学位論文要旨



No 116548
著者(漢字) 中西,淳
著者(英字)
著者(カナ) ナカニシ,ジュン
標題(和) 組換え蛋白質の特定部位を細胞内で標識可能な環境感受性蛍光プローブによる蛋白質構造変化の生細胞内可視化
標題(洋) Imaging of Conformational Changes of Proteins with a New Environment-Sensitive Fluorescent Probe Designed for Site-Specific Labeling of Recombinant Proteins in Live Cells
報告番号 116548
報告番号 甲16548
学位授与日 2001.05.31
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4046号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 塩谷,光彦
 東京大学 助教授 島田,敏宏
 東京大学 教授 長野,哲雄
内容要旨 要旨を表示する

[序]

 細胞内情報伝達に関わる蛋白質は,極めて動的に構造を変化させるため,その生きた細胞内での可視化は,細胞の分子機構を理解する上で重要である.環境感受性蛍光プローブは,環境の疎水性変化に応じて蛍光波長や量子効率が大きく変化する蛍光色素で,蛋白質の構造変化の研究に用いられてきた.しかし,従来の環境感受性蛍光プローブは,細胞内に多数存在するシステイン残基のチオールに反応性でるため,蛋白質の特定の位置に一つの分子を導入するのが困難であった.また,蛍光標識は細胞外で行うため,生きた細胞内で用いられる例は数少なかった.本研究では,Tsienらが開発した細胞内での組換え蛋白質の蛍光標識法の概念を利用して,細胞内で蛋白質の特定部位に標識可能な新規環境感受性蛍光プローブを設計・合成し,このプローブ分子を用いて生細胞内で蛋白質構造変化の可視化・検出を行った.

[原理・設計]

 上記の目的のために,分子内に2つのヒ素原子を持つ新規環境感受性蛍光プローブ分子を合成した.これらの化合物はヒ素原子を介して,遺伝子工学的に導入したαへリックス中のi,i+1,i+4,i+5番目の4つのシステイン(4Cys-motif)に特異的に結合する(図1a).そのため,細胞外に蛍光プローブを投与すると,プローブは細胞膜を透過して細胞内の4Cys-motifを持つ組換え蛋白質を特異的に蛍光標識できる.蛍光プローブは分子環境に対する感受性が高いため,プローブの蛍光強度・波長の変化を指標にして,生きた細胞内で蛋白質の構造変化を検出することが可能である(図1b).

 合成した蛍光プローブは,BArNile-EDT2(Bisarsenical nile red analogue, bis-EDT adduct)とmansyl FlAsH-EDT2(mansyl fluorescein arsenical helix binder, bis-EDT adduct)である(図2).前者は,環境感受性蛍光色素nile red類縁体の蛍光団に直接2つのヒ素原子を導入したのに対し,後者はTsienらによる報告から4Cys-motifに結合すると知られているFlAsH-EDT2に,環境感受性蛍光団であるmansyl chlorideを結合させたものである.

 標識する蛋白質として,水溶液中でもへリックス構造をとり,且つ4Cys-motifを含む17残基のペプチド(AEAAAREACCRECCARA)を,Ca2+結合蛋白質のカルモデュリン(CaM)のC末に連結させた,CaM-helixを遺伝子工学的に合成した.CaMはCa2+濃度依存的に構造変化して疎水性ドメインを露出するため,CaMの構造変化に伴い蛍光ブローブの分子環境が変化し,蛍光強度・波長が変化すると期待される.

[BArNile-EDT2を用いた細胞外・細胞内での4Cys-motifの特異的標識]

 細胞外においてBArNileが4Cys-motifを特異的に標識することを,C18逆相HPLCにおける保持時間の変化を指標に評価したところ,以下の式に基づく可逆的な標識反応であることが分かった.

 また,非蛍光性のBArNile-EDT2が4Cys-motifに結合すると蛍光強度を増大させることが,蛍光光度計におけるスペクトル測定から分かった.

 続いて,生きた細胞にBArNile-EDT2を投与することによって,細胞内の4Cys-motifを特異的に標識可能か評価した.CaM-helixのC末にGFPの変異体のYFPを連結したCaM-helix-YFPを遺伝子工学的に合成した.CaM-helix-YFPにBArNileが結合・解離すると,YFPとBArNile間の蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)の効率が変化するため,これを指標にして細胞内でのBArNile-EDT2の4Cys-motifへの特異的な標識を評価することができる.CaM-helix-YFPを発現したヒト腎臓細胞由来の細胞株HEK293細胞を,BArNile-EDT2とインキュベート後,共焦点レーザー顕微鏡を用いて蛍光像を観察した(図3a,b).標識前と比べると,BArNileが4Cys-motifを標識したために明らかに赤色(〜600nm)の蛍光強度が増大しており,ここにEDTを加えると(I)式に基づいてBArNile-EDT2が4Cys-motifから解離してFRETが解消されるため,図3cに示すようにYFPの蛍光は増大しBArNileの蛍光は減少した.コントロールとして,YFPのみを発現した細胞をBArNile-EDT2とインキュベートしたものでは,EDTを加えても蛍光の変化は見られなかった(図3d).このことから,生細胞にBArNile-EDT2をふりかけることによって,細胞内の4Cys-motifを特異的に標識すること可能であることが実証できた.

