学位論文要旨



No 116549
著者(漢字) 片岡,啓
著者(英字)
著者(カナ) カタオカ,ケイ
標題(和) 古典インドの祭式行為論 : Mimamsaのbhavana論研究
標題(洋)
報告番号 116549
報告番号 甲16549
学位授与日 2001.06.11
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第326号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 丸井,浩
 東京大学 教授 永ノ尾,信悟
 東京大学 教授 斉藤,明
 東京大学 教授 木村,清孝
 東京大学 助教授 一ノ瀬,正樹
内容要旨 要旨を表示する

 筆者は,始めに,ミーマーンサー研究の現状と問題点・課題を明らかにするために,第一章「序論」で,先行研究を中心に取り上げた.まず,ミーマーンサー思想史をめぐって繰り広げられたジャーとクップスワーミ・シャーストリーの論争を端緒に,現在に至るまでの主要な研究を振り返る(1.1).その中で,ミーマーンサーにおける行為論の中心的位置や輪郭も,おぼろげながら,読者に明らかとなるだろう.次に,本研究が扱う註釈者シャバラ・スヴァーミンと復註釈者クマーリラ・バッタという両思想家に関わる先行研究と年代論を取り上げる(1.2-1.5).従来,ミーマーンサー研究史全体の概観という作業は,Clooney [1990]に限定的に見られるのみである.したがって,本章が掘り起こす研究史の流れは,多く,筆者独自のものである.また,シャバラやクマーリラの先行研究概観という作業も,その全般に渡るものは,これまで皆無である.

 ミーマーンサーの基本典籍であるシャバラ註とクマーリラ復註は,膨大な量を有し,一度に全てを研究するわけには行かない.全体に目を配りながらも,中心的なものから順次進めていくのが,思想史構築という当該目的のためには最も有効である.先行研究概観の中で,おぼろげながら,その中心的位置が明らかになってきた行為論を筆者は主題に据えた.このような捉え方は,クマーリラの《生じさせる働き》論を取り上げたFrauwallner [1938]にも支持される.シャバラとクマーリラの《生じさせる働き》論,そして,そこに至るまでの思想史の流れを明らかにすること,すなわち,「ミーマーンサーの祭式行為論」研究が,筆者の中心課題である.

 第二章「原典研究」では,まず,《生じさせる働き》論研究の基礎となるべき当該シャバラ註(ad 2.1.1-4)とクマーリラ復註(ad 2.1.1-4)について,先行出版批判(2.1)の上に,それぞれ,十四写本,八写本を用いて批判校訂した(2.5,2.6).写本資料は,いずれも,従来未使用のものである.また,批判校訂に必要な写本相互の関係も明らかにした(2.4).このような作業は,校訂作業に不可欠であるにもかかわらず,従来のミーマーンサー研究では,疎かにされてきた部分である.

 第三章「訳注研究」では,上で確立した信頼すべきテクストの上に,訳注研究を行った.まず,作品構成を明らかにするために,詳細な科文(synopsis)を作成した(3.1,3.4).ミーマーンサーという学問体系全体に留意しながら,部外者には煩瑣なテクニカルな部分には詳細な註を加え,正確な和訳を心がけた(3.2,3.5).また,科文で見た作品構成から浮かび上がる作者の意図も別個に論じ,個々の文脈把捉を確実にするよう努めた(3.3,3.6).その結果,文脈からはみ出す不自然な部分について,失われた先行註釈からの影響も指摘できた.

 第四章「思想史研究」では,シャバラとクマーリラの《生じさせる働き》論確立に至るまでの軌跡が明らかとなるよう,思想史研究を行った.まず,スートラや,シャバラ註の記述をもとに,バーダリとジャイミニという先師の古説を再構成した(4.1,4.2).また,その古説からシャバラ註までのギャップを埋めるべく,現在全く失われてしまった著作に展開されたと思われる或るミーマーンサー学説を,他学派からの批判など,散在する文献資料断片から再構成した(4.3).「ダルマ開顕説」と仮に筆者が名付けるものが,それである.以上の行為論史の上に,シャバラとクマーリラの《生じさせる働き》論を位置づけた(4.4,4.5).バーダリからクマーリラに至る行為論の流れを追った結論(4.6)は,そのまま,ミーマーンサー思想史全体を占う中心軸となろう.

