学位論文要旨



No 116533
著者(漢字) 出口,剛司
著者(英字)
著者(カナ) デグチ,タケシ
標題(和) 文化社会学の終焉<自然>なるユートピアを求めて
標題(洋)
報告番号 116533
報告番号 甲16533
学位授与日 2001.04.23
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会学)
学位記番号 博人社第323号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 庄司,興吉
 東京大学 教授 稲上,毅
 東京大学 助教授 松本,三和夫
 東京大学 助教授 佐藤,健二
 東京学芸大学 教授 森田,数実
内容要旨 要旨を表示する

 本研究は,社会学における身体論・唯物論思想を取りあげ,その意義と可能性について明らかにする。社会学は,本来的に社会の構成原理について理論的・実証的な思惟を積み重ねている。通常,社会学における「文化」概念には,このような社会の構成原理という意味がある。それに対して身体論や唯物論は,社会の構成原理を文化や意味秩序なき質料変換の領域から批判的に考察するという特徴がある。本研究は,このような文化とは反対の位置をしめる反超越,質料の水準から思考する身体論・唯物論が,逆に社会学における文化批判に対して,どのような積極的意義を持ちうるかを,エーリッヒ・フロムの文化批判及び倫理・政治思想を手がかりに明らかにしていく。

 社会学に唯物論的思想が,積極的に導入されるきっかけとなったのは,フロイトの精神分析とマルクスの史的唯物論である。とくにワーマール期の文化的危機に際して,フロムを中心とする批判理論によって,フロイト=マルクスの唯物論的統合,それによる近代文化批判が活発に展開されるようになった。フロムの社会学的業績は,このような唯物論的統合による近代批判に求められる。

 そこで本研究では,文化社会学的研究から出発したフロムが,唯物論的思考を展開していく過程を再構成するという作業を通して,社会学における身体論・唯物論の意味を考察する。また唯物論は,単なる文化の批判的考察に止まらず,理論の「効果」を通じて新たなる<自由の空間>を開くものであり,本研究も単なる文化批判を越えて,フロムがどのような<自由の空間>を構想したかをも明らかにしていく。

 とりわけ本研究が注目するのは,フロムとスピノザ主義の関係である。スピノザは思想史上,近代唯物論の祖と見なされ,「自覚的なスピノザ主義者」であったフロムも,フロイト=マルクスをスピノザ主義の系譜で捉えている。このことから,研究の具体的作業は,文化社会学から出発したフロムが,スピノザ思想の「効果」を受けつつ,自由な空間を開いていく過程を再構成するという形で進めていく。とくに一元論・決定論といわれる近代唯物論の祖スピノザの思想が,フロムを通してどのように文化批判を可能とするか,またスピノザの影響をうけつつ,フロムがどのような自由をめぐる倫理・政治思想を展開したかを解明していく。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、『自由からの逃走』で有名なエーリッヒ・フロムについて、その思想を、初期から後期にいたる全著作(テクスト)と、それらが書かれた歴史的社会的文化的政治的背景(コンテクスト)とにおいて問い、あくまでも内在的かつ批判的に再構成することをとおして、その源泉、独自な展開、およびそれをつうじてえられた現代的意義を明らかにしようとしたものである。社会学において過去の社会理論・社会思想の研究は、その遺産を吟味し、現代的課題解決への新たなヒントや、見失われていた、あるいは新たな、問題構制(プロブレマティーク)を得るために重要であるが、本研究は自覚的な方法とその柔軟な適用とによって、その成果をとくに高めようとしている。

 全体は「方法としてのディアスポラ」「排除の空間と亡命」「約束の地と倫理」「守られない約束・希望へのまなざし」という4つ部からなるが、第1部の2つの章で著者はとくに、あらためて社会学の思想性を問う必要を説くとともに、テクスト理論や言説理論などの流行のなかにかえって見失われかけているその本来の意義を回復するために、テクストとコンテクストとを一元的に、すなわち統一的に読み解いていくことの重要性を指摘する。そして第2部の3つの章では、それを実践して、第一次世界大戦後ワイマール・ドイツの歴史・社会空間に登場したユダヤ系知識人の一人フロムが、この空間の不安定性やそれへの反動としての自然主義的諸運動−−文化形態学やワンダーフォーゲルなど−−から距離を取るためひとたびは文化社会学に寄留しながら、ナチスの台頭にともなう亡命を機に文化とその成立基盤とを一元的に解釈する唯物論に活路を見いだしていった過程を追う。第3部の3つの章で著者が詳細に明らかにしているところによれば、この唯物論あるいは一元論は、従来の解釈のように歴史分析の不備を補うためにマルクスにフロイトを接合するといった程度のものではなく、近代初期にデカルトの二元論を批判し、精神と物体との一元性をすでに貫こうとしていたスピノザの思想をふまえた徹底的なものであり、ウェーバーの「プロ倫」テーゼを脱構築してナチズムを批判した『自由からの逃走』もこの視座のうえに初めて可能になったものであったという。そのうえで著者は最後に第4部の2つの章で、フロムがアメリカに亡命して発見した、あまりにも唯物論的になりすぎた大衆社会をさらに批判するために、後期の社会(心理)学・社会思想にかけてしだいに倫理性を強めていった経過の意義を問い、そこに彼初期の、ユダヤ思想すなわちハシディズム研究時の視点、すなわちあくまでもこの世の日常における救済を求めるがゆえに「守られない約束」つまり「希望」への思想が一貫していることを見いだしている。

 本論文の功績は、こうして、悪くすれば『自由からの逃走』のみで解釈されたり、良くともそれと新フロイト主義や『希望の革命』との「乖離」などばかり強調されてきたフロムの社会学・社会思想について、その全テクストとそれらを生み出したコンテクストとの統一的な解釈をつうじて、ダイナミックな視点から、その一貫性をスピノザ、マルクス、ニーチェ、フロイトにつながる唯物論あるいは一元論として明らかにしたところにある。この視座は、テクストや言説の複雑性や細部にこだわりすぎ、かえってそこに表されるリアリティの総体性を見失いかけている現代社会学の流行の潮流への批判となっているばかりでなく、さまざまな形で人間性の崩壊とも呼ぶべき現象を経験している現代社会の諸問題の解決にも転用されうるものであろう。方法論の意義を独自に強調した第1部について、そのトーンの第2部以降のそれとの違和感を指摘する意見もあったが、それもこのような文脈でみれば本研究の評価を傷つけるものとはいえない。

 それゆえ、審査委員会は、本論文が博士(社会学)の学位を授与するに値すると判定する。

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