学位論文要旨



No 116547
著者(漢字) 黒川,貞生
著者(英字)
著者(カナ) クロカワ,サダオ
標題(和) ヒトの跳躍運動における筋腱複合体の機能的意義
標題(洋) Functional significance of muscle-tendon complex during human jumping
報告番号 116547
報告番号 甲16547
学位授与日 2001.05.24
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第323号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 福永,哲夫
 東京大学 教授 大築,立志
 東京大学 助教授 深代,千之
 東京大学 助教授 金久,博昭
 東京大学 助教授 川上,泰雄
内容要旨 要旨を表示する

【緒言】

 ヒトの関節運動は,筋線維の収縮により発揮された張力が腱組織(外部腱および腱膜)を介して骨との付着部位に伝播し,関節トルクを発生させることにより生じる.この際,筋線維は羽状角を持って腱組織に直列に繋がっているため,筋線維が発揮した張力および長さ変化の余弦成分が腱組織に伝達される.また,腱組織は非線形弾性体であり,張力が増加すれば伸張され,張力が減少すれば腱組織は短縮する性質を有している(Butler et al., 1979).これらのことは,関節運動中,筋・腱複合体(MTC)の長さは関節角度の影響を受ける(Grieve, 1978)が,筋線維の長さは関節角度に必ずしも依存しない可能性を示唆している(Fellows & Rack, 1986).つまり,腱組織の弾性のために,MTCの動態からでは筋線維の長さ−力−速度関係を把握できない可能性がある.

 一方,主動作の前に反動動作を用いると,主動作の機械的仕事および効率は向上する(Asmussen & Bonde-Petersen, 1974).この要因として,直列弾性要素(主に腱組織)への弾性エネルギーの蓄積とその再利用(Alexander & Bennet-Clark, 1977), contractile machineryのpotentiation (Komi, 1992; Cavagna, 1978)および伸張反射(Dietzら, 1978; Melvill Jones & Watt, 1971)の貢献が挙げられている.しかし,反動動作中の筋線維および腱組織の動態が明らかでないことから,これらのメカニズムが機能しているかどうかは論議の余地がある.

 そこで,本研究では,超音波断層撮影法を応用してジャンプ運動およびstretch-shortening cycleを伴うドロップジャンプ中の筋線維および腱組織の動態を明らかにし,それらの機能について検討した.

【研究1:スクワットジャンプ中の筋束および腱組織の動態と機能】

方法:被験者は健康な成人男子8名であった.実験試技は,上肢および下肢の反動を用いないスクワット姿勢からの最大努力の垂直跳び(SQJ)とした.ジャンプ動作中,超音波Bモード測定装置を用いて,下腿近位30%部位の腓腹筋内側頭(MG)に超音波プローブを固定し,超音波断層像(縦断面)を40Hzで収録後,筋束長,羽状角を計測した.同時に,キネマティックおよびキネティックなデータも収録し,逆ダイナミクスにより足関節トルクを算出した.腓腹筋内側頭および外側頭,ヒラメ筋,前頸骨筋より表面筋電図も導出した.Grieveら(1978)の方法によりMTCおよびモーメントアームの長さ変化を算出した.これらのパラメータを用いて,MTC,筋束および腱組織の機械的パワーと仕事量も算出した.

結果:MTCの長さ変化に基づきPush-off相はphase-I(-350〜-100msec : 0=toe-off)とphase-II(-100〜0msec)の2つの相に分けることができた.Phase-IではMTC長は一定であった.しかし筋束長は26%短縮し,これにより腱組織は6%伸張し,羽状角は71%増加した(直立時の各パラメータに対する変化量の相対値).一方,phase-IIでは,MTC長は5.3%短縮したが,筋束長は最初の25msecでわずかに短縮したが,以後,ほぼ一定の長さを保ち,等尺性筋収縮により張力を発揮していた.また,腱組織は急激に短縮し,その最大短縮速度は筋束のそれの2.6倍であった.つまり,phase-IIにおけるMTC長の短縮は主に腱組織の短縮によって生じていた.

