学位論文要旨



No 116568
著者(漢字) 任,明信
著者(英字)
著者(カナ) イム,ミョンシン
標題(和) 韓国近代精神史における魯迅 : 「阿Q正伝」の韓国的受容
標題(洋)
報告番号 116568
報告番号 甲16568
学位授与日 2001.07.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第330号
研究科 人文社会系研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤井,省三
 東京大学 教授 吉田,光男
 東京大学 教授 尾崎,文昭
 ソウル大学校 教授 金,時俊
 慶應義塾大学 教授 長堀,祐造
内容要旨 要旨を表示する

 近代以来韓国に紹介された外国文豪の中で魯迅ほど韓国人みずからの歴史的・文学的コンテクストとの深い関わりの中で読まれた人はいないであろう。本論のテーマは一九一〇年代末から植民地解放に至る、すなわち近代韓国における魯迅の受容とその文学的再生産の様相を探ることである。言い換えれば、「近代韓国における魯迅の読書史」である。本論は近代韓国における魯迅の受容やその文学的継承の様相について分析し、文学史的な位置づけを試みた最初の試みでもある。

 混沌や閉塞の近代を生き抜いた魯迅と韓国知識人たちは共に厳しい旧時代の重圧を背負いながら、当時人類の進むべき道とされた課題、すなわち「国民国家の達成」を熱望し、その道のりにおける封建と近代の錯綜した混沌の中でもがきながら至難な戦いを続けたのである。その一方で、近代における中国と韓国はそれぞれ半植民地状況と植民地状況という厳然と異なる条件下に置かれており、中国の半植民地状況に比べ韓国の植民地状況とは一層身動きの難しい、厳しい現実であった。魯迅にはともかく祖国があり、その祖国のあり方について熾烈な批判と苦悩を祖国の中で続けることができた。この一定の自由、この余地こそやはり魯迅を魯迅たらしめた条件の一つであり、また韓国知識人が魯迅に多くの暗示と啓示とを受けた所以ではなかろうか。

 第一部ではまず近代韓国における活字メディアの状況、そしてそのメディアにおける魯迅の捉え方を丁来東、申彦俊、李陸史三人を手がかりにして見ておく。魯迅の文学的再生産が行われる土台と背景を探るためである。植民地期韓国の活字メディアを丁寧に調べ、またその時代の文学作品を注意深く読み直せば、魯迅がかつて韓国知識人に極めて存在感のある外国文豪の一人として受け止められていたことを確認することができる。中国を近代国民国家として生まれ変わらせるべく半封建・半植民地の現実と戦い続けねばならなかった魯迅の苦悩やその文学的な表現に、植民地韓国の知識人たちは訴えかけられるものを見出していたに違いない。

 第二部では、魯迅の創り出したすぐれた文学的形象「阿Q」が植民地を生きる卑屈な自画像と重ねあわせられながら韓国人にとって一層説得力と実感を呼び起こした点を解き明かす。一九二〇年代以来、韓国の近代的な活字メディアを通じて当代中国の様々なニュースと共に紹介された魯迅は、一九三〇年代、つまり満州事変を前後して硬直化していく植民地体制下でさらに熱い共感をもって読まれていく。いよいよ近代韓国において魯迅の「阿Q」は一つの文学的コードとして流通し、魯迅文学における諸形象は「阿Q的人間」と「非阿Q的人間」として理解されるようなるのである。

 この「阿Q」の文学的再生産の痕跡を、まず韓国近代文学史上最大の作家といわれた李光洙から見つけ出すことができる。民族の教師を自任し続けた李が、その後期に当たる三〇年代後半以後、作品に明らかな変化を見せたことは周知の事実である。これに関する従来の説明に加え、本論はその変化の背後に魯迅の影が見え隠れしていることを指摘した。李は植民地民衆の姿から「阿Q」を見いだし、結局、後日みずから「朝鮮の阿鬼を描きたかった」と語るところの「万爺の死」を執筆するに至る。要するに彼が従来描き続けた、民族共同体の理想を体現するインテリや、また「民族意識を密かに包み込んだ」と回想するところの、歴史的人物に虚構の衣をまとわせた数々の歴史小説とは大きく異なる作品である。李はここへ来て、生涯とりつかれていた啓蒙者としての使命感、同胞に対する「教師意識」からようやく放たれ、「阿Q的知識人」の自画像に出会っていくのである。そしてこの曲がり角に魯迅がはっきりと顔を出しているのだ。こうして一九二〇、三〇年代韓国における魯迅、特に「阿Q」の形象が一種の文学コード化し、広く流通していたことを確証できよう。

