学位論文要旨



No 116566
著者(漢字) 大久保,教宏
著者(英字)
著者(カナ) オオクボ,ノリヒロ
標題(和) 国境を越える使命 : メキシコ革命とプロテスタンティズム
標題(洋)
報告番号 116566
報告番号 甲16566
学位授与日 2001.07.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第328号
研究科 人文社会系研究科
専攻 基礎文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 島薗,進
 東京大学 教授 金井,新二
 東京大学 助教授 吉野,耕作
 慶應義塾大学 教授 清水,透
 大妻女子大学 教授 荒井,芳廣
内容要旨 要旨を表示する

 1917年憲法の制定を契機としたメキシコ革命建設期において、メキシコ国家は次第に反カトリック的態度を強めていき、カトリシズムに代わる国民統合の文化的原理を模索していく。オブレゴン政権の公教育大臣ホセ・バスコンセロス、カジェス政権の公教育省次官(後一時大臣)モイセス・サエンスらは、〈混血〉や〈インディヘニスモ〉を掲げて官製ナショナリズムを体系化しようと試みた。この二人はそれぞれ、カトリック、プロテスタントの熱心な信者であり、カトリック教会が推進するグアダルーペの聖母崇拝や台頭する社会主義に対抗した宗教的官製ナショナリズムを作り出そうとした。

 そこで、メキシコ革命建設期における宗教的官製ナショナリズム構築の試みを明らかにするのが本論の目的であるが、その際、宗教的官製ナショナリズムを市民宗教という概念において位置づける。市民宗教とは、米国の宗教社会学者ロバート・ベラーが主に米国の事例に依拠して分析概念として提示した語である。ベラーによれば、キリスト教の出現により宗教と政治とは分裂、対立するようになったが、世俗的国家の構成員が市民としての義務を宗教的に愛するように仕向けつつ、対立する宗教と政治との関係を調停する「宗教的象徴と実践のセット」が市民宗教であるという。これは米国の歴史や使命を神聖化し、国民を市民宗教という一元的な宗教の下に一体化させようとする点で、ナショナリズムとも深く関わっていく。

 このような米国市民宗教の存在とその効力を、カトリック教会との対立、及び国民形成の問題に悩む革命期メキシコの知識人もよく知っており、彼らはこれらの問題の解決手段として、米国の市民宗教を積極的に学ぼうとしていた。そこで、米国の宗教状況に通暁し、メキシコにおける市民宗教の試みをリードすることができる存在と見なされたプロテスタンティズムが革命期メキシコの政治、教育に活躍の場を与えられ、教会・国家問題やナショナリズムの問題にも深く関わっていく。

 しかし、プロテスタンティズムは〈セクト〉、〈外来宗教〉として、従来のメキシコ史の記述において積極的に取り上げられてこなかった。公教育省高官となったサエンスにしても、「メキシコ中等教育の創設者」、「インディヘニスモの先駆者」といった位置づけはなされてきたが、プロテスタント信者としての彼の側面はほとんど語られてこなかった。しかし、その側面こそを明らかにしていかなければ、メキシコ史のミッシングリンクとも言える官製ナショナリズム、市民宗教の試みを十分に解明することはできないであろう。そのためには、メキシコ市民宗教の創造を推進し、ナショナリズムへと接近しようと試みてきたメキシコ・プロテスタンティズムの歴史を十分に明らかにする必要がある。

 出発点は米国の社会的福音である。その唱道者の一人、米国人宣教師サミュエル・ガイ・インマンは、雑誌『新しい民主主義』などを通してアメリカ諸国の宗教的一体化を説くが、それはまさに市民宗教的発想に依拠した宗教的パンアメリカニズムであった。インマンは特にメキシコの官製ナショナリズム創造の任に当たっていたバスコンセロスら教育行政官を動員し、『新しい民主主義』誌上において宗教に関する議論を展開させ、市民宗教形成に向けてのプロテスタンティズムとメキシコ知識人との共同戦線形成を模索した。

