学位論文要旨



No 116514
著者(漢字) 岩﨑,純史
著者(英字)
著者(カナ) イワサキ,アツシ
標題(和) 強光子場中のO2+およびCS2の配向・構造変形・解離過程
標題(洋) Alignment, structural deformation, and dissociation processes of O2+ and CS2 in intense laser fields
報告番号 116514
報告番号 甲16514
学位授与日 2001.04.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4042号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山内,薫
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 永田,敬
 東京大学 助教授 岩田,耕一
 東京大学 講師 紫藤,貴文
内容要旨 要旨を表示する

1.背景

 高輝度、短パルスレーザー光を集光することによって発生するレーザー光子場は、分子内の電場強度に相当する程の強度を持つ。このレーザー光子場中において、分子は多重イオン化の後、クーロン反発によって原子イオンに解離する。このクーロン爆発の結果として生成する原子フラグメントイオンは、レーザー偏光軸の方向に高い指向性をもって放出されることが知られている。このフラグメントイオンの異方分布は、当初、レーザー偏光方向に分子が配向するために起きると考えられた。しかしその後、レーザー偏光方向に分子軸をそろえた分子ほどイオン化しやすいという近軸増強イオン化が、フラグメントの異方性に大きく寄与していることが明らかになった。一方、多重イオン化の過程で、分子の核間距離や結合角が大きく変化する分子構造緩和がレーザー場によって起きることが知られるようになった。したがって、強光子場中では分子配向、近軸増強イオン化、分子構造変化という現象がほぼ同時に進行する可能性がある。そのため、分子がクーロン爆発した結果として得られる、フラグメントイオンの運動量ベクトル分布に、これらの現象がどの程度、そして、どのようにして反映されているかについては、今なお明らかになっていない。そこで本研究では、強光子場中の分子からクーロン爆発によって生成したフラグメントの運動量ベクトル分布を、飛行時間型質量分析計を用いた運動エネルギーの精密測定、分散蛍光(dispersed fluorescence; DF)分光法を用いたドップラープロファイルの観測、質量選別運動量画像(mass-resolved momentum imaging; MRMI)法を用いた角度異方性分布の観測に基づいて求め、強光子場中における分子の配向とイオン化にともなう構造変形機構を明らかにすることを試みた。

2.質量選別運動量画像法と共分散相関法による強光子場中O2+の光解離ダイナミクス

 高強度光子場(〜1015W/cm2)中の分子ダイナミクスの研究は、これまで簡単な電子準位構造を持つH2+を中心に行われ、その強光子場中の運動は、分子と光子場が強く結合して形成された"ドレスト状態"のポテンシャルに基づいて説明できることが示されてきた。H2+においては、主に2つの電子状態(1sσg,2pσu)がドレスト状態の生成に寄与しているが、一般に、複数の電子を持つ分子においては、多数の電子状態が近接して存在し、それらが光子場との強い相互作用により結合していると予想される。ここでは、強光子場中のO2+イオンに着目し、多電子系においてドレスト状態がいかに形成され、その分子ダイナミクスを決定づけているかを明らかにすることを目指した。

 高輝度フェムト秒光パルス(800nm,100fs,10Hz)、およびその第2次高調波(400nm)を、高真空チャンバー(〜10-8Torr)に集光することによって1×1015W/cm2程度の光子場を発生させた。光子場との相互作用によってO2から生成したO+イオンの運動量ベクトル分布を質量選別運動量画像(MRMI)法により測定した。

 波長800、400nmにおけるO+イオンのMRMI図を、図1(a)、(b)に示す。図1(a)のMRMI図には、クーロン爆発過程O22+→O++O+;(1,1)の他に、解離過程O2+→O++O;(1,0)に由来するピークが観測された.このピークはレーザー偏光方向(ε)に強い空間異方性を示し、同じ電子対称性を持った電子状態間の結合が、強光子場における解離過程を支配していることを示唆している。ドレスト状態の考え方に基づいて、観測されたピークが主として4重項状態a4Πuを始状態としたa4Πu→b4Πg→24Πu→24Πg状態間結合による1+1+1+1越閾解離(ATD)に由来することが示された。また、波長を400nmとした場合、図1(b)のようにMRMI図には3本のピークが観測された。これらのピークに対しても,同様の帰属ができることがわかり、ドレスト状態が主として同じ電子対称性を持つ少数の電子状態間の結合によって生成することが明らかとなった。

3.ナノ秒強光子場中におけるCS2の分子配向と構造変形

 超短パルス(〜100fs)強光子場中において、分子は配向、構造変形、多重イオン化を経てクーロン爆発を起こすことが知られている。しかしながら、これらの現象は、時間的に重なり合いながら進行するため、それぞれの過程を分離して観測することは困難である。これに対し、ナノ秒パルスレーザー場の場合には、レーザー場の強度変化が緩やかであるため、超短パルスレーザー場を用いて、それらの過程が進行する様子をプローブできると期待される。そこで、ナノ秒パルスレーザー場(〜1013W/cm2)中のCS2の配向および構造変形過程を、超短パルスレーザー(〜100fs)によるクーロン爆発を利用して追跡した。

 ナノ秒レーザー(Nd:YAG,1064nm,420mJ)を集光することによって、1×1013W/cm2の光子場を発生させ、分子線中のCS2に照射した。この強光子場下のCS2を、円偏光とした超短パルスレーザー光(1×1014W/cm2)によって多重イオン化し、クーロン爆発によって生成した解離生成フラグメントイオンを、飛行時間(TOF)型質量分析器によって検出した。イオン化用の超短パルスレーザー光を円偏光としているため、観測された運動量ベクトル分布の異方性は、ナノ秒レーザーによって生成したCS2分子の異方性を示す。ナノ秒レーザーの偏光方向をTOF軸方向に対して回転させることによって、原子フラグメントイオンの運動量ベクトル分布を測定し、2次元質量選別運動量画像(MRMI)図として表示した。