[BArNile-EDT2を用いたカルモデュリンの構造変化の検出]

 細胞外において,BArNileで蛍光標識したCaM-helixは,図4に示すようにCa2+濃度の上昇に伴い蛍光強度が増大することが分かった.

 CaM-helixを発現したHEK293細胞を,BArNile-EDT2とインキュベート後,その蛍光像を蛍光顕微鏡で観察した(図5a).細胞内のCa2+濃度を増大させるために,1mMのアデノシン5'-三リン酸(ATP)を加えると,蛍光強度が瞬時に増大した後,徐々に減少した(図5b).続いて,Ca2+イオノフォアのイオノマイシンを加えて細胞膜のCa2+透過性を上げると,さらに蛍光強度が増大した.細胞外のCa2+をEGTAでキレートすると,蛍光強度は減少した.これらの蛍光強度の時間変化は,別の細胞におけるCa2+蛍光指示薬Fura 2を用いた蛍光変化(図5c)と一致していた.このことから,生きた細胞内においてCaMの構造変化を検出できることが分かった.

[mansyl FlAsH-EDT2を用いた細胞外でのカルモデュリンの構造変化の検出,及び細胞内での蛍光標識]

 細胞外でmansyl FlAsHで標識したCaM-helixは,Ca2+濃度を変化に伴い30%程度の蛍光強度変化が観察された(図6).この蛍光変化は,BArNileで標識したCaM-helix(10%)よりも大きな蛍光変化で,また観察される蛍光強度もBArNileよりも大きかった.

 続いて,mansyl FlAsH-EDT2を細胞外に投与することによって,細胞内の4Cys-motifを標識可能か評価した.mansyl FlAsHのFRETのドナーとしては,BarNileの時に用いたYFPではなくCFPが適しており,CaM-helix-CFPを遺伝子工学的に作成した.CaM-helix-CFPを発現したHEK293細胞とmansyl FlAsH-EDT2をインキュベートしたところ,mansyl FlAsH-EDT2はCaM-helix-CFPの発現の有無に問わず,すべての細胞から弱い蛍光が発せられた.ここにEDTを加えても,CFPとmansyl FlAsH-EDT2の蛍光が変化しなかった(図7).これは,mansyl FlAsH-EDT2は細胞膜透過性が低いため,細胞内に浸潤しなかったためと考えられる.今後,microinjectionによる蛍光プローブの細胞内導入,及び,膜透過性を増加させたmansyl FlAsH-EDT2の誘導体の合成を検討している.

[結論]

 本研究では,細胞内で蛋白質の特定部位を蛍光標識できる環境感受性プローブを初めて合成し,それを用いた生細胞内での蛋白質の構造変化の可視化・検出法の開発を行った.

 BArNile-EDT2は4Cys-motifを導入したCaMの組換え蛋白質を細胞内で特異的に標識することが可能で,プローブの蛍光変化を指標にして生きた細胞内でCaMの構造変化を可視化・検出できた.一方,mansyl FlAsH-EDT2は,細胞外においてCaMの構造変化をより高感度に検出できたものの,細胞内で4Cys-motifを標識することはできなかった.今後,膜透過性を増大させた誘導体を合成する予定である.

 これらのプローブ分子は,蛋白質中の特定のαヘリックスを蛍光標識可能であるため,X線結晶構造やNMRによる立体構造の知見を基に,合理的に4Cys-motifの導入部位をデザインできる.そのため,他の情報伝達分子の構造変化を生細胞内で可視化・検出するための一般的な方法論として期待される.

図1.BArNile-EDT2を用いた蛋白質構造変化検出の概略図

図2.本研究で合成した環境感受性蛍光プローブ

図3.BArNile-EDT2を用いた細胞内での4Cys-motifの特異的な標識のFRETによる評価.

CaM-helix-YFPを発現したHEK293細胞をBArNile-EDT2と3時間インキュベートした後,1 mMのEDTを作用させた.EDT作用前後の(a)YFP, (b)BArNileに対応する蛍光像と,(c)イメージ中の二つの細胞における蛍光強度変化.(d)コントロール実験として,YFPのみを発現した細胞にBArNile-EDT2を4.5時間インキュベート後に,同様に1 mMのEDTを作用させた際のYFPとBArNileの蛍光強度変化.

図4.細胞外においてBArNileで蛍光標識したCaM-helixのCa2+存在下・非存在下での蛍光スペクトルの変化.

図5.BArNile-EDT2を用いた生きた細胞内でのCaMの構造変化の可視化・検出.

a)BArNileで標識したCaM-helixの蛍光像.b)BArNileで標識したCaM-helixの蛍光強度の時間変化.c)Ca2+蛍光指示薬Fura 2をloadした細胞における,蛍光強度の時間変化.

