学位論文要旨



No 116583
著者(漢字) 李,慈郎
著者(英字)
著者(カナ) イ,ザラン
標題(和) 初期仏教教団の研究 : サンガの分裂と部派の成立
標題(洋)
報告番号 116583
報告番号 甲16583
学位授与日 2001.09.10
学位種別 課程博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 博人社第335号
研究科 人文社会系研究科
専攻 アジア文化研究専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 下田,正弘
 東京大学 教授 末木,文美士
 東京大学 教授 斎藤,明
 東京大学 助教授 市川,裕
 東京大学 助教授 佐々木,閑
内容要旨 要旨を表示する

 本論文は、初期仏教教団の部派発生の背景及びその過程を探ることを目的とする。従来、仏教教団の部派分裂に関する情報は、主に諸文献に記されている伝承を通して得られてきた。しかし、これらの伝承から得られる情報は極めて限られており、部派分裂の原因やその過程については、未だに不明確な点が多い。

 従って、本論文では、諸律や碑文などの資料から得られた情報を積極的に用いて、仏教教団の中で起きた諸諍事を中心として、初期の諸部派が成立していく具体的な過程を考察した。以下、本論文で考察した部派分裂の過程の概略をまとめて説明する。

 まず、部派発生の最初の段階として考えられるのは、現前サンガレベルでの分裂である。つまり、界(sima)という地域的な限定によって成立した現前サンガに属していた者たちが、経律の解釈などを巡って自らのサンガから分かれ出て、別のサンガを形成することによって、多くの現前サンガが生じた段階である。諸律のコーサンビー〓度には、現前サンガの中で、経律の解釈を巡りサンガ側と意見の一致を見なかった者たち、すなわち、三種の挙罪羯磨を受けた者や破僧者など、いわゆるサンガ内部で不同住の状態に置かれていた比丘たちが、独自のサンガを作って出ていくことを容認する記述が見られる。仏教教団が、見解を異にする者に対して取っていたこのような緩やかな態度は、その意図とは裏腹に、見解を同じくする者同士のグループ化を促進し、その結果、多くの現前サンガが形成された。この現前サンガレベルでの分裂は、部派成立の前段階であったと考えられる。

 次に、仏滅後二世紀の初頭に起きたとされる、上座・大衆の根本分裂に関する諸伝承の検討から、このような複数の現前サンガが、時代の変化とともに僧院の定住化や、教団の拡張が進んだこともあり、性向を同じくする者同士を構成員として各地に大サンガを形成していく様子が明らかになった。この結果を踏まえた場合、これらの諸伝承における根本分裂とは、上座と大衆という二部の対立と考えられていたが、実際は、各地域を中心に形成された大サンガや、四衆などと呼ばれる幾つかの集団の対立と見るべきであろう。従って、これらの集団が教団の分裂における主な対立勢力であったことは明らかである。そしておそらく、これらの集団間に生じた対立意識が、仏滅後二世紀を前後として、上座と大衆との二部の分裂という形で表面化したのであろう。諸伝承では、このような教団内の変化を根本分裂の事件として捉えていると思われる。しかし、このようにして生まれた上座と大衆とは、非常に広範囲な部派の概念であり、その時、実際部派としての意識が込められていたとは考えられない。すなわち、これは、独自の律蔵を所有し、自らのグループを他のグループと明確に区別する意識をもって活動した集団、つまり、われわれが一般的に部派として認識している集団の成立にはまだ到っていない状況であったと思われる。

 そこで本論文では、これらの集団が部派へ成立する時期として、アショーカ王時代に注目した。なぜなら、王の時代には、社会的・政治的・経済的に大きな変化があったが、仏教教団もこの時期を境として著しい発展を遂げているからである。また、この時期を前後として、教団の内部では、サンガの集団行事を集成した〓度部が作成されたと思われる。従って、このようなアショーカ王時代の教団内外の変化によって、〓度部が各地域を中心に成立していた大サンガに伝えられ、部派としての明確な意識をもつ集団が成立するきっかけを与えたのであろう。

 この時に成立した諸部派間の具体的な状況については明らかでないが、アショーカ王に関する諸部派間の伝承が異なることを考慮すると、当時、幾つかの部派が独立していたことは明らかである。しかし、一方、王の諸碑文をはじめ、王の時代に関する諸資料の中には、仏教部派の存在を明確に示す資料が存在しないことを考慮すると、それらの部派は、教団外部の人々が気付くほど明確なものではなかったと思われる。従って、アショーカ王時代の仏教教団は、インド各地に成立していた諸集団が〓度部の伝播をきっかけとして、部派としての意識を持つようになり、成長していく時期にあったと考えられる。

 このように見た場合、仏教部派は、諸文献が語るように、何らかの事件をきっかけとして一気に二部に分裂したり、あるいは、ある部派から特定の名前をもつ集団が分裂したりすることによって成立したのではなく、むしろ、以上で述べた諸段階を経ることによって、互いに集団意識を共有するようになり、独自性を自覚した諸集団が形成され、後からそれに部派名が付けられたと考えるべきであろう。

審査要旨 要旨を表示する

 従来インド仏教教団の歴史は,『異部宗輪論』等の歴史書の記述に従って「ブッダ在世中は一つであった教団が,ブッダ入滅百年後に起こった根本分裂,二百年後に起こった枝末分裂という二度の大分裂を経て,上座,大衆をはじめとする二十の部派に分裂した」という極めて大雑把な枠組に収められ,教団分裂の実態の不分明さ,関連文献や碑文資料との間に生じる不整合など多くの問題が放置されたままであった.近年,アショーカ王碑文の解釈をめぐる議論を発端として教団分裂解釈の問題が根本的に見直されはじめ,初期教団研究は新たな段階を迎えた.本論文はこうした最新の研究状況に触発され,膨大な過去の研究史を綿密に分析した上で,律蔵資料,歴史書,論書,碑文などの一次資料を丹念に読み解き,初期の教団がいかなる経緯を経て分裂しながら,やがて後世の部派成立に至るかを詳らかにした論文である.

 論文は序章,結論を含め全七章よりなる.序章ならびに第一章において膨大で複雑な見解が乱れる研究史を網羅的に回収,分析,整理し,この成果に基づいて第二章から第五章にかけて,サンガの分裂と部派の発生の関係,根本分裂の諸伝承に見られる教団分裂の背景,教団の発展と僧院化の関係,アショーカ王と分裂碑文の問題など,教団史の考察に必要な主題全体をとりあげて詳細に論じた.

 結論として本論文は,教団の分裂は,(1)〈結界sima〉という律蔵の定義に基づく現前サンガの拡大による自然な分裂,(2)争議に基づく分裂とグループ化,(3)律蔵〓度部の成立による最終的な部派意識の成立,という三段階に分けて考察すべきであり,けっして唯一の教団がキリスト教会のシスマのごとく分裂したのではないことを明かした。ことに(2)の段階において,〈不同住〉〈不共受〉という律蔵の概念の考察をなした上で,教団分裂企ての際に適用される罰則が現実に機能した可能性は低く,実際にはむしろ分裂後に両者を調停する規則が働き,そのために分裂はかえって起こりやすかった点を指摘するのは,律蔵が厳しく破僧を戒めながらも,なぜ結果としては諸部派が生まれたのかを説明するための有力な新説である.

 論文全体の記述に疎密が見られるなど問題点も残してはいるものの,本論文は,初期教団史解明の点で学界に寄与するところ大きく,博士(文学)に価するものと認める.

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