 以上,原典研究,訳注研究,思想史研究という三つのレベルに渡る文献学的研究によって,ミーマーンサー思想史を描くための基礎を築くのが,本論文の意図するところである.

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は,バラモン教ないしヒンドゥー教の最高聖典たるヴェーダの権威を絶対視し,ヴェーダ聖典およびヴェーダ祭式の解釈学の伝統から発展しつつ,次第に哲学(ダルシャナ)の性格をも帯びるに至った,ミーマーンサー(祭式教学)というインド土着の学問に正面から取り組み,ミーマーンサーの祭式行為論の展開を,bhavana(生ぜしめる働き)という概念装置の分析を中心に据えて,該当資料の綿密なテキスト校訂作業を踏まえつつ解明しようとしたものである。

 第1章ではまず,従来のミーマーンサー研究の歴史を,祭式行為論との関連から網羅的かつ批判的に概観し,また研究対象である二人のミーマーンサー学者,シャバラとクマーリラの先行研究を,その生存年代の問題を含めて詳細に描出している。豊富な情報量に加え,南北インドにおけるミーマーンサー研究の系譜の相違や,祭式中心主義と人間中心主義の対立軸を据えるなど注目すべき視点を含み,この研究史自体が画期的な業績をなしている。研究史概観の総括として,着実な原典研究とそれに則した思想史研究の欠如・不足を指摘し,それが同時に本研究の位置づけをなしている。すなわち,本論文第2章では該当資料のテキスト批判校訂,第3章では同箇所の訳注研究,そして第4章では祭式行為論の中枢をなす幾つかの理論・概念の歴史的展開の再構成を試みている。

 第2,第3章で対象としているテキストは,ミーマーンサー学の根本テキスト『ミーマーンサー・スートラ』(紀元前2世紀頃)に対する現存最古の注釈書『シャバラ注』(6世紀)および同書に対するクマーリラ(7世紀前半)の複注『タントラヴァールッティカ』であり,その中の第2章第1節の冒頭部分が精査対象となっている。ここは,ミーマーンサーの祭式形而上学の中心概念としてシャバラ以降,登場,発展するbhavana(「何かを生ぜしめる働き」)についてまとまった論述が展開される箇所であり,片岡氏はそれぞれ14写本と8写本を,写本系統の問題等に微細な注意を払いつつ批判校訂を行った。インド哲学文献は未だ信頼しうる校訂テキストが極めて少ないが,氏の作業は極めて厳密なH.イサクソンのヴァイシェーシカ・テキスト校訂研究の方法に則したものである。また第3章の訳注研究では錯綜した議論の筋道を明確に示し,かつ詳細な注記を付して,語法上の問題や概念の分析などを,広く関連諸文献を参照しつつ文献実証的に解明。さらに,言外にある注釈者の意図にまで迫らんとする試みもなしている。

 最後に第4章では,第3,第4章の成果を踏まえ,根本テキストの段階ではなかったbhavanaという概念をいかなる形でシャバラがうちたて,根本テキストに読み込んだか,そしてクマーリラはその概念をいかに発展させたかを論じているが,そのほか根本テキスト段階にまでさかのぼる,バーダリとジャイミニの祭式行為の目的をめぐる対立の跡づけ,およびシャバラ以前にその断片資料が,ミーマーンサー以外の文献に見いだされる「ダルマ開顕説」の再構成を行い,『ミーマーンサー・スートラ』からクマーリラにいたる祭式行為論の展開に,かなり明確な見通しを与えるに至っている。

 分析対象(批判校訂・訳注)のテキスト資料が未だ狭く限定されている点や,仮説の検証がなお不十分と思われる点が二,三指摘しうること,あるいはインド土着の特殊な概念・思想文脈を,比較思想的視点等の導入により,より普遍的な地平に引き寄せる必要性などは,今後の課題として残されてはいるが,総じて本論文は,詳細な先行研究概観,厳密なテキスト校訂,正確な原文読解,明快な内容解説,そして広範な関連資料精査を踏まえた思想史(概念史)研究のいずれをも兼ね備え,世界のミーマーンサー学の現況に照らしても,確実に一級品のレベルに達した画期的な労作であり,博士(文学)の学位を授与するにふさわしい研究であると判断する。

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