学位論文要旨



No 116517
著者(漢字) ニーラム,ラマイア
著者(英字) Neelam,Ramaiah
著者(カナ) ニーラム,ラマイア
標題(和) 太平洋およびその隣接海域における光透過性細胞外ポリマー粒子の時空間変動と植物プランクトン動態との関係
標題(洋) Spatio-temporal variations in transparent exopolymer particles in association with phytoplankton dynamics in the Pacific and adjacent waters
報告番号 116517
報告番号 甲16517
学位授与日 2001.04.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2328号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 古谷,研
 東京大学 教授 大和田,紘一
 東京大学 教授 小池,勲夫
 東京大学 助教授 福代,康夫
 東京大学 助教授 木暮,一啓
内容要旨 要旨を表示する

 植物プランクトンは、海洋生態系における主要な一次生産者としてエネルギーおよび有機物の供給源となっている。近年、細胞外に滲出した光合成産物の一部が凝集作用による集塊生成をもたらすことが明らかになってきた。光透過性細胞外ポリマー粒子(transparent exopolymer particles、以下TEP)は、植物プランクトン由来の酸性多糖類から非生物的に生成される透明な粒子であり、アルシアンブルーで染色される粒子として定義される。TEPは凝集により生成する集塊の基質となる。集塊は、マリンスノーとして沈降するなど有光層から深層への有機物輸送の主要な経路であるため、TEPは有機物の輸送および変質において重要な役割を果たしている。また、TEPはバクテリアなどの微小な従属栄養者や粘液食者の栄養となっており、特に深層で重要と考えられている。

 このようなTEPの生態学的な重要性は1990年代半ばに明らかになり、その後、空間分布や集塊形成に果たす役割について急速に研究が進められてきた。しかしこれまでの知見は沿岸海域に限られ、鉛直的にも有光層に集中している。有光層以深におけるTEPの分布はアラビア海での1000mまでの知見に留まっている。本研究は、西部太平洋及びその隣接海域におけるTEPの時空間変動と植物プランクトン動態との関係を明らかにすることを目的とした。研究対象は、内湾域として大槌湾および東京湾を取り上げ、その季節変動に注目した。また、外洋域として西部太平洋熱帯・亜熱帯海域およびその縁辺海である日本海・セベレス海・スール海を取り上げ、その水平分布および海底付近までの鉛直分布を明らかにした。

1.TEPの空間分布

 TEPは、直接測定法がないため、本研究ではアルシアンブルー染色法を用いてキサンタンガム当量(XG)として定量した。調査海域全体として見るとTEPは沿岸域で高く外洋域や縁辺海では低い傾向が認められた。大槌湾では平均(標準偏差)1344(534)μg XG L-1と高濃度で存在し、次いで東京湾が150(156)μg XG L-1であった。大槌湾を除くと、TEPとクロロフィルa濃度とには明瞭な正の相関が認められ、TEPの地理的な変動は植物プランクトン現存量の違いを反映したものと言える。しかしながら、大槌湾では他海域に比べてTEP:クロロフィルa比が有意に高かった。大槌湾でのTEPは、これまで報告された最高値である南極海のPhaeocyctisブルーム時に匹敵し、平均濃度としては最も高い。

 TEPの有光層内の鉛直分布を見ると、亜表層クロロフィル極大以浅で高い傾向が海域によらず共通して認められたが、赤道域及び日本海では有光層内の濃度変化が小さいのに対し、スール海、セレベス海及び西部北太平洋では濃度変化がより大きく変化した。有光層底部から深層(5000m)までは、外洋域および縁辺海ともTEPはほとんど変化せず一様に分布した。深層までの鉛直分布型は本研究で初めて明らかになったが、その分布の形成・維持についての適当な説明は得られなかった。

2.TEPの季節変動

 大槌湾および東京湾ではTEPは植物プランクトンブルームの消長に伴い変動した。大槌湾では春季(1998年1〜4月)に珪藻を主体とする植物プランクトンブルームが2度形成された。週2回の経時観測の結果、TEPは最初のブルームの末期から急激に増加し、ブルーム前の平均値901μg XG L-1から1442μgXG L-1に増加した。2回目のブルーム時に本研究における最高濃度2321μg XG L-1が表層で記録され、ブルーム後も高濃度で存在した。1回目のブルーム前の平均濃度はロス海・カリフォルニア沿岸・ノルウエーのフィヨルドからの報告値である150〜300μg XG L-1に比べて非常に高かった。この時期クロロフィルa濃度は1μg L-1以下と低く植物プランクトン由来以外のTEP供給源が示唆された。

