学位論文要旨



No 116569
著者(漢字) 廖,肇亨
著者(英字)
著者(カナ) リョウ,チョウコウ
標題(和) 明末清初の文芸思潮と仏教
標題(洋)
報告番号 116569
報告番号 甲16569
学位授与日 2001.07.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第331号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大木,康
 東京大学 教授 戸倉,英美
 東京大学 助教授 小島,毅
 東京大学 教授 尾崎,文昭
 東京大学 教授 丘山,新
内容要旨 要旨を表示する

 明末清初は中国の歴史上重要な変革期であり、当時の文化的、社会的な現象は、現在各領域の研究者から高い関心が寄せられている。中でも当時の社会において何より看過することができない文化現象とは、仏教、特に禅宗の隆盛であろう。当時の詩文、芸術ないし学術思想のいずれもが無意識的に仏教の影響を受けたり、或いは意図的に仏教と整合性をもたせようとしたりしている。仏教は当時、社会、文化の各側面に深甚なる影響を与えたと言っても過言ではない。文芸思潮にもこのような傾向が見られる。当時の文芸思潮を適切に把握するためには、仏教は見逃せない存在と言えよう。本論は明末清初の文芸思潮に果たした仏教の役割に対する理解を深めようとするものである。

 以下、論文の構成に従い研究内容を述べていきたい。

 一 明末清初の知識人の精神課題(第一章)

 明代中葉以来、経済、社会の変化と同時に、知識人にも徐々に仏教への傾倒という現象が起こってきた。本論は(一)狂者尊重論の高揚、(二)情論思惟の台頭という当時流行した文化現象に注目し、それらの現象から当時、仏教が果たした役割を明らかにした。そのほか、社会実践の面から考察すると、当時の知識人にとり、仏教は反体制の意味を持ち、知識人が仏教に親しむことは往々にして権力者への反抗を意味した。換言すれば、仏教への態度からその知識人の政治傾向を窺い知ることができる。

 二 明末清初における仏教叢林の文芸観(第二章)

 明初において、仏教は盛んだったが、間もなく衰退し、萬暦三大師から、再び隆盛の局面を迎えた。当時の仏教叢林は宗派を問わず、文芸に深い興味を示し、それぞれの文学論説を展開した。特に大慧宗杲、恵洪覚範という二人の宋代の僧侶に対する解釈に基づいて言語文字を重視し、社会現実への関心を強調する文学論説を説いたのは注目に値する現象である。これは過去、隠遁心情を強調する伝統的な詩禅論説と一線を画し、独自の特徴を打ち出したものである。

 三 晩明の文学流派と仏教(第三章)

 本章では明末当時の各詩派の仏教認識の相異を詳しく分析した。「禅を以って詩を喩える」という姿勢は当時、流派を問わず一般的な傾向であるが、各流派によって重点はそれぞれ異なっている。たとえば古文辞派は悟りを特に強調しているが、彼らは往々にして悟った後の関心を詩法に置いた。悟りとは、詩法にこだわり、詩が硬直化する弊害を避ける手段に違いない。が、同時に古文辞派はやはり理想的な風格を心がけている。したがってさまざまな時代における各詩人の風格の異同を区別することが重視された。一方、性霊派の場合は禅を既存の権威を拒否する思想的基盤と見なしている。彼らは生活の規制にすら縛られたくないくらいだから、当然詩法も拒絶することとなる。詩文の創作においては、強い内的衝動にのみよるものであるか、一切の方法を無視しているか、が問われた。彼らは芸術創作の過程での独創性をとりわけ強調しており、ジャンル、法度を問わず、ひたすらレトリックを無視した。だが単純に作者の内的心情のみを重んじれば、必ず蘊蓄のなさ、浅ましさ、気品の低さ、という弊害が生じることとなる。これらは性霊派の短所としてしばしば非難を浴びることとなる。文学主張の上で明かに対立している流派それぞれが仏教から啓発を得て、異なる結論を得ていることは、当時の詩禅論述の多様性を物語るのではないだろうか。

 四 清初の文学思想における仏教の果たした役割(第四章)

 明末清初に至って、唯識学の取り入れ方に新たな風潮が見られることは、この時期の詩論家の特筆すべき成就と言えよう。唯識学の研鑚により、文学創作過程における人間の心理、意識のはたらきも脚光を浴び始めた。これは無論晩明以来の唯識宗復興の潮流と切っても切れない関係にある。このような風潮が中国の伝統的な文学批評に新しい息吹をもたらした。銭謙益、金聖嘆の詩論は心理面のはたらきに重きを置いている。彼らが中国の伝統詩論の新たな側面を開いた背後には、仏教からの啓発があったことは間違いない。

