学位論文要旨



No 116560
著者(漢字) 奥,聡一郎
著者(英字)
著者(カナ) オク,ソウイチロウ
標題(和) 文学テクストにおける「わかりやすさ」の言語学的分析 : テクスト分析への学際的アプローチ
標題(洋) A Linguistic Analysis of Comprehensibility of the Literary Text : An Interdisciplinary Approach to Text Analysis
報告番号 116560
報告番号 甲16560
学位授与日 2001.06.28
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第324号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 斎藤,兆史
 東京大学 教授 近藤,安月子
 東京大学 助教授 大堀,壽夫
 中部大学 教授 鈴木,博
 東洋大学 教授 山中,桂一
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は英語で書かれた文学テクストの「わかりやすさ」(comprehensibility)を学際的な観点から検討・分析を試みたものである。

 本論文の構成は下記の通りである。第1章から第2章では、分析の枠組みを検討する。文体論、言語学の観点から、「わかりやすさ」を解明する上で読み手の認知過程に着目する必要性を論じ、新たな枠組みの設定を試みる。第3章ではテクスト理解における心理学の先行研究と言語学的な参照枠の接点として語彙的文法的結束構造に焦点をあて、従来の計量文体論でなされてきた単純な分布や割合からでは読み手の不在という点でテクストの分析における効果の実証が不十分であることを論じる。続いて、「わかりやすさ」が読み手の理解過程の負荷の観点から、テクストの結束構造(cohesion)の質的な分析によって明らかにできることを述べる。第4章では分析の枠組みの一般性を主張するために、文学テクストや多様なジャンルのテクスト分析を通して、量的かつ質的な分析と操作から得られた数値を統計的に検証し、比較対照を行う。同じ作家による子供向き、大人向きの作品の対照分析も行い、「わかりやすさ」の検証が同じ枠組みで援用可能であること示す。第5章では、今後の展望として「わかりやすさ」の概念が言語教育への応用として、効果的な文を書く上で指導の一指針になる点を指摘する。

 はじめに、本研究における用語の理論的な問題を論じ、定義の検討を行う。「読む」(read)と「理解する」(comprehend)という用語は広範な研究領域にまたがって使用されているが、これまでの定義を再検討することによって、「わかりやすさ」が「読み」(reading)の範疇およびテクスト理解の範疇で論じるべき概念であることを述べる。文体論では、書き手の立場から文学テクストの言語や技法を対象に、もっぱら言語学の枠組みを用いた記述と分析が行われてきたが、現在では認知科学、心理学の発展に伴い、読み手をとりまく状況を分析の考慮に入れることも可能になってきた。文体論の分野も読み手の理解を基礎に分野を横断的考察によってより精緻かつ十全な水準を目指すことができる。学際的研究を行うことは、各分野に深い理解がなされていなくてはならず、特定の一分野を考究するより困難が伴う。しかしながら、「読む」という行為の認知的過程を研究してきた心理学と応用言語学、そして文体論とテクストの構造を扱う言語学の融合はコミュニケーションの立場からもこれからの進展が望まれる分野であると結論づけた。

 本論の中心となる概念である「わかりやすさ」の諸相を「読みやすさ」(readability)の概念と比較対照し、明らかにすることから始めた。「読みやすさ」は、語の音節数や文の長さを基準とした語彙文法レベルの概念であるのに対し、「わかりやすさ」は読み手の認知過程も視野に入れたテクストレベルでの特質であると定義づけた。

 「読みやすさ」についてはこれまで多くの先行研究があり、「読みやすさ」を客観的な数値で示そうとする試みがなされてきた。その中で多くの公式が開発され、読書教材や公文書作成の指標として活用されている。しかし、公式では数値化しやすい要素、すなわち先にあげた語彙文法的な基準のみで「読みやすさ」を測ることになる。その点で数多くの批判がなされてきており、文構造や語形成の複雑さと言語理解の難易度には絶対的な関連性が低いことなど、公式の不備が指摘されている。この「読みやすさ」と読者の理解度には大きな乖離があるのではないかという疑問が本論の研究動機に至ることになった。「わかりやすさ」の概念導入とテクストレベルの言語要素の分析によってテクストの「わかりやすさ」を測ることが「読みやすさ」の問題点を克服するものと考えた。