考察:ジャンプ運動中の筋束長から推定したサルコメア長は,プラトー部から上行脚の上部にわたっており,力発揮に有利な条件で機能していることが示唆された.Phase-IIで身体重心をさらに加速するためには足関節の高い角速度と大きな関節トルクが要求される(Bobbert et al., 1986).筋の力−速度特性からするとこの2つの要求は相反するが,筋束が至適長付近で,かつ等尺性収縮により張力を発揮することにより,また引き伸ばされた腱組織が急激に短縮することによりMTCはこの要求に応えることができたと考えられる.Phase-Iではゆっくりと筋束が収縮し,これにより腱組織が伸張され弾性エネルギーを蓄積し,phase-IIでは腱組織が急激に短縮し予め蓄積された弾性エネルギーを短時間でリリースし,腱組織はpower amplifierとして機能していた.また,腱組織の弾性特性は屍体から得られたそれよりもよりコンプライアントであった.この矛盾はよりコンプライアントな腱膜の弾性特性が加味されていないことによると考えた.

【研究2:反動を用いたジャンプ中の筋束および腱組織の動態と機能】

方法:研究1と同様の方法を用いて,反動を用いた垂直跳び(CMJ)を最大努力で行わせ,MGの筋束長および羽状角を実測し,腱組織の長さ変化を推定した.

結果:身体重心の下降相(-800〜-250msec)でMTCは伸張されず,1.5%の短縮が認められた.また,筋束の伸張は全く認められず,逆に23%短縮し,これにより腱組織は2.2%伸張された.身体重心の上昇相はMTCの長さ変化に基づいてup phase-I(-250〜-100msec)とup phase-II(-100〜0msec)の2相に分けることができた.up phase-IではMTC長は一定であったが,筋束長は更に20%短縮し,これにより腱組織はさらに4.6%伸張された.up phase-IIではMTC長は5.5%急激に短縮した.しかし筋束長の変化はわずかで準等尺性収縮により張力を発揮していた.MTCの急激な短縮は主に腱組織の短縮により生じていた.反動動作に相当する下降相においてMTCの伸張は認められず,腱組織に蓄積された弾性エネルギーは僅か1Jであった.

考察:反動動作を用いることによって跳躍高が増加することが報告されている(Komi & Bosco, 1978).しかし反動動作によって蓄積された弾性エネルギーは,少なくともMGでは,僅かであった.反動動作による跳躍高増加に対して,contractile machineryのpotentiationと伸張反射の貢献が指摘されている(Ettema et al., 1990).しかし,本研究の結果において,筋束の伸張が全く認められなかったことから,この両者の貢献はMGでは殆ど無いと考えられる.up phase-Iとup phase-IIの筋束および腱組織の動態は反動を用いないSQJのphase-Iとphase-IIのそれらの動態と類似しており,ヒトのMGでは,ジャンプ運動中,筋束はpower generatorとして機能し,腱組織はredistributerおよびpower amplifierとして機能することにより,より高く跳ぶために要求されるMTCの高い機械的パワーが発揮できたと結論を下した.跳躍高の増加には他の筋が貢献していることが示唆された.

【研究3:ドロップジャンプ中の筋束および腱組織の動態と機能】

目的:Stretch-Shortening Cycle (SSC)運動では機械的パワー,機械的正仕事量および機械的効率が増大する.そこで,SSC運動であるドロップジャンプ(DJ)中の筋束および腱組織の動態を捉え,MTCのStretch-Shortening Cycleによる機械的パワーおよび機械的効率向上のメカニズムについて検討した.

方法:研究1と同様の方法を用いて,高さ20cmの台からのドロップジャンプを最大努力で行わせ,MGの筋束長および羽状角を実測し,腱組織の長さ変化および機械的パワー等を推定した.

結果:DJ中,touchdownに続く背屈相(-200〜-100msec)でMTCは4.0%伸張された.しかるに,筋束は伸張されずに10.6%短縮し,腱組織は6.3%伸張された.背屈相で,筋束が外力に屈せず僅かに短縮できたことにより,身体が有する力学的エネルギーが効率よく腱組織に蓄積(7.6J)された.この弾性エネルギーの76%は続く底屈相(-100〜0msec)において短時間でリリースされ,これはMTCの正仕事量の75.3%を説明した.