 富栄養化した東京湾では、周年にわたり珪藻類あるいはラフィド藻類によるブルームが形成される。TEP濃度の変動とブルーム形成種の関係を明らかにするために周年観測を行った。月1回東京湾内4測点、湾口部2測点で表層0〜10mの採水試料を得た。植物プランクトンの群集組成は綱レベルでの各分類群のクロロフィルa量として求めた。すなわち、各分類群は固有の植物色素組成を持つことから、色素をHPLCにより定量し因子分析を用いてクロロフィルa量を見積もった。また、種組成を検鏡により確認した。湾内では43-1774(平均169±182)μg XG L-1、湾口部では4-356(平均112±70)μg XG L-1で変動し、クロロフィルaの変動に伴い明瞭な季節変化を示した。植物プランクトン群集は、湾内、湾口部ともにSkeletonema costatumを主体とする珪藻類が卓越した。初夏の湾内では珪藻類に加えてラフィド藻Heterosigma akashiwoによるブルームが形成され、全クロロフィルaの最大50%を占めた。H.akashiwoのブルーム時には全クロロフィルa濃度が高く、高いTEP濃度が観測された。

 TEPの生成に対する植物プランクトン各分類群の寄与を見積もるために、綱レベルの分類群のクロロフィルa量を独立変数として重回帰分析を行った。湾内ではラフィド藻類、珪藻類、クリプト藻類、緑藻類、その他の藻類、湾口ではプラシノ藻類、ラフィド藻類、珪藻類、その他の藻類の順にTEPに有意に寄与していた。特に湾内では周年卓越しているラフィド藻類と珪藻類の寄与が大きく、TEPの変動の大部分はこの2つの分類群の現存量で説明された。

3.TEPの生物的変動要因

3-1.大型藻類

 大槌湾では例外的に高いTEPが観察され、植物プランクトン以外の供給源が示唆された。同湾では、冬季から春季にかけてワカメ(Undaria pinnatifida f. distans)の大規模な養殖が行われ毎年約千トンが水揚げされる。これは天然の海藻群集の生物量に匹敵する。ワカメなどコンブ科の褐藻類は大量の溶存有機物を放出することから、TEPの供給源である可能性を検討した。ワカメの室内培養実験の結果、活発なTEPの生成が認められた。これまでTEPは植物プランクトンに由来すると考えられていたが、大型藻類の寄与が明らかとなった。同湾では冬季から春季にかけて季節風により駆動される湾内外水の交換が活発に起こる。1回目のブルームはこの交換により消滅し、湾外の沿岸水が流入してクロロフィルaは減少したがTEPは高い濃度を維持した。このことは三陸沿岸水が高いTEP濃度を持つことを示している。我が国では東北・北海道を中心に大型藻類の養殖が行われており、それに起因して養殖域付近ではTEP濃度が高い可能性が示唆された。

3-2.赤潮形成種

 東京湾における周年観測からTEPの変動に対してS.costatumおよびH.akashiwoの関与が示唆された。両優占種の寄与をバッチ培養実験から解析した。クロロフィルaベースでの日間TEP生産速度は、H.akashiwoが約2倍高かった。14C−重炭酸塩の取り込みによる光合成速度はS.costatumの方が高かった。しかし、H.akashiwoは全取り込みの59〜92%と、より高い割合で光合成産物を溶存態として細胞外に滲出した。これらの結果はH.akashiwoのブルーム形成時に高いTEPが観察されたことを説明している。またTEP生産速度は対数増殖期初期で最も高く、増殖とともに減少する傾向が両種に共通した。さらにH.akashiwoでは対数増殖期初期に最も高い光合成産物の滲出が認められ、ブルーム形成段階に応じてTEP生成速度が変化し、初期に最も活発であることが明らかになった。

4.バクテリアによるTEPの利用

 バクテリアはTEPを分解するとされていることから、東京湾と大槌湾において両者の関係を調べた。両海域ともTEPの極大に引き続き海水中の全菌数の極大が観察された。大槌湾では両極大の間隔は約10日であった。S.costatumを用いたバッチ培養実験では、S.costatumの増殖とともにTEP濃度が増し、全菌数の増加がこれに続いた。ま、た東京湾から得たTEPの粒径と付着バクテリア細胞数間には有意な正の相関が認められた。これらの結果からTEPがバクテリアの生息場あるいは基質となっていることが示唆された。

 以上、本研究からこれまで全く不明であった西部太平洋及びその隣接海域におけるTEPの時空間分布に関する基礎的知見が得られた。また、内湾域ではTEPの生成に海藻養殖が寄与していることや富栄養化にともなう植物プランクトン群集構造の変化がTEPの変動を支配していることから、人間活動の影響がTEPの時空間変動に顕れていることが明らかになった。本研究は、これまで知られている人為的な海洋生態系変化に加えて、TEPの動態を介したプランクトン生態系への影響の可能性があることを示唆している。

