学位論文要旨



No 116562
著者(漢字) 末吉,哲雄
著者(英字)
著者(カナ) スエヨシ,テツオ
標題(和) 気候変動に対する永久凍土層の応答に関する研究
標題(洋) A Study on the Response of the Permafrost Layer to Climate Change
報告番号 116562
報告番号 甲16562
学位授与日 2001.07.09
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第4049号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 多田,隆治
 北海道大学 教授 福田,正己
 東京大学 助教授 松本,淳
 東京大学 助教授 溝口,勝
 東京大学 教授 浜野,洋三
内容要旨 要旨を表示する

はじめに

永久凍土は高緯度地域や高山地帯に広く分布し、北半球高緯度陸面はあまねく永久凍土地域であると言って良い。永久凍土の水平分布・厚さは気候条件の影響を受けて変動するが、一方で凍土層は凍結・融解に伴う潜熱の解放や、土壌水分への影響を通して、大気側へもフィードバックを持つため、その分布は気候システムの中においても重要な境界条件となる。気候変動に対する永久凍土分布の応答を明らかにすることは気候システムの特性を理解する上で重要である。凍土の形成・融解過程は、基本的には地中の熱伝導によって支配されており、地表の気候条件の変化に対する応答時間は気候変動のタイムスケールと比較して非常に長くなる特徴を持つ。このため、現在の凍土分布は過去の気候変動の履歴を反映したものとなっており、現在の気候変動に対する応答も過去の気候の影響を受けることになる。

本研究では、数値モデルとデータ解析の両面から凍土の気候変動に対する応答を明らかにすることを目標とする。現在の永久凍土分布の特徴は、シベリアと北米の凍土分布を比較することで明瞭になり、以下の2点が特徴的である:

・シベリアで南部に張り出した水平分布

・北米と比べ、年平均気温が同じでもより深いシベリアの永久凍土深分布(図1)

この分布から、北米の永久凍土が現在の気候条件・地殻熱流量に対してほぼ平衡に達している一方でシベリアの永久凍土は非平衡である、と考えられる。シベリア南部の凍土帯においては、年平均気温がプラスの地域にも永久凍土が分布しており、このこともシベリアの永久凍土が非平衡であると考えられる理由となっている。

以下、まずシベリア凍土帯が現在の気候条件に対して安定であるかどうかを地温データの解析を中心に検証し、続いて数値モデルを用いて、過去の気候変動を考慮して凍土の温度構造の変化を計算することで現在の状態、すなわち現在の凍土の深度分布がどのように形成されたのかを検討する。

シベリア凍土帯の現在の安定性

シベリア地域は、地球上で最も広く、かつ深い永久凍土が分布しているが、分布の南限付近はごく浅い凍土が分布しており、気候の変動には敏感に応答すると考えられる。また、シベリアの気温が上昇しつつあるという報告(IPCC,1996)もあり、その気温上昇に対する応答が注目されている地域でもある。

この地域の凍土層の変動を調べるため、ロシアの地温データベースから、地表面熱流量の解析を行った。鉛直一次元の系において、2点(x1,x2)間を流れる熱流量qは、2点の温度をそれぞれT1,T2とし、熱伝導率をkとおくと、以下のように表される;データベースには深さごとの毎日の地温データが収録されており、上式を適用して地温勾配から熱流量を計算することで、着目した2点間を流れる熱流を計算できる。これを一年間累算し、年間の熱収支を調べた。

この結果、永久凍土の南限に近いIrkutskなどでは融解を示す傾向は見られなかった一方、約500mの凍土が存在するとされるYakutskでは値は明確に負に偏っており、シベリア中央部の凍土の融解を示唆する結果となった(図2、図3)。これは、1930年代以降の気温データと比較したところ、最近約10年間のシベリア中央部の急激な気温上昇に対応している可能性が高い。

最終氷期以降の凍土深変化と気候変動

永久凍土の南北断面について見ると、北米とシベリアでは著しい違いが見られる。北米では北端で一番深く、南に向かって単調に薄くなるのに対し、シベリアでは中央部と北端部でほとんど深さが変わらない分布を示し、これは過去に経験した気候条件の違いによるものと考えられる。この分布から北米とシベリアが最終氷期以降に経験した気候条件の違いを調べるため、潜熱を考慮した一次元モデルを用いて数値実験を行い、凍土の深さの時間変化を計算した。表面地温の入力条件はグリーンランド氷床コアから復元された過去の気候変動に基づいて与える。さらに、氷期と現在の温度差はパラメターとし、最終氷期の冷却条件が異なるケースについても計算した。

