学位論文要旨



No 116538
著者(漢字) 白石,博久
著者(英字)
著者(カナ) シライシ,ヒロヒサ
標題(和) センチニクバエ由来の転写因子SRAM(Sarcophaga Rel/Ankyrin Molecule)に関する研究
標題(洋)
報告番号 116538
報告番号 甲16538
学位授与日 2001.05.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第967号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 助教授 仁科,博史
 東京大学 助教授 青木,淳賢
内容要旨 要旨を表示する

 生物は、その個体発生や生命維持において、各段階に必要な遺伝子の選択的な利用を迫られる。この、適切な遺伝子利用のメカニズムを理解する上で、遺伝子発現制御機構の解明は不可欠といえる。

 当教室ではこれまでに、昆虫センチニクバエを用いた生体防御機構の研究から、複数の抗菌物質やレクチンが、生体防御応答時や発生過程において一過的、協調的に転写レベルで発現誘導されるということを見出した。そして「生体防御」と「発生」という、個体の維持に必須でありながら異なる生命現象として捉えられてきた2つの局面において機能する二重機能性を持った因子として、その転写制御機構の解析がなされてきた。

 私は修士課程において、センチニクバエレクチン(以下、レクチンと略す)遺伝子の5'上流転写制御領域に存在するκB配列に特異的に結合する分子量59kDaの因子のcDNAクローニングを行った。その結果、この蛋白がN末側にRel homology domain (RHD)、C末側にAnkyrin repeats (ANK)と呼ばれる構造を持つ、新規な因子であったことから、SRAM(Sarcophaga Rel/Ankyrin Molecule)と命名した。RHDを持つRel familyの転写因子は、脊椎動物や昆虫において、核移行という制御によって生体防御や発生に関わる誘導性遺伝子のκB配列を認識し転写を活性化する。その際ANKは、Rel因子を細胞質内で不活性化する抑制性のドメインとして機能する。しかしながらSRAMは、RHDとANKの両構造を同一分子内に保持した形で核に常在する初めてのRel因子であり、既知のRel因子とは異なる制御機構ならびに機能を有する可能性が考えられた。

 本研究において私は、SRAMの分子機能を明らかにする目的で、培養細胞を用いてレクチンの発現誘導に対するSRAMの影響を解析した。更に、サブトラクション法によりSRAMによって発現が制御される候補分子の同定、並びにSRAMの生体内局在の解析を行い、新規なRel因子としての特性を見出した。

1.誘導性生体防御因子の発現におけるSRAMの機能解析

 誘導性生体防御遺伝子の発現に、κB配列及びSRAMが必須かどうかを明らかにする目的で、培養細胞を用いたLuciferase assayを行った。Reporter vectorとして、SRAMが結合するκB配列を含むレクチン遺伝子プロモーターの下流にLuciferase遺伝子を挿入したplasmidを用いた。まず、このκB配列を有するプロモーターを持つplasmidと、κB配列に変異導入したplasmidをセンチニクバエ胚由来培養細胞NIH-Sape-4に遺伝子導入し、それぞれのプロモーター活性を調べた。その結果、変異導入によりプロモーター活性は10分の1以下に減少し、κB配列がレクチン遺伝子の発現に必須であることが示さた。更に、この細胞をSARMのdsRNAで処理するRNA干渉法(以下、RNAiと略す)により、SRAM蛋白の発現を10%に抑制することに成功し、この条件下で、レクチン、および、他の誘導性生体防御因子であるザルコトキシンI、IIについてLuciferase assayを行った。その結果、いずれの遺伝子のプロモーターについても、SRAMのRNAi依存に顕著な活性の低下は検出されなかった。従って、この細胞に多量に発現するSRAMは、既知の生体防御遺伝子の発現に必須ではないと考えられる。SRAMの同定された経緯、並びに、SRAMの持つRel因子としての特徴を考え併せると、この結果は、当初の予想を根底から覆すものであった。

2.SRAMによって制御される候補分子の同定

 しかしながらSRAMは、Rel因子としては型破りな、ANKを保持した核内因子であることから、SRAMによって制御される遺伝子が他にあるのではないかと考え、その同定を試みた。方法は、SRAM dsRNA無処理のNIH-Sape-4細胞からmRNAを抽出してcDNAライブラリーを作製し、これに対してSRAM dsRNAを4日間処理してSRAMの発現を抑制した同細胞より調製したcDNAライブラリーを対照としてサブトラクション法を行い、SRAM発現細胞に選択的に発現している遺伝子を検索した。サブトラクション・ライブラリーから無作為に抽出したクローンのうち、ドットブロット・ハイブリダイゼーション法によるスクリーニングで陽性であった116クローンについて更にノザンブロット解析による確認を行った結果、SRAM発現細胞に選択的に発現している遺伝子を6個同定した。これらの遺伝子の内3個は、それぞれショウジョウバエのUbiquitin activating enzyme、Translation Initiation Factor-2(IF-2)及び、importinβ familyのkarybeta-3 gene productと高い相同性を示すORFをコードしていた。また、1個はマウスのNK cell tumor-recognition protein (NK-TR)と部分的に30%の相同性を示すORFを有していた。残る2個については長いORFは見出されず、非翻訳領域である可能性が高い。また、当初ノザンブロット解析のコントロール・プローブとして用いたglyceraldehyde-3-phosphate dehydrogenase (G3PDH)遺伝子もSRAM発現細胞に選択的に発現している事が判明した。

