学位論文要旨



No 116532
著者(漢字) 永井,典克
著者(英字)
著者(カナ) ナガイ,ノリカツ
標題(和) フランス古典悲劇における毒の役割 : メデからフェードルへ
標題(洋)
報告番号 116532
報告番号 甲16532
学位授与日 2001.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第322号
研究科 人文社会系研究科
専攻 欧米系文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 月村,辰雄
 東京大学 教授 塩川,徹也
 東京大学 教授 中地,義和
 東京大学 助教授 塚本,昌則
 上智大学 教授 小田桐,光隆
内容要旨 要旨を表示する

 周知のようにラシーヌのフェードルは毒を飲んで死んでいる。しかし、セネカ以来フランスのフェードルは伝統的に剣で身体を貫き死んでいった。勿論この変更は舞台を血で汚さないという「適切さ」の要請に従うものでもあったが、毒という単語に注目して『フェードル』を読み返すと、実はこの悲劇には毒が溢れていた。またラシーヌ自身「毒」という単語に敏感に反応する作家であった。本論は毒というキーワードを使い、『フェードル』を読み解こうとする試みである。

 まず、古典悲劇に現れる毒を分類し、フェードルの飲む毒を演劇史的に位置付ける作業をおこなった。このとき毒と薬は元来1つのもの、Pharmakonであるという毒の二重性を念頭においた。そして、17世紀のフランス悲劇及び、作家たちが手本にしたギリシア・ローマの作家たちの作品をコーパスの中心とし、古典悲劇作家がそれぞれの作品に付け加えた変更点を追いかけながら調査している。

 毒は、魔女メデの贈物に見られるように他者を害するものであり、毒に関わるものも騙すという特性を備えている。それに対して、騙す必要のない毒、自死に使われる毒は、ソフォニスブが飲む毒のように名誉を保つ高貴な役割を担うものであった。

 『フェードル』においても毒は、薬と毒の二面性を持っていた。不義・不倫の愛という毒は、告白と讒言という毒・薬を経て、怪物を生み出しイポリットを殺す。そしてフェードルは罪を清めるために毒を飲む。愛の毒は乳母エノーヌを触媒として薬となるが、ヴェニュスの呪いゆえに有効なものとなりえずに毒となる。その毒はまた薬を必要とするであろう。毒・薬の二面性によるこの連鎖反応が『フェードル』の物語を動かす力であった。

 また『フェードル』における毒は単なる毒ではない。その後ろには当時流行していた太陽の娘たちに関する神話が控えていた。ラシーヌは「毒」をこの悲劇に取り込むことにより、悲劇に神話的な厚みを与えることに成功していたのだ。彼は薬・毒の二重性を最大限に生かした作家であったと言える。

 今までこのような舞台上の毒の役割についての研究はなく、本論は古典悲劇の一側面を明確にするものである。

審査要旨 要旨を表示する

 ラシーヌの『フェードル』は、フランス古典悲劇の頂点をなす傑作であるが、その結末でタイトル・ロールのヒロインは毒を仰いで自殺する。ところでフェードルの物語は、ギリシャ悲劇でエウリピデスが取り上げて以来、ローマのセネカ、そして16世紀以降のフランスの悲劇でしばしば取り上げられたが、ラシーヌに至るまでヒロインは、ほとんどすべて剣で自殺していた。本論文の出発点には、どうしてラシーヌが伝統に逆らって、主人公の自死の道具に変更を付け加えたかという疑問がある。さらにラシーヌは劇作家としてデビューしてほどなく、演劇の倫理性を巡る論争に巻き込まれたが、そこでは、小説や演劇が人々の心に「毒を盛る」ものであるか否かが、厳しく問われていた。ラシーヌはそれには否と答えて、劇作家としての活動を続けるが、『フェードル』に至って、悲劇の描き出す情念が罪であることを認めた上で、悲劇はカタルシスの作用によって情念の害毒を癒す薬となることを主張する。

 本論は、以上の問題設定から出発して、多数のフランス古典悲劇を渉猟し、その筋立てと登場人物像の造型において、毒がいかなる役割を果たしているかを探求し、その成果に基づいて、ラシーヌの『フェードル』の読み方に新たな照明を当てようとする試みである。全体は、4章構成で、第1章は、他者を殺害する目的で用いられる毒、第2章は、自死に用いられる毒が、個々の作品において、どのような筋立てを作り出し、どのような効果をあげているかを考察する。第3章は、フェードルを主人公とする作品群で、彼女の死がどのように描かれ、演じられたか、またそれはどのような変化を遂げたかを追跡し、最後の第4章で、ラシーヌの『フェードル』における毒の役割を解明する。作品の分析にあたっては、毒の二面性、すなわち毒は同時に薬でもあること、そして作品の中で問題になる毒はたんに身体に作用する物質であるばかりでなく、讒言のように心に害悪を与える言論も毒として捉えられていることに着目して、議論が進められる。その結果として、古典悲劇の展開の過程における筋立てと人物像の変遷が明らかにされると同時に、ラシーヌの『フェードル』を傑作たらしめている神話の重層的構造及びヒロインの毒による自死の意味と劇的効果が浮き彫りにされた。

 本論文は、斬新なアイディアに基づいて17世紀古典悲劇の世界に分け入り、その最高峰である『フェードル』について独創的な読み方を提示している。立論の根拠が十分に示されていないところ、テクストの読みに正確さを欠くところが散見されないわけではないが、本論文のもたらした知見は、ラシーヌ研究のみならず、広くフランス古典劇の研究に新鮮な寄与をもたらすものと考えられる。以上から、本審査委員会は、本論文が博士(文学)の学位に相当するものと判断する。

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