 このような宣教師の動きに促され、メキシコ人プロテスタントたちもまた、彼らの理想とする市民宗教をメキシコ社会に実現しようと、革命政府主導の国民建設の作業に関わっていく。その際、プロテスタンティズム自身もナショナリズムを標榜するが、このいわばプロテスタント・ナショナリズムを発信する雑誌として、メキシコの有力プロテスタント諸派が合同の会報『キリスト教世界』を刊行する。この時期、プロテスタンティズムはメキシコ社会での影響力拡大を狙って様々な社会活動を活発化させ、教育事業の他にも、この時代のメキシコの為政者の関心を集めつつあった禁酒運動にも専心していく。

 本論では、このようなプロテスタンティズムの社会活動や市民宗教の試みを推進した人物として、メソジスト牧師エピグメニオ・ベラスコとメソジスト信者アンドレス・オスーナを取り上げる。特に後者はプロテスタントとして革命政府高官となった先駆者であり、メキシコ革命とプロテスタンティズムとを関係づける重要な鍵となった人物である。

 そして、このオスーナの肝いりで公教育省高官となったのが長老派信者モイセス・サエンスであった。サエンスはクリステーロスの乱の渦中において、先住民をカトリシズムから解放し、先住民の価値を応用した理想的宗教の下へとメキシコ国民を統合する議論を展開した。サエンスのインディヘニスモはまさに市民宗教論であった。

審査要旨 要旨を表示する

 大久保教宏氏の「国境を越える使命−メキシコ革命とプロテスタンティズム」は1910年に始まるメキシコ革命において、プロテスタントが果たした役割に注目し、宗教とナショナリズムの交錯する思想状況を描き出した宗教=政治思想史の試みである。

 カトリック国であることが自明とされ、従来の研究では軽んじられてきたが、実はメキシコ思想史の重要な転換点において、短期間ながらプロテスタントがたいへん重要な役割を果たした。アメリカ合衆国で当時広まった社会的福音や教育への情熱がメキシコにも及び、新興の中産階級からプロテスタントの教育指導者や社会改革運動家が多数輩出する。彼らは革命政権に関わりつつ、政治的社会的行動によって自らの宗教的ビジョンを実現していこうとする。カトリック教会と世俗主義が対立してきたメキシコにおいて、第三の立場として宗教的な社会改革者であるプロテスタント知識人に大きな活躍の場が開けてくる。

 大久保氏はこの知識人群の思想を、ジャン・ジャック・ルソーやロバート・ベラーが近代社会の新しい宗教性のあり方として概念化した「市民宗教」の語を用いて記述し、その多様性や時期による変容を明らかにしていこうとする。市民道徳の鼓吹をカトリシズムと結びつけるに至ったバスコンセロスと対比しながら、20世紀初頭のアメリカ合衆国とラテンアメリカのプロテスタントの交流の経過が描き出された後、プロテスタントの超教派雑誌『キリスト教世界』や禁酒運動が果たした役割が分析される。とくに、エピグメニオ・ベラスコ、アンドレス・オスーナ、モイエス・サエンスらのプロテスタント社会改革者の思想と行動の軌跡が丁寧に示され、その特徴が分析される。こうして、主として1910年代、20年代の市民宗教の動向が、また宗教とナショナリズムの交錯の種々相が明らかにされ、プロテスタント色をもつ市民宗教がこの時期、花開き、やがて後退していったのは、国家と教会の二元的対立のはざまが広がり、第三の道が期待されたからだとされる。

 先行研究との関係づけが十分でなく、理論的な洗練の余地があるとはいえ、一次資料を綿密に調べながら人物像やその思想に肉薄し、ある時代の宗教思想史の、軽視されてきた重要な一局面を濃密に活写しえている。

 よって審査委員会は本論文が博士(文学)の学位を授与するに値するものと判断する。

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