計算は以下のパラメターを考慮する。

1)Location(=年平均気温、年間気温変動)の違い

2)Heatflowの違い:30,40,50,60[mW/m2]

3)最終氷期の冷却 a)グリーンランド氷床コアによる古気候曲線に従う

b)変動のパターンはa)と共通、氷期との気温差を変化させる

4)氷床の存在による地表面温度の上昇

計算の対象としては、凍土深と気候条件の違いを代表する地点として、以下のシベリアの3地点と北米の2地点を選んだ。

Yakutskの条件で熱流量を変化させた結果を図4に、同じくTiksiの条件の場合を図5に示す。縦軸に入っている大きい矢印は現在の凍土深を示す。両者から、凍土の深さは熱流量に敏感であることが分かる。地殻熱流量のデータを解析した結果、シベリアの地殻熱流量としては安定大陸の典型的な値である45〜50[mW/m2]が妥当であることが示されたが、この値を用いる限りは、シベリア北部(=Tiksi)においては現在の凍土深ど調和的であるのに対し、中央部(=Yakutsk)においては、現在の凍土深を満足する結果にはならない。ここで、さらに上述した3)、4)の条件を考慮して計算を行う。

Yakutskの条件で地殻熱流量を50[mW/m2]に固定し、最終氷期の冷却を変化させた時の結果を図6に、Tiksiの条件で最終氷期に氷床が存在した場合の結果を図7に示す。氷床が存在する場合、氷床下の地面温度は氷床が存在しない場合と比較して温度が高くなる(地殻熱流量による)ため、厚い氷床の存在は氷期の間の凍土の成長を抑制する効果を持つ。図7の結果は、この効果をよく示しており、氷床が存在した場合、現在の凍土の深さを説明することは難しくなることが分かる。北東シベリアの北極海岸地域(Tiksi周辺)では、最終氷期に氷床が存在した可能性が報告された研究が過去にあるが、本研究からは氷床の存在に対して否定的な結果となった。

以上の結果から、過去のシベリアの気候条件に対して、現在の凍土分布を良く再現するための制約条件として、次の2点を得る。

・シベリア内陸部では、シベリア北端と比較して、最終氷期との温度差が大きかった

・シベリア北端の地域が氷床に覆われた可能性は低い

シベリア南部のIrkutskの凍土深についても計算を行ったが、最終氷期の冷却が強かったとしても後氷期の温暖な時期に融解し、現在の分布を過去の履歴から説明することは出来ない。現在の凍土深が浅いシベリア南部のケースでは、凍土は気候変動に敏感であると考えられるため、過去の履歴の効果は残っておらず、また熱流量解析からも融解を示す結果は得られなかったため、現在の表面地温を反映した分布を持っていると考えるべきである。

一方、北米の凍土深変化を同様に計算した結果を図8に示す。北米地域はローレンタイド氷床が存在していたことはほぼ確かであるので、氷床を仮定した場合の結果を示す。地殻熱流量は同じく50[mW/m2]に固定してある。Norman Wellsの現在の凍土深(〜45m)は氷床が存在した場合のみ再現され、現在の凍土深を実現する上で氷床の存在が不可欠であったことが分かる。

凍土深曲線のt=0(現在)での変化率(傾き)に注目すると、シベリアの、特にYakutskのケースでは現在も融解の進行を示す一方で、北米ではほぼ平衡に達しており変化がないことが図から読みとれる。図1から予想された、シベリアの凍土が非平衡であるという考えはこのことからも示されている。

図1:北半球の永久凍土凍土深度と年平均気温の関係。

横軸に年平均気温、縦軸に永久凍土の深さを示す。図中、二重線の直線は気温と平衡な凍土深を示している。北米とシベリアの地域ごとに囲んで示した。

図2:Irkutskにおける地表熱流量の年間平均値。正または負の明瞭な傾向は見られない。

図3:Yakutskにおける地表熱流量の年間平均値。負の温度勾配により負の熱流量が生じている。

図4:Yakutsk周辺の凍土深変化

図5:Tiksi周辺の凍土深変化

図6:Yakutsk周辺での凍土深変化。

現在の凍土深は最終氷期中の冷却が強かったことを示唆する。

図7:Tiksi周辺での凍土深変化。

氷床を想定すると現在の凍土深を説明することが出来ない。

図8:カナダのNorman Wells周辺での凍土深の変化。

氷床を想定することで現在の凍土深が実現される。

審査要旨 要旨を表示する

 地球の高緯度地域や高山地帯に分布する永久凍土は、現在の各場所での地表の気候を反映しているだけでなく、過去の気候変動に関する情報を持っている。北アメリカ大陸とシベリア地域では凍土層の分布が異なることは知られており、各大陸の過去の表面環境の違いによるものであろうと考えられているが、それらの分布から過去の表層環境を定量的に読み取る試みはなされていない。本論文は凍土の凍結・融解の過程を、数万年の時間スケールで数値シミュレーションすることにより、過去の表層環境の変動を明らかにし、両大陸における凍土分布の違いを説明した。