審査要旨 要旨を表示する

 植物プランクトンは、海洋生態系における主要な一次生産者であるとともに、光合成産物を細胞外に滲出し、滲出物の一部は凝集作用による集塊生成をもたらす。アルシアンブルーで染色される粒子として定義される光透過性細胞外ポリマー粒子(transparent exopolymer particles、以下TEP)は、植物プランクトン由来の酸性多糖類から非生物的に生成される透明な粒子で、1993年に初めてその存在が発見されたものである。TEPは凝集作用により集塊を生成し、マリンスノーの形成をもたらすため、有機物の鉛直輸送や生物化学的変質に重要な役割を果たすと考えられている。また、TEPはバクテリアなどの微小な従属栄養者や粘液食者にとって栄養価の高い有機物であることが報告されている。しかし、生態学的な知見は沿岸海域に限られ、太平洋およびその隣接海域では分布特性からして殆ど不明である。本研究は、西部太平洋外洋域及びその隣接海域、沿岸域におけるTEPの時空間変動と植物プランクトン動態との関係を明らかにすることを目的として行われた。

 まず、全体としてはTEPは沿岸域で高く外洋域や縁辺海では低い傾向があることが分かった。春季の大槌湾では既往知見と比較して最も高い平均濃度であり、東京湾が次いだ。TEPとクロロフィルa濃度とには明瞭な正の相関が認められ、TEPの地理的な変異は植物プランクトン現存量の違いを反映していることが分かった。しかし、外洋域はクロロフィルaによらず低い濃度域で変動していた。

 大槌湾では春季に珪藻を主体とする植物プランクトンブルームが2度形成され、TEPは最初のブルームの末期から急激に増加し、ブルーム前の平均濃度から1.5倍に増加した。2回目のブルーム時に本研究における最高濃度が記録され、ブルーム後も高濃度で推移した。1回目のブルームが発生する以前でも北米および北欧沿岸域の数倍と非常に濃度が高かった。これから植物プランクトン以外のTEP供給源の存在が示唆された。同湾では、冬季から春季にかけてワカメ(Undaria pinnatifida f. distans)の大規模な養殖が行われ毎年約千トンが水揚げされる。褐藻類は大量の溶存有機物を放出することから、TEPの供給源である可能性があり、これを検討した。ワカメの室内培養実験の結果、活発なTEPの生成が認められ、TEP生成への大型藻類の寄与が初めて明らかとなった。

 東京湾では、周年にわたり珪藻類あるいはラフィド藻類によるブルームが形成される。周年観測を行い、植物プランクトンの群集組成を綱レベルでの各分類群のクロロフィルa量として求め、TEP濃度との関連を解析した。TEPはクロロフィルaの変動に伴い明瞭な季節変化を示した。植物プランクトン群集は、湾内、湾口部ともにSkeletonema costatumを主体とする珪藻類が卓越した。初夏の湾内では珪藻類に加えてラフィド藻Heterosigma akashiwoによるブルームが形成され、全クロロフィルaの最大50%を占めた。

 TEP濃度の変動に対する植物プランクトン各分類群の寄与を見積もるために、綱レベルの分類群のクロロフィルa量を独立変数として重回帰分析を行った。湾内ではラフィド藻類、珪藻類、プラシノ藻類、湾口ではプラシノ藻類、珪藻類がTEP濃度に有意に貢献することが分かった。特に湾内ではラフィド藻類と珪藻類の寄与が大きく、TEPの変動の大部分はこの2つの分類群の現存量の変動で説明された。さらにS. costatumおよびH. akashiwoのバッチ培養実験から、クロロフィルaベースでの日間TEP生産速度は、H. akashiwoが約2倍高いこと、さらに14C−重炭酸塩取り込みの59〜92%を溶存態として細胞外に滲出することがわかり、H. akashiwoの活発なTEP生産力についてフィールドでの観察結果を支持した。H. akashiwoは人為的な富栄養化に伴って出現した優占種であり、種組成の変化を介してTEPの変動に富栄養化が影響していることが明らかになった。

 以上、本研究からこれまで不明であった西部太平洋及びその隣接海域におけるTEPの時空間分布特性に関する詳細な知見が得られた。さらにTEPの生成に海藻が寄与していること、植物プランクトン群集構造の変化がTEPの変動に影響していること、人為的な富栄養化の影響が種組成の変化を通してTEPに現れていることが初めて明らかにされ、本研究は学術的価値の極めて高いものである。よって、審査委員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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