 魯迅の文学的再生産は、植民地末期になり金史良という二重言語作家によって一層深みをもって受け継がれた。金の作品から、「内鮮一体」を強いられる植民地末期の閉塞状況の中で高度に内面化した抵抗性を見いだすのは困難なことではない。金は、日本人父と韓国人母を持つ混血少年が自虐的で屈折した心理を乗り越えていく過程を描いた短編小説「光の中に」で一九四〇年芥川賞の最終候補として注目を浴びて以来、多数の作品をに日本語で発表した。日本語による創作自体を一種の「屈従」と見なす見解は当時も今日も根強いが、金の関心事は使用する言語を問わずあくまでも虐げられた同族の現実と生き方であり、苦悩に満ちた植民地知識人の自意識や内面世界だったことに注目すべきであろう。さらに、「天馬」における、あの植民地末期韓国文壇の一性格破綻者の阿Q的精神や奇行には植民地知識人型阿Qの影が、そして「草深し」では絶望に満ちた気弱な知識人や卑屈な植民地インテリの姿が重ね合わせられる。

 金史良が一九四一年に発表した短編「Q伯爵」は、留置場で「Q伯爵」と呼ばれていた名無しの一韓国人高等ルンペンの話である。「Q伯爵」は当時植民地住民のほんの一握りに過ぎない特権階層−日本の皇室から爵位を授かり地方長官をつとめる民族の裏切り者たる「親日派」−の息子であり、思想犯として捕まるのを心から願っているかのように愚行を繰り返す自称アナキストの留置場常連である。「Q伯爵」は、植民地現実への深い絶望を、三〇年代以来急増した経済難民や移民の群れに混じって貧困と絶望の汽車に乗り込み酔いつぶれることにより、せめて彼らと情緒的なつながりを保とうとする。「Q伯爵」とは滑稽な感じを漂わせながらもどこかしっとりした悲愴感あふれる形象である。李光洙が植民地民衆の姿に「朝鮮の阿鬼」を見ていたとすれば、「彼らと同じ方向に向かって走っている感じだけで救われる気持ちになる」とつぶやく「Q伯爵」は、三〇年代以来韓国知識人の間ですでに一つの文学記号として流通していた「阿Q」を「余計者的植民地知識人像」として生まれ変わらせたものといえよう。

 終戦による植民地解放と共に始まった「冷戦」は魯迅文学をめぐる植民地期以来の伝統を韓半島の南半分の地域でほとんど途絶えさせる一方、政治的な読みが主になされた北朝鮮においても魯迅への理解は一定の偏向を余儀なくされた。「韓国人の魯迅読み」の伝統は皮肉にも韓半島を離れたところ、まさに日本の地で「在日」を生きる人々によって読み継がれていくことになる。金史良の直系を自任する在日コリアン作家たちは、祖国の政治状況に直接には拘束されず、そして戦後日本の開かれた魯迅論の中で魯迅を読み続けていくことができたのであろう。そして二つの祖国どちらにも自分を帰属させることができず、一種の精神的亡命生活を強いられたともいえる在日コリアン知識人たちが、「在日を生きる」中で味わなければならなかった様々な疎外体験を通して新しい阿Q像を創っていくようすは特に興味深い。これは本論が対象とする時代の範囲外のものなので詳しくは論じず今後の課題とし、一例を挙げるにとどめたい。

審査要旨 要旨を表示する

 東アジアの20世紀とは、あるいは日本のように帝国主義的国家形成から敗戦・被占領を経て民主的国家への再生、あるいは中国のように半植民地状況から人民共和国の建国、あるいは台湾のように植民地および軍事独裁の歴史を経て民主的共和国建設の実現、あるいは香港あるいはシンガポール‥‥というように多様な経験から成り立っている。近代中国の文豪魯迅(1881-1936)は、中国本国ばかりでなく戦前戦後を通じてこのような東アジアを生きる人々によっても読み継がれてきたのである。