 次に「わかりやすさ」が書き手、読み手、言語のレベル間でいかに関与するかを概観し、言語理解に関する先行研究を批判的に検討した。Propositional analysis, schema theoryなど統語的な項の特質に還元される問題点や読み手の知識の有無を分析に組み込むことの限界を論じた。

 「わかりやすさ」がテクストレベルの特質であることから、テクスト性とテクストに関わる言語学の貢献を概観し、首尾一貫性・結束性(coherence)、結束構造(cohesion)などの言語的な手がかりが「わかりやすさ」の指標になりうることを示し、分析の枠組みの構築をすすめた。また、結束構造がこれまでにどのような形でテクスト分析に応用されてきたか、その問題点も指摘した。単なる結束構造の多寡の傾向や図による印象、分析対象となるテクスト量の少なさの問題を取り上げ、それらを超えたテクスト分析の構築にはコーパス言語学や統計的な処理も必要であることを論じた。また、認知科学に基づくテクスト(文章)理解とテクスト言語学、機能主義言語学に基づく言語記述の枠組みも援用し、両分野にまたがる語彙的文法的結束構造である代名詞、省略、繰り返しなどの照応関係、接続詞などの連接関係を中心とした分析方法を論じた。

 まず、文学テクストの「わかりやすさ」を「首尾一貫性、結束性」(coherence)の程度差と捉え、読み手の理解にいたる過程において先行表現を同定する際の負荷の相対的な算定基準であるパラメータを措定した。一つ一つの照応関係についてどの程度の同定に難易度がみられるか、パラメータが関わる度合いの平均値を算出した。パラメータには照応詞に備わっている性、数、有性の無性の区別、品詞の認定、また先行詞には同一性、長さ、競合、距離などが考えられる。読み手には因果関係、継起、類推を含む複雑な認知過程を想定し、これらの積極的関与、消極的関与に分け、全てのパラメータの総和と平均で「わかりやすさ」を測った。検出された数値がそれぞれの対象とするテクスト群の比較において有意な差が生じれば、「わかりやすさ」を明らかにする基準として枠組みの妥当性が認められることになると結論した。

 さらに実際のテクスト分析を通して、「読みやすさ」の批判点を超える指標としての「わかりやすさ」の妥当性を論証した。まず、結束構造以外の語彙的統語的指標として、時制、アスペクト、態、動詞の意味的な特性、また文の構造的な語順異常、比喩表現、Mann & Thompson (1988)によるテクスト構造の表示理論であるレトリック構造理論(Rhetorical Structure Theory)などの視点から一般文学作品や児童文学作品を教材化したリトールド版のテクストの対照分析を試みた。関連する語彙頻度を数えるという手作業による分析では大量のテクストが処理できないことや対象群では頻度に決定的な違いが見られないことからこれらの指標では「わかりやすさ」の測定が難しいという結論に至った。次の段階では先に構築した結束構造を用いた分析に枠組みを用いて分析を行った。

