉛直方向に約10km,水平方向に数kmとなるようなキロメータサイズの対流であることが明らかとなった.

 キロメータサイズの対流にともなう風のゆらぎをきちんと評価できれば,ダストのない条件の火星大気GCMにおいてもダストを地表面から巻き上げることは可能であることがわかった.しかし従来の火星大気GCMの標準的なパラメタリゼーションである対流調節では,熱輸送を担う対流の運動に関する情報を得ることはできない.火星大気のキロメータサイズの対流に対応する地球大気の積雲対流に対しては,積雲の観測と理論を基に対流調節よりも複雑な積雲対流パラメタリゼーションが開発されてきた.積雲対流パラメタリゼーションの開発にならい,対流にともなう風のゆらぎを評価できるような火星大気対流のパラメタリゼーションを考察する必要がある.そのために必要な対流の描像は本研究の数値計算によって初めて得ることができたのである.

 火星大気におけるキロメータサイズの対流の持つ上昇域の幅と下降域の幅はほぼ等しく,上昇流と下降流の大きさはあまり変わらない.これは乾燥大気である火星大気対流の特徴である.乾燥対流では上昇域と下降域における断熱温度減率は等しいため,上昇域と下降域の幅に制約を与える条件はない.これに対し地球大気の積雲対流では凝結をともなう上昇域と乾燥した下降域との間に存在する断熱温度構造の非対称のために,上昇域の幅は下降域に比べ狭くなりやすい.質量保存を考慮すると積雲対流の上昇流は下降流に比べ速くなる.

引用文献

Davies, D. W. 1979: J. Geophys. Res., 84,8289-8294.

Gierasch, P. J., and R. M. Goody, 1972: J. Atmos. Sci., 29, 400-402.

Haberle, R. M., C. B. Leovy, and J. B. Pollack, 1982: Icarus, 50, 322-367.

Hess, S. L., R. M. Henry, C. B. Leovy, J. A. Ryan, and J. E. Tillman, 1977: J. Geophys. Res., 82,4559-4574.

Hourdin, F., P. L. Van, F. Forget, and O. Talagrand, 1993: J. Atmos. Sci., 50, 3625-3640.

Josh, M. M., R. M. Haberle, J. R. Barnes, J. R. Murphy, and J. Schaeffer, 1997: J. Geophys. Res.102, 6511-6523.

Klemp, J. B., and R. B. Wilhelmson, 1978: .1. Atmos. Sci., 35, 1070-1096.

Kliore, A., D. L. Cain, G. Fjelbdo, B. L. Seidel, and S. I. Rasool, 1972: Science, 175, 313-317.

Lindal, G. F., H. B. Hotz, D. N. Sweetnam, Z. Shippony, J. P. Brenkle, G. V. Hartsell, R. T. Spear. and W. H. Michael, Jr., 1979: J. Geophys. Res., 84, 8443-8456.

Louis, J. 1979: Bound.-Layer Meteor., 17, 187-202.

Murphy, J. R., J. B. Pollack, R. M. Haberle, C. B. Leovy, 0. B. Toon, and J. Schaeffer, 1995: J.Geophys. Res., 100, 26357-26376.

Nakajima, K. 1994: Direct numerical experiments on the large-scale organizations of cumulus con-vection, Ph.D thesis, Department of Earth and Planetary Science, Graduate School of Science:University of Tokyo, Tokyo, Japan(in Japanese).

Ogura, Y., and N. A. Phillips, 1962: J. Atmos. Sci., 19, 173-179.

Pollack, J. B., D. S. Colburn, F. M. Flaser, R. Kahn, C. E. Carlston, and D. Pidek, 1979: J. Geophys.Res., 84, 2929-2945.

Pollack, J.B., Haberle, R.M., Schaeffer, J., and Lee, H. 1990: J. Geophys. Res., 95, 1447-1473.

Ryan, J. A., and R. D. Lucich, 1983: J. Geophys. Res., 88, 11005-11011.

White, B. R., B. M. Lacchia, R. Greeley, and R. N. Leach, 1997: J. Geophys. Res., 102, 25629-25640.

Wilson, R. J., and K. Hamilton, 1996: J. Atmos. Sci., 53, 1290-1326

審査要旨 要旨を表示する

 火星大気の熱および循環構造は大気中に存在するダストに伴なう放射加熱の影響を大きく受けることが知られている.大気大循環モデル(General CirculationModel=GCM)によるシミュレーションでは,大気中にダストがある場合の大規模循環の強度は,ダストのない場合にくらべ有意に大きくなることが示されている.