 五 遺民僧の学術主張と文学観(第五章)

 明末から士人出家の風潮は次第に広がり、明が滅んだ一六四四年以後、知識人が大挙して仏門に身を投ずるに至り、いわゆる遺民僧の風潮が現れた。遺民僧はその思想にせよ文学にせよ独自の特色を展開した。特に彼らは前述した仏教の詩論及び社会倫理観を極めようとした。本論は遺民僧の代表人物の一人である金堡を例として取り上げ、遺民僧の文学思想は「性霊」から「神韻」への橋渡しの役割を果たしていること、さらに文学思想と特定の禅法(例えば曹洞禅)を結びつけようとする傾向を明らかにした。

 六 明末清初の小説、戯曲理論と仏教との関わり合い(第六章)

 通常、明清の最も特徴的なジャンルとされるのは小説、戯曲である。周知の通り、因果応報の考えは仏教の影響を受けたものである。また当時の小説、戯曲の論説が人生と芝居、或いは夢との類似性を強調しているのは、仏教の思惟様式にかなり依拠している。一方、当時の仏教界も新興ジャンルである小説、戯曲に深い興味を示し、演出効果の細かい所にまで注意を払った。小説、戯曲と仏教との関わりは詩論ほど多様ではないが、もう一つの重要な側面を有していることは間違いない。

 先学が指摘しているように、明末清初の文芸思潮は多様かつ深遠である。そして重要なのは、当時の理論家の斬新な点の多くが、仏教から啓発を得ているという事実である。理論家が広く仏教の知識を利用すると同時に、仏教界も文芸現象を重視した。明末清初における両者の密接な交流が特色ある文芸理論を作り上げたのである。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、仏教が士人の精神や文学にとりわけ大きな影響を与えた時代の一つである17世紀、明末清初の時期における、仏教と文学の関係がテーマである。

 序論では、明代において詩学と禅学とをつないだと見られる重要な著作、宋の厳羽の『滄浪詩話』を手掛りに、この書物が明代のさまざまな文学者にどのように受け止められたかを通して、この時代の文学と仏教の関係を鳥瞰している。

 第一章では、明末清初の知識人の一般的な心性を問題にし、「狂」「情」をキーワードにして、その仏教との接近の様相を明らかにし、あわせて出家が持った政治的意義についても論じている。第二章は、明末清初の僧侶たちが、どのような文学観を抱いていたかについての考察。

 第三章、第四章では、明末清初の知識人(非僧侶)の文芸理論において、仏教がどのような役割を果たしているかを、呉中文苑、古文辞派、性霊派の各グループ、そして銭謙益、金聖嘆、王漁洋などについて仔細に検討している。

 第五章は、金堡を中心として、遺民僧の文学思想についての考察。第六章では、明末に発展した戯曲小説などの通俗文学と仏教について論じている。

 仏教が中国知識人の精神や文学に与えた影響は広くかつ深い。しかし、仏教学はそれ自体、壮大深奥な思想体系と膨大な文献の蓄積とを持つ世界であり、中国文学プロパーの研究者がこの分野の研究に着手することは容易ではなかった。本論文は、これまで誰も手をつけることができなかった標記のテーマについての、はじめての本格的な論文であり、その成果は高く評価することができる。

 創見に満ちる本論文の中でも、復古の理論を掲げた古文辞派の考え方の根底に厳羽の『滄浪詩話』をはじめとする宋代の文芸理論があり、「妙悟」を説く仏教思想があったことの指摘、銭謙益を論じて、彼が同じく仏教といっても唯識学に基づき、作者の意識や心理的側面に着目した詩学理論を構築した点の指摘などは、とりわけ出色である。

 審査の席上では建設的な立場から、(1)仏教に関して今ひとつ正確な知識が要求されるであろうこと、(2)引用原文の日本語訳にも今ひとつの正確さが要求されるであろうこと、(3)儒学と仏教の関係について、より厳密な考察が要求されるであろうこと、(4)明末清初の思想や文学に仏教が与えた影響を広く捉えようとしているが、それはややもすると現象の羅列に終わる危険にもつながり、個別の対象により深く踏み込んだ考察も要求されるであろうこと、などの指摘がなされた。だがそれらは、本論文において解明された明末清初の文芸思潮における仏教の多面的なかかわり、その重要性についての論証をそこなうものではない。よって本委員会は、本論文が博士(文学)の学位に十分値するものであると判断する。

UTokyo Repositoryリンク