図6.細胞外においてmansyl FlAsHで蛍光標識したGST-CaM-helixの,Ca2+存在下・非存在下での蛍光スペクトルの変化

図7.mansyl FLASH-EDT2を用いた細胞内での4Cys-motifの標識のFRETによる評価.

CaM-helix-YFPを発現したHEK293細胞をmansyl FlAsH-EDT2と30分インキュベートした後,5 mM EDTを作用させた.EDT添加前後の(a)CFP,(b)mansyl FlAsHに対応する蛍光像と,(c)蛍光強度変化.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は4章より成る.第1章は序論であり,本研究の動機と目的が述べられている.まず,細胞情報伝達に関わる蛋白質の構造変化の生きた細胞内での蛍光可視化は,細胞の分子機構を理解する上で重要であることを述べている.そのための方法の一つとして,蛋白質分子内のミクロな環境の疎水性変化に応じて蛍光波長や量子効率が大きく変化する分子が,環境感受性プローブとして用いられきたことを説明している.そのプローブ分子が従来細胞内に多数存在するシスティン残基のチオール基に反応性があるため蛋白質の特定の位置に一つの分子を導入するのが困難であった.そのことを踏まえ,細胞内で蛋白質の特定部位に標識可能な新規環境感受性蛍光プローブを設計・合成し,このプローブを用いて生細胞内で蛋白質構造変化の蛍光可視化・検出を目的とすることが述べられている.

 第2章は本論である.上記目的のためにR.Y.Tsienらが開発した細胞内での蛋白質の蛍光標識法を利用し,nile red類縁体の蛍光団に直接2つのヒ素原子を導入した新規環境感受性蛍光プローブ分子(Bisarsenical nile red analogue bis-EDT adduct, BArNile-EDT2)を合成している.この分子は,ヒ素原子を介して遺伝子工学的に導入したαへリックス中のi,i+1,i+4,i+5番目の4つのシスティン(4Cys-motif)に特異的に結合する.この分子が,実際に機能することを検証するため,本プローブ分子を標識する蛋白質として,水溶液中でもへリックス構造をとり,且つ4Cys-motifを含む17残基のペプチド(AEAAAREACCRECCARA)を,Ca2+結合蛋白質カルモデュリン(CaM)のC末端に連結させたCaM-helixを遺伝子工学的に合成した.

 細胞外において,BArNileは4Cys-motifに特異的に結合すること,そして非蛍光性であったBArNile-EDT2が4Cys-motifへの結合に伴い蛍光強度を増大させることを,逆相HPLCの保持時間の変化及び蛍光光度計による蛍光測定により示している.また,この時CaM-helixに結合したBArNileはCa2+濃度依存的に蛍光スペクトルを変化させることを示している.このBArNile-EDT2が細胞内でもCaM-helixの4Cys-motifを特異的に蛍光標識することを示すために,CaM-helixのC末に緑色蛋白質(GFP)の黄色変異体であるYFPを連結させたCaM-helix-YFPをヒト胎児腎臓細胞株のHEK293細胞に発現させて蛍光標識を試み,YFPとBArNile間の蛍光共鳴エネルギー移動(FRET)効率の変化を指標にして,BArNileが細胞内においても特異的4Cys-motifを標識可能であることを実証している.

 更に,細胞内で蛍光標識したCaM-helixは,細胞内Ca2+濃度を変化させる刺激によって,Ca2+濃度変化に依存して蛍光強度が変化することを観察している.この蛍光強度の時間変化は,Ca2+蛍光指示薬Fura 2による蛍光強度の時間変化とよい一致をしたことから,生きた細胞内でのCaMの構造変化であると結論している.このプローブ分子は蛋白質の特定のへリックスに標識可能であるため,X線結晶構造解析などの構造的知見に基づいて合理的に4Cys-motifを導入することで,細胞内情報伝達に関わる蛋白質一般に適応可能であると期待される.

 第3章では,二つ目の環境感受性プローブとして,mansyl FlAsH-EDT2(N-mansyl-5-amino-fluorescein arsenical helix binder, bis-EDT adduct)を合成したことについて述べている.細胞外においてmansyl FlAsH-EDT2で蛍光標識したCaM-helixはBArNile-EDT2で標識した場合よりも高感度に構造変化を検出している.このプローブ分子は膜透過性が低いために,プローブの細胞外投与による細胞内標的蛋白質の蛍光標識はできず,マイクロインジェクションによる細胞内導入ないし膜透過性を増大させた誘導体の合成によってこの点が克服されると述べている.第4章では総合的結論が述べられている.

 以上,本研究は,生きた細胞内で蛋白質の特定部位を標識可能な環境感受性蛍光プローブ分子を初めて合成し,それを用いての生きた細胞内での蛋白質構造変化の可視化・検出法の開発に関するもので,理学の発展に寄与する成果を収めた.よって博士取得を目的とする研究として充分であると審査員は全員一致で認めた.なお,本論文は各章の研究が複数の研究者との共同研究であるが,論文提出者が主体となって行ったもので論文提出者の寄与は十分であると判断する.

 従って,博士(理学)の学位を授与できると認める.

本研究で合成した新規環境感受性蛍光プローブ分子

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