 リトールド版では語彙や文法の基準に沿ってレベル化が行われ、学習者への教材選定を容易にしている。しかしながら、その文法項目や語彙の基準は「読みやすさ」の指標として用いられるものであり、テクストレベルでの「わかりやすさ」を保証するものではない。例えば、Louisa AlcottによるLittle Women (1868) (=Little.txt)とCharles DickensのA Tale of Two Cities (1859) (=Two.txt)、を比較した場合、後者は一般の読者を対象として出版された作品であり、同じレベルにリトールドされたとしてもその「わかりやすさ」には差があると考えられる。まず、「読みやすさ」を示す公式の中から0から100の数値で読みやすさの程度を示すFlesch-Reading Ease Score (=FS)、読書教材として採用するのに適当なアメリカでの学年を示すFlesch-Kincaid Grade Level (=FKGL)とGunning's Fog Level (=GFL)を比較することから始めた。対象とするテクストをコンピュータ可読のテキストファイルにまとめ、Grammatik5という英文添削ソフトを用いて算出した。Little.txtではFSが86、FKGLが5、GFLが7という数値に対し、Two.txtではFSが86、FKGLが4、GFLが7と両方のテクストの方がほとんど同じ「読みやすさ」という結果が出た。その数値の僅少差は「読みやすさ」の公式の一応の妥当性として評価しうるが、テクストの「わかりやすさ」は異なると考えた。「わかりやすさ」の分析の枠組みを援用すればその差異を明らかにできるのではないかと仮定し、同じ2種類のテクストをさらに分析してみた。その結果、代名詞he (his/him/himself), she (her/herself), it (its/itself), they (their/them/themselves)をkeywordに、分析ソフトのWordSmithを用いてコンコーダンスを作成し、その中から文を越えたテクストレベルでの照応関係にある代名詞と抜き出した上で、その先行詞を同定するまでの読み手にかかる総体的な負荷を「パラメータ」の平均値で表した。テクストレベルの代名詞の頻度とパラメータの平均値が以下の表にまとめられる。

 代名詞の先行表現同定にかかる負荷と文全体における生起頻度から数値が大きければ大きいほどテクストの「わかりやすさ」の程度が低まると考えられる。以上の表から「読みやすさ」の公式による数値よりも「わかりやすさ」として測定したの数値の差の方が明確であり、この両テクスト間の数値の差は統計学的な検定を行っても有意であった。この分析では「読みやすさ」で測定できない差異をテクストレベルの指標による「わかりやすさ」の観点から示すことができたが、さらに多様、大量のテクスト分析から妥当性を示すことを試みた。本論文では2つのテクストの「わかりやすさ」を相対的に示す上で有効であることを12組の24テクストの対照分析を通して明らかにした。聖書やナンセンスなどのジャンルについては想定した数値がでなかったがこれはジャンルに特有な性格によるものであろう。

 接続表現に関してはand, but, yet, though, however, so, then, for, becauseなどの代表的なものに関してconcordanceを作成し、additive, temporal, adversative, causalの関係毎に分類した。テクストの分析から考察するとadversative, causal relationsに「わかりやすさ」の指標となりうる結果がでた。さらに連接関係を精緻に分類して、認知過程との知見を生かした分析方法が可能であろうと思われる。

 結論としては本論のまとめ及び展望をテクスト分析への貢献、言語教育の視点から述べ、本研究の目的が達せられたことを論じた。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、英語で書かれた文学テクストの「わかりやすさ」(comprehensibility)とはどのようなものかを言語学的・文体論的に分析・説明したものである。

 本論文は5章から成り立っている。第1章では、まず、語彙の難易度や文の長さをはじめ、いくつかの要件をもとに計量化されてきた「読みやすさ」(readability)の概念を概観している。それに続いて、多くの先行研究がある「読みやすさ」の概念、あるいはそれに基づいて公式化されたテクスト計量の方法論が、一方で読書教材の選択や公文書作成の指標として有効であったとしながらも、読者の読みのプロセスを無視したものであり、テクストがどれだけ読者にとって受容しやすいものかを正確に測り得ていないことを批判する。

 第2章では、同じ問題を扱う際に読みの認知的な過程に着目する必要性を論じ、そのような観点を含んだ「わかりやすさ」(comprehensibility)という概念を導入する。そして、「読みやすさ」は、語の音節数や文の長さを基準とした語彙文法レベルの概念であるのに対し、「わかりやすさ」は、読み手の認知過程をも視野に入れたテクスト・レベルでの特質であると定義づけている。