 ナノ秒レーザーの偏光方向を回転させて測定したS2+とC2+のMRMI図を、それぞれ図2(a),(b)に示す。図2(a)のMRMI図から、S2+がレーザー偏光方向(ε)を中心とした、急峻な角度異方性を持つこと、図2(b)から、C2+がレーザー偏光方向とは直行する方向を中心とした角度分布を持つことが示された。ナノ秒レーザーパルスに対して、プローブ光である超短パルスレーザー光の入射時間を変化させて、フラグメントイオンの角度異方性分布の追跡を行った結果、異方性分布はナノ秒レーザーのパルス波形と同様の時間変化を示すことがわかった。すなわち、このS2+の異方性分布は、ナノ秒レーザーの偏光方向にCS2が分子配向していることを示している。一方、C2+の異方性分布については、分子配向のみを考慮して運動量ベクトル分布シミュレーションを行った結果、ナノ秒レーザー偏光軸がTOF検出器方向と垂直方向を向いている場合に、実測の分布強度はシミュレーションから得られた分布強度よりも強く現われることが示された。このことは、ナノ秒レーザー場中において、CS2の電子基底状態と変角型の電子励起状態が、レーザー光子場との相互作用によって結合し、変角座標方向に構造変形が起きることを示している。

4.蛍光ドップラー法による強光子場中での多重イオン化機構の解明

 強光子場中分子の多重イオン化過程には、生成した親イオンの電子状態が大きく寄与している。しかし、クーロン爆発に伴って生成したフラグメントイオンの運動エネルギーを測定しただけでは、親分子イオンのクーロン爆発直前の電子状態に関する知見を得ることは不可能である。そこで、分散蛍光(DF)法を用いて、フラグメントイオンからの発光を観測した。

 強レーザー光子場(2×1015W/cm2)にNO分子をさらし、生成した原子フラグメントイオンからの発光を分光した。得られたDFスペクトルの一部を図3に示す。スペクトル中には、主にN原子とO原子の1価および2価イオンのリュードベリ状態から、主量子数n=3(l=0,1,2)の準位への発光が観測された。図3に示すように、N2+(3p→3s)の発光ピークでは、偏光方向を検出器方向と平行とした場合にはドップラー広がりが観測されるが、垂直とした場合には見出されないことがわかった。ドップラー広がりは、フラグメントイオンの運動量ベクトルの分布を反映しており、このピークのドップラー広がりのレーザー偏光方向に対する異方性は、フラグメントイオンが主に偏光方向に放出されていることを示している。

図1:(a)800nmと(b)400nmのフェムト秒レーザーパルスによって発生した強光子場から生成したO+のMRMI図

図2: ナノ秒レーザー光子場(〜1012W/cm2)中のCS2を超短パルスレーザーでイオン化した場合の(a)S2+, (b)C2+のMRMI図

図3:NOのDFスペクトル(下)と検出器方向に対して、レーザー偏光方向を平行(〓)、垂直(⊥)とした場合の蛍光ドップラースペクトル(上)

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、強光子場中における分子の配向、構造変形、解離過程を、フェムト秒レーザーパルスを用いた質量選別運動量画像(MRMI)法によって、実験的に明らかにしている。特に、論文提出者は、CS2の強光子場中における配向、構造変形が同時に起こっており、ナノ秒レーザーパルス内で同時に進行することを見出し、多原子分子の強光子場中の複雑なダイナミクスについて貴重な知見を得た。

 本論文は全5章から構成されており、第1章では強光子場における分子について、配向、構造変形、光解離、多重イオン化過程を取り上げ、その概要を説明している。

 第2章では、O2+の強光子場中の光解離ダイナミクスが、分子ポテンシャルと光子場の相互作用によって形成されたドレストポテンシャルを用いて説明できることを示している。高輝度フェムト秒レーザーによって生成した強光子場中のO2から生成するO+フラグメントの運動量ベクトル分布から、光解離過程から生成するO+フラグメントの帰属を行っている。そして、強光子場中で4重項ポテンシャル起源のドレストポテンシャルを用いれば、生成したO+フラグメントの運動エネルギー分布が説明できることを明らかにしている。

 第3章では、ナノ秒レーザー光とフェムト秒レーザー光を用いたポンプープローブ分光法によって、強光子場中のCS2の配向、構造変形過程の実時間変化を明らかにしている。フラグメントイオンの運動量ベクトルの角度異方性分布を数値シミュレーションすることにより、ナノ秒強光子場中において、分子配向過程だけでなく、変角構造変形が同時に起きることを初めて明らかにしている。

 第4章では、強光子場中の分子から生成した多価原子フラグメントイオンの電子状態を、蛍光ドップラー法を用いて明らかにしている。フラグメントイオンのドップラー線形から、レーザー偏光方向にフラグメントイオンの発光の異方性を観測し、レーザー偏光方向へのフラグメント生成の異方性を明らかにしている。

 なお、本論文第2章は、菱川明栄、劉世林、山内薫との共同研究であるが、論文提出者は、主体的に実験を行い、研究を遂行した。第3章は、菱川明栄、山内薫との共同研究、第4章は、星名賢之助、菱川明栄、山内薫との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって、研究を進めたものである。以上、本論文の内容は独創性が十分に高いものであり、ここに審査委員会は、論文提出者 岩崎純史 に博士(理学)を授与できると認める。

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