学位論文要旨



No 116558
著者(漢字) ウマル アリジャイリ アリシーク
著者(英字) OMER ELGAILI ELSHEIKH
著者(カナ) ウマル アリジャイリ アリシーク
標題(和) スーダンにおける農業開発と食料保障 : ソルガム、小麦及びミレットの供給に関する計量経済分析
標題(洋) Agricultural Development and Food Security in Sudan : An Econometric Analysis of Sorghum, Wheat, and Millet Supply
報告番号 116558
報告番号 甲16558
学位授与日 2001.06.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 博農第2333号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 生源寺,眞一
 東京大学 教授 八木,宏典
 東京大学 教授 大賀,圭治
 東京大学 助教授 齋藤,勝宏
 東京大学 助教授 中嶋,康博
内容要旨 要旨を表示する

 食料保障は、食用穀物の需給関係のありように直接左右される。主要な食用穀物の需給関係に影響を及ぼす諸要素は、それゆえに重要である。スーダンでは、食用穀物は主に天水依存型の農業地域で生産されている。だが、食料・飼料供給の確保を天水に頼ることは、絶望的な選択であることが明らかになった。降雨は、その量のみならず、時間・地域分布に関しても極めて不安定であり、旱魃の頻度も高い。その結果、食料の欠乏が起こるとともに、天水依存農業地域から都市部や中東産油国への大量の移民が出現している。

 本研究の目的は、スーダンに於ける主要な食用穀物(ソルガム・小麦・ミレット)の供給に影響を及ぼす諸要因を明らかにし、そして灌漑農業の拡大が社会的厚生に及ぼす影響をシミュレートすることである。

 それぞれの穀物の供給関数の推定には、ナイーブな期待価格を含むシンプルなモデルを用いた。その際、作付面積と収量の関数を分離して推定した。供給関数は両者の積によって与えられる。スーダンに於ける農業地域には、公的な灌漑地域、機械化の進んだ天水依存地域、伝統的な天水依存地域、ならびに私設ポンプによる北部灌漑地域があるが、供給関数の推定に際してはそれらを別個に扱った。すなわち、地域ごとに推定された供給関数を合計して、その作物のナショナルレベルの供給関数とした。

 一方、需要関数の推定のために、ひとりあたりの需要を各食用穀物について推定した。その際、利用可能なデータを考慮してエリザベスとアランによる簡単な方法を用いた(Elizabeth & Alan,1995)。ナショナルレベルの需要関数は、ひとりあたりの需要関数に人口を乗ずることによって得られる。

 推定された需要関数と供給関数は、本研究に於けるシミュレーションの礎をなすものである。天水依存から灌漑農業への移行をはかるプロジェクトについて、生産者余剰と消費者余剰ならびに社会的厚生に与える影響を推計した。プロジェクトの内部収益率を算出して資本収益率と比較することによって、事業の経済評価を行った。

 本論文は、7つの章からなる。第1章では研究の目的と手法、第2章ではスーダン経済の基本的特色を述べた。第3章ではスーダンに於けるソルガム・小麦・ミレットの生産に関わる諸問題を論じた。第4章では3つの食用穀物の供給関数をそれぞれ推定した。第5章では、各食用穀物の需要関数を推定して、さらにそれぞれの需給バランスを構成する主要な項目について論じた。第6章は本論分のコアとなる章であり、食用穀物生産のための灌漑投資が社会的厚生に及ぼす影響をシミュレートしている。そして最終章に於いて、ファインディングスをまとめた。

 各供給関数を推定した結果、それぞれの農業地域が、いずれも商品作物生産という共通の性格を帯びていることが示された。平均価格で評価した各穀物供給の価格弾力性を見ると、天水依存地域のほうが灌漑地域よりも低かった。最も価格弾力性が高かったのは、北部ポンプ灌漑地域であった。投入財の価格水準、期待純収益、また機械と労働の費用が、食用穀物の平均収量に影響していた。機械化された天水依存地域のソルガム生産では、機械作業の費用が、作付面積、収量の両者に有意に正の影響を与えていた。公的灌漑地域では、労働費用がソルガムの収量に有意に負の影響を与えていた。小麦の収量は、公的灌漑地域に於いては肥料価格から有意に負の影響を受けていたのに対して、北部ポンプ灌漑地域ではガソリン価格から有意に負の影響を受けていた。