 第3章では、テクスト理解における心理学の先行研究と言語学的な参照枠の接点として語彙的・文法的結束構造に焦点を当て、従来の計量文体論でなされてきた単純な分析は、読みの過程が考慮されず、テクスト分析に終始しているため、テクストが読者に与える効果が十分に検証されていないと論じている。その上で、文学テクストの「わかりやすさ」を「首尾一貫性、結束性」(coherence)の程度の差と捉え、読み手の理解にいたる先行表現を同定する際の負荷の相対的な算定基準であるパラメータを措定する。そして、それに基づく分析結果が、それぞれの分析対象となるテクスト群の比較において有意な差を示すことができれば、「わかりやすさ」の基準として理論の妥当性が認められるはずであるとの仮説を立てている。

 第4章では、まず分析の枠組みが一般的に応用可能であることを論証するために、文学テクストをはじめ、さまざまなジャンルのテクストを量的かつ質的に分析し、その比較対照を試みている。まず、結束構造以外の語彙的・統語的指標として、時制、アスペクト、態、動詞の意味的な特性、また文の構造的な語順異常、比喩表現、レトリック構造理論などの視点から一般文学作品や児童文学作品を教材化したリトールド版のテクストの対照分析を行なっているが、関連する語彙頻度を数えるという手作業による分析では大量のテクストが処理できないことや、対象群では頻度に決定的な違いが見られないことから、これらの指標では「わかりやすさ」の測定が難しいと結論づける。次に第3章で構築した結束構造に焦点を当てた分析を行ない、たとえば、AlcottのLittle WomenとDickensのA Tale of Two Citiesの比較においては、「読みやすさ」の公式による数値よりも「わかりやすさ」として測定した数値の差のほうが明確であり、その差は統計学的な検定を行なっても有意であることを証明している。

 最後の第5章では、今後の展望として、この研究が今後のテクスト分析に貢献しうるとしている。また、「わかりやすさ」の検証が「わかりやすい」文章を書くための指針になると論じ、この概念の言語教育への応用可能性も示唆している。

 従来、英語で書かれたテクストの難易度の判定は、もっぱら熟練した読者の主観や直感、あるいはせいぜいこの論文の第1章でも概観されているような計量文体論の単純な公式による数値に基づいて行なわれてきた。そのため、一見読みやすい、あるいは一般的には児童文学と思われている作品のなかにも、実際に読んでみるとなかなかわかりづらいものがあるなどの混乱が生じていた。とはいえ、文学作品とはそもそも摩訶不思議なものであり、読者によって読み方が大いに異なって当然であるとのロマン主義的な考え方に基づき、その難易度を判定しようという試みはあまり本格的になされてこなかった。奥氏のこの論文は、そのような通念からさらに一歩踏み込み、パラメータを洗練させることで、ある程度まで客観的な難易度の判定は可能であるとの仮説に基づき、それを説得的に論証している。世界的にもあまり類を見ない優れた研究である。

 ただし、個々の読者の読書体験、教養、年齢などが違う以上、やはり「わかりやすさ」の判定は絶対的なものにはならず、それがこの論文の必然的な限界ともなっている。また、措定されている読者がどうしても筆者に近いものになってしまっていることも問題と言えなくはない。分析対象となっているテクストも、児童文学をはじめ、いわゆる「文学」の周縁に位置する作品であることにも不満は残る。また、readabilityの公式同様、「わかりやすさ」の分析もかなりの部分が手作業であり、コンピュータのプログラム化まで考えないと、実際には相当の時間がかかるという技術的な問題も未解決のままである。

 とはいえ、そのような細かい問題点は論の根幹を左右するようなものではない。全体としては、きわめて独創性に富む、そして有益な研究であり、なにより教育への大いなる貢献が期待できる。以上の理由により、本審査委員会は奥聡一郎が博士(学術)の学位を授与するにふさわしいものと認定する。

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