 しかしながら,これまでのGCMによるシミュレーションでは,大気中にダストがない場合,もしくは少ない場合には,大規模場の風による地表摩擦では地表からダスト巻き上げることができないという結果が得られている.そのため,ダストの巻き上げを引き起こすには,GCMでは表現できていない局所的な風のゆらぎを考慮する必要があると考えられている.

 そのような風のゆらぎの1つとして局所的な対流にともなう風が考えられる.実際に過去の探査衛星による観測データから,対流にともなう風の存在は指摘されているが,これまで火星大気の対流に注目した研究はあまり行われてこなかったため,火星大気の対流にともなう風速の大きさと対流の循環構造はよくわかっていないかった.

 本論文では,特に,ダストのない場合の対流にともなう風の大きさと地表摩擦に注目し,対流を陽に表現することのできる空間2次元の数値モデルを用いて火星大気対流の様子を調べている.空間2次元モデルを用いる理由は,高い空間分解能とある程度広い計算領域を同時に確保できることと,特徴的な対流構造が存在する場合にその抽出が3次元モデルに較べ容易であることが期待できるからである.さらに,ダストが存在する場合には,ダストの放射加熱は対流場に有意な影響を及ぼすと予想されるので,対流の風によってダストが巻き上げられたと仮定して,ダストの対流場への影響についても調べている.

 申請者は,火星大気のシミュレーションを行うために,地球大気の積雲対流シミュレーション用数値モデルを基盤としながらも,大気の赤外放射吸収と太陽放射の近赤外吸収,ダストの重力沈降を考慮した移流拡散,地中の熱伝導等々,非常に複雑な過程に関して徹底的に文献を調べて最も妥当と考えられる手法を取り込んで数値モデルを新たに構築している.

 数値実験の結果,まずダストのない場合については,対流層の厚さが高度10km前後となること,対流による風速値は鉛直風で20〜30m/s,水平風で15〜20m/sとなること,モデル最下層の高度1.5mにおいても10m/s以上の風が存在すること,対流セルの縦横比は2:1で,上昇域と下降域の幅はほぼ同じであること,等が明らかになった.

 この対流にともなう風によって生成される地表摩擦は,ダストを巻き上げるのに必要な値の下限値に達している.ダストのないGCMの計算結果から推測される大規模場の風を,対流にともなう風に重ね合わせると,地表摩擦はダストを巻き上げるのに必要な臨界値を越える.この結果は,GCMにおいて対流に伴なう風の効果を考慮すれば,ダストのない条件においてもダストを地表面から巻き上げることが可能であることを示すものである.

 ダストのある場合については,対流によって巻き上げられたダストが2時間程度で対流層内全域に広がること,対流層上端付近に巻き上げられたダストはそれ自体の放射加熱が生み出す上昇流によってさらに上昇すること,ダストが巻き上げちれた後,日中の対流層の厚さはダストのない場合に比べ小さくなること,等が明かになった.

 また,対流にともなう風速の大きさはダストのない場合よりも小さくなり,鉛直風は10〜15m/s,水平風は10m/s前後の値となること,モデルの最下層である高度1.5mの風は10m/s弱となること,対流セルの縦横比,上昇域と下降域の幅の比はダストのない場合と変わらないこと,も示された.風速値が小さくなるのは主に対流層の厚さが小さくなるためである.

 以上,ダストのある場合およびダストのない場合について,対流の上昇域の幅と下降域の幅はほぼ等しく,上昇流と下降流の大きさはあまり変わらないことが示された.これは乾燥大気である火星大気対流の特徴であると考えられる.なぜなら,乾燥対流には上昇域と下降域の熱的非対称は存在せず,上昇域と下降域の幅に制約を与える条件はないためである.これは,地球大気における湿潤対流では,凝結をともなう上昇域と乾燥した下降域との間に断熱温度構造の非対称が存在するため,上昇域の幅は下降域に比べ狭くなりやすい傾向があるのとは非常に異なる性質である.

 このように火星大気におけるkmサイズの対流の性質およびそれに伴なう風のゆらぎをきちんと評価することは,既存の標準的なパラメタリゼーションである乱流パラメタリゼーションと対流調節を用いて評価することは非常に困難であったダストの巻き上げを適切に扱うために必要となる新たなパラメタリゼーションを新たに考察するために重要な足掛かりになるものである.

 以上,本論文では,高解像度の水平-鉛直2次元数値モデルを用いることによって,これまでのGCM実験からは得られなかった火星大気中の対流運動が詳細に調べられ,対流による局所的な風によるダストの巻き上げの可能性に裏付けが与えられている.また,ダストが巻き上げられた後,それ自体の熱吸収によって誘起される対流運動についても新たな知見を与えるものである.

 よって,論文提出者小高正嗣は,博士(数理科学)の学位を受けるにふさわしい充分な資格があると認める.

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