 本論文は7章から構成される。第1章と第2章は導入部であり、本論文の構成がまとめられ、永久凍土の地表分布、凍土層の深さの緯度変化、永久凍土と気候変動との関わり等が示される。永久凍土層は年間を平均した地表温度が凍結温度より低い地域で形成されるものであり、地表のそれぞれの地域の表層環境を反映したものであるが、一方で永久凍土の存在が、表面近くの凍土の融解、凍結に伴う潜熱の解放や土壌水分の変化によって、気候変動に影響を与えることが指摘される。また、高緯度の厚い凍土層がある場所では、地表の気候条件に対する凍土の応答時間が気候変化のタイムスケールに比べてずっと長くなることから、現在の凍土分布が過去の気候変動に対する情報を持つことが示される。本論文の主題である北米とシベリアにおける凍土の厚さの緯度分布が詳細に示され、凍土層の空間分布、厚さの緯度分布と、各地域の年平均気温との関係が示されている。

 第3章では、本研究で用いた数値シミュレーションの方法について詳述される。この方法は境界条件の変動に対応した熱と水分移動の方程式を連立させて解くものであり、従来は凍土の季節変動のモデリングに用いられていた。本論文では、より長期の変動のシミュレーションに用いられるように拡張を行っている。本章ではさらに計算手法の有効性を確かめるために、季節変化に関してはシベリアのYakutsk(北緯62度)で観測されている大気温度を用いてシミュレーションを行い、観測結果を再現できることを確かめている。長期的な変動については、地表温度の年平均値が1万年間にわたってゆっくりと減少する場合について計算を行い、永久凍土層の成長過程が安定に再現されることを確かめている。

 第4章では、凍土の長期的な消長モデルの重要なパラメーターである地殻深部からの熱流量をカナダとシベリア地域についてコンパイルし、両地域の過去の数万年間の表面温度の変化をグリーンランドのアイスコアデータから推定し、さらに過去の大陸氷床の分布、特に最終氷期の氷床の様子を調べている。

 第5章では、測定されている過去数年間の地表温度と表面での熱流量の季節変化をパラメータとし、シミュレーション計算によって、現在のシベリアの各地域の凍土の安定性を吟味している。シベリア地域は地球上でもっとも広く永久凍土が分布している地域であるが、500mを越える厚い永久凍土層が存在するYakutsk地域では、厚い凍土層が底から融けつつあることが見いだされた。一方、より高緯度及び低緯度の地域では凍土層がほぼ定常状態にあることが示された。

 第6章では、最近数万年間の凍土の変動に関するシミュレーション計算を行った。地表温度変化、深部の地殻熱流量、大陸氷床の有無等に関しては、第4章でコンパイルされた値を参照しながら、広い範囲に変動させてパラメータースタディーを行っている。この結果、北米のカナダ地域の凍土の分布は現在の地表気温と平衡した状態にあり、その理由は、この地域が過去の最終氷期の全盛期には大陸氷床で覆われていたためであることが定量的に示された。カナダ地域の凍土層は最終氷期には存在せず、大陸氷床が融けさることによって、地表温度が冷却して凍土層が成長し、現在ほぼ平衡状態に至っている。一方、シベリア地域では、Yakutsk地域の深い凍土層は、最終氷期にも氷床が覆っておらず、かつ内陸地域であるために沿岸部に比べて10度程度気温が低かったことで説明される。この地域より高緯度及び低緯度の地域については、大陸氷床は存在せず、気温も過剰な冷却はなかったとして説明出来る。シベリア地域はカナダ地域と異なり、2万年前の最終氷期には既に厚い凍土層が存在し、その後だんだんと融解して薄くなってきていることが分かった。

 以上述べてきたように、本論文は凍土層の凍結や融解過程のシミュレーション計算を行い、現在の凍土層の厚さ分布がシベリアと北アメリカで異なっていることを定量的に説明し、それぞれの地域の過去の表面環境を読み取ることに成功している。本論文で行った大陸氷床の有無、地表温度等の表面環境を現在の凍土の分布から推定する方法は、凍土の分布から過去の表面環境を再現するために有効であり、地球表層環境の推定のための新しい手段を提供し、地球科学、環境科学の発展にとって重要な寄与をなすものである。従って、審査委員全員は、本論文が博士(理学)の学位論文として十分な価値があるものと判定した。

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