 供給関数を推定した結果、天水依存地域に於けるソルガムならびにミレットの生産量は、降雨量からは有意に正の影響を受けているが、その地域的なバラつきからは有意に負の影響を受けていることも分かった。公的灌漑地域では、中央政府の農業開発支出がソルガムと小麦の収量および作付面積に有意に正の影響を及ぼしていた。供給関数を推定する際、各作物の収量および作付面積に対する「過帯水」、「政策」、および「砂漠化」の影響の有無を調べるために、それぞれをダミー変数として組み込んだ。近代的な天水依存地域に於けるソルガムの収量は、過帯水から有意に負の影響を受けていた。国家規模の食料不安を引き起こした82〜84年の危機的旱魃に際して、政府のとった同地域に於けるソルガム作付面積拡大策の影響は有意であった。拡大策は主に中部で行われた。気温とナイル川の流量も小麦の収量に影響するので、説明変数に加えた。砂漠化は、すべての農業地域に於いて食用穀物の供給に負の影響を与えていたが、ミレット生産農家は、収量の減少に生産面積拡大を以って対応していた。公的灌漑地域に於けるソルガムの平均収量と、北部ポンプ灌漑地域に於ける小麦のそれは、全体を通して、有意な増加トレンドを示した。しかしながら、天水依存地域に於けるソルガムとミレットに関しては、全期間で見ると、収量は向上しなかった。それどころか、一部の近代的な天水依存地域に於いては、収量の減少も観察された。ソルガム、小麦はともに、全期間を通じて、生産面積の拡大傾向を見せていた。

 推定した供給関数と需要関数を用いて、天水依存地域の灌漑プロジェクトが、生産者余剰と消費者余剰および社会的厚生に与える影響をシミュレートした。その際、ふたつの灌漑プロジェクトを想定した。ひとつは近代的な天水依存農業が行われている地域を灌漑するケース、もうひとつは伝統的な天水依存農業が行われている地域を灌漑するケースである。ただし、輸出量を制限する政策には3通りあるが、それぞれの場合ごとにシミュレーションを行った。ひとつは、国内供給量が増加した際に、それと同じだけ輸出量の上限を増やす政策、二つ目は、供給の増加量の一定割合だけ上限を増やす政策、いまひとつは、輸出量を灌漑プロジェクトが行われる前の水準に固定するというものである。分析の結果、このいずれの場合も、灌漑農業地域の水平的拡大のための投資は、多大な社会的恩恵をもたらすことが分かった。しかしながら、輸出を制限する条件下では、自由に輸出できる場合に比べ、ソルガムの供給量、および社会的厚生の純増加は小さかった。また、消費者・生産者・ソルガム輸出業者間の増加余剰の分配も、輸出量を決める条件に依存して異なる。すなわち、生産者と輸出業者は輸出制限が緩やかであるほど潤い、逆に消費者にとっては、輸出上限が厳しい方が好ましいという結果であった。

 上記のいずれの輸出政策下の市場条件に於いても、伝統的な天水依存地域の灌漑は、高い内部収益率(IRR; internal rate of return)を示した。特にソルガム耕作地への灌漑投資のIRRの値は、経済の発展段階がスーダンと同程度の多くのアフリカ諸国の利子率に比べて遥かに大きい。

 また、小麦の作付面積を、自給可能な水準に到達するまで拡大したときの効果についても、シミュレーション分析を試みた。必要な耕地拡大策を、公的灌漑地域か、北部ポンプ灌漑地域のそれぞれに講じるケースを比べると、この場合の社会的純利益の唯一の構成要素である生産者余剰の増分は、前者の方が大きかった。しかし、IRRの推定値はそれぞれ34%、45%であり、後者の方が高かった。過去の研究でも、後者のIRRは50%を超えるであろうと推定されていた。小麦生産の水平的拡大への投資のIRRは、アフリカのどの国の利子率と比較しても断然高いことが分かった。ここでIRRを他国の利子率と比べたのは、本来比較対照となるべき、スーダンの資本収益率に関する情報が無かったからである。

 ソルガムと小麦について、投資費用の変化に対するIRRの感応度分析も行った。その結果、10%と25%の灌漑工事費用の増加はそれぞれ僅かにIRRの低下をもたらすことが分かった。しかしそれでもアフリカ諸国の利子率よりはずっと高い。

ミレットについては、取水方法の改善、補助的な灌漑、その他の手段による仮想的な収量向上が、所得分布に与える影響を推定した。収量の向上によるミレットの国内供給量の増加は、その価格の大幅な下落につながる。生産者余剰が減少するかわりに収量向上の恩恵を享受するのは、主として消費者である。更に、もしこの収量の向上が、生産過程を取り巻く環境の好条件によってもたらされるものならば、収量と作付面積の両方に影響する共通の因子によって、ミレットの作付面積が増加する可能性が高い。その場合、ミレットの価格はいっそう低下し、所得分配が消費者により有利に変化することにもなり兼ねない。もっとも、だからといって生産拡大の断念を主張したいのではない。実際、消費者としての農民の生活は、生産物が増えることによって向上し、生計に必要な備蓄を行うことも可能になるであろう。輸送や市場のインフラが改善されれば、ミレットの余剰地域よりも遥かに高い価格の地域にも、供給が容易になるはずである。食料不足と頻繁な旱魃に苦しむ西部スーダンに於いては特に、ミレット供給の安定化は最重要課題である。