 以上の結果は、SRAMが、細胞の基本的機能を担うハウスキーピング遺伝子の転写制御因子として実際に機能しうる事を示唆するものといえる。これまでRelファミリーの転写因子は、発生や生体防御に関わる誘導性の遺伝子発現を制御する転写因子として知られており、ハウスキーピング遺伝子の発現制御という視点からの報告は未だ無い。SRAMが、細胞の生理状態に応じた細胞内基本代謝の制御を担っている可能性も考えられる。

3.生体内におけるSRAMの局在解析

 SRAMの個体における機能を解析する目的で、センチニクバエの発生過程における発現を調べたところ、最終齢である3齢幼虫の後期から蛹の初期にかけて発現量が増強していた。更にこの時期におけるSRAMの組織別発現をイムノブロットにより解析したところ、SRAM蛋白は多くの組織で発現するが、特に消化管で顕著に発現していることを見出した。

 次に、SRAMの細胞内局在を免疫染色によって解析した。その結果、SRAMは、脂肪体を始め殆どの組織で核に局在すること、また、消化管では、核だけでなく細胞質にも存在することが明らかとなった。

 これらの結果は、SRAMが生体内においても核に局在し機能していることを示しており、NIH-Sape-4同様、核にあってハウスキーピング遺伝子群の発現制御を担っているのかもしれない。また、消化管選択的に強く発現するRel因子の報告はこれまでに無く、SRAMは、食餌・消化、変態期における組織崩壊・再構築など、劇的な環境変化に曝される消化管に特徴的な遺伝子の発現制御に関与している可能性が考えられる。

まとめと考察

 本研究で私は、まず、センチニクバエ由来のRel因子SRAMが、当初の予想に反し、誘導性生体防御遺伝子の発現の活性化に必須ではないことを、培養細胞を用いた系により示した。更にこの培養細胞においてRNAiによりSRAMの発現を抑制できる事を見出し、SRAMが制御する新たな候補遺伝子を同定した結果、SRAMが、ハウスキーピング遺伝子の転写制御因子として機能していることを示唆した。更に、SRAMが個体においても核に局在して機能すること、また消化管に特に強く発現する事から、個体においてもSRAMがRel因子として特徴的な機能を有することを示唆した。

 今後、更に詳細な分子生物学的手法による解析や、個体へのRNAiの応用によって、SRAMによるハウスキーピング遺伝子群の発現制御の持つ生物学的意義を明らかにしていくことが課題である。

1.Shiraishi H, Kobayashi A, Sakamoto Y, Nonaka T, Mitsui Y, Aozasa N, Kubo T, Natori S. J Biochem. 127, 1127-34. (2000) Molecular Cloning and Characterization of SRAM, a Novel Insect Rel/Ankyrin-Family Protein Present in Nuclei.

2.Natori S, Shiraishi H, Hori S, Kobayashi A. Dev. Comp. Immunol. 23, 317-28. (1999)The Roles of Sarcophaga Defense Molecules in Immunity and Metamorphosis.

審査要旨 要旨を表示する

 本研究は、センチニクバエ由来の新規なRel/Ankyrinファミリーの因子SRAMの転写制御因子としての分子機能について解析したものである。

 SRAMは、昆虫センチニクバエ由来の誘導性生体防御因子であるセンチニクバエレクチンやザルコトキシンの遺伝子5'上流プロモーター領域内に存在するκB配列に特異的に結合する蛋白として同定されていた。修士課程において申請者は、SRAMが、Relファミリーの転写因子に特徴的なRelホモロジードメインと、Rel因子を細胞質内に留めておくための抑制性ドメインであるAnkyrinドメインを同一分子内に有した状態で核に常在する、という新規なRel因子としての特徴を報告していた。

 まず申請者は、培養細胞を用いた解析から、センチニクバエレクチン遺伝子のκB配列がプロモーター活性に必須であることを示した。

 次に申請者は、センチニクバエ由来の培養細胞において、RNAiを用いて細胞内のSRAMの発現量を効率的に抑制できる系を確立し、この系を用いて、センチニクバエレクチンやザルコトキシン遺伝子の発現に対するSRAMの影響を検討した。その結果、当初の予想に反して、既知の生体防御遺伝子の発現にSRAMが必須ではない事を明らかにした。

 申請者は更に、サブトラクション法を用いてSRAMによって発現が制御される遺伝子群の同定を試みた。その結果、SRAMの発現を抑制した細胞と比較して、SRAM発現細胞に選択的に発現している遺伝子を7個同定することに成功した。そして、これらの候補遺伝子のうち、キャラクターの判明した5つの遺伝子は全てハウスキーピング遺伝子としての特徴を有していることを明らかにした。これまでRelファミリーの転写因子は、誘導性の遺伝子の発現制御に関与すると考えられてきたが、申請者の報告は、Rel因子SRAMがハウスキーピング遺伝子を制御する転写因子であることを示唆した初めての知見である。

 最後に、SRAMの生体内局在の解析から、SRAMが最終齢幼虫の殆どの組織において核に常在すること、また、消化管に顕著に発現するということを見出し、個体においても、新規なRel因子としての特性を提示した。

 以上、本研究は、昆虫由来の新規なRel/Ankyrinファミリーの因子SRAMに着目し、SRAMが既知の誘導性生体防御遺伝子の発現には必須ではなく、ハウスキーピング遺伝子群の発現制御に機能すること、また個体においても特徴的な生体内局在を示すことを明らかにしたものである。この様な転写因子に着目した研究はユニークであり、Relファミリーの転写因子の未知の機能やハウスキーピング遺伝子の発現制御機構の解析に新たな視点を与えるものであり、博士(薬学)に値すると判断した。

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