考察:背屈相で筋束の伸張は認められず,筋紡錘の伸張に由来する伸張反射およびcontractile machineryのpotentiationによる力の増強の可能性は低いと考えられる.SSC運動で機械的パワーあるいは仕事量が増強するメカニズムとして,筋束ではなく腱組織のStretch-Shorteningが生じ,これに起因する弾性エネルギーの蓄積および再利用が主に貢献していることが明らかとなった.SSC運動で効率が向上するメカニズムは,MTCが伸張されつつ腱組織がよりstiffな状態で筋線維が力発揮を行うため,その短縮速度がより低く抑えられるためであろう.DJ中に得られた腱組織の弾性特性はSQJ中に得られたそれよりもstiffであった.この原因として,DJにおける腱組織の伸張速度がより高いことにより,粘性の影響がより強く現れたためと考えた.

【まとめ】

 ジャンプ運動中,MTCの動態と筋線維の動態は異なることが明らかになった.特にStretch-Shortening Cycle運動では両者の動態は顕著に異なった.ジャンプ運動では,最終局面まで大きなパワーを発揮することがパフォーマンスを高めるために要求される.MTCにおいて,筋線維がpowerのgeneratorとして機能し,腱組織はそのredistributerおよびamplifierとして機能し,これらの相互作用によりこの要求に応えていた.また,push-off相で,筋線維は力−長さ関係のhigh force regionを用いて力発揮していた.SSC運動においてもactiveな筋線維のstretchは認められず,伸張反射およびcontractile machineryのpotentiationによる力の増強の可能性は低く,機械的仕事増大のメカニズムは,主に腱組織による弾性エネルギーの蓄積と再利用によることが示唆された.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文"Functional significance of muscle-tendon complex during human jumping"(和訳:「ヒトの跳躍運動における筋・腱複合体の機能的意義」)は,超音波Bモード断層法を用いて,ヒトの跳躍運動中の筋・腱複合体(MTC)の動態を計測する事から,身体運動における筋束(筋線維)と腱組織の機能的役割を明らかにした研究であり,身体運動の分野における多くの新しい知見をもたらした.

 本論文は以下のようにまとめられる.

 (1)「スクワットジャンプ中の筋束および腱組織の動態と機能」を明らかにするために,健康な成人男性8名を被験者とし,スクワット姿勢からの最大努力の垂直跳び(SQJ)を行わせ,腓腹筋内側頭における筋形状(筋束長および羽状角)を超音波Bモード測定装置により測定した.Grieveら(1978)の方法によりMTCおよびモーメントアームの長さ変化を算出した.これらのパラメータを用いて,MTC,筋束および腱組織の機械的パワーと仕事量を算出した.その結果,Phase-I (-350〜-100ms : 0ms=toe-off)ではMTC長は一定であったが,筋束長は26%短縮し,これにより腱組織は6%伸張した(直立時の各パラメータに対する変化量の相対値).一方,phase-II (-100〜0ms)では,MTC長は5.3%短縮したが,筋束の長さ変化は僅かであった.つまり,phase-IIにおけるMTC長の短縮は主に腱組織の短縮によって生じていた.また,腱組織は急激に短縮し,その最大短縮速度は筋束のそれの2.6倍であった.ジャンプ運動中の筋束長から推定したサルコメア長は,プラトー部から上行脚の上部にわたっており,力発揮に有利な条件で機能していることが示唆された.Phase-IIで身体重心をさらに加速するためには足関節の高い角速度と大きな関節トルクが要求される(Bobbert et al., 1986).筋の力−速度特性からするとこの2つの要求は相反するが,筋束が至適長付近で,かつ等尺性収縮により張力を発揮することにより,また引き伸ばされた腱組織が急激に短縮することによりMTCはこの要求をみたす事が出来ることが明らかとなった.Phase-Iではゆっくりと筋束が収縮し,これにより腱組織が伸張され弾性エネルギーを蓄積し,phase-IIでは腱組織が急激に短縮し予め蓄積された弾性エネルギーを短時間でリリースし,腱組織はエネルギーのre-distributorであると共にpower amplifierとして機能していると考えられた.