審査要旨 要旨を表示する

 スーダンでは、他のサハラ以南アフリカ諸国と同様に、主要穀物の安定的な供給による食料保障food securityの達成が、いまなおもっとも重要な政策課題のひとつとして位置づけられている。食料保障の達成の見地から注目されているのが、灌漑施設の設置をはじめとする農業開発プロジェクトを通じた農地の高質化である。本研究は、スーダンで展開されている農業開発プロジェクトに着目し、食料保障の観点からみた経済効果について、計量経済学的な手法を用いて定量的な評価を加えたものである。

 論文は全体で7章から構成されており、前半の3つの章において、計量経済分析に先立つ予備的な情報の整理が行われている。まず第1章では、本研究のベースとなる穀物供給関数の推計の問題を中心に、スーダンの農業セクターを対象とする既往の研究をレビューし、従来の推計が生産条件の極端に異なる複数の地域を一括して行われている点や、ラフな気象指数の選択といった点で、結果の妥当性に疑問のあることを論じている。続く第2章で、スーダンの穀物生産セクターの特徴と主要な農業政策のメカニズムについて整理したのち、第3章では、穀物生産地域を公的灌漑地域、天水依存機械化農業地域、天水依存伝統農業地域の3つの地域に区分したうえで、それぞれの穀物生産構造の特質について詳細に論じている。またこの章では、地域ごとの生産構造の検討を通じて、供給関数の計測に際しては、生産物やインプットの価格といった慣行的な経済変数のほかに、水利施設の堆積土砂を除去するための政府の支出額や過剰帯水問題のダミーなどが有効であるとの示唆を得ている。これらの知見は第3章の推計作業に活かされている。

 第4章では、ソルガム・小麦・ミレットの3品目について、上述の3地域のそれぞれについて供給関数を計測している。計測に際しては、供給関数を作付面積関数と単位収量関数の積のかたちの定式化し、面積と単収のそれぞれを経済変数・政策変数・気象変数のセットに回帰した。推計には1970年代から90年代に至る時系列データを使用したが、年々の大きな収量変動にも係わらず、これを適切な気象指数を用いて吸収することによって、説明力の高い供給関数が得られた。続く第5章においては、同じ穀物3品目に関して需要関数を計測している。符号条件とあてはまりのいずれについても、計測結果は良好であった。

 第6章では、具体的な農業開発プロジェクトを想定し、消費者余剰と生産者余剰の変化を評価している。すなわち、天水依存地域を灌漑地域に転換することによって生じる集計的な供給関数のシフトが、年々の国全体の経済余剰にもたらす変化を定量的に明らかにした。さらに、プロジェクトの規模やコストに関するさまざまなケースについて、経済余剰の変化と投資費用から内部収益率の推定を行っている。例えば、現行の灌漑プロジェクトのコストを前提にすると、天水地域の5%の灌漑転換によるソルガムの増産は、27%という高い内部収益率を生み出すことが明らかにされた。このほかのケースに関する内部収益率の推定結果についても、すべて20%を超える水準にあり、灌漑プロジェクトは資金コストである利子率を充分に上回る水準の社会的な便益をもたらすものと判断された。なかでも、消費者余剰の大幅な増加は食料保障の実現に灌漑プロジェクトが大きな役割を果たしうることを示している。第7章は結論であり、本研究によって得られた主なファインディングスをあらためて整理するとともに、収量変動というリスク要因の緩和に結びつく点を考慮すると、本研究による農業ブロジェクトの経済評価はむしろ控えめであると指摘している。

 以上を要するに、本論文はスーダンの穀物生産セクターを対象として、農業プロジェクトの持つ食料保障効果の大きさを計量経済学的な手法によって明らかにしたものであり、スーダンの今後の農業開発政策にとって重要な知見を提供している。また本研究には、面積・単収分離型の供給関数の計測に成功している点、さらには、農業地域の転換による集計的な供給関数のシフトという、より現実に照応した想定のもとでシミュレーションを行っている点で、作物供給関数の計測やプロジェクトの経済評価をめぐる今後の研究にとっても、有益な方法上の工夫がほどこされている。このように、本論文によって得られた成果は学術上、応用上寄与するところが少なくない。よって、審査員一同は本論文が博士(農学)の学位論文として価値あるものと認めた。

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