学位論文要旨



No 116570
著者(漢字) 駒橋,恵子
著者(英字)
著者(カナ) コマハシ,ケイコ
標題(和) ニュース報道とメディア・コミュニケーション : 実体経済の「ゆらぎ現象」増幅効果について
標題(洋)
報告番号 116570
報告番号 甲16570
学位授与日 2001.07.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会情報学)
学位記番号 博人社第332号
研究科 人文社会系研究科
専攻 社会文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 須藤,修
 東京大学 教授 花田,達朗
 東京大学 教授 濱田,純一
 東京大学 教授 橋元,良明
 東京大学 助教授 田中,秀幸
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、経済事象に関するニュース報道が組織内外のメディア・コミュニケーションを引き起こし、結果として実体経済の「ゆらぎ現象」を増幅している、という現象を理論的に提起したものである。経済学では市場メカニズムが不確実性を持つ理由に「情報」の影響が指摘されており、社会学のメディア効果論では政治的・社会的影響が指摘されているため、こうした既存研究の概念装置を用いて経済報道の影響を理論化した。経済事象に関するニュースを受信した個人の行動が社会の自己組織化につながり、マクロ的な実体経済に影響を与えるというコミュニケーションプロセスを分析した。

 本論文の基本となるキイワードは「情報の経済的影響」「経済組織の意思決定」「情報の自己組織化」「外部性」「市場のゆらぎ」である。論文の構成は、学問的意義付けと仮説の提示、事例検証、企業のメディア対応策、要因分析であり、内容は以下の通りである。

 現実の市場は情報の非対称性が存在するため、市場参加者は意思決定の指針となる情報を収集する。情報は完全ではなく、個人の意思決定には選好、信念、経験等が関与するほか、他の経済主体との相互作用にも影響されるため、市場全体の一般均衡点を見出すのは困難がともなう。しかし経済組織の情報行動は、個人の暗黙知を組織の形式知に転換する知識創造の媒介となっており、こうした情報の動的側面が重要な経営資源として機能している。経済主体の相互作用によって知識を通有するネットワーク社会において、マスメディアは社会の神経系であり、各経済主体に情報の非対称性を軽減する一つの手段を与える。特に日本の企業組織は各経済主体の自律性を尊重した相互コミュニケーションを行っているため、組織の意思決定プロセスに構成員の相互作用が介在しやすい。したがって情報が複数の市場参加者の間で交流することで、経済主体はミクロ動機から創発されて決定を下し、その相互作用によって自己組織化が生じて、マクロ行動が予想外の現象を示す。こうして短期的な均衡状態からランダムな「ゆらぎ」が発生し、動学的なメカニズムとなる。

 例えば金融市場の投資家は集団思考が強く、相場が一つの方向へ動いているという情報を得ると、一斉に投機的な資金が集まる。風説の流布で株式市場が混乱する事例もあり、法的には禁止されているが、噂と情報の線引きは困難である。そこで噂を情報化するのがマスメディアであり、真実性を担保する目安とされる。特に経済事象のように生活実感を伴わないものはマスメディアの議題設定機能が大きい。そこで経済報道の影響について、情報の非対称性の解消効果や、実況中継による衆人環視効果、アナウンス効果、情報の増殖効果、議題設定の指標策定効果、組織内外の世論形成効果、個別経済主体の意思決定への外部効果などによって、実体経済の「ゆらぎ現象」増幅効果が生じることを提起した。

 メディアの発展とともに市民社会における情報の相互作用は拡大している。政治・経済体制の転換期にニュース報道が時代の「ゆらぎ」を増幅し、各国民の意見を自己組織化して世論を形成する機能を果たしてきた。「組織的な経済事件」とされた事例では、談合、贈収賄、不正融資などの慣行が、マスメディアの報道で衆人環視効果が働くことで問題視され、世論の追求によって「ゆらぎ」は増幅し、「犯罪」として排除勧告や刑事事件に発展した。また経済事象の情報発信者がマスメディアのポジティブな外部効果を活用することもある。行政官庁は施策前の「方針」の段階で経済専門紙に情報を提供しており、経済政策の転換期に市場関係者の情報相互作用を意識している。企業の経営合理化策や企業提携・合併の発表時も、ニュース報道のタイミングは慎重に検討されている。いずれもニュース報道の情報伝達機能を通した外部効果を意識した結果といえる。

