学位論文要旨



No 116529
著者(漢字) 熊,遠報
著者(英字)
著者(カナ) ユウ,エンポウ
標題(和) 清代徽州地域社会史研究境界・集団・ネットワークと社会秩序
標題(洋)
報告番号 116529
報告番号 甲16529
学位授与日 2001.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第319号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岸本,美緒
 東京大学 教授 吉田,光男
 東京大学 教授 吉田,伸之
 東京大学 助教授 大木,康
 東京大学 助教授 黒田,明伸
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、村落図、文書、族譜等の資料を利用して、村落における人文環境の形成を整理した上で徽州郷村社会の秩序形成、紛争とその解決について以下の諸側面から考察を行ったものである。(1)村落図のような図像的資料から徽州村落の人文景観の復原を行い、その形成における商人の役割を考察する。(2)ネットワークの形成から宗族を含む村落社会の各組織、集団を把握し徽州社会の特質と人々の行動原理を検討する。(3)紛争等の社会衝突から郷村社会の秩序状態、その構造と原理を検出する。以上のような視点から村落社会の環境構造、社会構造、権力体系、人々の精神構造を整合的に把握し、具体的村落像の提起を通じて清代徽州地域の秩序問題に接近することを試みた。

 本論文は「郷村社会における交錯の境域と集団」と「衝突・紛争における郷村社会と国家」という二部からなる。第一部は村落の外在的環境と内在的社会構造、各種のネットワークからなる郷村社会の秩序網を重視する。第二部は村落から県全体に関る紛争まで、若干の事例研究を通じて郷村における秩序体制の状態と性格を解明する。

 第一章では、以下の四つの側面から考察を行った。第一に、徽州における小都市とも言うべき密集した住居構造と景観は、明代中期以降の徽州人の遠隔地商業活動と宗族形成運動の展開とともに、形成されつつあった。商人の資金の投入は、明清徽州の村落景観と社会生活の特徴のある型を形成する上で、影響を与えた。

 第二に、徽州の村落は、風水関連の建物と自然物によって一定の境域を形成し、明代中期以降、風水建設の流行とともにその生活と精神的領域を固定化していった。

 第三に、徽州村落は基本的に諸姓氏の雑居村落であった。村落社会は、多元的関連性をもち、統合、服従、抗争、牽制、協力、扶助、互酬などの要素を内包し様々なレベルの同心円集団、或は「圏層」の交錯関係から成り立った複合的地方社会であった。

 第四に、村落の象徴的建物は、科挙と礼教に関わって、国家の価値観を形象化した。

 第二章では、徽州の人々がどのような行動原理で複雑な社会関係網を形成してきたのか、という問題から農村社会における多様な社会組織の形成を考察してきた。

 第一に、慶源村〓氏の複数の族譜を利用し明清時代の祖先と血縁系譜に関する再構成と偽作の過程を具体的に検証した。族譜の作為的な編纂は、社会流動における秩序混乱と精神不安に対応し、地位上昇のチャンスを掴む戦略の一環として、社会資源を動員し、相互扶助体系を作り上げようとした民間の制度的、准制度的営為であった。

 第二に、文会は、村落の公的代表となるなどの機能を果した。徽州の人が同時に複数の祭祀や共済的銭会等の組織に加入することは、自己を複雑な人間関係網に組み込もうとする生存戦略上の選択であった。多様な目的をもつ集団の生成、維持、解散のプロセスで形成される交錯的社会関係網が、郷村社会の秩序を形成し、維持していった。

 第三章では、慶源村の事例に即して郷村社会の秩序状態、紛争の要因、自生的体制と官府の関与、当事者の選択、紛争解決のプロセスについて考察した。

 慶源村の紛争は同村の紛争総数の50%強を占め、村落間の紛争は約40%を占め、また官府へ提訴した事件の割合は総事件数の約三分の一を占めていた。これは、田土戸婚銭債に関する摩擦が多発し、訴訟が頻発した「健訟」の状況を示している。

 紛争の解決を行う際、宗族は、一族の全体利益や不孝、乱倫等の事件のみに積極的に介入する。郷約(文会)は約40%を占める村落間の紛争や多数の訴訟事件に対して、その解決を促進した。官府体制のうち、教官は地方官に協力するのみならず、独自に知識人の民事紛争と訴訟を処理していた。紛争の解決は、主に調停、即ち各体制の力の組み合わせと微妙な相互作用を通じて、譲歩の限度と妥協の最適点を捜し出すことによって行われた。個人、血縁、地縁組織、官府は、秩序を回復するための相互補完的な網状構造を呈し、それぞれの役割を果していた。郷村社会の自生的秩序体制の紛争解決における訴状・托状銀と教官の調停・仲裁は、最も特徴的な現象である。

 第四章では、県城と郷村の間の紛争・訴訟事件を取り上げた。

 第一節と第二節では〓源県西関〓案巻資料を使用して在郷紳士商民と在城紳士商人、在郷紳士と知県、知県と知府という三つの対立の構図を描き出した。県城の有力商人は、紳士や胥吏と共通の利益集団を結成し、農村の財貨を収奪する過程に参入し、県内の在郷と在城との間の緊張と対立を引起こしたのである。

 第三節では官府の訴訟処理手続と当事者の訴訟行為との関係について検証し、訴訟が終わった後、当事者は「抄招給帖」の手続を通じて訴訟文書を抜き書きできる。訴訟の展開段階に当事者は官の批の公開掲示等によってそれを抄録できる。「抄招給帖」には、紛争再発の防止効果があったが、訴訟案の批発・公開は、直接的に当事者の訴訟行為と過程に影響を与え、むしろ上訴を促進することもある。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、中国の安徽・江西両省にまたがる山間部に位置する徽州地方に焦点をあて、族譜や日記、訴訟記録などの地方史料を活用して、清代の当該地域社会の様相を多面的に明らかにしたものである。本論文の特徴は、第一に、中国各地はもとより日本や米国の研究機関に収蔵された関連史料を博捜し、族譜のなかの村落図や訴訟記録など新しい史料を発掘するとともに、その史料的性格に留意した分析が行われていること、また第二に、当時の人々が多様な選択肢のなかから柔軟に社会関係を形成してゆく過程に焦点を当てた克明な叙述によって、当時の地方社会の具体相を生き生きと描写していることである。

 第一章では、族譜に収載された村落図20種余りを用いて、現地での調査とつきあわせつつ、当時の村落景観とその形成、及び村落の構造や境界をめぐる人々の社会認識のあり方を検討するという、研究史上新しい試みを行った。第二章では、農村社会における社会関係網の形成を論じ、血縁系譜の再構成と偽作の過程を史料に即して解明するとともに、郷約・文会・祭祀組織など、多様な関係網を通じて村落社会の統合が維持されていたことを明らかにした。第三章は、知識人の日記を主な素材として、清代前期の村落社会における紛争処理の実態を検討し、また第四章では、清代中期に風水維持のための貯水施設の建設をめぐって県の範囲を超える大きな紛争となった事件を取り上げ、訴訟記録の検討を通じて、紛争の背景となる城(都市)と郷(農村)との社会的対立を分析している。

 時期的な変化への関心がやや弱い点、また村落社会の諸側面の記述が必ずしも有機的な整合性をもつ全体像へと統合しきれていない点、などの問題はあるが、本論文で描かれた村落社会像の細部の具体性や、村落図など新史料の導入の試みは、研究史上の重要な寄与として高く評価できる。よって審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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