 さて韓国のばあいは、大韓帝国体制による近代化の試み(1897〜1910)、日本植民地体制下での苦難の近代化、戦後の南北分断と大韓民国の成立(1948)、50年代の朝鮮戦争(1950〜53)、60年代以後の軍事独裁体制、そして80年代末の民主化成就という激動の歴史を歩んできた。植民地体制下で「国民国家の達成」を熱望していた韓国知識人は、半植民地体制下の中国で同様の夢を抱き知的格闘を続けた魯迅に対し熱い共感を寄せ、「魯迅読みの韓国的伝統」を築いていた。

 本論文は1910年代末から独立に至る近代韓国における魯迅の受容とその文学的再生産の様相を探るものであり、近代韓国における魯迅の読書史に関する研究である。第一部第一章では近代韓国における活字メディアの発展史を、第二章では丁来東、申彦俊、李陸史という著名な知識人を軸として魯迅文学の受容史をそれぞれ概観し、魯迅文学の受容と再生産の前提となる公共圏の形成状況を描いている。第二部第一章では植民地期最大の作家であった李光洙(1892〜?、朝鮮戦争中に行方不明)における阿Q像の受容と変容を、第二章では1940年芥川賞候補にもなった金史良(1914〜50)文学における阿Q像の変容と深化とを論じている。本論文の主な成果は次の通りである。

 (1)金時俊、朴宰雨、全炯俊ら韓国人研究者および今村与志雄ら日本人研究者による韓国における魯迅受容に関する先行研究を総合しつつ、韓国の活字メディアと文学との発展史における魯迅受容史・変容史の展開を位置づけた。このような韓国精神史における魯迅イメージの研究は斬新な視点にして方法であり、新しい魯迅研究の端緒を切り開くものである。近代韓国精神史の考察対象に在日コリアン作家を含める視点も新鮮であった。

 (2)韓国人同胞に対し啓蒙者としての使命感、「教師意識」を抱き続けていた李光洙が、30年代後半の総督府による弾圧を契機にして作品傾向に大きな変化を生じた際に、魯迅からの影響下で、植民地民衆の中に「阿Q」を見いだし、「朝鮮の阿鬼」として短編「万爺の死」(1936)を執筆し、「阿Q的知識人」としての自画像を構想していく過程を詳細に論じた。

 (3)植民地時代末期に二重言語作家として日韓両国語いずれを問わず虐げられた同胞の現実と苦悩する韓国知識人の内面世界を描き続けた金史良が短編「天馬」(1940)で描いた性格破綻者の文学者に濃厚な阿Qの影が投じられている点を指摘し、さらに金史良の短編「Q伯爵」(1941)の主人公が1930年代以来韓国知識人の間で文学的記号として流通していた阿Qから「余計者的植民地知識人像」として再生されたものである点を論証した。Q伯爵は日本皇室から爵位を授かった植民地地方長官の父に反発して、アナーキストを自称し思想犯として捕まることを願い愚行を繰り返しては留置場の常連となり、時に経済難民や移民の群れに混じって絶望の満州行き難民列車に乗り込み酔いつぶれ、下層民衆と「同じ方向に向かって走っている感じだけで救われる気持ちになる」とつぶやく。

 植民地韓国において阿Qから再生産されたQ伯爵の本論文による発見は、日本による植民地支配の不当性をあらためて深く認識させるものである。また魯迅文学を手がかりにこのような深刻な自己解剖を行い、それを作品化し読書した繊細にして豊穣なる韓国近代精神史の展開には感銘を覚えさせられる。かつてフランスの作家ロマン・ロランは阿Qの運命に涙を流したが、本論文の読者もまた韓国精神史におけるQ伯爵の姿に目頭の熱くなる思いを禁じ得ぬことであろう。

 本論文は通俗的な韓国社会像にいささか無批判に依拠している面もあるが、やはり最新の歴史学、社会学などの分野の成果を十分に取り入れたより精緻な読解作業も必要であったろう。望蜀の言ではあるが、韓国における阿Q像以外の魯迅文学受容および魯迅以外の中国作家の受容状況にも目配りが欲しかった。これらは今後の課題であるといえよう。本論文は上記(1)〜(3)を中心に顕著な成果をあげており、その内容は博士(文学)論文として十分な水準に達しているとの結論を得た。

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