 企業はメディア戦略を強化している。特に日本企業の広報部門はマスメディア対応が重要な業務となっており、組織内の情報を集約して社会に伝達する窓口として機能している。また、企業がポジティブな「ゆらぎ」を意図的に起こす動きの一つが、マーケティング・コミュニケーションであり、流行の発信やブランドイメージの向上のため、広告宣伝と記事露出を統合的に考慮する傾向にある。ブランドのコアとなる経営理念を顧客や従業員が共有し、ロイヤリティを持つことで関係者間に相互依存関係が発生し、ブランドの価値はスパイラルに高まる。その経営理念をストーリイ性のあるメッセージとして関係者に伝達し、ブランドの認知・知覚品質・連想を高めていくためにメディア広告が計画される。広告の経済効果に関する既存研究を援用しながら、記事量とブランドイメージの関係を定量的に分析したところ、経済紙や一般紙の企業名露出は、一流評価や信頼性の付与に有意な結果をもたらすことが明らかになった。

 最後に「ゆらぎの増幅」を加速する日本的要因について考察した。日本の経済組織は構成員間の相互作用が強く、暗黙知を形式知へ転換する過程で多数派意見への同調行動が発生しやすい土壌があり、こうした相互依存行動が自己組織化やゆらぎ増幅を加速しやすい要因となっていたが、さらに日本のメディアの特徴が加味されて、ニュース報道の「ゆらぎ現象の増幅」を一層加速していることを提起した。

審査要旨 要旨を表示する

 本論文は、情報の社会経済学的考察を基礎にしつつ、情報経済学、経営組織論、マーケティング論、メディア論に関する膨大な先行業績を踏まえて、コーポレート・コミュニケーションや世論形成の観点を導入し、広範な領域に重複するメディア・コミュニケーションに関する考察を行ない、マーケット・メカニズムの外部性として「ゆらぎ現象の増幅効果」が存在することを示した上で、経済報道が実体経済のゆらぎ現象を増幅することを明らかにしたものである。

 本論文は、8章から構成されている。最初の3つの章、すなわち、第1章「経済組織の「情報」と「ゆらぎ」の関係」、第2章「経済報道と自己組織化による波及効果」、第3章「歴史的事例にみるメディア効果」において「情報とゆらぎ」、メディアに関する既存研究のレビューが行われ、経済報道の実体経済への影響(ゆらぎ増幅)に関する問題設定がなされている。つづく第4章「組織的な経済事件の報道と社会的影響」および第5章「情報発信者とメディア戦略」においては、膨大な事例研究を通して経済報道がもたらす業界や企業への影響と業界や企業の変容について明らかにされている。第6章「企業の広報活動」および第7章「マーケティング・コミュニケーション」においては広報論および組織論、さらに事例研究を通して企業が報道に対してどのような対応を行っているかという点について考察されている。最後に第8章「「ゆらぎの増幅」を加速する日本的要因」において経済報道の実体経済に与えるゆらぎを増幅させる影響に関する仮説の有効性を再確認し、その上で日本における特殊要素を抽出し、今後なされるであろうより理論的および実証的研究の課題が述べられている。

 本論文は、多くの研究領域にまたがる膨大な先行業績を踏まえつつ考察を展開しているため、必ずしも理論的に精緻化されたものとは言い難い。しかしながら、多くの事例研究を行ない、これまで重要性が認められながらほとんど本格的な考察がなされてこなかった、経済報道がどのように実体経済に影響を及ぼすのかという点について詳細な考察を行ったものであり、メディア、コミュニケーション、情報経済の分野の融合領域において新たな研究領域を開拓するものとして学術的にみて意義を有するものである。よって審査委員会は、本論文が博士(社会情報学)の学位に相当するものと判断する。

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