 (2)「反動を用いたジャンプ中の筋束および腱組織の動態と機能」を明らかにするために,実験1と同様の方法を用いて,反動を用いた垂直跳び(CMJ)を最大努力で行わせ,MGの筋束長および羽状角を実測し,腱組織の長さ変化を推定した.その結果,身体重心の下降相(-800〜-250msec)でMTCは伸張されず,1.6%の短縮が認められた.また,筋束の伸張は全く認められず,逆に23%短縮し,これにより腱組織は2.2%伸張された.身体重心の上昇相はMTCの長さ変化に基づいてup phase-I(-250〜-100msec)とup phase-II(-100〜0msec)の2相に分けることができた.up phase-IではMTC長は一定であったが,筋束長は更に20%短縮し,これにより腱組織はさらに4.4%伸張された.up phase-IIではMTC長は5.3%急激に短縮した.しかし筋束長の変化はわずかで準等尺性収縮により張力を発揮していた.MTCの急激な短縮は主に腱組織の短縮により生じていた.反動動作に相当する下降相においてMTCの伸張は認められず,腱組織に蓄積された弾性エネルギーは僅か1Jであった.これまでの研究により,反動動作を用いることによって跳躍高が増加することが報告されている(Komi & Bosco, 1978).しかし反動動作によって蓄積された弾性エネルギーは,少なくともMGでは,僅かであった.反動動作による跳躍高増加に対して,contractile machineryのpotentiationと伸張反射の貢献が指摘されている(Ettema et al., 1990).しかし,本研究の結果において,筋束の伸張が全く認められなかったことから,この両者の貢献はMGでは殆ど無いと考えられた.up phase-Iとup phase-IIの筋束および腱組織の動態は反動を用いないSQJのphase-Iとphase-IIのそれらの動態と類似しており,ヒトのMGでは,ジャンプ運動中,筋束はpower generatorとして機能し,腱組織はredistributerおよびpower amplifierとして機能することにより,より高く跳ぶために要求されるMTCの高い機械的パワーが発揮できたと結論を下した.跳躍高の増加には他の筋が貢献していることが示唆された.

 (3)「ドロップジャンプ中の筋束および腱組織の動態と機能」を明らかにし,Stretch-Shortening Cycle (SSC)を伴う身体運動における機械的パワーおよび機械的効率向上のメカニズムについて検討するために,健康な成人男性8名を被験者とし,実験1および2と同様の方法を用いて,台高20cmからのドロップジャンプ(DJ)中の筋束および腱組織の動態を捉えた.その結果,DJ中,touchdownに続く背屈相(-200〜-100msec)でMTCは4.0%伸張された.しかるに,筋束は10.6%短縮し,腱組織は6.8%伸張された.背屈相で,筋束が外力に屈せず僅かに短縮できたことにより,身体が有する力学的エネルギーが効率よく腱組織に蓄積(7.6J)された.この弾性エネルギーの76%は続く底屈相(-100〜0msec)において短時間でリリースされ,これはMTCの正仕事量の76%であった.また,屈曲相では筋束の伸張は認められなかったので,筋紡錘の伸張に由来する伸張反射およびcontractile machineryのpotentiationによる力の増強の可能性は低いと考えられる.SSC運動で機械的パワーあるいは仕事量が増強するメカニズムとして,腱組織のStretch-Shorteningが生じ,これに起因する弾性エネルギーの蓄積および再利用が主に貢献していることが明らかとなった.SSC運動で効率が向上するメカニズムは,MTCが伸張されつつ腱組織がよりstiffな状態で筋線維が力発揮を行うため,その短縮速度がより低く抑えられるためであろうと考えられた.DJ中に得られた腱組織の弾性特性はSQJ中に得られたそれよりもstiffであった.この原因として,DJにおける腱組織の伸張速度がより高いことにより,粘性の影響がより強く現れたためと考えられた.

 以上のように,黒川 貞生君の論文は,ヒトの跳躍動作における筋・腱複合体の動態を捕らえ,筋線維および腱組織の長さ変化,機械的パワーおよび仕事を定量し,身体運動発現のメカニズムを明らかにしたものであり,身体運動科学の分野における意義は非常に大きいものがある.従って,黒川 貞生君により提出された本論文は,博士(学術)の学位授与に相応しい内容と判断した.

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